ともちゃん の日常2


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1996年5月以前(ともちゃんの日常1へ)

1996年6月

2日(日)
「日曜参観日」

11日(火)
「けいれん発作」

1996年7月

4日(木)
「大泣き」

6日(土)
「校区の小学校との交流」

14日(日)
「夏祭り」

25日(木)
「宿泊学習」

1996年8月

6日(火)
「バギーでお散歩」

9日(金)
「おばあちゃんの家」

10日(土)
「海遊館」

14日(水)
「六甲高山植物園」

1996年9月以降(ともちゃんの日常3へ)


1996年6月2日(日)

 今日はともちゃんの日曜参観日です。お姉ちゃんは、ともちゃんの学校に行けることを、とても楽しみにしています。けれども、ともちゃんは、昨日も、一昨日もけいれん発作が出ています。お母さんとお父さんは、登校するかどうかぎりぎりまで決めかねていました。登校のスクールバスには乗らないことにしました。ともちゃんの朝の準備が無事に済んで、一度眠ってくれたら、お父さんの運転する車で登校しようということになりました。ともちゃんのけいれん発作は、眠くなるとよく出るのです。

 ともちゃんは早起きで、今日も朝は4時半に目覚めました。おかげで、7時過ぎには朝の準備が終わりました。ともちゃんには「これから10分でもいいから寝るんやで。寝て、すっきりしたら学校に行けるからな。」と話しかけて、いつものように抱っこして背中をとんとんしました。ともちゃんは学校が大好きなので本当は登校したいと思っているのです。うまく、すぐに寝入ったと思ったら、たった2分で起きてきて、満面の笑顔で首を持ち上げて、お父さんやお母さんの顔の方をニコニコ見ています。まるで、「ちゃんと寝たから、早く学校に行こうよ。」とでも言うようです。

 ともちゃんの気持ちに負けて、登校しました。参観は10時から10時半までです。少し早めに着いたので、先生に事情を話して、ともちゃんを少しでも寝かせるようにしました。学校に来て安心したのか、ともちゃんは、隣の教室でお母さんに抱っこされて、ぐっすり眠ってしまいました。10時になって、お父さんやお姉ちゃん、友達のお母さんがやってきますが、ともちゃんは隣の教室でよく寝ています。参観の内容は「スライムで遊ぼう」でしたので、お姉ちゃんが代わりにスライムを作ってくれました。ともちゃんが起きてきたのは10時20分でした。最後の方は先生に抱っこされて参加できました。お姉ちゃんの作ったスライムをビニール袋の上からさわって、とてもうれしそうな笑顔を見せてくれました。

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1996年6月11日(火)

 今朝もけいれん発作が起こりました。5時に目覚めてきたともちゃんが、お父さんに抱っこしてもらって朝の薬を次々に飲んでいるときでした。顎を突き出し、舌を出し、目を見開いて、上半身の硬直が起こりました。それから少し唇が白くなってきたので、お母さんがスポーツ用の酸素スプレーで酸素吸入をしました。けいれん発作は45秒で終わりました。学校が大好きなともちゃんには残念ですが、今日は家で静養です。

 ともちゃんのけいれん発作(脳波の乱れによるけいれん、医学的に言えばてんかん発作)は昨年の9月に初めて起こりました。5分くらいの長いけいれんで、顔の色も真っ白で、そのときは入院しました。今年になって、しばらくは落ち着いていました。でも、5月の連休明けから、再び毎日のように発作が出て学校を休んでいました。6月になって、抗けいれん薬の血中濃度も上がってきたので、そろそろ治まるかなと思っていたところでした。

 「電気回路にたくさん電流を流したときに火花が飛ぶようなもの」とけいれん発作を例えることがあります。ともちゃんは出生時の異常のために、広い範囲に渡って脳に損傷を受けています。それで、脳の中の神経細胞も数少なく希薄(low density)です。ともちゃんが強く感じたり、考えたりすると、その中をたくさんの電流が流れて、発作が起きるのでしょうか。お父さんやお母さんは、ともちゃんにいつも「ともちゃんが賢くて、色々なことをいっぱい考えるから、ピックン(けいれん)が起こってしまうねんなあ。しんどくなったら、ぼーっとしておいてええねんで。」と話しかけています。

 けいれん発作が長く止まらなかったり、食事中に起こって、食べ物などを喉に詰めたりすると命にかかわるので、けいれん発作が続くと心配です。でも、発作が無くならないものならば、薬の力を借り、生活のリズムに気をつけ、疲れないようにしながら少しでも発作が出ないようにけいれんとうまくつき合っていかなければならないと思っています。

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1996年7月4日(木)

今日、ともちゃんが大泣きしました。なんと、ともちゃんが泣いたのは半年ぶりのことです。今日はみんなでスクールバスに乗って、交通科学博物館へ校外学習に行く日です。ともちゃんも参加したかったのですが、数日前より体調を崩していて、やっと登校出来るようになったところなので、無理せず欠席しました。朝、久しぶりの晴天だったので、お母さんはともちゃんに「朝昼寝(早起きのともちゃんが朝食後、朝8時頃にする昼寝のこと)をしたら買い物に行こな。」と話しかけていました。けれども、ともちゃんがやっと昼寝をしてくれて、起きたのは11時でした。それで、先に昼食にすることにしました。

 いつも、お母さんと家で過ごすときのように、NHK教育テレビ(子供向け番組なので)をつけて、食事を始めました。2、3さじ食べて、見ると口をへの字に曲げて泣きそうな顔をしています。「なんで、泣きそうな顔をしてるの。ご飯やで。学校の給食と一緒やんか。給食の歌うたおうか。」「給食、給食うれしいな...」とお母さんが歌い始めたところ、「うわーん」と涙をぽろぽろ流して大泣きをしました。泣き声が小さくなったなと思っても、「ともちゃん、ともちゃん、よしよし。」と機嫌をとると、またすぐに、大声で「うわーん、うわーん」と泣き出して、結局、15分くらい泣き続けていました。

 口をへの字に曲げて泣きそうな顔になってから「うわーん」と泣く泣き方は4歳になった頃から始まりました。これは、訓練の時のうめくような泣き方とは明らかに違って、精神的に悲しいと感じた時にしているように思います。初めて泣いたときは、姉ちゃんが「ともちゃんに浴衣の帯を貸してあげない。」と言ったので、お母さんが姉ちゃんをきつく叱ったときでした。この時は、ともちゃんが大泣きにお母さんも姉ちゃんもびっくりしました。

 以来、お姉ちゃんや友達がお母さんや先生にきつい口調で叱られた時(自分が叱られていると思っているようです)、また、ともちゃんが自分が無視されたと思った時に泣いていました。例えば、お姉ちゃんとお父さんがファミコンをやっていて(ともちゃんはファミコンの音が嫌いなので音は消してやっている)、お母さんがともちゃんを抱っこして見ているのですが、お母さんの目も心もファミコンに集中していて3人で楽しそうに話していた時です。気が付くと、ともちゃんはお母さんに抱っこされながら、口をへの字にして恨めしそうな顔をしていました。その後大泣きです。

 今日はどうして泣いたのでしょう。目覚めたら学校かなと思っていたのに家だった。大好きな友達の声ではなくて、テレビの音だったので悲しかった。お母さんは昼寝をしたら買い物に連れて行ってくれると言っていた(雰囲気で感じた)のに・・・。それとも、今日は校外学習に行きたかったのに・・・でしょうか。お母さんは、ともちゃんが学校に行けると思っていたのに家だったからだと思っています。お父さんは、「その上お母さんが給食の歌なんかでごまかそうとするからよけい情けなくなったんちゃうか。」と言います。いずれにしても、この頃泣かなかったともちゃんが泣いてくれたので、お母さんもお父さんも感激しています。お母さんはうれしくて、学校への連絡帳にも大泣きのことを書きました。

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1996年7月6日(土)

今日はともちゃんが校区の学校(お姉ちゃんの学校)と交流する日です。今日は養護学校には登校せず、担任の先生が家まで迎えに来てくれました。ともちゃんのマンションは小学校の前です。バギーに乗って出かけました。1時間目は国語の授業をしている1年生2クラスと交流する、2時間目は最初だけお姉ちゃんのクラス(4年生)で合唱とリコーダ演奏を聴くという予定になっていました。

 ともちゃんはいつもと違う学校に来たということを全身で感じて、緊張していました。ともちゃんの担任の先生がともちゃんのことをみんなに紹介してくれました。1年生のクラスではみんなが1人ずつともちゃんの横までやってきて、それぞれ自分の名前を教えてくれました。それから、教科書に載っている「おむすびころりん」のお話を大きな声で読んでくれました。ともちゃんの緊張も少しずつほぐれてきて、「おむすびころりん、すっとんとん。」というところでは、笑顔がでてきました。1年2組の中に、とても甲高い声の男の子がいました。ともちゃんは甲高い声が大好きです。その子の声が聞こえるとニコニコしています。何人かの子供が一人ずつ「おむすびころりん」を読んでくれたのですが、その男の子の番のときは、甲高い声と楽しいリズムで、満面の笑顔で声を出して笑っていました。その子も「(ともちゃんが笑ってくれたのは)僕のおかげやねんで。」とうれしそうでした。

 子供達が椅子をどどーっと引く音、「はい、はい」と手を挙げるときの大きな声には驚いていました。休み時間には1年生にどっとバギーの周りを取り囲まれて、熱烈歓迎を受けていました。そのとき、お姉ちゃんが力自慢の友達を連れてやってきました。姉ちゃんのクラスは3階です。担任の先生がともちゃんを抱っこして、姉ちゃんと友達がバギーを運んで、階段を上がりました。ともちゃんは、また違う雰囲気と、緊張している4年生を前にして、再びここはどこだろうと緊張していたようでした。でも、合唱は心地よく、リコーダは不思議な気持ちでキョロキョロしながら聞くことができました。

 健常児との交流もしたい、でも、通常の授業の中での交流はともちゃんに無理があるのではないかと心配していたお母さんでした。でも、先生方のお陰で、ともちゃんにとって一番うれしい耳からの刺激、子供の声や音楽を中心に交流を行ってもらえてとてもよかったです。今日は本当にありがとう。また、クラスに行かせてね。

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1996年7月14日(日)

今日は養護学校の夏祭りです。それなのに、朝から1分近いけいれん発作が2回も出ています。昨晩の寝不足が原因のようです。2回目の発作の後、1時間ぐっすり眠ったので体力もなんとか回復したことでしょう。家族4人でお父さんの運転する車に乗って養護学校に出発です。ともちゃんは、猫と紙風船の模様のゆかたを着て、ピンクの帯をお腹の前で結んでいます。夏祭りは3時半からで、登校時間は3時でしたが、到着したのは3時15分。先生に「遅いから、おしゃれしているのかなあと話していたんですよ。ともちゃん、ゆかたでかわいいね。」と声をかけてもらいました。「いえ、けいれん発作が2回も起こって。その後、眠ったものですから・・・。」とお母さん。

 小学部のお店はスライムとシャボン玉。ともちゃんは後半のお店番の担当です。先に、他のお店を先生とお姉ちゃん、それにお父さん、お母さんでまわりました。高等部のお店は、ボーリング、輪投げ、的当てです。ボーリングではともちゃんのために担当の先生がボールを転がす台を斜めにしてくれました。先生に抱っこしてもらって、お母さんがともちゃんの手といっしょに支えていたボールを「えいってするよ。」といいながら離しました。ボールはうまく転がって、ペットボトルのピンを7本も倒すことが出来ました。なんと、先に姉ちゃんがやったときよりもたくさん倒せています。小さな折り鶴を3羽もらいました。輪投げでも、的当てでも、ともちゃんは先生の抱っこで的の直前まで来させてもらって遊びました。

 暑くて、ともちゃんが疲れてきたようなので、中学部のヨーヨー釣りをやったあと、クーラーの効いた保健室で休ませてもらいました。お店番のほうは姉ちゃんに任せて、水分補給でヨーグルトを食べました。ともちゃんの最近の生活のリズムは早寝、早起きです。午後4時半頃といえば、いつもなら夕食の時間です。ヨーグルトを食べ終わっても、まだ疲れているようだったので、途中でしたが、一足先に帰りました。だんじりも出てきて、フィナーレも始まったところだったので、少し残念でした。でも、ともちゃんは健康が第一ですものね。来年は、もう少し早く開始してもらいたいなあと思っています。

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1996年7月25日(木)

 宿泊学習に行ってきました。ともちゃんにとって、両親以外の人と寝るということも、家とおばあちゃんの家と病院以外の場所で寝るということも、全く初めての体験でしたのに、先生とお泊まりが出来るなんて、お父さんもお母さんも感心しています。お母さんは心配性なので、特別にお願いして別室に宿泊させてもらっていましたが、お母さんなしで寝ることが出来ました。ともちゃんにも、お母さんにも大きな自信となりました。

 ともちゃんの学校では、修学旅行に向けて、徐々に(6年かけて)親や家族と離れて生活できるという自信を、親の方にも、子供の方にも、(学校側にも)つけるという目的で1年生から宿泊学習を行うようになりました。場所は市内の小学校の空き校舎を改造して、宿泊施設としたところで、ともちゃんの家から路線バスでも行くことが出来ます。バス亭で6つの距離です。もっと自宅から近いお友達もたくさんいます。

 ともちゃんにとっては、今の生活のリズム(夜は4時半に夕食を食べて、7時過ぎには就寝、朝は5時には起床)を崩さずに参加することが出来るかが課題でした。ともちゃんのリズムではみんなで夕食を食べることも、夜のお楽しみ会に参加することも不可能です。無理にリズムを崩すと体調も崩れます。お母さんが先生に相談して、ともちゃんの生活を大切にしながら、出来る範囲で集団行動と接点が持てればいいということになりました。また、他の子供達は昨日も朝から登校して3時から宿泊学習に向かいましたが、ともちゃん家でゆっくり過ごし、ウンコなども済ませて3時から参加することになりました。

 宿泊学習に参加できるように体調から整えました。19日の明け方にけいれん発作と喘息発作が出たので、終業式もプール学習も休んでいました。お陰で、それ以来けいれん発作は起こっておらず、喘息の方も朝方少しせき込んだり、ゼロゼロするくらいです。何といっても、今年から、宿泊行事に際して必要な子供には看護婦さんが同行してくれるという制度ができたので、とても心強いのです。もちろん、ともちゃんの吸引器と吸入器も持っていきます。

 昨日はしっかりと昼寝も済まして、絶好調でバスに乗ることが出来ました。久しぶりのスクールバスでうれしさがこみ上げてきたのか、バスではとてもよく(いつもの2倍くらい)笑っていたそうです。お母さんはともちゃんをバスに乗せて、すぐに車で追いかけました。夕食までのゲームはともちゃんが宿舎でみんなと楽しめた唯一の時間でした。途中で夕食の時間になったので、友達のゲームを見ながら、おかゆペースト弁当の夕食です。みんなと一緒でうれしかったようで、いい表情がたくさん出ていて、夕食もたくさん食べました。

 みんなの夕食の頃にはそろそろしんどくなってきて、寝室に入りました。今朝、宿舎を出発する前の終了式までは、みんなとは全く別行動でした。その間、ゼロゼロしたり、せき込んだりしたときには看護婦さんにすばやく吸引してもらいました。担任の先生には、みんながびっくりするくらいの薬を飲んで、吸入もしているともちゃんの生活を実際に見てもらうことが出来ました。朝など、たくさんの薬と食事で、ともちゃんが疲れてくることがあるのですが、タイミング良く、休憩や朝昼寝を取り入れてやらないと、ますます食べられなくなることも実感してもらえました。お母さんとしては、家庭でのともちゃんの様子をより深く先生に分かってらえてうれしかったです。ともちゃんは、ときどきお母さんの声がするのに、ちっとも抱っこしてくれないと、きょろきょろしていることもあったそうです。

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1996年8月6日(火)

ともちゃんの夏休みの目標のひとつに「体調の良い日は外に出ましょう。」というのがあります。お母さんの希望を先生が取り上げて下さったものです。ともちゃんは体温調節が下手で気温が高いと体温も高くなってしまいます。そのうえ、一日の食事、薬、昼寝等の予定に追われて、それだけで一日が終わってしまいます。外出するには、お母さんの方にも、それなりの心構えが必要です。ともちゃんの体調を見極めて、一日の予定を手際よくこなして、外出時間を作らなければなりません。けれども、お母さんはともちゃんの体調を崩さない程度には、暑い夏の日差しや、セミの声や、木陰の様子などを全身で感じとって欲しいと思っています。

 それで、体調のいいときには、午前中にバギーに乗って家の近くを散歩することにしています。少しの買い物や郵便局、公民館へ寄ることもあります。30分から1時間程度です。ともちゃんとお母さんのお気に入りは、市営プールと浄水場の間の道です。この道は車は入ってきませんし、人や自転車も少ないのです。今年は食中毒騒ぎでプールは閉鎖されているのですが、浄水場には桜並木があり、丁度木陰になります。木陰をバギーの屋根を外してゆけば、空の青色や葉っぱの緑色を見ることが出来ます。風が通れば気持ちがいいのか、ともちゃんの笑顔もよく出ます。

 今日の散歩はいつもとちょっと違い、先生や友達も誘って緑地公園まで出かけました。お母さんの車で行きました。途中で友達とそのお母さんが乗ってきたのですが、お友達の気配を感じると、いままで先生に抱っこしてもらってウトウトしかけていたともちゃんが、目をぱっちり開けてにこにこ笑っていました。現地で別の友達とも待ち合わせました。おやつを食べたり、昼寝をしたり、みんなそれぞれのペースで楽しみました。ともちゃんたちは一緒に行動することは難しいのですが、それでも友達がそばにいるという気配はとても楽しいようです。また一緒に行きたいです。

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1996年8月9日(金)

 京都のおばあちゃんの家へ行ってきました。お母さんの実家です。ここ数年は毎年、吸引器と吸入器持参で泊まっています。心配していたともちゃんのけいれん発作も夏休みになってからは1度しか起こっていません。それで、今年も2泊することが出来ました。一昨日の夕方、一日の予定をすべて終えてから、お父さんの車で送ってもらいました。おばあちゃんの家ににはともちゃんより1歳年下のいとこ(女の子)がいます。姉ちゃんといとこはいつもワイワイとにぎやかです。ともちゃんは従姉妹同士のにぎやかな輪の中にも入りたいし、自分の生活のリズムも崩したくないのです。幸い、ともちゃんは興奮することもなく、おばあちゃんの家でもいつもの早寝早起き昼寝付きの生活をすることができました。

 ともちゃんとお母さんチーム対姉ちゃん対いとこでセラームーンのドンジャラをしました。始まってすぐに、ともちゃんチームがリーチになりました。姉ちゃんやいとこが「ともちゃん、すごーい。」「ええっ。ほんまかー。」など大きな声でわーわーと言っています。「ほんまやで。すごいやろ。」お母さんはその相手をしながら、ふと抱っこしているともちゃんを見ると、口を思いっきりへの字に曲げて、目には涙をいっぱいためています。ともちゃん得意の大泣きの第一段階の顔つきです。姉ちゃんといとこはあわててともちゃんの機嫌をとりました。への字に曲げた口が元通りの形になるまで機嫌をとってくれたので、泣かずに済みました。

 2人とも勝つつもりなので、つい激しい本音の口調になってしまいます。ともちゃんは、激しい口調がいやだったのでしょう。たまにはこういう子供同士のやり取りの中に入るのも、ともちゃんにとって、いい経験になるのではとお母さんは思っています。翌日お父さんがきてからも、ドンジャラで姉ちゃんといとこがもめて言い争いになり、ともちゃんは大泣きしました。1年ぶりに会ったおじさんやおばさんに頭や手を撫でてもらったり、抱っこもしてもらいました。最初ともちゃんは怪訝な顔付きでしたが、にっこり笑顔で答えていました。

 おばあちゃんの方がともちゃんの除去食や生活のリズムに慣れてきてくれた頃に帰らなくてはなりません。「来年はもう少し長い間泊まっていきや。」と言って、毎年おばあちゃんは見送ってくれます。けれども、翌年には新しい心配の種(けいれん発作や喘息発作)が生じて、かかりつけの病院(ともちゃんの自宅から車で30分位で時間外でも診察してもらえます)の近くから長い間離れることが出来ません。来年は主治医の先生にいざというときの処方箋を書いてもらって持ってくることにしましょう。お父さんに迎えに来てもらって、2時半におばあちゃんの家を出ました。でも、国道が渋滞していて、いつもは1時間ちょっとで帰れるのに、今日は3時間以上かかりました。その間ともちゃんは、お母さんに抱っこされて20分寝て、小さいヨーグルトを2個食べ、おしめを2回換えてもらいました。

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1996年8月10日(土)

昨日からともちゃんのお父さんも夏休みです。おばあちゃんの家から帰ったばかりですが、このところ体調もいいので、海遊館(大阪港にある水族館)へ行きました。いつものように早起きともちゃんなので、開館時間に合わせて出発しました。車を停めて入り口に向かうと、ともちゃんの身障者用バギーを見つけてガードマンが身障者入り口に誘導してくれました。身障者手帳を見せると、ともちゃんは半額、介助者1名もともちゃんと同額になりました。身障者用エレベータで7階まで上がりました。海遊館は7階から4階までの縦に長い水槽がいくつかあって、スロープを下りながら見ていくという構造になっています。上の方は混んでいますが下へ行くと比較的空いてきます。

 実はともちゃんが海遊館に行くのは3度目です。1度目はまだ小さかった頃、2度目は一昨年です。どちらも、お母さんに抱っこバンドで抱っこされていて、どこへ来ているかも、何を見ているかもあまりよく分かりませんでした。今年は違います。暗くて、異様な雰囲気に緊張しています。足をぴんと延ばしたり、顔は不安でいっぱいです。「海の底に来てしまった。どうしよう。」とでも思ったのでしょうか。大きな水槽の前にバギーを停めると、魚は見ないで(弱視のともちゃんには小さい魚は見にくいのです)、水がゆらゆら動くのを情けない顔で眺めています。抱っこしてもらったら安心して見られるかなと思って、抱っこして大きなカニを見たのですが、そんなことはありませんでした。ここは一段と暗く、上の方の青い水面がきらきらして不気味でした。唯一、ともちゃんが笑顔を見せたのは、カマイルカを見たときです。カマイルカは大きな体でダイナミックに動きます。ともちゃんの目の前をシュルシュルシュルと何度も上っていきました。

 4階から出口に向かうエレベータ(これも身障者用)に乗ったとき、ほっとしたようにやっといつもの軟らかい表情になりました。笑顔も出ました。周りの様子がよくわかっているなあと改めてお母さんは感心しました。11時半だったので、日陰のベンチで昼食前の昼寝をしました。すぐに眠りましたが、5分位でパッと目を開け、けいれん発作が45秒位おこりました。外出先で発作が起こったのは初めてでした。でも、けいれん止めの座薬も酸素も持参しており、お父さんも一緒だったので、お母さんは冷静に対処できました。座薬は使うことなく、発作後再び20分眠りました。昨日からの疲れが残っていた上に、今日の印象は強烈だったので刺激が強すぎたのでしょう。明日はゆっくり家で静養しましょう。帰りにみやげ物店の人がジンベエ鮫の風船をたくさん運んでいるのを見て、ともちゃんはグフフと声を出して笑いました。それで、ジンベエ鮫の風船をおみやげに買って帰りました。

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1996年8月14日(水)

海遊館の刺激が強すぎたようで、しばらく家で静養していました。昨日は大分回復しているようでした。今朝も朝御飯がいつも通りたべられたので、兵庫県立フラワーセンターに出かけることにしました。屋外の方がともちゃんにとって、環境の変化という意味での刺激(恐怖感)が少ないかなと思ったのです。高速道路に入ろうとすると、何と中国自動車道が50kmの渋滞という表示が出ています。そこで、あわてて行き先を変更しました。西に向いて走り出していたので、六甲山に行くことにしました。お盆なので市内の道は空いているだろうと思ったのです。

 予想は的中し、六甲山の麓まではすぐにつきました。しかし、そこからお父さんが道に迷ってしまいました。通行止めの道を迂回する車の列についていったら、霊園に出てしまいました。やっぱり、お盆です。しかたがないので、有馬温泉の標識をたよりに、六甲山の裏から上ることにしました。その間ともちゃんはお母さんに抱っこされてよく眠っていました。ともちゃんにとっては、朝昼寝の時間が確保できて遠回りはよかったようです。

 頂上について高山植物園にいきました。台風が近づいているということで、曇っており、風が強く、とても涼しく感じました。曇っている方がともちゃんのバギーの屋根が必要なくていいわと思って出発したのですが、半袖、半ズボンのともちゃんには涼しすぎるようです。バギーに乗った後、持ってきたバスタオルでしっかり巻いて寒さを防ぎました。ここは、ともちゃんも恐くなかったようです。園内の散策路をバギーで行くと柔らかいいい表情をしていました。

 ともちゃんのおかゆペースト弁当もここで食べました。この頃は、ともちゃんのお弁当は冷たい缶入り麦茶などと一緒にクーラーボックスに入れて持って行きます。以前、夕方まで常温に置いていたお弁当箱を洗うときに臭っていたことがあり、それに最近の食中毒も心配だからです。ふつうのお弁当より、ペースト状にしている分だけよけい早く傷みそうな気がします。今日のお弁当はひんやり感じる位でした。涼しい中で食べたのに、よく寝てお腹が減っていたのか、気分爽快なのか、抱っこで気持ちいいのか、ともちゃんはぺろっと早いペースで食べました。帰りの道も空いて早く帰ることが出来ました。

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