ともちゃん の日常11


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1998年9月23日以前(ともちゃんの日常10へ)

1998年9月

27日(日)
「運動会 '98」

1998年10月

2日(金)
「エキスポランド」

21日(水)
「喘息で入院」

28日(水)
「音楽会 '98」

1998年11月

18日(水)
「よしよし、かわいそうに」

22日(日)
「むつみ祭 '98」

30日(月)
「おおーおおー」

1998年12月

5日(土)
「小学校のお祭」

23日(水)
「救急車の夜」

31日(木)
「またまた3匹のキティちゃん」

1999年1月以降(ともちゃんの日常12へ)


1998年9月27日(日)

危うい天候の中で運動会が行われました。入場行進の始りです。今年はともちゃんは小学部の先頭で、「白組」と書いたプラカードを持った先生と元気なお友達に車椅子を押してもらって入場してきました。良い表情で周りをキョロキョロ見ています。開会式の途中で雨がぱらぱらと降り出してきました。車椅子に乗って校長先生のお話を聞いていたともちゃんですが、急遽テントの中に入れてもらいました。

 観客席からはテントの中のともちゃんの表情は分りません。でも、後で先生から、ニコニコ顔で友達の宣誓する声を聞いていたと教えてもらいました。ともちゃんも楽しい運動会の雰囲気を感じて、さあ頑張るぞと張切っていたのかもしれません。

 昨年までは子供の数も少なく、ともちゃんのように知的障害と肢体不自由を併せ持っている子供が中心だったので、それぞれの子供のペースで競技ができました。ところが、今年は知的障害だけの元気な子供達が大勢転校してきました。得意なことも、楽しいと思うことも、全く違う子供達が同じ種目で一緒に競技をすることになります。どんな運動会になるのでしょう。

 ラジオ体操の次の種目は、小学部の障害物競走「めざせポケモンマスター」です。競技が始ると、幸い雨も上がりました。この競技では元気な子供2人と肢体不自由児1人の3人ずつでスタートします。ともちゃんは練習の時に「ともちゃんと一緒に走りたい。」と意志表示してくれた5年生のお友達と、ともちゃんと同級の3年生のお友達の3人でスタートしました。ともちゃんは車椅子から降りて、先生に抱っこしてもらっています。

 最初はトンネルです。ビニール製の長いトンネルが2つと、先生が2人で持つシートの下を通るコースが1つ用意されています。ともちゃんはもちろんシートの下を潜ります。ともちゃんが通っているときには、シートをパタパタと揺らしてもらっていました。次の平均台は普通の高さ、地面すれすれの低いもの、跳箱の一番上の段だけを置いた低い踏台の3種類が用意されています。ともちゃんは先生に抱っこされて、踏台を越えていきました。

 ポケットモンスターの絵が描かれた回転扉をぐるりと回って、目の前の竿に掛けてあるポケモンのメダルを引張ってはずして首に掛けます。この時ともちゃんは先生に腕を持ってもらって、ふわっと開いた指にメダルの紐を掛けてもらい、メダルを引寄せることができました。紐が手のひらに当った感触が実感できたかな。メダルを首に掛けて、カメラマン役の先生に写真を撮ってもらっています。

 最後は大玉を転がしてゴールします。ともちゃんは先生に抱っこしてもらって、何度も足を大玉に当ててもらって、足で大玉を転がしていました。まだ自分から足を突っ張って蹴ることはできませんが、ともちゃんは足が大玉に当る度に顔をしかめて衝撃を感じて頑張っていました。ともちゃんはともちゃんの発達段階として、元気に動き回れるお友達もその発達段階に応じて、それぞれ頑張って楽しめた競技でした。

 もう1つの小学部の種目、「楽しく踊ろう-ミラクルライト-」も元気に動ける子供達や掴まり立ちのできるお友達と車椅子のともちゃん達が1つの曲でそれぞれ別の動きをしながらリズムに合わせて体を動かしました。元気に動けるお友達は、先生が一応見本の動きをしているのですが、その通りに踊る子も好きに動いている子もいろいろです。ともちゃん達はその真ん中にいます。

 車椅子を押してもらって大きく動いたり、車椅子を止めてリズムに合わせて手を動かしてもらったり、いろんな形でリズムを楽しみました。後半はともちゃんのお気に入りの傘が登場します。ビニールの透明の傘にカラフルに装飾が施されたものですが、練習の時から傘を広げるときょろきょろと傘を見上げていたそうです。本番でも傘が開くと「あれ、あれ。」という表情をして見ていたということでした。

 昼食時間、ともちゃんは新しい意欲を見せてくれました。いつものように昼寝をしてから、ゆっくりと昼食にかかりました。小学部の種目は午前中で終ったので、午後はともちゃんのペースでゆっくりと食事をして、その後は昼寝をしたり休憩したりするつもりでいました。ゆっくりと食べていると午後の種目の「応援合戦」が始りますというアナウンスがありました。昼食を食べ終っていたお友達はみんな運動場へ出ていきました。

 教室にお友達の気配がなくなりました。すると、ともちゃんの口もぴたりと開かなくなり、お友達がいなくなったことが気になってそわそわしています。実はこの傾向は2学期になってから見られるようになりました。みんなが先に給食を終って、食事の部屋から教室に帰ってしまうと、ともちゃんの顔つきが急に不安そうになり、口の開け方がそれまでとは全く違うというのです。そして、ともちゃんも遅れて教室に戻って、そこにみんながいると安心した嬉しそうな顔になります。

 この話は先生に聞いてはいましたが、ともちゃんの様子を目の当りにしたお母さんはびっくり。ともちゃんに「もうご飯は止めて、応援合戦に行くか?」と聞くと嬉しそうな顔で、口を大きくぱっくりと開けました。もう本当に昼食は止めて、急いで応援合戦に参加です。にこにこと良い表情で満足していました。

 その後は先生と教室で昼寝をしようとしましたが、「同窓生玉入れ」の進行の先生の声を聞いて声を出して楽しんでいたそうです。そんな様子でしたから、最後の全員競技の大玉送りにも参加しました。思いがけなく、ともちゃんの意志で今年はたくさんの種目に参加できました。「友達だけ楽しいことしているのは嫌。私もしたい。」というともちゃんの大きな発達が嬉しい運動会でした。

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1998年10月2日(金)

今年の秋の遠足は、昨年同様エキスポランドです。昨年はモノレールに乗って行きましたが、今年は大勢なのでバスで現地まで行きます。ともちゃんは昨年は病上がりで遠足には参加せず、少しだけモノレールに乗ってお友達の見送りをしただけでした。それで、今年こそはエキスポランドに行こうと、はりきって参加しています。

 お母さんはモノレールでエキスポランドに先回りしていましたが、今回は最初から一緒に行動するのではなく、昼食時までは少し距離を置いて様子を見ていようと思っていました。ともちゃん達重複障害の子供のグループは、最初にバックスピンという急流滑りに行くことを知っていたので、お母さんは乗場とは反対方向の山側から様子を見ていました。なにやら係の人と話し合っている様子で、待っていても誰も乗りません。

 仕方なくお母さんは姿を現してしまいました。.昨年は全員がこれに乗って楽しめたということでしたが、今年は規制が厳しくなっているとのことでした。安全を確認するために、掴まり立ちのできるお友達と先生の2組が先に試乗しました。最後の急流滑りのところで加速度が急に変化するので、首ががくんと前に倒れて、その後急に後ろに引かれないようにしっかりと押えていれば大丈夫ということでした。

 「お母さん、ともちゃんはどうしましょう。」と先生に尋ねられましたが、心配症のお母さんは「むち打ち症みたいになったら怖いから止めておきます。」と答えました。絶叫マシーンが大嫌いなお母さんは「疑わしきは乗らず。」の主義なのです。それで、首のすわっているお友達はみんな乗りましたが、ともちゃんともう一人の首のまだすわらないお友達は乗りませんでした。

 今度はみんなが乗れるものということで、ティーカップに行きました。ともちゃんは先生に抱っこしてもらって、ピンクのカップに座りました。みんなが乗込んでいるときに低学年の知的障害のグループが通りかかって、「おーい」と声をかけてくれました。その声とちょうど鳴ったジリジリジリという発車のベルの音を聞いて、ともちゃんはにっこり。「今度は私も乗っているよ。」

 次はミニコースター、汽車の形をした高低差の少ない子供用のジェットコースターです。まず他の人たちが乗っているのを観察しました。確かにスピードはあるけれど、加速度の変化はバックスピンよりかなりましなようです。「一緒に乗っている人が怖がらなければ大丈夫。」という意見や、ともちゃんの担任の先生の「私ジェットコースターは大好きなんです。しっかりともちゃんの肩も顎も支えていますから大丈夫ですよ。」という言葉に励まされて、ともちゃんも乗ってみることにしました。今度も全員で乗ります。

 先生はしっかりとともちゃんを抱っこしてくれているのですが、不安な気持ちが分かるのかともちゃんはいつになく緊張して体を突っ張らせています。ミニコースターはコースを2周します。2周目になるともう怖くないと安心したのか、ともちゃんは緊張もとれて、がたがたゆれを感じると微笑みさえ浮べる余裕を見せていたそうです。運動会に続いてまたまた新しいともちゃんの発見です。「ちょっと怖いよ。」「もう大丈夫、平気。」ということがしっかり分かっていて、それを表現できたのですね。

 昼食前にはアンパンマンランドでも乗物に乗りました。レストランで昼寝もして、ゆっくり時間をかけてお弁当も食べました。友達と一緒だからこそ乗れたミニコースター、家庭ではできない経験ができました。楽しい遠足でした。

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1998年10月21日(水)

 喘息発作で入院してしまいました。今年3度目の入院です。その日は参観日でした。少し頑張って登校したのですが、痰のからみがひどく、喉元がへこむ呼吸になっていたので、保健室で2度吸引をして、早退しました。家に帰ってからは食事が半分食べられるなど、一見良くなったかのように思えたのですが、昼寝の後大きな喘息の発作が起りました。

 止めていた息を一気に吐出すように、ぷーっとしんどそうにして起きてきました。その後ゼロゼロと音を立てて喉元を陥没させ、肩を上下に動かす呼吸になっていました。それで、かかりつけの病院の時間外診療を受診しました。吸入とステロイドの点滴と酸素吸入をしてもらい、少し落着きました。レントゲンでは肺が喘息のために過膨張になっているということでした。

 両親は様態が落着いたら家に帰れるかなと思っていましたが、かなり大きな発作だったということで入院になりました。小児科病棟が空いていないので、1日目だけは大人の内科病棟に入りました。その夜ともちゃんは再び大きな喘息発作を起こしました。呼吸困難で苦しんでいたともちゃんが、吸入とステロイド投与(ちょうど投与の時間でした)と吸入酸素量の増加で落着いたので、お母さんは入院していて本当によかったと心から思いました。

 喘息発作は風邪に感染したことがきっかけになっていたのか、40度の熱も出てきました。翌日は小児科病棟に移って、感染ともじっくり戦う覚悟を決めました。ところが、幸い熱は1日で下がり、喘息発作も落着いてきました。ともちゃんの場合は、熱が出ると喘息が治まるということが今までにもよくありました。鼻には酸素吸入のカテーテルを挿していますが、その状態では呼吸も安定しています。

 こうなってくると後は日にち薬です。平日の日中はお母さんが付き添っていますが、夕方にはお父さんが来てくれます。土、日は日中お父さんが付き添って、夕方にお母さんと交替します。交代時には、昨日より食事が多く食べられるようになったとか、痰がからんで吸引してもらう回数が減ったとか、パルスオキシメータが示す血液中の飽和酸素濃度が下がることなく安定しているとか、そういううれしい報告ができるようになってきました。

 一週間の入院でした。まだ痰のからみも多く吸引も必要ですが、家に帰ると落着きます。吸引器、吸入器はもちろんですが、自宅にパルスオキシメータを持っていたことは大きな安心になりました。しばらくは自宅でもパルスオキシメータをつけて、飽和酸素濃度が下がってくるとゼロゼロと痰の音がしなくても吸引しました。朝起きてきたときに痰がからみ、酸素濃度が低くなる傾向があります。それに伴い、心拍数も高くなっています。

 退院して一週間、朝の吸引も必要なくなりました。ともちゃんの状態が良くなると朝少し痰がからんでいても、くしゃみでクッシュンと痰を出すことができます。今日は久しぶりに体を慣らすために学校に行ってみます。明日、明後日の通院の検査で炎症反応がマイナスになっていれば、来週からは今まで通り毎日登校する予定です。

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1998年10月28日(水)

 ともちゃんの養護学校は、ともちゃんが入学する前の年までM市立の養護学校でした。そういう経緯があるので、今年度府立養護学校として全面開校してからも、M市立小学校の合同行事には参加しています。春の仲よし運動会もそうでしたが、今日の音楽会もそうです。ともちゃんは音楽会には3回目の参加になります。今年は手に持って振るとカタカタと良い音がする鳴子でソーラン節を演奏すると聞いています。

 いつものように養護学校から自転車でともちゃん達より一足先に会場に向かったお母さんは、会場の建物に隠れてスクールバスがやってくるのを待っていました。バスの来る道は分かっていますから、ずっとそちらを注目していました。四つ角の歩道橋の階段の陰から、見覚えのある色のスクールバスの鼻先が見えたので、お母さんは会場の中に入りました。

 舞台では養護学校の出番よりずっと早い出番の小学校が演奏をしています。保護者の見学席は後部2列だけしか用意されていません。でも、どの保護者も自分の子供の学校の演奏の少し前にやって来て、子供の演奏が終ると帰るので、入れ替りが激しいのです。ですから、待っていれば必ず座れます。お母さんが席に着いた次の演奏の間合に、養護学校の友達が先生と一緒に会場の見学席にぞろぞろと入ってきました。

 2階のクラスの知的障害の子供達です。さあ、次にともちゃん達が入って来るぞとお母さんはわくわくする気持で見守っていましたが、次の学校の演奏が始ってしまいました。演奏中は会場に出入りしてはいけないことになっています。この演奏が終っても、もともちゃん達は会場に入って来ず、お母さんは何かアクシデントが起ったのか心配しました。でも、次の間合にともちゃんが先頭になって、車椅子の子供達が会場に入ってきました。後で聞いたことですが、エレベータに入る車椅子の数が限られていたために、なかなかみんなが揃わなかったということです。

 よその小学校の演奏を聴いている間に、ともちゃんは車椅子の姿勢から先生に抱っこしてもらっていました。ともちゃんが車椅子の姿勢では少ししんどくなったのかなあとお母さんは思いました。ともちゃんの状態によって、車椅子から抱っこへときめ細かく対応して下さるのは、遠くから見ていてとても嬉しく思いました。ともちゃんは再び車椅子に乗って舞台裏へ。いよいよともちゃん達の演奏が始ります。

 ともちゃんが舞台に出てきました。このところ喘息が出そうな気配なので、「出番が来ても、ゼロゼロいっていたり、けいれんが起ったり、ともちゃんの体調が悪いようなら、ともちゃんを舞台に上げないで下さい。すぐに舞台裏に行きます。」とお母さんは先生に伝えてありました。舞台にいるということはともちゃんは元気で出場できるということです。知的障害の子供達はともちゃん達が舞台に並んだ後に、客席から直接舞台に上がりました。

 ソーラン節が始りました。ともちゃんとY君の間に先生が入って、それぞれに代る代る話しかけるように歌いながら、ともちゃんの左手とY君の右手を両手でもって鳴子を鳴らしています。遠くから見るとともちゃんはすましているように見えますが、実際はどうなのでしょう。お友達のお母さんが双眼鏡を貸してくれました。少ししかめっ面のY君に対して、ともちゃんはおすましの良い表情で鳴子を鳴らしているのが見えました。鳴子以外にも大太鼓と締太鼓のお友達が少しいます。知的障害の友達は思い思いの位置でそれぞれのペースで鳴らしていました。

 そして、もう一曲「ハイ・ハイ・ハイ」という曲を学校で作ったうちわをみんなが持って歌いました。ハイ、ハイ、ハイというところでうちわを上に掲げるのですが(先生に手を添えてもらって掲げてもらうのですが)、ともちゃんのピンクのうちわには赤いカタカナの字でトモミと書いてあるのがお母さんからは分かりました。

 演奏が終って、ともちゃん達がバスで学校に戻るのをお母さん達はみんなで見送りました。ともちゃんは会場で音楽を聴くと、ニコニコして声も出して喜んでいたそうです。歌声も楽器演奏もどちらも好きだそうです。聴いているとき、少し痰が絡んできたので抱っこしてもらったそうですが、そのうちに落着いたようです。自分たちの演奏の時は手の緊張も抜けていて、上手に鳴子を鳴らしてもらっていたそうです。にぎやかなことが好きなともちゃんとしては、これからも、ずっと出場させてほしい音楽会です。

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1998年11月18日(水)

 今日は水曜日ですが、むつみ祭(養護学校の文化祭)のための変則的な2便下校なので、家に着くのは4時頃でした。いつもの水曜日と金曜日は1便下校で家に着くのが2時頃になり、夕食も就寝時間も早いともちゃんも比較的ゆっくりと夕方の予定をこなしていくことができます。でも、2便下校の日は忙しいのです。

 ともちゃんとお母さんが家に帰ると、お姉ちゃんが塾に行くのに自転車の鍵をなくしたと騒いでいました。お母さんはともちゃんの上着を脱がせて、ともちゃんの指定席である居間に敷いた布団の上にごろりと寝かせると、お姉ちゃんにあれこれと小言を言っていました。その上、お姉ちゃんが以前から欲しがっていたコートをたまたま今日お母さんが近くの商店街で買ってきており、お姉ちゃんはそれをさっそく塾に着ていくと喜んでバタバタしていました。

 そんなわけで、お姉ちゃんとお母さんの会話が頭の上を行き交うだけで、ともちゃんは帰ってからずっと放られていました。嵐のようにお姉ちゃんが塾へ行ってしまいました。すると、今度はお母さんが急いで黙々と野菜炒めの準備を始めました。ともちゃんの家はダイニング・リビング・キッチンなので、お母さんやお父さんが料理や後片付けをしながらでも、ともちゃんの様子を見ることができますし、ともちゃんも声をかけてもらうと寂しくありません。ところが今日はどうしたことかお母さんは声をかけてくれません。

 もともとお母さんは料理が苦手で、特に2便下校のときはともちゃん以外の夕食は出来合いのお総菜や半調理品が多いのです。「何で今日に限って料理を始めるの。私を放っておいて。」とともちゃんは思ったのかもしれません。「おおーおおー」と大きな声を強い調子で出しました。その声を聞いてお母さんが飛んできました。「よしよし、かわいそうに。放られていたから寂しかってんなあ。お母ちゃん、急いでてん。ごめんな。」と言ってともちゃんを抱き上げました。

 すると、「おおーおおー」という強い口調が見る見るうちに「おーんおーん」という泣き声に変わって、ともちゃんは目を真っ赤にして、涙をぽろぽろ流して泣きました。しばらくお母さんに抱っこしてもらって、よしよしと背中をさすってもらっているうちに、ともちゃんは泣き笑いの笑顔になりました。もう大丈夫。それからはお母さんはいつものように声をかけながら、ともちゃんの夕方の予定をこなしていきました。

 ともちゃんが夕食を食べているとき、お父さんが帰ってきました。今日の一番の話題はともちゃんが久々に泣いたことです。お父さんに「初めは怒っていたのに、よしよし、かわいそうにと言われた途端に、悲しくなるなんて、賢いなあ。」といっぱい誉めてもらっていました。ともちゃんはちょっと恥ずかしそうな笑顔をしながらも、話題の中心になってうれしそうでした。

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1998年11月22日(日)

今日はむつみ祭です。このところ急に寒くなって、痰がからんだり、少し体温が高かったりと体調が悪くなりそうな気配なので、昨日は学校を休んで体調を整えました。今日はオープニングから参加をするために、気合いを入れて久しぶりのバス登校です。

 今年度ともちゃんの養護学校が全面開校されてから、知的障害を持つ多くのお友達を迎えて、今までにたくさんの行事をこなしてきました。先生方の工夫で多動の知的障害児とともちゃんたちは、どちらも自分たちのできることを表現しながら、一緒に行事に参加してきました。今回もそれぞれの子供達が各々の発達に応じて、むつみ祭の発表を楽しめるように工夫されています。

 オープニングは近くの中学校のブラスバンド部の演奏でした。ともちゃんは自分の演目の衣装の上から上着を着て、車椅子に座ってお友達と一緒に前の席で聞いていました。ともちゃんはブラスバンドの音楽に大喜びをしていたと後で先生に聞きました。ともちゃんはお姉ちゃんの弾くバイオリンの音も好きですから、生の音楽が好きなのかもしれません。

 小学部の演目は「ダンス・オブ・ザ・カーニバル」という題です。昨年までの出し物の劇とは異なり、「フラダンス」、「リオのカーニバル」、「長崎の蛇踊り」の3つのグループに別れて、それぞれの踊りを披露します。重複障害を持っていても、支えてもらうと立つことのできるお友達は、「フラダンス」にスカウトされました。ともちゃんは同じように障害の重いお友達と4人で一匹の蛇踊りの蛇(本当は竜?)を演じます。

 それぞれ自分たちの動きを披露できる子供達に対して、ともちゃん達は黒子の先生に後ろから台詞をしゃべってもらったり、鳴子を鳴らしてもらったり、車椅子でぐるりと円を描いたり(とぐろをまいたり)して、自分たちも楽しみ、また舞台に立って注目されているという心地よい緊張感を感じるのです。

 あすなろ村から長崎の蛇踊りを見に来たお友達が、鈴や太鼓を鳴らして竜を眠りから起しました。歩けるお友達が暗闇で目がチカチカ光る立派な竜の頭を持って先導し、ともちゃん達の登場です。舞台の正面に大きなスロープが作られていて、それを上って舞台に上がります。残念なことに、新しくできたばかりの体育館の舞台の袖には舞台に上がるためのスロープがついていません。それで先生が正面にスロープを造って下さったのです。

 前から5年生のお友達、3年生のともちゃん、2年生のお友達、1年生のお友達の順番に並んでゾロゾロとやって来ました。車椅子の横には緑色の長い布を緩やかに掛けていて(車椅子を押す先生が布のつり下げ紐を持っているので、いつでもはずせる状態)、竜の胴体を表しています。子供達は光るテープで装飾された色とりどりの衣装を付けています。ともちゃんはオレンジ色の衣装がきらきらしてとてもきれいです。

 舞台の上に上がってきた竜は順番に眠りから覚まされた文句を言っています。ともちゃん竜は「私は長いお昼寝から覚めた後は、お父さんの作った肉なし肉じゃがとサツマイモのお弁当を食べたいと思っていたのに。」と言いました。実はこれはともちゃんの日常生活を表していて、給食前に昼寝をした後、食物アレルギーのために給食ではなく持参したお弁当を食べるのです。お弁当は毎日お父さんが作ります。また、肉なし肉じゃがはアレルギーのともちゃんの定番メニューです。ともちゃんの生活を知っている人には大受けでした。

 ともちゃんは自分の(黒子の先生の)台詞が終ると、満足そうにニコニコ笑っていました。文句を言っていた竜はまた眠ってしまい、頭持ちのお友達(その子の黒子の先生)に一人ずつ名前を呼んでもらいましたが、竜は起きてきません。会場のみんなも一緒に「よっしゃ、よっしゃ。」と言うかけ声で起すことになりました。ともちゃんはかけ声を聞いてニコニコ。竜はやっと起きてとぐろを巻きました。最後は「フラダンス」チームも「リオ」チームも一緒になってポンキッキーズのボンダンスを踊り、一人ずつ紹介されながらスロープを降りていきました。

 今日のともちゃんの弁当のおかずは本当に肉なし肉じゃがとサツマイモでした。スクールバスで帰るときのことです。いつも大人に食事のメニューを聞くことが大好きな中学部のI君が「ともちゃんのおばちゃん、ともちゃん今日お弁当で何食べたん。」と尋ねて来ました。お母さんが「肉なし肉じゃがとサツマイモ。」と答えました。するとバスの添乗員さんが「そうそう、今日、出し物の中で肉なし肉じゃがって言うたはったけれど、あれは本当のことやったんですねえ。」と感心して下さいました。

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1998年11月30日(月)

 ともちゃんは「おおーおおー」と大きな声を出すことが多くなりました。以前からも、お母さんと2人で家にいるときにお母さんがトイレに行ってしまい、部屋に一人残されると「おーおー」と声を出すことがありました。また、車椅子に乗ってお出かけすることがわかると、ニコニコの笑顔で「おおーおおー」と声を出すこともありました。

 何年もかかって、声を出す頻度が徐々に増えてきたように思います。お母さんはともちゃんの「おおーおおー」が何を訴えているのか知りたいと思っていました。「おおーおおー」が出たときのともちゃんの表情や周りの状況をずっと観察してきましたが、うれしいときにも嫌なときにも出ます。何か感情が動いて、健常者なら言葉を発するときには、すべて「おおーおおー」という声で表現しているようです。

 もちろん、重い脳障害を持つともちゃんですから、よく声が出るようになったと言っても、まず体調もよくて、しっかりとともちゃんの中で感情の変化が起らないと声は出ません。けいれんの気配が強かったり、体調が悪いとボーっとして無表情になっています。心理的に緊張しているときも、強ばった顔つきをして声を出すことはありません。ともちゃんの「おおーおおー」はともちゃんの笑顔と同じように大切なものです。

 この頃は学校がお休みの日の朝に、お父さんに抱っこされているときにもよく声が出ています。また、学校で帰りの準備等で友達と並んでごろんと寝ているときにも、声を出すことがあるそうです。お父さんには「お出かけしようよー。」と言っているのかもしれませんし、学校では友達や先生に話しかけているのかもしれません。ともちゃんの家族も先生もその時々の状況を見て、ともちゃんの気持ちを推測して声をかけているのですが、ともちゃんはどう感じているのでしょう。これからも、ともちゃんの「おおーおおー」を見守っていきたいと思います。

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1998年12月5日(土)

 今日は久しぶりの校区の小学校との交流学習の日です。児童会主催の小学校のお祭です。1年生から6年生までで構成される縦割り班に分かれて、お店を出して店番をしたり、お客さんになってお店を回ったりします。2学期になってからも、ともちゃんの体調が優れなかったり、養護学校の行事が詰っていたりして、なかなか交流の予定が立てられず、2学期最初で最後の交流になります。

 ともちゃんは長時間車椅子に乗ったままでいると疲れるので、ともちゃんの班がお客さんになる時間帯だけ参加させてもらいました。校舎の入口で偶然、養護学級の3年生の友達に会いました。「ともちゃん、長いこと来られへんかったなあ。」と声をかけてもらって、ともちゃんもニコニコ。ともちゃんが養護学級でストーブにあたって休憩していると、班長さんがお店を回る時間になったよと迎えに来てくれました。

 班長さんに車椅子を押してもらい、まずは1階の教室から回りました。「はてなボックス」の店では、「この箱はなあ、トマトが崩れているから、ともちゃんは止めた方がいいで。手がべたべたになるで。」などと教えてもらって、別の箱に手を入れました。ともちゃんはしかめっ面をしています。何が入っていたのでしょうか。正解はコンニャク。ともちゃんは養護学校のお楽しみ会のブラックボックスでもコンニャクをさわってイヤな顔をしていたことがあります。

 2階に上がりました。「お化け屋敷」では、先生が車椅子でも無理なくそのまま入れるように作りましたからと言って下さり、ともちゃんも車椅子で入りました。暗かったけれどお化けはあんまり怖くなくて、お化けの控えスペースから「あっ、ともちゃんや。」という声が聞えていました。お姉ちゃんの班はクリップで魚を引っかけて釣る「魚釣り」の店を出していました。ちょうどお姉ちゃん達の班の店番の時間で、ともちゃんが行くとにやにやと笑って迎えてくれました。

 今回は「的当て」、「はてなボックス」、「1円玉落し」、「空き缶積み」、「お化け屋敷」、「魚釣り」、「ボーリング」と7つものお店で遊ぶことが出来ました。「1円玉落し」ではうまく1円玉がお椀の中に落ちたので手作りのメダルを、「魚釣り」では2匹釣ったので折紙の賞品ももらいました。最後に行ったので時間が無くなってしまった「玉入れ」でも賞品のメダルだけもらいました。ともちゃんは少し寒いのと、久しぶりの小学校でちょっと緊張していました。でも、子供達のにぎやかな声の飛交う楽しい雰囲気は十分味わえたと思います。

 車椅子を押して校門を出て家へ帰る途中、おかあさんがともちゃんに「今日はいっぱいお店回って楽しかったなあ。」と話しかけました。ともちゃんは楽しかったことがじわーっとしみてきたようにニコニコ笑顔で答えていました。3学期もぜひ交流に行きたいですね。だって、お姉ちゃんと一緒の交流は今年度が最後になるのですから。

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1998年12月23日(水)

 ともちゃんは急に体調を崩し、先週は2度も救急車に乗ってしまいました。今だから落着いて語れるのですが、本当にどきっとするような怖い思いをしました。自宅にパルスオキシメータと酸素ボンベを置いていて、心から良かったと思います。

 1回目は15日の夜中です。元気で学校に登校して、いつも通り夕食を食べて、7時半頃眠りました。10時半頃、げっぷと共に酸っぱいものが上がってきたときのようなイヤな顔をして目覚めました。そのあと呼吸がしんどくなりました。呼吸がしたいのにできなくて苦しそうです。自宅に置いている酸素ボンベから酸素吸入して、血中の飽和酸素濃度を示すパルスオキシメータをつけました。

 酸素吸入しているにもかかわらず、飽和酸素濃度は88から92までの低い値です。ヒューヒューという音も聞こえています。酸素の流量を上げて、すぐに救急車を呼びました。酸素マスクを付けたともちゃんをお父さんが抱っこして、酸素ボンベをお母さんが抱えて、救急車に乗りました。かかりつけの病院の時間外診療に行きました。その時は酸素マスクを付けていると飽和酸素濃度は100近くに落着いていました。

 喘息の音がしていると診察され、吸入をしました。吸入をしている内に酸素マスクをはずしても飽和酸素濃度が98位と落着いてきました。呼吸が安定してきたので、そのまま帰宅しました。帰宅するとともちゃんはオーオーと大きな声を出していました。でも家に帰ってからもパルスオキシメータははずせません。翌日は38度の熱が出てきました。昨夜の出来事でともちゃんは疲れています。お母さんは通院するより家で寝かせてあげたいと思い、熱については様子を見ることにしました。風邪をきっかけに喘息が起り、熱が出ると喘息が治ることが、今までにもありました。

 熱は高くは上がらず、その夜には37.8度と下がってきました。ともちゃんは16日にも7時に眠りました。添寝をしていたお母さんが12時に目覚めると飽和酸素濃度が90まで下がっていて、ともちゃんはそのまま眠っています。今まで眠っいるからといって酸素濃度が下がったことはありません。おかしいので抱っこしてみました。するとそのときは95まで回復するのですが、しばらくすると90を切るくらいに下がってきます。さすがに80台になるとともちゃんは苦しそうです。酸素マスクを付けました。

 吸引してみましたが痰は全く吸えず、酸素濃度も低いままでした。昨日も行った病院に電話をして様子を話し、吸入をしてみることを伝えました。吸入をするとその時は一時的に酸素濃度が上がり酸素マスクが不要になります。しかし、吸入を終えるとまた酸素吸入が必要になります。吸入液に気管支拡張剤を入れても、生理食塩水だけでも同じような経過です。こんな状態で様々な処置をしてみましたが、だんだんと吸入の効目はなくなってきて、酸素マスクが外せなくなりました。

 また、救急車で病院に行きました。痰が堅くなって詰っているとのことで、あちこち向きを変えて背中をトントントンとたたいて吸引してもらいました。黄色い痰が吸えました。吸引してもらってからは呼吸が落着きました。粘り気が強く、堅くなった痰が気道をふさいでいたということでしたが、確かにそれなら今までのことが納得できます。体を起すと痰が動くし、吸入をすると痰が湿って動きやすくなるからです。

 しっかり目覚めているときより眠っているときの方が生命力が弱くなっていて、痰が詰っていることに抵抗せずに呼吸が浅くなってしまうようです。もし気がつかなかったらと思うとぞっとします。入院覚悟で来た病院でしたが、喉も赤いということで、抗生剤と痰切りの薬をもらって帰りました。これからも痰をしっかりと浮かせて吸引するように言われました。家に帰るとお姉ちゃんがリビングの電話の前で眠っていました。ともちゃんの無事を確認して自分の部屋に引上げていきました。

 それからはずっとパルスオキシメータをつけて、酸素濃度が下がると吸引しています。それ以来熱は出ていません。ともちゃん自身がしんどくて元気がないときは、痰が絡んでも自分で咳をすることはなく吸引が必要ですが、自分で咳をして切ろうとするようになってくると吸引しなくても酸素濃度が回復できるようになってきます。痰切りを飲続けていたせいか、痰もサラサラしてくしゃみや咳で切れるようになってきました。ともちゃんがしんどい時は、酸素濃度だけではなく心拍数も不安定になりがちです。急に140回/分を越えたりしますが、ともちゃんが体力を回復してくると心拍数も落着いてきました。

 夜はやっぱり不安が残っていましたが、吸引をしっかりすることで乗切りました。昨日は1日中酸素濃度も心拍数も安定していました。今日はさらに食欲も戻ってきて、このまま行けば明日の終業式に登校できると思います。重い脳障害を持つ子供の余力のなさ、生命の危機が思いがけないところに潜んでいるということを思い知らされた出来事でした。これからもより慎重にともちゃんと生活していこうとお父さんもお母さんも思っています。

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1998年12月31日(木)

ともちゃんは無事に終業式に登校することができました。久しぶりに登校したともちゃんはオーオーと大きな声を出して張切っていました。(朝、お父さんに「元気に朝食を食べたら学校に行けるよ。」と聞かされた時から張切っていました。)下校の前に痰が絡んだのですが、保健室で吸引したので帰宅してからも元気にしていました。お母さんに2学期の通知票を読んで貰い、たくさん誉めてもらいました。2学期も入院したのに、出席日数59日、欠席日数27日とよく頑張りました。

 今年のサンタさんからのクリスマスプレゼントは、キティちゃんの抱き枕でした。ともちゃんは左を下にして横向きに寝たときに体がつぶれてしまうので、そうならないようにキティちゃんを抱っこすればいいとサンタさんは考えていたようですが、サンタさんの思っていた大きさのものが無くて随分大きな枕です。長さはともちゃんの方がかろうじて足首から下の分だけ勝っていて、太さはキティちゃんの方が圧倒的に太いのです。

 ともちゃんは、キティちゃんの首のくびれた部分だけには手を回すことができるので(ともちゃんが自分で回すのではなく、手を持っていってもらうと届くので)、そういう格好でキティちゃんとにらめっこをしています。もっとも、キティちゃんの抱き枕でともちゃんと遊んだお姉ちゃんに言わせると、このキティちゃんはともちゃんのライバルなのだそうです。ともちゃんは、キティちゃんと一緒に布団の上にごろんとしているとき、自分より太いキティちゃんをキックやパンチで布団から追出すのだそうです。こんなお姉ちゃんの話をともちゃんはにやにやして聞いています。

 2人のお祖母ちゃんからのプレゼントもやっぱりキティちゃんでした。父方のお祖母ちゃんからは「パタパタハローキティ」です。これは音に反応してキティちゃんが動くというおもちゃですが、パタパタというより電動式のマッサージ器のようにぶるぶるぶると動きます。ともちゃんにとってはこのぶるぶるの刺激がわかりやすくてちょうど良いと思います。いったん動き出すとなかなか止らずにぶるぶると振動しており、ともちゃんの背中にキティちゃんを押し当ててマッサージしてあげるとけらけらと笑っていました。

 母方のお祖母ちゃんからは「ハローキティからくり時計」をもらいました。直径30cm位の大きな掛け時計で、1時間毎にメロディが流れます。そのとき、時計の中にいるキティちゃんの人形がメロディに合わせてくるくると自転します。お姉ちゃんがセットしてくれて、ともちゃんが食事をとっているときにメロディが鳴り出しました。ともちゃんは何かなと音を聞いています。「ともちゃんの時計が鳴っているんやんか。」と言うと、納得してかニコニコしていました。今後、ともちゃんが毎朝8時に鳴るメロディを聞いて登校する時間だと感じてくれるようになればうれしいなあと、お母さんは密かに思っています。

 冬休みに入ってから、ともちゃんの体調も少しずつ安定し、体内時計もだんだんと正しく機能するようになってきました。2学期の終りに痰が詰って呼吸がしんどくなっているので、呼吸や痰の状態は慎重に観察していますが、元気なときは堤防まで散歩に行っています。今年は比較的暖かく、風がなければ日当りの良い堤防はぽかぽかと気持がいいのです。長くても1時間程度ですが、しっかりと日光に当り、外気に触れることで体内時計も安定しているように思います。ともちゃんも散歩が大好きです。去年のように遠出はできないけれど、車椅子に乗ってマンションのエレベータホールに来ると嬉しそうな笑顔で大きな声を出していました。

 今年は3度の入院があり、何度か救急車のお世話にもなりました。ともちゃんのお父さんやお母さんにとっては、ともちゃんの健康を慎重に守っていくことの重要性を改めて感じさせられた1年でした。来年も健康第一で、無理せず楽しく過していきたいと思います。

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