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13日(土)
「デコトラと軽」
(2017年7月25日に掲載)
18日(木)
「呼吸リハビリを頑張る!」
(2017年9月7日に掲載)
13日(火)
「鼻のチューブが入らない」
(2018年9月17日に掲載)
ともちゃんは27歳になりました。現在、ともちゃんは週に1度、H園に通園して活動しています。また、それぞれ週1回のヘルパーさん、訪問看護師さんの訪問を受けています。2週間に1度の歯科衛生士さんの訪問口腔ケアも頑張っています。今年の4月11日からは、週に1度の訪問入浴サービスも始めました。自宅で、この地域で、両親が年老いても、これから先ずっと楽しく健康的に生活していく環境をどんどん整えています。災害時に、瓦礫で車椅子が通れなくなっても、体重30kgのともちゃんをお母さんが一人でも何とか抱えて避難所まで移動できるように、救護担架も買いました。
昨今のともちゃんの活動を振返ってみます。例年、11月のH園のフェスタへの参加を最後に、4月末の暖くなるまでは、ともちゃんはお家で冬ごもりをしていました。ところが、一昨年からは4月初めの園のお花見に参加し、今年からは園の初詣にも意欲を示してご機嫌で参加しています。これでH園のお出かけイベントは全て楽しめるようになりました。年に2回お願いしている公共交通機関を使ったヘルパーさんとのお出かけは、京都、大阪梅田のデパートめぐりを経て、今年は念願のUSJに行くことが出来て大喜びでした。家庭では、昨年は大阪でのお姉ちゃんの結婚式に参加して、今年は姪っ子が誕生しました。姪っ子が泣いていたら、「はぁん、はぁん」と声をかけてあげる優しい叔母さんになっています。
こんな風にどんどん活動が増えていったのは、ここ数年てんかんの大発作が薬で抑制されたことが大きいでしょう。当日、大発作で急にお休みするという不安要素が1つ減ったために、予定が立てやすくなりました。「次のお出かけはどこ? 次の楽しいイベントは何?」と少し先ばかりを見て走ってきました。しかし、ここに来て、ともちゃんは体調の不調が続いています。
4月頃から、夜、寝室に行って寝ようとすると鼻水が湧いてきて、息苦しかったり、鼻水が喉に落ちてきて、アムアムしたりすることがたまにあったのですが、布団をすっぽり掛けると落着いたので、冷たい空気を吸ったためだと思っていました。5月の連休の後もよく昼寝をするのが気になっていました。眠い時に口からお粥を食べると、痰が絡み易くなっていましたが、よく寝かすことを心がけると、またお粥が食べられるようになっていました。5月末からの3連続お出かけも、事前によく寝て、元気に楽しく参加していました。
しかし、6月23日頃より、毎日のように夕方には激しく痰が絡むようになりました。そのうち、午前中、口からのお粥を食べても痰が絡むようになり、今ではお粥が全く食べられません。お粥を食べていなくても、痰が湧いて来ます。夜も鼻水が湧いて、何度も寝苦しくなって起きています。原因は何なのでしょう? 風邪とか感染症にかかっているのでしょうか? 長らく治っていた喘息がまた出てきたのでしょうか? お母さんは、こんな風に時間をかけて、少しづつジワジワと痰が増えてきて、お粥が食べられなくなり、呼吸がしんどくなるのは、16年前の大変な入院の時のようで嫌な気持ちがしています。16年前は、入院して、呼吸リハビリをして、痰を切って、在宅酸素、経管栄養になって、ともちゃんは元気を取戻しました。
重症心身障害者は、加齢によって障害の状態が変化すると聞きます。今回の不調も加齢による、健康上の問題なのかも知れません。これからも、長く元気で楽しい生活を送るために、医療の助けをかりながら、生活を見直していきたいと思っています。立止まって、きちんと身体のメンテナンスを行いたいと思います。この夏は病院通いして頑張ろうね。
(2017/7/31追記)
27歳の誕生日の頃から9月に入院するまでのともちゃんの様子を記録を見ながら思い出しています。ともちゃんの体調不調については、痰の絡みが一番気になっていましたが、それ以外にも、いくつもの不調がどんどん現れていました。ともちゃんの不調が少しでも軽減できるならと、家庭でも様々な事を試していました。
痰の絡みがひどくなって、今まで食べていたペースト状のおかゆを口から食べるということが出来なくなりました。ほんの少しでも口から食べることが出来ればと与えてみることも、全く止めました。誤嚥するのが怖かったからです。その代りに、7月8日から、その分のカロリーをミルクの注入で補おうと、注入回数を4回にすることにしました。カロリーが足りないと痰を切る元気も無くなるのではないかと思ったからです。本文中にも書いている16年前の不調の時、口から食べようとすると痰が絡む、(当時は口からしか栄養は摂れなくて)栄養が摂れないから体力が落ちて痰を切る力が無くなり、痰がよけいに絡むという悪循環に陥って行きました。今回は経鼻のチューブのおかげで最低限の栄養や水分は摂れていることは有難く、お母さんとしても気持ちにはまだ余裕がありました。逆に経鼻のチューブがあるなら、そこからお粥の分のカロリーも入れてあげたいと思いました。
便にも不調の変化が現れてきました。毎日、浣腸をして排便しているともちゃんですが、2015年の秋頃から柔らかな便が当り前となっていました。しかし、自力では出ないので、浣腸で1日1回排泄していました。それが、27歳の誕生日の少し前くらいから、水様の便が当り前になり、水様便を1日1度浣腸で排泄するようになっていました。ともちゃんが経管剤として注入しているのはアレルギーがある赤ちゃんのためのミルクです。赤ちゃん用のミルクだけでは、カロリーとしては足りても、大人としての栄養素が不足しているのではないかと考えました。特に食物繊維が不足しているので、便が緩くなるのかと思いました。それで8月6日から、他のお母さんの話も参考にしつつ、ともちゃんのいつものおかず、野菜や豚肉の煮物のペーストをお湯でのばして、裏ごしして、経鼻のチューブから注入してみることにしました。時間をかけて、口からお粥ペーストの食事を食べていたともちゃんなので、ともちゃんのおかずのペーストも、100ccくらいを30分かけて、シリンジで少量ずつ、何度も経鼻のチューブに注入しました。けれど、便の状態はますます悪くなっていきました。水様便の下痢便が1日に何度も自力で出るようになってしまいました。効果がないのか、逆効果なのか、おかずペーストを注入することは8月14日でやめました。入院に至るまでミルク4回の注入で過ごしました。
また、ともちゃんは常にパルスオキシメーターを付けているので、SpO2(経皮的動脈血酸素飽和度)と一緒に、心拍数も常時モニターしています。心拍数が急に高くなることで、お母さんはともちゃんの側を離れていても、てんかんの発作が起ったことに気付いたり、逆に心拍数が下がってきたら眠くなってきたなあと参考にしていました。そのともちゃんの平常時の心拍数が6月末頃から少しずつ上がってきました。今まで、平常時の心拍数は100回/分前後まで位だったのですが、誕生日の頃には110回/分くらいに、8月の半ばには120回/分くらいになっていました。ちょっとしたことで、140回/分台にもなりました。以前なら、心拍数140回/分は、てんかんの大発作が起っていて、お母さんが飛んで来た値です。
誕生日が済んで、お父さんの会社の夏休みにかけては、ともちゃんは病院通いに忙しくしていました。誕生日の頃は卵巣腫瘍が良性とも悪性とも分からない頃で、これについては取敢えず、結果が分かるまで考えないようにしていました。8月に入って、卵巣腫瘍のPET-CT検査、結果を聞きに行く、良性腫瘍を今後どうするかなどの卵巣腫瘍のための通院もありました。それとは別に、不調を回復するための呼吸器リハビリ、今までずっとお世話になっている大学病院の小児科で重症心身障害者の体調相談にも通いました。ずっとお世話になっている小児科に入院して、ともちゃんの体調の様々な評価をして、必要なら胃ろうを形成して、栄養剤も現在のともちゃんに合うものを検討して、「また元気に家庭で生活できるようにしましょう。」と言って頂いた時は本当に嬉しかったです。入院する日を心待ちにしていました。
当時のともちゃんの通院用の手帳には、心配事、解決すべき事として、
眠い
タンからみ
おかゆ食べられない
心拍数が高い
生理不順(出血続く)
夜中にうーうーうめく
ニキビ、油肌になった
アルブミン値下がる
と書かれています。
ポスター係のともちゃんは、夏祭のポスターをみんなで分担して仕上げるという仕事を引受けています。ところが、最近は通園しても眠いことが多く、遅れている父の日のプレゼント作りを急いだり、石鹸作りのイベントに参加したりしていると、ポスターの仕事がなかなかできません。先週の帰宅時、職員さんが「夏祭りはもう来週(ともちゃんは週1回の通園)なので、ともちゃんの代りにみんなに頼んでポスターを作っておくわ。」と言って下さいました。でも、ポスター係の仕事が気に入っているともちゃんは、ちょっと残念そうでした。どれも参加したいし、無理は禁物だから今回は仕方がないね。ともちゃんのポスター係は大繁盛。園のイベントなど次々に仕事の依頼が来るから、また次に頑張ろう!
今日はH園の夏祭でした。ともちゃんは恒例の夏祭服、キティちゃんの甚平を着て通園しました。昨年の夏祭は、当日の朝にてんかんの部分発作が続いていたので、お休みしました。ですから、夏祭は2年ぶりです。職員さんが代理で頑張ってくれて無事でき上ったポスターを眺めて、会場へ入りました。
今年はゲームのお店が魚釣りの1軒しかなくて、あとは食べ物のお店です。口から食べることのできないともちゃんには残念です。ともちゃんは張切って通園して来たのに、ゲームをする時は眠そうになっていました。今のともちゃんの体調なら仕方ないことです。参加できただけでも、大満足です。魚釣りは人面魚釣りでした。釣り上げた折り紙の魚には職員さんの顔写真が貼ってありました。職員さん賞です。職員さん賞の中から景品を選びました。他には、メンバーさん賞があって、メンバーさんの写真の魚を釣り上げるとメンバーさん賞になります。
デイセンターは3グループ合同でドーナツショップを開いていました。ともちゃんはデイセンターのメンバーさんの「ともさん」にチケットを渡し、ドーナツを受取っていました。その様子を見ていた職員さんから「ダブル『ともさん』やね。」と言われていました。ともちゃんのグループは、毎度お馴染みのカフェです。夏の新商品として抹茶ゼリーがありました。お母さんが代りに頂きましたが、甘すぎずさっぱりした抹茶味が美味しい夏のスイーツでした。
お店をすべて回ったメンバーさん達が集っているところに、ともちゃんも加りました。ぼんやりしていたともちゃんが覚醒して、キョロキョロしています。みんなの顔を見渡してニコニコ。そう、最近の今ひとつ不調な体調の中、目標だった夏祭に参加しているよ。グループのメンバーさん達もみんないるよ。みんなの中で、ともちゃんは満足そうな笑顔でした。そして、笑顔で集合写真に収っていました。
ともちゃんの職員さん賞の景品のプチタオルと一緒に、大幅に遅れていた父の日のプレゼントをようやく持ち帰りました。会社から帰って来たお父さんにプレゼント。お父さんが包みを開けると、ともちゃんが色を選んで作ったキーホルダー、お馴染みのコーヒーの挽き豆、カードなどが次々と出てきました。お父さんが「いっぱい入ってるなあ。」と驚きながら次々に出して行く度に、「これはなー」と説明するかのようにニコニコしながら声を出していました。
(2017/8/16追記)
卵巣ガンの経緯について少し書きます。いつもは順調なのに、5月に2回も生理があったので、近くの総合病院の婦人科を受診しました。しかし、その時は「ホルモンの異常でしょう。様子を見ましょう。」と言われました。6月の生理は普通にありましたが、7月には少量の出血がだらだらと1ヶ月近く続いていました。8月1日に同じ婦人科を受診しました。エコーで卵巣が腫れていることが分り、すぐにMRIを撮りました。「画像が白黒のマダラなので、悪性の可能性がある。」とのことで、PET-CTの手配をして頂きました。PET-CTのある別の病院を8月9日に受診しました。PET-CTの結果は良性でした。ですから、入院中の胸水穿刺での細胞生検で10月7日にガン細胞が出るまでは、卵巣ガンだとは分りませんでした。
夏祭の頃は、卵巣腫瘍に対しての不安はあるものの、PET-CTを撮って結果が出るまでは必要以上に心配するのは避けていました。ともちゃんの普段の生活をともちゃんに無理なく、楽しくと心がけていました。急遽MRIを撮ることになった時も、その後PET-CTを撮った時も、機械音だけがする異様な雰囲気の部屋で、一人で動かずにいられるか、ともちゃんが恐怖や不安を感じていないか心配でした。でも、ともちゃんは頑張ってくれました。神妙な顔で撮ってもらいました。終った後、緊張感が解けていっぱい褒めてもらうと、「へへへ。私、大丈夫だったよ! 頑張ったよ!」と、やり遂げた満足感あふれる笑顔を返してくれていました。
「デコトラ」と言うのは、ともちゃんのピンクのキティちゃん車椅子。「軽」は、姪っ子のベビーカー。別々に見ていると、それぞれにしっくりときて、大きさの違いを意識することはなかったのですが、並んでみると大違いです。「さすがに、こうして見ると叔母さんの車椅子は大きいなあ! デコ(レーション)トラ(ック)と、軽(自動車)やな!」とはお父さんの言葉です。「2台で連なって行くと壮観やなー。」とお姉ちゃん。
ともちゃんが七夕会の短冊に書いてプラネタリウムの星に願った「姪っ子とショッピングモールに行きたい」という願いが叶いました。社会人のとも叔母さんは、姪っ子にオモチャを買ってあげようというのです。まずは、みんなでフードコートへ。ともちゃんはミルクの注入、離乳食がまだ始まらない姪っ子には待っていてもらいました。お腹がいっぱいになったともちゃんは、なんだか眠たくなってきました。オモチャ売り場に行く前に、ちょっと覗いたベビー服売り場です。お父さんが「こういうのはどう?」と見せてあげたパーカーに、姪っ子はベビーカーの中から笑顔で手を伸ばしてきました。買ってあげることに決定です。
ベビー服の時も、お姉ちゃんと姪っ子がおもちゃを選んでいる間も、特に積極的に関わろうとしなかったともちゃんですが、レジに向かって歩き出すとガラリと態度が変わりました。ニコニコ満面の笑顔で、「ほら叔母さんが全部買ってあげるよ。」とばかりに、ずっとベビーカーの姪っ子を目で追っていました。オモチャもベビー服も全部、ともちゃん自身が以前ネットの抽選で当てた商品券で支払いました。叔母さん太っ腹です。みんなに、「ありがとう。」とか、「優しいなー。」とか、「すごいなー。」とか言われて、ともちゃんは誇らしげです。
買ってあげた後は、自分の洋服も買って欲しいもの。お姉ちゃんが選んでくれた秋に着るブラウスをお父さんが誕生日プレゼントとして買ってくれました。サンリオで貯めたポイントでキティちゃんのクジも引いてみました。お母さんと引いたらメモセット。次は上位賞を当てるぞと意気込んで、お父さんと一緒に引いたら、残念。今度も全く同じメモセットでした。同じもの2つ。姪っ子が大きくなったら、1個づつして、お手紙ごっこで一緒に遊びましょうか。姪っ子のベビーカーと車椅子を並べて駐車場に向かうためのエレベーターを待つ間、ともちゃんは「なっ! ショッピングモールは楽しいやろ!」と言わんばかりに、姪っ子を見て、大満足の笑顔でした。お買い物は買ってあげるのも、買ってもらうのも楽しいよね。
6月末から徐々にひどくなっている痰の絡みを解消するために、ともちゃんは呼吸リハビリを頑張っています。今日もリハビリ外来を受診しました。
ともちゃんが10歳の時の入院で、初めて呼吸リハビリを受けました。その年の秋から冬にかけて、痰絡みがじわじわとひどくなり、吸引してもなかなか痰が吸えず、酸素を投与してもSPO2が上がらなくなってきました。呼吸がしんどくなるとお粥も食べられなくなりました。当時のともちゃんは、口から食べるお粥だけで栄養を摂っていたので、食べられなくなると、痰を切る元気もなくなっていきました。入院をして、経管栄養になって、呼吸リハビリをしたおかげで少しずつ排痰できるようになり、呼吸が落着いてきたので在宅酸素になって退院したのでした。呼吸リハビリのおかげで、ともちゃんは元気になれたのです。
退院してからも、月1回通院してリハビリを続けていましたが、2005年の春に京都に引越しをして病院が遠くなりました。けれど、せめて年3回だけでもと、お父さんの車で高速を走って通い続けました。そのうち、ともちゃんの呼吸状態はとても安定してきて、夏の昼間などは酸素投与なしでも大丈夫なくらいになっていました。リハビリも、呼吸リハから徐々に普通の身体的なリハビリが中心になっていました。年3回通院の予定も、別の体調不調やイベントが続いて予定が取れないなどの理由で、回数が減った年もありました。
今のともちゃんの痰絡みの状態は、はっきりとした原因があるわけでもないまま、じわじわとひどくなっていく様子が、10歳の時と似ています。けれど、口からの食事が全く取れなくなっていても経管で栄養が取れるので、ともちゃんは覚醒している時は表情も良くて元気です。痰も吸引すれば、SPO2が危機的に下がることは、まだありません。今のうちにしっかりとリハビリして、以前の状態に戻りたいです。
今日はアンビューバッグを持参して出かけました。以前に呼吸リハで使用していたものです。呼吸が落着いてからはずっと放置していました。メンテナンスをして、口鼻に密着する(空気圧で膨らんでいる)部分に減っていた空気を入れてもらって、お母さんは久しぶりにともちゃんの呼吸に合せて、空気を送りこむことを学びました。小児科の先生から、「ともちゃんの様な障害者は胸郭の変形拘縮がどんどん進み、呼吸が浅くなる傾向にある。それを予防するためにカフアシストという機器を用いてリハビリをしていた方が、よい状態をキープできるという報告があるから、検討してみてはどうか。」と聞いていました。今日はカフアシストについても相談して、現物も見せてもらいましたが、アンビューバッグでも同様の効果が得られので、これで頑張ろうと思います。
(2017/9/7追記)
6月末頃より痰の絡みが少しずつ多くなっていました。最初は一過性のものと考えていました。しかし、7月も半ばになっても改善されず、他に思い当たることもないので、「加齢による障害の変化ではないか。10年前に経管栄養と在宅酸素の処置をとって、元気になったように、医療的ケアの装備を強化したり、日々の生活を見直しすることで、これからの人生をまた元気で過ごそう。」と主治医の先生とも相談を始めていました。今後の生活に向って、希望を持って意欲的に考えていた頃です。
胸水が溜っていることが分ったのは、9月20日に入院してCTを撮ってからでした。この入院は、障害の状態をきちんと評価して、医療的ケアや生活を見直すための入院でした。入院した頃は、卵巣腫瘍はPET-CTの結果から良性と判断されていました。利尿剤を使った治療が効いて、胸水が減って呼吸が楽になったりもしていました。ともちゃんがお世話になった小児科病棟の看護師さんは、全員が呼吸リハビリを習得しておられます。17年前に入院した時には、主治医の先生と、リハビリの先生だけが呼吸リハビリができて、朝になって先生が来られるのをいつも待遠しく思ったものです。ずっと痰の吸引が不可欠だったともちゃんにとって、看護師さん達は頼もしくて、とても心強い存在でした。最後まで手厚い看護を受けられたことを心から有難く思っています。
数年前より、障害者福祉サービスを利用するには、相談支援事業所の相談員さんと相談して、支援計画を立てて利用するというふうに変りました。ともちゃんが通うH園にも相談支援事業所があるので、そこにお願いしています。何ヶ月かに一度、支援計画についての話合いがあるのですが、ある時、相談員さんから「ともちゃん、一度美容室に行ってみるのはどうですか?」という提案を頂きました。
ともちゃんは、生まれてから今まで、美容室には行ったことがありません。ともちゃん自身の希望で5年くらい前から髪を伸ばし始めて、今は長い髪ですが、それまではずっと短い髪でした。散髪は両親が二人がかりで家庭で行ってきました。一人が抱っこして頭を支えて、もう一人が髪の毛をカットするというやり方です。ともちゃんが、まだ小さかった頃、お父さんに髪をカットしてもらっていた時に、抱っこしていたお母さんの頭の支え方が緩くて、ハサミの刃先がともちゃんの頬に触れて、少し傷つけてしまったことがあります。それ以来、より慎重に散髪していました。そういうことがあったので、ともちゃんのてんかん発作などの体調のことはもちろん、筋緊張やビクッとした動きのことが分からない人にカットしてもらうことは怖い。美容室に行くなんて、とても出来ないことだと思っていました。
ところが、お薦めの美容室は、美容師さんがともちゃんのような重症心身障害者のことをよくご存じだというのです。ともちゃんの通うH園の前身の施設、まだ小規模作業所だったころに、職員さんとして勤めておられたのだそうです。H園のメンバーさんも何人も利用しておられるとのことでした。重症心身障害者のことをよく知った上で受入れて下さるのですから、とても安心です。それなら、いずれ行ってみたいと思っていました。
さて、ともちゃんは9月23日より入院を予定しています。最近、気になっている沢山の体調不調の原因を探して、それに対処して、また元気に安定して生活できるようにする、いわば身体のメンテナンスのための入院です。入院中は看護師さんに洗髪して頂くことになります。ですが、ともちゃんが、髪を伸ばし始めてからは、毛先を揃えるということもしていなかったので、髪を洗うと毛先が絡んで、手入れに時間がかかっていました。ちょうど良い機会です。今回、入院の前に、毛先の痛んでいるところだけを美容室でカットしてもらうことにしました。
ともちゃんに、髪を切りに美容室に行ってみようかと話しました。ともちゃんは自分の長い髪が気に入っていて、「髪長くてサラサラで綺麗ね」と言われると嬉しそうにしています。それで、美容室に行くのが、決して髪を短くするためではなくて、毛先の傷んでいるところを少しだけカットするためであることを強調して伝えました。そして、「毛先を揃えもらったら、一段と綺麗な髪になるでー。」、「おしゃれな人は美容室で髪のお手入れをするねんで。ともちゃんもいっぺん行ってみような。」などと機会があるたびに何度も話していました。ともちゃんも、すっかり美容室に行ってみることを楽しみにしていました。
ともちゃんは、昨夜1時半ごろ足を突張って目が開きました。タンも絡んで、何度も吸引して明け方4時ごろまで起きていました。やっと眠ったのに、5時20分には起きてきました。8時ごろからは、「アハハ、アハハ」と声を出してニコニコしています。張切っているのがよく分かります。昨夜寝不足なので、お迎えの車が来るまで寝てくれたらと思うのですが、少し寝てはすぐ起きていました。朝から雨が降っていて、車を降りる時に濡れないか心配でしたが、ともちゃんの張切りに押されて、お迎えの頃にはちょうど雨も上がりました。
美容師さんににこやかに迎えて頂きました。美容室の椅子は退けてもらっていて、車椅子のままで鏡の前に陣取ります。座位の取れないともちゃんにとって、座位保持型の自身の車椅子に乗ったままカットしてもらえるのは安心なことです。痰の絡みが多くなっている今のともちゃんにとっては必需品の吸引器を鏡の前の台にデンと置かせてもらいました。いつものともちゃんの髪型、左右の三つ編みをそれぞれお団子にしている髪を解くと、改めて「ともちゃん、髪が長くなったなー!」とみんな実感しました。普段、髪を解いて車椅子に座っていることはないものね。ケープを着けてもらって、少し緊張した面持ちのともちゃん。車椅子のヘッドレストを外して、ヘルパーとして同行して頂いたつむぎグループの職員さんに、しっかりと頭部を支えてもらって、カットが始まりました。
ともちゃんは、朝から張切っていた疲れが出たのか、少し眠そうでしたが「美容室に来ているんだ!」とニコニコ。髪をカットしてもらう雰囲気を楽しんでいました。奥のシャンプー台に移って、髪も洗って頂きました。ともちゃんは気持ち良かったのか、満面の大笑いで嬉しそうです。しっかりと「美容室」を楽しだともちゃんは、髪を乾かしてもらっている間に、ウトウト眠くなってきました。ともちゃんがウトウトしている内に、乾かした長い髪をセーラームーンのように、可愛く結って頂きました。
美容院では何度も吸引をしましたが、問題もなく楽しみながら、ともちゃんの美容室体験は終了しました。本当にともちゃんのような重症心身障害者にはありがたい、障害者のことをよく理解して下さっているとても素敵な美容室でした。帰りの車の中、最初はまだ眠くてぼんやりしていたともちゃんですが、痰絡みでの吸引をきっかけ覚醒してきました。目が覚めると「そうだ! 美容室に行ってたんだ! 髪を綺麗にしてもらったよ!」と満足げに声を出してよく笑っていました。美容室ではポイントカードも頂いて、ともちゃんのキティちゃんのサイフに入れましたよ。これからは定期的に通おうね。おしゃれなともちゃんの行先が、また一つ増えました。
(2019/7/25追記)
美容室へのお出かけが、ともちゃんの最後のお出かけとなりました。
ともちゃんが亡くなった日、美容室に同行して下さったH園の職員さんがお見舞いに来て、いつものように元気な声をかけて下さいました。すると、その声を聞いて、もう全身が浮腫んで、目も浮腫んでしっかりとは閉じられない状態のともちゃんでしたが、その声に反応して、パシパシパシと何度も瞬きをしていたそうです。お母さんの位置からは見えなかったのですが、横について下さっていた先生が「よく分かってるなあ。声を聞いて、瞬きで反応していた。」と驚いておられました。
H園での活動でも、グループのお出かけでも、ヘルパーさんとしても、一緒に楽しい経験をいっぱいした大好きな職員さんの声です。ともちゃんは力を振り絞って「あ、来てくれたんだ! 嬉しいよ! ありがとう!」と伝えていたのでしょう。ともちゃんが自分の癌の病状について、「死」ということについて、理解しているとは考えにくいので、「早く元気になって、また一緒にお出かけしたいよ! H園にも行きたいよ!」と思っていたのかもしれません。
入院中、ともちゃんは看護師さんに髪を洗って頂きました。そして、少しでも、ともちゃんが喜んでくれたらと、綺麗に編んで下さいました。生前、ともちゃんがお世話になった多くの方々に、心より、感謝申し上げます。ありがとうございました。
さて、昨日は大変な1日でした。鼻腔から胃までチューブを通して栄養や薬を入れているともちゃんにとって重要な鼻のチューブが抜けてしまい、入れ直すことができなくなりました。てんかんの薬は時間通りに飲まないと、発作が抑制されません。午後2時にチューブが抜けてから、夜の10時にようやくチューブが入るまで、ともちゃんとお母さんは、ずっとチューブを入れることにチャレンジしていました。
ともちゃんの体調が悪くなって、通園できなくなってからは、H園の職員さんに訪問して頂いていています。昨日も職員さんと看護師さんに訪問して頂きました。ともちゃんは、眠かったり、痰が絡んだりで元気が無かったので、特に活動はせず、近況をお話しして家庭での医療的ケアの様子を見て頂きました。その後はミルクの注入も済ませて順調に日程をこなしていました。午後2時頃、SPO2が下がって、痰の吸引をしたところ、ともちゃんは激しく咳込んで、鼻腔から胃に通していた栄養チューブの中程が口の中に出てきて絡まっていました。今から思えば、その時にお母さんが、冷静にともちゃんの咳込みが治まるのを待って、チューブを少し引抜いて口の中のたぶっているところを直し、また元の位置まで押込んだら良かったのかもしれません。しかし、中途半端に引っかかっているチューブも、ともちゃんの咳込みの刺激になっていると思い、お母さんは慌てて鼻からのチューブを引き抜いてしまいました。
鼻のチューブは毎週、お母さんが入替えをしています。それで、また新たに入れれば良いと思ったのです。取敢えず、痰絡みの多い時は入れられないので、痰が治るのを待ちました。ミルクを飲んだところなので、次の水分補給までには時間がたっぷりあると思いました。ともちゃんは眠いと痰が増えるので、寝てもらうことにしました。しかし、痰が絡んで、しっかり眠れません。
そもそも、昨日は朝から痰の切れが悪かったのです。ズルズルと痰を引ける日もあるのですが、昨日は普通に吸引してもSPO2の回復が悪くて、吸引カテーテルを鼻腔からかなりの奥まで入れて、その刺激で、ともちゃんに咳込んでもらって吸引するということが続いていました。それで、ともちゃんは、吸引の刺激に過敏になっていて、激しく咳込んで鼻腔の栄養チューブを口の中に出てしまったのです。背中で痰がゼロゼロしているので、痰が動いて出やすいように、ほとんど仰向けに踏ん反り返ったお母さんのお腹の上に、腹這いの状態のともちゃんを抱っこして、寝かせました。ともちゃんは、ウトウトと10分くらい寝ては起きるを何度も繰り返していました。その間に、栄養チューブの挿入を試みましたが、いずれも激しく咳込んで、入れることが出来ませんでした。
そうこうしているうちに、もう、水分補給の時間はとうに通越して、夕方になってしまいました。これから、寝室に行くまで、ともちゃんは夕方の予定で忙しくなります。鼻チューブを入れることは中断して、ともちゃんは、洗面所にあるベッドに行って、排泄をして、お尻を洗って綺麗にしました。本当なら、これから、夕食のミルクということになりますが、再びチューブ入れにチャレンジです。お母さんはだんだんと焦ってきています。夕方の抗てんかん薬の時間が来ています。それに、今は、口から水分も食事も出来ないともちゃんなので、チューブが入らないと脱水にも繋がります。何度も試しているうちに、左の鼻腔を傷つけてしまったのか、少し出血しました。焦ってはダメだとお母さんは意識して休憩をとって、自分もともちゃんもゆったりした気分で挑もうとしていました。しかし、お母さんの心の苛立ちはなかなか落着きません。
お父さんが帰って来ました。ともちゃんが咳込まずにうまくチューブが入ったと思ったら、激しく咳込んで、また口の中にチューブが出てしまう。こんなことが2回ありました。ともちゃんもお母さんも疲れて、抱っこしている姿勢が崩れてきました。時間は夜の9時になっていました。姿勢を綺麗に保った方が、痰の切れもチューブの挿入にもいいかなと思い、側弯改善用の装具(正式名称を「プレーリー君」といいます)を装着してみました。しばらく装着したままで、ゴロリと左下の横向きで寝転んで、ともちゃんは休憩です。ともちゃんはウトウト寝ていました。すると、今度はSPO2が下がってきました。置いたときは吸入している酸素が0.5L/分で99%だったSPO2が、酸素を2L/分にしても91%とかです。装具の装着がともちゃんの負担になっているようなので、装具を外して吸引すると、SPO2は復活。酸素0.5Lで95%になりました。
仕切り直して、再び鼻のチューブを入れました。10時2分、今度は無事にチューブが収まりました。胃液の吸上げと、空気をチューブから送込んで、胃液の中にブシュッと出る音を聞くことで、しっかりと胃の中にチューブの先がある事を確認しました。「やったー!」、チューブが入りました。やっと、注入開始です。まずは、てんかんの薬と水分補給としてソリタを注入しました。「長かったねー。ともちゃん!」、「よく頑張ったねー。偉かったねー。」。10時40分、水分補給の後、休憩をしていたともちゃんがニコニコしていました。これから、遅い晩御飯。胃がもたれないように、いつもより少しの量のミルクを注入します。
(2018/9/25追記)
これが、日付け的には、「ともちゃんの日常」の最後の話になります。この時は、いずれは笑い話になって、「あの時はホンマ大変やったなー。」と笑いながら話をして、ともちゃんの人生はずっと続いていくものだと思っていました。しかし、この後、状況はどんどん厳しくなりました。これを書いた翌日にも、また鼻のチューブが抜けて同様の大変な午後を過ごしました。夜中もSPO2が下がって、吸引してもなかなか回復せず、何度も吸引したり、ゼロゼロと息苦しくて眠れなかったり、しんどい日が続きました。夜しっかり眠れないので、ともちゃんは昼間もウトウトしていました。
翌々日には大阪府M市の大学病院を受診しています。その時にいただいたのが、メラ唾液持続吸引カテーテルでした。吸引カテーテルの先が渦巻き状になっていて、横向きに寝転んでいるともちゃんのほっぺたの内側にずっと置いておいて、唾液を吸引します。メラを使うようになって、とても厳しかった状況が少しマシになりました。唾液が気道に落ちることによる咳込みや、ゼロゼロが減りました。しょっ中しなければならなかった吸引も、少し余裕が持てるようになりました。ともちゃんも、夜、少しはまとまって寝られる時間が出来ました。この時、メラは本当に救世主で、両親は敬称をつけて「メラさん」と呼び、「ともちゃん、メラさんつけておこうねー。」と話していました。
しかし、根本的な呼吸状態の悪さはまだ解決できていません。今度はおしっこの回数が減ってきました。1日にやっと2回です。土曜日も通院して、点滴をしてもらいました。ともちゃんの両親は、メラで唾液を吸引し過ぎたために、脱水症状になったのではないかと思っていたのですが、ほんの一ヶ月前のPET-CTでは全く光らなかった癌が急激に成長して、影響を及ぼし始めていたのかもしれません。ともちゃんの状態が悪化したために入院予定日を早めて頂き、 日曜日と祝日の月曜日の苦しい日々を家で頑張って、9月20日の火曜日に待望の入院となりました。
ともちゃんの体調が悪くなると、両親は寝られないので肉体的に大変なだけではなく、ともちゃんの命が委ねられているので、気持ちがピリピリ張詰めていて精神的にも疲れ果ててしまいます。けれど、そんな時、ともちゃんの笑顔を見るとホッとして、また全力で介護しようと元気が湧いてきます。この日もチューブが入って、みんなホッとした時に、ともちゃんがニコニコしてくれました。眠れず、しんどい夜を過ごして、朝方少し眠れて起きた時もニコニコして「大丈夫だよ。」と言ってくれているようでした。入院中もそうでした。気管切開をして、呼吸が楽になると、ともちゃんは笑顔を見せてくれました。その時、お母さんは写真を撮って、お父さんとお姉ちゃんに「ともちゃんが笑うと、ブフフフフと気切のところが言うてるわ(^^)」とメールを送っています。ともちゃんは、少し身体が楽になると、先生や看護師さんやリハビリの先生に笑いかけていました。
そんな大切なともちゃんの笑顔ですが、動画がありませんでした。お母さんは写真を撮ることは好きで、デジカメからスマホに変っても、ともちゃんの笑顔をたくさん撮ってきました。けれど、動画はビデオカメラで学校行事を主に撮っていました。スマホで気軽に動画が撮れるようになってからも、今にして思えば、病院で先生に見てもらうための記録ばかりを撮っていました。「このビクつきはてんかん発作の部分発作ですか?」とか、「こんな感じで痛がります。」とかです。スマホの中に残るともちゃんの動画はともちゃんの苦しい様子ばかりなので、お母さんは心が痛んでいました。しかし、この9月の月命日の法事に向けて、2015年9月のともちゃんの写真をパソコンの中で探していた時、ほんの1分の動画ですが、ともちゃんの笑顔を見つけました。部分発作を撮ろうとしてスマホを構えていたのですが、失敗したものです。ともちゃんはニッコリ笑顔を向けて、「えへへへ、えへーん」と声を出して、穏やかに優しく笑いかけてくれています。