ともちゃん の日常1


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1996年3月

13日(水)
「養護学校の説明会」

15日(金)
「久しぶりの給食」

19日(火)
「保育所の終了式」

31日(日)
「1人で車に座れたよ」

1996年4月

8日(月)
「入学式」

12日(金)
「5日目の欠席」

25日(木)
「親子遠足」

27日(土)
「マラソンカット」

1996年5月

6日(月)
「ゴールデンウィーク」

10日(金)
「学校で昼寝」

1996年6月以降(ともちゃんの日常2へ)


1996年3月13日(水)

 養護学校の入学説明会があり、ともちゃんもお父さん、お母さんといっしょに行きました。久しぶりに両親とお出かけでうれしいのか、ともちゃんは、ごきげんでにこにこよく笑います。最初、養護学校の先生が話しかけてくれたり、相手をしてくれる度に笑顔で答えていました。行動観察のために、ともちゃんは両親とは離れて他の新入生といっしょに先生と過ごしました。その間、お父さんとお母さんは別の部屋で、説明を聞いたり、ともちゃんの様子を話したり、通学のバスのバス停を決めたりしました。

 新しい生活が始まることに対して、心配性のお母さんはアレルギーもひどく、病弱な、ともちゃんがうまく適応していけるかどうか不安で一杯でした。しかし、今日、先生にともちゃんのことを詳しく話すことができて、先生も積極的に聞いてくれたので、少し安心しました。これからも、先生とは連絡を密にして、どんどん、ともちゃんのことを理解していってもらえるようにしたいです。

 親の方の話が長くなって、ともちゃんを迎えにいったのは12時半頃でした。ともちゃんは、男の先生に抱っこされていました。知らないところで疲れたのか、お腹がへったのか、朝の笑顔とはうって変わって、疲れたうつろな顔をしていました。スプーンでお茶も少し飲ませてもらっていたそうです。良い子にしていましたとのことでした。学校に早くなれるといいね。

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1996年3月15日(金)

 今日は昨年の10月以来、久しぶりに保育所で昼食が食べられました。ともちゃんの食事は、やわらかい(ペースト状にした)お粥と野菜を中心としたおかずで、スプーンで食べさせてもらっています。おかずも、さつまいもやカボチャの煮付けのようなスプーンの底で押しつぶせるもの以外は、ミキサーでペースト状にして食べます。離乳食の初期の状態といったところでしょうか。強い食物アレルギーがあるので、卵や肉や魚はほとんど除去します。保育所の給食も同じように除去や調理して食べさせてもらっていました。

 9月下旬にけいれん発作が出て入院して、退院後また、肺炎で長期入院して以来、ごっくんと飲み込む能力が落ちていて、食欲もない日が続いていました。食事をどろどろの液体に近いペースト状にして、スポイドでぽとぽとと少しずつ与えたり、甘い味付けにして食欲が出るように努力しました。少しでも無理をしたり、タイミングがずれると、むせて、せき込むので、喉を詰めないように慎重に時間をかけて与えました。長いときは2時間くらいかかりました。

 以前のようなペースではまだまだ食べられませんが、それでも、徐々に上手に食べられるようになって良かったです。  

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1996年3月19日(火)

今日は保育所の終了式(卒園式)でした。ともちゃんもバギーにのって先生に押してもらって、修了証書をもらいます。(先生が受け取ってくれます。)終了式の練習では、所長先生から一人ずつ修了証書を手渡してもらうときには、いつも、とてもうれしそうな笑顔になっていたそうですが、本番では少し緊張した顔をしていました。それでも、式の中でみんなが拍手をすると、うれしそうに辺りをきょろきょろ見渡して、大きな口を開けて笑っていました。卒園児が卒園の言葉を言った後か、歌を歌った後だったか、ともちゃんも声を出していました。

 保育所はともちゃんがゼロ才から6年間通った思い出深いところです。赤ちゃんのころはお母さんが働いていたので朝早くから夕方まで、お姉ちゃんといっしょに通いました。お母さんがフレックスタイムを使うようになって、朝少し遅く行くようになってからは、お迎えはいつもお父さんで、お父さんに抱っこバンドで抱っこしてもらって、お姉ちゃんと3人でバスに乗って帰りました。大きくなってからは、喘息がひどくなったり、けいれん発作が出たりしてお休みの日や午前中だけ登所の日も多くなっていました。2月頃からは午前中だけであっても、通院のない日は毎日登所できるようになって、友達とふれあう時間が多くもててよかったです。

 式の後は茶話会で、ともちゃんは少しだけ、スポイドで牛乳を飲みました。友達と写真もとりました。名残惜しい保育所生活ですが、4月からは小学生として新しい学校、新しい生活に早くなじめるよう努力したいです。今までは、友達にもやさしく接してもらい、健常児のなかでとても良い関係が保て、うれしかったです。これからは、いろいろな障害を持つ新しい友達とも、仲良くしていきたいです。

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1996年3月31日(日)

お座りすることのできないともちゃんは、ともちゃんの身体を型どったシーティングという座位保持具を使ってお座りの姿勢を作ります。バギーに乗るときも、家でお座りするときも、いつもシーティングのくぼみの中にすっぽり収まって、シーティングごとバギーや専用の椅子に固定しています。自動車の座席に固定する台も持っているのですが、急に喘息が出たり、むせてせき込んだりしたときに、すぐ楽な姿勢をとったり、背中をとんとんとたたいたりできるように、今まで、ともちゃんはいつも誰かに抱っこしてもらって車に乗っていました。

 養護学校へはスクールバスで通います。バスの座席には一人で座らなければなりません。体調が悪いときは慎重にしなければなりませんが、元気なときはバギーに乗るように、車に一人で座れたら便利で、行動も広がります。入学までに一人で座る練習をしようと決めていました。体調も優れず、時間もなかなかとれなくて、やっと昨日から練習を始めました。

 昨日は、お父さんが運転して、ともちゃんが助手席に座り、お母さんがともちゃんの後ろに座って、養護学校まで行きました。ともちゃんは緊張して、表情がとても硬く、車が揺れる度に、足をぴんと突っ張っていました。後ろから、お母さんが「ともちゃん。」と声をかけても、身体をさわっても、やはり顔は強ばったままでした。バギーにはじめて乗った頃も何カ月も緊張していて、表情は硬いままで、誰かに相手になってもらっても、バギーでは決して笑いませんでした。しかし、すっかり慣れてしまった今では、バギーで笑顔も声もよく出ています。車に一人で乗ることも早く慣れてくれればいいと思っていました。

 今日は、お母さんが運転して、ともちゃんが助手席に座り、お父さんがともちゃんの後ろに座って、養護学校まで行きました。昨日のような顔つきでは無く、にこやかです。足を突っ張ることも昨日ほどではありません。1日で車に一人で乗ることに慣れたようです。緊張していたのは隣にともちゃんを乗せたお母さんのほうでした。ともちゃん、すごい。早くなれたね。これからも、少しずつ練習をつづけようね。

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1996年4月8日(月)

今日は養護学校の入学式。今までは市立の養護学校だったのが、今年度より府に移管され、小中高まで備わった養護学校としてスタートします。そんなわけで、今日は学校の開校式、入学式、始業式の3つがあるのです。ともちゃんも、おしゃれをして、両親といっしょに車で出かけました。ともちゃんの今春のおしゃれ着はトレーナー地の3つ揃えです。赤いチェックのズボンと、同じチェックの生地が部分的に使われた、うさぎのアップリケのトレーナーとイチゴの刺繍のカーディガンです。寒がりのともちゃんは、実は下にタイツと毛糸のパンツもはいています。ともちゃんは着心地が第一なのでトレーナースーツが好きなのですが、小学生くらいのサイズは少ないのです(ともちゃんは、身長は100cmも無いのですが、手足が短い割に胴はそれほど短くないので、年齢相当のサイズを着ています)。お出かけ用となるとなかなか見つからないのですが、今回のスーツは偶然すぐ見つかったお気に入りのものです。卒園式もこれでいきました。

 今日だけは養護学校の校庭に車を停めてもよいことになっていたので、裏門から入りました。もうすでに、晴れ着でバギーに乗った子供が先生とブランコに乗ったりしていました。車から降りると、すぐに小学部の教室に入りました。担任の先生が、早速ともちゃんの世話をしてくれました。ともちゃんは畳の上にごろんと横になって休んでいましたが、お母さんは正門にいって受付をすませたり、ともちゃんが付ける花をもらったり、あわただしくしていました。小学部1年生はともちゃんを入れて4人で、女の子2人、男の子2人です。この4人がひまわり組で、あと2年1人、3年2人、6年1人の4人があすなろ組。小学部は2クラスの家庭的な学校です。

 式の時間になったので、先生がともちゃんのバギーを押して会場に連れて行ってくれました。他の子供達もそれぞれ先生につれられて、新入生の席(一番前)にバギーで並びました。小学部、中学部、高等部と前から順に並んで、その後が保護者席でした。お父さんとお母さんの席からは、前に座っている人たちの頭の隙間から、ともちゃんのバギーの赤い布とふわっと上に逆立っているともちゃんの髪の毛が見えます。式の間、横についてくれた先生が、時々ともちゃんに話しかけてくれたり、頭を撫でたりしてくれました。長い式典だったので、ともちゃんも他の子供も少し疲れたようでした。それでも、ともちゃんのいた保育所からも祝電が来ていてうれしかったです。最後にみんなで記念写真を撮りました。

 帰りはスクールバスに親子で乗って帰ります。バス停の確認をするからです。ともちゃんは家の車に付けていたシーティングを固定する台をバスの座席に置いて、シーティングごとバスの座席に座りました。お母さんが横に座りました。バスは車椅子が4台そのまま固定できるとても立派なもので、ドイツのベンツ社製だそうです。低床式でドアからスロープが降りてきて車椅子でそのまま乗り込むことができます。中学部のお兄さんは車椅子をそのまま固定しています。バギーをそのまま固定している子もいます。大型のバスですが、まだともちゃんと同じ通学コースのバスに乗っているのは6人です。大きいお兄さんとも、早くお友達になりたいです。お父さんはスクールバスの後を車でついて帰ると言っていたのですが、バスが学校を出てすぐ細い道で曲がっていまって、いきなりバスを見失ってしまいました。ともちゃんが家に帰ると、お父さんは先に帰って、昼食の用意をしてくれていました。

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1996年4月12日(金)

 入学式から今日までの1週間は親子通学です。親もスクールバスに一緒に乗って学校にいって一緒に1日過ごすことができます。心配性のお母さんはこの1週間の間に、ともちゃんの体調のこと、食物アレルギーのことなどを、先生にも、バスの添乗員さんにも、給食の調理員さんにも、しっかり伝えたいと思っていました。ともちゃんの食物アレルギーはじんましんが出るのではなく、気道がはれて呼吸困難になるので、真剣に考えないといけません。また、気温の変化に敏感で喘息がでることも、むせないような食事の与え方も、みんなともちゃんの生活では重要なことなのです。それで、お母さんはこの1週間は休まずに学校へ行って、早くともちゃんのことを分かってもらおうとしました。

 それが間違いでした。保育所時代も、ともちゃんは1週間通して登所できることは少なく、1週間登所した週はほめてもらっていました。それなのに、慣れない学校で、しかもバスに乗って通うのに、疲れないはずありません。おまけに、4月というのに、とても寒い日が続いています。とうとう熱を出してしまいました。今日は欠席です。11日には明らかに疲れてきているようでした。それで、お母さんが給食前に抱っこして背中をとんとんして、寝かせてくれました。ともちゃんは、周りの変化に敏感で、慣れないところでは、なかなか昼寝をしてくれません。それが、すっと寝入って25分も寝ました。今から思えば、よほど疲れていたのでしょう。給食を食べて、1時15分発の1便のバスで帰るのですが、バスの中で少しコンコンとせきをしていました。

 バスを降りてからも、せき込んでいました。ともちゃんは、眠くなったり、疲れたりしたときには、口の中のタンやつばのような分泌物をうまく飲み込めなくなり、気管に分泌物が入ってむせるのです。そのうえ、眠くなったり、喘息気味になると分泌物は増えるので、吸引しなければなりません。家に帰ってもよく寝ました。昨日の午後の時点で今日の登校は無理だと思って、学校には連絡しました。夕方からは喘息が出てきました。ひどい発作では有りませんが、呼吸をするとヒューヒューと音がしています。夜中には、せき込みと喘息で2度吸入をしました。

 今日は朝から熱が高く、ほんの数秒でしたが、けいれんの発作もありました。病院で抗生剤をもらって飲んでいます。お母さんは、とても、反省しています。ともちゃんが体力が無く、無理ができないことを十分承知していたのに、結局ともちゃんには無理をさせていたのです。早く、学校にともちゃんのことをわかってもらおうとすると、ともちゃんがしんどい。ともちゃんのペースで登校しながら、ゆっくり、でもきちんと、ともちゃんのことをわかってもらうようにしようと思います。一見同じような重症心身障害児の他の友達よりも、もっと病弱であるということも含めて。

 幸い、熱は1日で下がり、喘息もひどくならずに治まっています。ああ、本当によかった。(4月14日記)

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1996年4月25日(木)

今日は親子遠足です。今週は、先週までの寒さが嘘のような良い天気が続いています。ともちゃんは、先週も朝少し喘息が出る日があって、お休みが多かったのですが、晴天で暖かい日が続くと体調も絶好調です。ともちゃんにとっては初めての遠足です。保育所時代は遠足の行程がともちゃんには無理だったので、遠慮していました。今回はさすがに養護学校だけあって、近くの緑地公園まで歩いていき、そこでゆっくり時間をとるというスケジュールです。これなら、ともちゃんも大丈夫。おまけにお母さんも一緒です。

 ともちゃんのお弁当は、お父さんが作ってくれた、さつまいもの味噌汁と大根の煮物の2種類のおかずに、それぞれお粥をまぜてミキサーにかけた、2種類の味の違うペーストです。けいれん止めや食物アレルギーの薬など常備薬も持ちました。お湯も常温保存可能の牛乳も入れました。それから、ともちゃんが水分を飲むのに不可欠なスポイドも忘れないようにしなくてはなりません。お母さんのお弁当はコンビニエンスストアで買いました。

 ともちゃんの学校は肢体不自由児を中心にした小学部8人、中学部5人と軽度の知的障害児が中心の高等部約30人から成っています。今日はみんな同じ緑地公園に遠足ですが、親子遠足なのは小・中学部だけです。高校生のお兄さん達は別行動なので、校庭に集合して先に出発しました。ともちゃんの学校の近くから緑地公園までは、遊歩道が続いています。小・中学部の子供はほとんどが歩くことができないのでバギーや車椅子を先生に押してもらっています。新緑の日差しの中、遊歩道を10台の車椅子やバギーがぞろぞろと行く姿は壮観です。集合場所に着く前から、お母さんたちは合流していきます。ともちゃんのお母さんのように学校からついて行く人もいました。15分くらいで緑地公園に着きました。

 公園の花壇には、赤、黄、白のチューリップがたくさん咲いていて、とてもきれいでした。他の学校や幼稚園もたくさん来ていました。ともちゃんは、保育所の1歳児の時のクラス担任の先生と偶然出会いました。先生は公園の近くの保育所に転勤になっていて、子供達とお散歩に来ていました。「ともちゃん、大きくなって、元気そうになったねぇ。」と声をかけてもらいました。

 ともちゃんはバギーに乗って、いつもと違う場所に来ていること、暑いまぶしい日差しなどを体中で感じていました。ともちゃんは目も弱視なので、雰囲気の違いを全身で感じるのです。表情が硬くなっています。抱っこされているときは、知らない場所でも安心するようで、リラックスした表情ですが、バギーの時は緊張しています。はじめて、バギーに乗った頃は家の近所でも堅い顔をしていました。それが、だんだん慣れて、保育所へ通う道では笑顔や声も出るようになって来たのです。なるべく、手や体に触ったり、声をかけたりして、安心できるように心掛けました。ともちゃんがにこっと笑顔を見せてくれたのは、お弁当を食べて、お母さんに抱っこしてもらって昼寝をして、目覚めてから、先生に抱っこしてもらった時でした。

 ともちゃんは帰ってから、少し興奮気味でしたが、疲れていたと見えて、夕方の昼寝もしました。ともちゃんの代わりに、お母さんが、楽しかった遠足の様子を、お父さんとお姉ちゃんにいっぱい話しました。新しい経験をたくさん体験して、最初は緊張することもあるでしょうが、徐々に世界を広げていって欲しいと思っています。ともちゃんは少し日に焼けました。

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1996年4月27日(土)

今日はともちゃんの散髪をしようとしていました。ともちゃんは、まだ首がすわっていないので、散髪は大変なのです。以前、お父さんが一人で散髪をしているときに、ともちゃんが急に動いたので、はさみでほっぺたを傷つけてしまいました。ほとんど横になった姿勢で散髪するので、細かく切った髪の毛が耳の中に入ってしまって、耳鼻科で取ってもらってこともありました。そんなわけで、ともちゃんの散髪は両親がそろっていて、時間がゆっくりとれる時に行います。

 散髪の準備をしていると、横を向けた顔の口から、よだれがいっぱい出ていました。お父さんが拭こうとすると、前からグラグラしていた乳歯が抜けていることに気がつきました。無理に口を開けさせると、舌の上に抜けた歯があります。お母さんが大騒ぎをして取り出そうとすると、嫌がって口を閉じてしまいました。次に口を開いたとき、歯はもう舌の上にはありません。ごっくんしてしまったのなら、仕方がないから、またウンコを調べようかとお母さんは思いました。以前も一度抜けた歯を飲み込んだことがあるのです。歯医者さんに聞いたところ、「便に出るので大丈夫ですよ。」ということでした。その時は、お母さんは毎日ウンコを調べて、2日後に出ていたので安心しました。

 いよいよ、散髪を始めようとすると、再びよだれが、だらだら出ていました。そして、口を開けさせると抜けた歯がよだれと一緒に、布団の上に落ちました。ともちゃんは歯を右のほっぺたの中に隠していて、うまく出したのです。ともちゃんは、食事の時もペーストの中に崩れていない人参やじゃがいもがあると、うまく舌で押し出してしまうのです。食事に紛れたのなら、ごまかされるにしても、歯だけが口の中にあるのは、気持ち悪かったのでしょう。

 散髪はともちゃんが布団に寝転がった姿勢で、肩から上を持ち上げて、特に首をしっかりささえるという姿勢でおこないます。この役目は、お父さんの役目です。そして、お母さんが、髪の毛を少しずつ濡らし、手でぐっとつかんだ所をじょきじょき切っていきます。ともちゃんは、寝ている姿勢が多いので、髪の毛はいつも逆立っています。長くなっても、頭部に沿って肩に垂れるというのではなく、上方に跳ねるのです。ともちゃんのお友達には上方に跳ねている髪の毛を一つに括って、いろいろな飾りゴムでおしゃれを楽しんでいる子もいますが、ともちゃんは髪の毛を括られるのが嫌いなので、いつも短くカットします。

 今日ももう暑くなってきたということもあって、思い切って短くしました。女子マラソンの選手のような髪型になりました。お母さんが「車椅子マラソン『全面介助の部』(本当はそんなのはありません)に参加しよか。」と言うと、「10キロも走ったら、(車椅子を押している)オバハン(お母さんのこと)が倒れるワ。」とお父さんが笑いました。

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1996年5月6日(月)

ともちゃんのゴールデンウィークのお話です。去年まではともちゃんは保育所に通っていたので、お父さんやお母さんの会社が休みの日はともちゃんもお休みでした。ですから、お父さんが10連休になれば、ともちゃんも10連休でした。けれども、この季節は3月後半より始まる春の喘息がまだ残っていることが多いので、例年遠出することはなく、ともちゃんの体調の良い日に近くの緑地公園や自然の残っているところへ出かけてゆっくり過ごしていました。

 今年はともちゃんも小学生。暦通りのお休みで、連休の谷間は登校します。幸いなことに今年は春の喘息が軽く済んで、今は喘息の症状はありません。4月29日には、近くの遊園地に行きました。ともちゃんも今までに何回か行ったことがあります。子供汽車や観覧車やメリーゴーランドに乗りましたが、子供汽車ではトンネルや木陰、汽車の振動や頬にあたる風をお父さんやお母さんに抱っこされて楽しんでいました。今回も子供汽車に乗ることを楽しみに行きました。

 ともちゃんは早起きでいつも6時頃にはおきるので、開園時間の9時半に遊園地に着くように出かけました。それなのに、遊園地は以前行ったときとは打って変わって大混雑でした。最初に子供汽車に乗りました。でも、ともちゃんは暑いのと人が多いので疲れたような顔で、楽しむどころでは無いようでした。日陰に入って昼寝をさせようとしましたが、ざわざわしているためか眠れないようです。早めの昼食のためにレストランへ行きました。ともちゃんはいつものおかゆペーストのお弁当です。保育所では給食が11時からだったので、今でもお休みのときは朝食は軽く食べて、昼食が早いというリズムなのです。ともちゃんはゆくっりとマイペースで食事をしますが、レストランはだんだんと混んできます。すでに食べ終わっているお姉ちゃんや、お父さんがソーセージやコーヒーなど次々に頼んでゆっくりと食べてくれました。

 お弁当はしっかりと食べられたのですが、眠くなって口の中の分泌物が多くなってきました。うまく飲み込むことができず、気管に入って咳込んできました。こういう時は、家ではすぐ吸引器で吸引するのですが、外出時には羊水用カテーテルというものを使って吸引します。羊水用カテーテルは新生児の鼻の中の羊水を吸い出すためのチューブです。直径1cm、長さ5cm位のプラスチックの筒の上蓋にチューブが2本並んで刺さっています。ともちゃんの顔を右を下にして横に向けて、一方のチューブをともちゃんの口の右のほっぺたの内側に入れて、もう一方のチューブの先をお母さんがくわえて吸引します。とても肺活量が要るので、お母さんはヘトヘトですが、ともちゃんの口の中の唾は筒の中にたくさん吸い取ることができました。ともちゃんは疲れて、その後すぐ眠ってしまいました。

 ともちゃんにとって、連休の遊園地はしんどかったようです。今度は空いているときに行って子供汽車に何度も乗ることにしましょう。翌日の朝ともちゃんは10秒間のけいれん発作を起こしました。幸い、発作は短くその後もぐっすり眠ったので、お母さんの抱っこで、お父さんの運転する車に乗って、スクールバスを追いかけて登校しました。お母さんはともちゃんのけいれんのことをとても反省して、連休後半の遠出は最初の3日の日にダム湖に行くだけにしました。4日は家で休養、5日は遠足で行った近くの緑地公園に散歩に行って、6日はまた休養という過ごし方でした。

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1996年5月10日(金)

 体力の無いともちゃんにとって、昼寝は大切です。この頃は、眠いときにしっかり眠っておかないとけいれん発作が出る恐れがあります。友達のなかにはしんどくなると自分で自然に眠ってしまう子や、眠くなると泣いて「寝かせて。」と意思表示する子もいます。でも、ともちゃんは眠くなったら勝手に寝てくれるというわけにはいきません。お母さんやお父さんに抱っこしてもらって、背中をとんとんしてもらうというのが、ともちゃんにとって「寝る時間よ。」ということなのです。夜寝るときは抱っこして寝かせて、ぐっすり眠ってしまえば布団の上に置いても大丈夫なのです。けれども、昼寝の時は置くと起きてしまうので、目覚めるまで抱っこしています。ともちゃんの昼寝は長くて30分位、短いと5分位の時もあります。その代わりに一日に何度も昼寝をします。多いときは一日に4~5回することもあります。

 学校で昼寝ができるようになるということは、ともちゃんが元気に学校生活を送る上で重要なことです。担任の先生を始め何人もの先生がともちゃんの昼寝に挑戦してくれました。けれども、敏感なともちゃんは抱っこの仕方やにおいなどで、お父さんやお母さんとは違うと感じとってしまいます。ともちゃんは慣れない場所で昼寝をしたりや慣れない人に寝かせてもらうと、神経が高ぶるようで、しんどくても頑張って起きているのです。先生の間では「誰がともちゃんを1番に寝かせることができるかな。」と競争してくれています。

 今はまだ学校にお母さんが付いて行っており、ときどきともちゃんの教室を覗いています。ともちゃんが眠そうなのに寝ないときは、けいれん発作が出ると行けないので、お母さんが寝かせています。特に給食後の昼寝は絶対必要です。それで、3時15分にスクールバスが出る2便下校のときは午後の授業は昼寝を中心として過ごします。火曜日の午後の授業はクラブ活動といってプレイルームに集まってみんなで遊んだりするのですが、ともちゃんはもっぱら昼寝クラブです。

 今日は午前中も少し眠かったのですが、養・訓やミニトマトの苗木植えなどあって昼寝をする間がありませんでした。今日の帰宅は1時15分発の1便下校です。ともちゃんはバスに乗る30分前には飲んだり、食べたりすることを止めなくてはいけません。げっぷもしっかりして、食べたものを胃に中に納めてしまわないと、嘔吐して危険だからです。それで、1便下校の時はいつも全部食べられなくても、12時30分には食事を終えます。今日は途中から新しい先生に食べさせてもらったりもしましたが、たくさん食べました。終わりの会までの少しの間、担任の先生が縦抱きに抱っこしてくれました。ふと見ると、ともちゃんが気持ちよさそうに眠っているではありませんか。終わりの会の間も、歌のテープの音量を少し小さくしてもらったということはありますが、熟睡していました。ともちゃん寝かせ競争は期せずして担任の先生の大勝利になりました。

 この後、お母さんが抱っこしたままバスに乗ることにしました。でも、お母さんが代わって抱っこをしてバスに乗り込むと、細い目が開いてしまいました。10分間の昼寝でしたが、ともちゃんにとっては大きな進歩です。大分、学校にも慣れてきたんだね。

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