ともちゃんは上の写真に出てくる享年27歳の女性です。出生時の問題で、ともちゃんは心身ともに重い障害がありました。首もすわっておらず、立つことはもちろん、支えがないとまっすぐに座っていることもできません。おしゃべりもできませんが、ご機嫌のときは「アハハン」と声を出して笑います。何か言いたいことがあるときには、「アーアー」と大きな声を出します。
ともちゃんは6年間の保育所生活の後、1996年4月から養護学校小学部に通い始めました。このホームページは、ともちゃんが小学部に入学したのを契機に開設しました。ともちゃんは9年間同じ養護学校の小学部、中学部に通い、2005年に中学部を卒業しました。それと同時に引越をして、別の養護学校の高等部に入学しました。その高等部も2008年3月に卒業して、4月からは社会人になりました。
ともちゃんは心身の障害の他にも、強度の食物アレルギーがあり、けいれん発作もよく起こしました。ですから、ともちゃんにとっては外出するだけでもとても大変なことでした。小学部4年生の3学期に1か月以上長期入院して以来、動脈血中の飽和酸素濃度を測るパルスオキシメータと、酸素吸入のための医療用酸素濃縮器を家でも常用していました。それ以前から使っていた痰を吸引するための吸引器と併せて、ともちゃんの命を守る三種の神器でした。
学校を卒業して、社会人になったともちゃん。希望通りに自宅近くの通所施設へ通うことになりました。この通所施設はヘルパーさんの派遣事業もしているので、高等部の訪問学級の時のように、通所とヘルパーさんの自宅訪問を併用できました。ともちゃんにとって、理想的な形で社会人としての生活を送れることを両親はとても嬉しく思っていました。
そんな幸せなともちゃんに、不幸は突然訪れました。ともちゃんは、2016年8月に見つかった卵巣腫瘍が悪性で、胸水が溜まったことによる呼吸不全のため、2016年12月3日に永眠しました。気管切開をして呼吸器をつけ、胃に穴を開けてそこから腸に直接栄養を入れる腸ろうを形成して、最高の医療スタッフの懸命の治療と、ともちゃんの頑張りにもかかわらず、帰らぬ人となりました。
ともちゃんの遺骨はしばらくお家で冬ごもりをした後、例年ならお出かけシーズンの始まる頃、2017年3月25日に京都府N市の西山山麓にあるお墓に引越しました。ともちゃんのお墓からは、家族での最後の遠出となった天の橋立まで続く京都縦貫道が遠くに見え、眼下にはともちゃんが通ったH園の送迎車やM支援学校のスクールバスが通るバス道が眺められます。