ともちゃん の日常12


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1998年12月以前(ともちゃんの日常11へ)

1999年1月

2日(土)
「凧揚げ」

13日(水)
「虫歯」

20日(水)
「吸引の夜」

31日(日)
「作品展 '99」

1999年2月

9日(火)
「2月の体調不調」

18日(木)
「とうとう入院」

1999年3月

2日(火)
「登校はうれしかったけれど」

10日(水)
「10リットルボンベ」

24日(水)
「遅刻してお茶を飲む終業式」

28日(日)
「お姉ちゃんの発表会」

1999年4月以降(ともちゃんの日常13へ)


1999年1月2日(土)

今年のお正月、ともちゃんは凧揚げをしました。凧はお母さんが年末の買物に行ったときにおみやげに買ってきてくれたピンク色のキティちゃんの柄のものです。元旦、外は良い天気で凧揚げ日和です。ともちゃんは朝の予定を済ませた後、お父さん、お母さんと一緒にキティちゃんの凧を持って近くの堤防に出かけました。外に出ると風は無く、堤防までの坂道は太陽の光がぽかぽかといい気持です。

 冬休みに入ってから、ともちゃんの体調も徐々に落着いてきました。まだ吸引器は必要ですが、体調の良い日は短い時間近くのこの堤防まで散歩に来ていました。堤防は太陽の光を遮るものがないので、風が無い日はともちゃんの日光浴には最適です。ともちゃんは散歩を楽しみにしていて、車椅子に完全防寒スタイルで座って、マンションのエレベータホールまで出ると嬉しそうな顔で「おーおー」と大きな声を出します。

 堤防の上から河川敷を見下ろすと、さすがに野球場にもテニスコートにも人影はありません。河川敷に下りて凧を揚げてみることにしました。お母さんが凧揚げに挑戦です。風が強くなくても、キティちゃんの凧は洋凧なので簡単に揚りました。ともちゃんはお父さんに車椅子を押してもらって、凧の下をついてきました。「凧揚ってるでー。」と声をかけられて、ともちゃんはキョロキョロ上の方を見ています。凧が上空に揚ってしまってから、ともちゃんもお母さんと一緒に自分で糸巻きを持ってみました。上手に糸巻きを掴んで(糸巻きはちょうどともちゃんの持ちやすい形でした)、少し緊張した顔で上を向いていました。

 帰り道でも、家に帰ってからも、お父さんやお母さんから「ともちゃん、上手に凧揚げしたなあ。」とか、「ともちゃん、凧揚げ面白かったなあ。」などと凧揚げのことをたくさん誉めてもらいました。そのたびに、ともちゃんは凧揚げが面白かったことをじわーっと思い出してか、にこにこ嬉しそうに笑っていました。

 そして、今日二日もまた家族で凧揚げに行きました。今日はお祖母ちゃん宅から昨日帰ってきたお姉ちゃんも一緒です。今日も良い天気なのですが、昨日とは違って風が強いのです。堤防ではもう凧揚げをしている人もいます。ともちゃんは昨日よりゆとりの表情で凧揚げを楽しんでいるようです。上に揚った凧の糸巻きを昨日と同じようにお母さんと一緒に持ったときも(かなり強く引張られるので、お母さんは糸を自分の手に巻付けて、ともちゃんに風の力が直接加わらないようにしました)、とても良い表情で「あーあー」と声を出していました。

 風が強いので、糸を短くしても、凧は墜落せずに飛んでいます。帰り際、お父さんが糸巻きに糸を巻取りながら、ともちゃんの目の前で凧をとばしてくれました。ともちゃんはこれもしっかりと見ていました。ともちゃんの散歩にしては風が強い感じでしたが、元気に凧揚げから帰ってきました。今年はともちゃんのお正月の遊びが1つ増えました。

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1999年1月13日(水)

 ともちゃんに虫歯が見つかりました。ともちゃんは、家では必ず就寝前に歯磨をしています。ヘッドの小さい歯ブラシを用いるようになってから、ともちゃんは奥歯もしっかりと口を開けて磨かせてくれていました。学校でも給食の後に歯磨をするのですが、「『ともちゃん上手に歯磨するねえ。』と誉めると奥歯も磨かせてくれますよ。」と先生から聞いていました。

 ところが、昨年12月半ば頃から、左の奥歯は口を開けて磨かせてくれるのに、右の奥歯を磨こうとすると口をしっかり閉じて磨かせてくれなくなりました。お母さんが無理矢理口を開けさせて中を見ると、右の上の一番奥の歯が虫歯になって半分欠落しているようです。これは痛いだろうなあとお母さんは納得しました。さっそく歯科医院に予約を入れましたが、これが今月の9日になってしまいました。

 ホームページを通じて知合ったお友達の中には、全身麻酔をかけて歯科治療をされた方も、自分の吸引器を持込んで歯科治療をされた方もおられます。ともちゃんも今回は自分の吸引器持参で歯医者さんに行くことにしました。治療前に鼻腔からしっかりと痰を吸引しておくと安心です。また、歯の治療中に唾を飲込んだり、呼吸をしたりとうまく切替えられないともちゃんは、自分の唾で溺れそうになります。必要に応じて治療中にも吸引させてもらえると、前回のように治療後ぜい鳴が生じることもなくなるでしょう。

   お父さんの運転する車で歯科医院に行きました。到着後、ゼロゼロしている痰を吸引して、ともちゃんはすっきりした状態で、診察台に上りました。しかし、この日は担当の先生が急に出張になったということで、虫歯にフッ素を塗ってもらって帰りました。治療して欲しいと予約したのに、肩すかしのようでがっかりしました。

 13日に再度、吸引器を持参して歯科医院に行きました。今度は先生に診察をしてもらいました。虫歯が進行していて、もう神経までやられているということでした。歯の神経自体はもう痛くはないけれど、歯の根っこのまわりが少し炎症をおこしているので痛んでいたようだと説明を受けました。治療することは無理なので、抜歯しかないけれど、炎症止めの薬を飲んで痛みが治るのなら、虫歯は乳歯なので自然に抜けるまで様子を見るということになり、薬をもらって帰りました。

 はっきりと虫歯が見つかったので、気合を入れて治療をしようと、両親揃って吸引器も持って出かけました。でも「一件落着」にはならず、これからもずっと虫歯と付き合っていかなければならないのは(しっかりと管理をしなければならないのは)、お母さんとしてはすっきりとした気持ではありません。しかし、ともちゃん自身が痛くないのなら、自然に抜けるの待つことが、一番ともちゃんに負担がかかりません。そう思い直して、ともちゃんの虫歯が再び痛まないように、しっかり管理していこうとお母さんは思っています。

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1999年1月20日(水)

 3学期が始って3日登校しただけで、ともちゃんは体調を崩して学校を休んでいました。13日の夜から風邪気味で、痰の分泌が多くなりました。食欲も落ちています。幸い熱は15日の昼間に38度になっただけで、すぐに下がりました。それでも痰はしつこく、頻繁に吸引しなければ呼吸がしんどくなります。

 ずっとパルスオキシメータをつけているので、動脈血中飽和酸素濃度が低くなると昼間はすぐに吸引をします。しかし、問題は夜中でした。夜中は痰がゼロゼロと浮いてくることが少なく堅くなってしまうようで、それほどぜい鳴はないのですが血中酸素濃度が下がってきます。

 ある晩の夜中、お父さんもお母さんもともちゃんと一緒に眠っていたときのことです。ともちゃんに腕枕をしながら添寝していたお母さんが、ともちゃんのちょっとした気配を感じて起きると、血中酸素濃度が90台前半になっていました。さらにどんどん下がって90を切りそうです。吸引しましたが、痰が堅くてうまく吸取ることができません。

 吸引を長く続けるとともちゃんは息を止めるので、よけいに酸素濃度が下がってきます。昨年の12月に呼吸困難になったときのことを思い出しながら、生理食塩水の吸入をして痰を湿らせたり、酸素吸入をして一時的に酸素濃度を上げたりしながら吸引しました。やっと痰がうまく吸引できて、酸素濃度が98パーセントまで回復したともちゃんは、お父さんの抱っこで再び眠りにつきました。

 これ以来、部屋の加湿には十分気をつけるようにしています。パルスオキシメータのアラームの設定も、標準設定の85から92パーセントに変えました。これで、ともちゃんの血中酸素濃度が92パーセントになると警報音が鳴ります。けれども、これ以来ともちゃんの様態に気を配っているお父さんやお母さんは、アラームが鳴る前に吸引をするようにしています。6日目にして、ようやく丸一日吸引せずに過せるようになりました。そして、今日ともちゃんは久しぶりに登校することができました。

 昨年12月の経験がなかったら、今回こんなに落着いて対処することができなかったでしょう。これからも、パルスオキシメータと酸素ボンベと吸引器と吸入器を駆使しながら、ともちゃんをしっかり守っていこうと思います。

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1999年1月31日(日)

今年の作品展は、学校の規模が大きくなったので2日間開催されます。作品展の内容も、親子単位でそれぞれ先生と一緒に作品を見たり、高等部の喫茶店でお茶を飲んだりという昨年までのスタイルから変りました。子供達は授業の一環として保護者とは別に行動することになり、1日目は作品を見て喫茶店に行き、2日目は小学部で遊びのコーナーを出展して交代で店番とお客さんをします。もちろん、親が鑑賞に来た日に子供と一緒に行動するのは構いません。

 ともちゃんは、昨日は1週間の疲れが溜ったのか体調が優れず、学校を休んでしまいました。自分たちの作品を見て回ることができなかったのは残念ですが、今日は元気に登校してしっかりと遊びコーナーで楽しみたいと思います。お母さんはいつも通りともちゃんに付添って登校しますが、お父さんとお姉ちゃんも後から車で来てくれます。

 ともちゃん達のあすなろ組は、ひまわり組、(知的障害の)高学年学級と一緒にボーリングのコーナーを担当します。作品展が始まると、まずみんなでこのコーナーに集まりました。ともちゃんは、前半にお客さんとして他のクラスが出展しているコーナーを回ります。お姉ちゃんも両親も一緒について行きました。お姉ちゃんもともちゃん達が持っている遊びコーナーのカードをもらいました。

 最初は(知的障害の)低学年学級の出展した魚釣り。入口では釣堀りのおっちゃんに扮したお友達がカードにスタンプを押してくれました。ここでは紙やポリ袋で作った魚に洗濯バサミのようなクリップがつけてあって、磁石の付いた竿で吸付けても、釣針のような形の針金が付いた竿で引っかけても、どちらでも釣れるようになっています。ともちゃんは磁石の竿を、お姉ちゃんは釣針の竿を選びました。

 ともちゃんは先生と一緒に釣り竿を持って、上手に魚を釣っています。ピンクの魚や蛸も釣りました。「ともちゃん上手やなあ。」の声に表情もうれしそうです。お姉ちゃんもうまくクリップを引っかけて、4匹釣りました。池の中には大きな大きな鯨もいます。「鯨も釣ってやー。」という低学年の先生の声に、ともちゃんはお姉ちゃんやお友達と協力して鯨釣に挑戦することになりました。

 ともちゃんは「池」の中まで車椅子で入って、鯨のクリップに見事に磁石をくっつけました。お姉ちゃんもクリップを引っかけました。お友達も磁石をくっつけて、みんなで力を合わせて鯨を引上げようとしました。どっしりと重い鯨の重みでパチンとクリップがはずれてしまいました。悔しいので何度も何度もクリップを挟んでチャレンジして、やっと鯨を引寄せることができました。

 次は(知的障害の)中学年学級の的当てです。エアーポリンという空気を入れて膨らませるトランポリンに空気を送込むためのポンプを利用した先生お手製の玉撃ち器には家族のみんなもびっくりです。穴の中に玉(ボールプールのボール)をポトンと落すと空気の吹出す勢いで玉をとばしてくれます。ともちゃんのような自分で玉を投げられない子供にはぴったりです。

 ともちゃんはこれが気に入って何度もやってみました。お姉ちゃんが玉撃ち器の筒先をうまく的に向けて、ともちゃんは先生と一緒に玉を持って穴に落して、上手に的の中のタンバリンを鳴らすことができました。ここでも「ともちゃんすごーい。」というと嬉しそうです。お姉ちゃんは箱に玉をたくさん集めてきて、ドドドと穴に流し込んで連発で玉をとばす技をともちゃんに見せてくれました。

 後半はともちゃんがボーリングの店番をします。先生と一緒に、倒れたピンの数に合せて数字のスタンプをカードに押すのです。この間に、両親とお姉ちゃんはともちゃんの作品を鑑賞に行きました。ともちゃんは陶芸を出品しています。ともちゃんが(先生に手伝ってもらって)しっかり粘土を握り、指の形を付けた箸置きです。釉薬をつけて焼いてもらっていて、とても素敵です。スプーン置きもあって、そこにはスプーンも置いてもらい美しくレイアウトされています。作品を作っているときの写真も、そのときの様子を書いた文章も添えられていて、陶芸をしているときのともちゃんの様子が目に浮かぶようです。

 家族がボーリングのコーナーに戻ったときには、ともちゃんはもうボーリングにもチャレンジし終っていて、またスタンプ押しをしていました。スロープの上からサッカーボールを頃がしてペットボトルのピンを倒すというボーリングで、ともちゃんはスペアをとったということでした。少し疲れてきたのか、ともちゃんは何度もあくびをしていたので、作品展が終了するとスクールバスの発車を待たずにお父さんの車で一足先に帰宅しました。

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1999年2月9日(火)

 2月にも楽しい行事がいくつもあります。1月の作品展の頃からともちゃんの体調も少し良くなってきていたので、ともちゃんもみんなと一緒に行事を楽しみたいと思っていました。でも、結局また体調不調が続いています。2月9日にはお楽しみ会があると聞きました。昨年はお母さんたちのダンスあり、子供たちの紙相撲大会ありで、みんなで盛り上がった行事です。今年度になって転入してきた大勢のお友達が以前通っていたN養護学校でも、楽しい行事の1つとして行われていたということで、ともちゃんのお母さんは新しく一緒になたお母さんたちと出し物の準備をするのを楽しみにしていました。しかし、お母さんたちの出し物を決める会議の日も、2回あった準備や練習の日も、ともちゃんが体調不調で学校を休んでしまいました。

 ともちゃんの不調にはっきりとした原因があるわけではありませんが、ぼーっとしんどそうで朝の予定(たくさんの薬を飲み、牛乳とお粥の朝食を摂る)が進まないのです。ともちゃんは学校が大好きなので、けいれんの気配だけで朝の予定が進まないのなら、遅刻してでも登校して気分転換させてあげたいと思います。気候の良い時期なら、短時間でもできるだけ登校したでしょう。でも3学期になって何度も寒波がやって来て、巷ではインフルエンザが猛威をふるっています。無理して登校して、ともちゃんの体力が落ちているところにインフルエンザをもらってしまったら大変です。そう思うと登校を強行することができません。

 2月8日は学区の小学校の3年生との交流学習です。今年度になって、ともちゃんの体調不調が多いこともあって、3年生との交流が持てないままでした。児童会行事での交流は、ともちゃんにもお姉ちゃんにもとてもうれしいのですが、同学年の3年生との交流もずっと続けていきたいと思っています。1時間目に1組を2時間目には2組を訪問する予定でした。けれども、この日の朝はけいれん発作がありました。それで朝はゆっくりとともちゃんのペースで過ごし、せっかくの機会なので挨拶だけでもしてこようと、その旨連絡した上で遅れて小学校に出かけました。ともちゃんには久しぶりのお出かけで、うれしかったのでしょう。気候も穏やかで過ごしやすい日です。まず養護学級を訪れたともちゃんは、養護学級のお友達や先生の歓迎にニコニコとうれしそうです。3年生の教室に挨拶だけでもしに行こうと思っていたお母さんでしたが、ひょっとしたら予定より遅れてでも交流ができるかもしれないと思いました。

 もう1時間目は終わりかけていましたが、1組に行きました。1組は国語で、一人の人の呼び方が時と場合によっていくつもあるという話をしているところでした。ともちゃんが現れたので先生が「ともちゃんのことは何て呼ぶかなあ。」とともちゃんを話題に入れてくださいました。ともちゃんは話題の中心になることが大好きなはずです。その後お母さんがともちゃんの体調のことと、遅くなった理由をみんなに話して授業時間は終りました。休み時間にはお友達が大勢寄ってきてくれ、お母さんとお話をしていましたが、ともちゃんはちょっと元気がありませんでした。

 2時間目は2組に行きました。本来の授業は理科だということでしたが、ともちゃんが来たので一緒に楽しめるようにと、音楽の合唱や合奏で迎えて下さいました。お母さんにはこういう心遣いがとてもありがたく、うれしく思いました。ところが、ともちゃんにとってはもう体力の限界だったのでしょう。大きなあくびが出て、大好きなはずの子供の歌声を聞いても目がとろーっとうつろです。ともちゃんのために心遣いをして下さった2組の先生やお友達には大変申し訳なかったのですが、ともちゃんの体力が限界であることを告げて、早退させてもらいました。家に着くなりともちゃんはくたーっと眠りました。

 今日9日はお楽しみ会です。準備には全く参加できませんでしたが、当日だけでも参加したいものです。でも、朝の予定が全然進みません。無理は禁物です。今日も気候が穏やかなので、ともちゃんのペースで朝の予定をこなしてから、タクシーで登校しました。養護学校でなら、ともちゃんが眠くなったらいつでも昼寝をすることができます。タクシーで養護学校の門の中に入り、お金を払って降りようとしていると、体育館のほうからお母さん達がぞろぞろとやってくるのが見えます。ちょうどお楽しみ会は終ってしまったところでした。

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1999年2月18日(木)

 12日の金曜日、ともちゃんは普通に学校に行ったのですが、夕食時に痰や鼻水がたくさん湧いてきてしんどくなりました。パルスオキシメータをつけると、食物が口の中に入っているときには、血液中の飽和酸素濃度が90パーセント台の前半に下がります。ごっくんと飲み込むことと、呼吸をすることが同時にできなくて困っているようです。夕食は早めに終りにしました。お父さんもお母さんも今晩はともちゃんの呼吸状態に注意して、夜中に吸引しないといけないなあと覚悟しました。

 やはり夜中にともちゃんの飽和酸素濃度は下がり、90パーセント台を切りそうになりました。昨年末に時間外を受診したときに先生から教えてもらったように、吸入で痰を湿らせて背中をとんとんとたたいて痰を切って吸引しました。しかし、痰は吸引できるところよりももっとずっと深いところにあるようで、あまり吸えません。それでも酸素を吸入したりしながら、何度も吸引して90パーセント台後半まで飽和酸素濃度を回復して、浅い眠りでしたが朝まで眠りました。

 朝の予定をこなそうとしましたが、薬を飲もうとすると90パーセント台前半まで下がっていた飽和酸素濃度はもっと下がってきます。吸引しても効果は上がらず、酸素吸入をしながら投薬時間厳守のけいれん止めだけはしっかり飲んで、時間外診療(病院が休みの土曜日なので)を受診することにしました。飽和酸素濃度は酸素吸入をしていると安定しているのですが、家には1リットルの酸素ボンベしか置いていないので、すぐに酸素は無くなってしまいます。入院して、酸素がいつでも吸入できる状態でしっかりと吸引をしなければなりません。熱も38度です。

 ところが時間外外来で訊くと、病棟のベッドは小児科はもちろん大人の病棟も満室で、室料が1日19,950円の大人用の特別個室だけが空いていて、それも月曜日の朝には入院予定が入っているとのことでした。それが嫌なら、他の病院を紹介しますよと言われましたが、ともちゃんはともちゃんの障害の状態をよく知ってもらっているこの病院でないと困ります。特別個室に入院することにしました。お母さんはどんな立派な部屋かと期待していました。部屋は広くて、一応応接セットも置かれています。トイレや洗面所が部屋の中にあるのは、お母さんがともちゃんの側を離れなくてもいいので嬉しいことです。でも古い病棟なので、最新の小児科病棟に比べると部屋は薄汚れた感じで、備付けの洗面所も水しか出ません。

 お父さんもお母さんも、今回の入院は酸素の投与だけが問題で、痰の絡みが落着くまでの間、酸素の投与と吸引をしっかりすればいいと楽観していました。しかし、その予想は裏切られて、ともちゃんは入院した夜に39度台の高熱が出ました。お母さんが心配したのはインフルエンザでした。今年はインフルエンザから脳炎になって亡くなる人が多いと聞いていたからです。A型のインフルエンザなら脳炎になりにくくする薬があるということで、鼻腔内の分泌物をとってA型のインフルエンザに感染しているかどうかを調べてもらいましたが、幸いそうではありませんでした。

 夜は解熱座薬を入れないとしんどくて眠れないくらいなのに、朝になると熱は下がっています。昼間はともちゃんの表情も元気そうで、食事も少しは摂れるので、その点は付添っている両親も気持ちが楽でした。ともちゃんは点滴と酸素吸入と生理食塩水での24時間の加湿(吸入)をしています。ともちゃんの部屋に入ると加湿のために霧がかかったように煙って見えます。ともちゃんの顔や髪の毛も塩辛く、テレビの画面などは水分が蒸発した食塩が付いて、埃がかかったように層を作っています。この個室は月曜日には開けなければならないのに、日曜日の晩も高熱が出ました。入院したときは、お父さんもお母さんも2日すればともちゃんの症状も落着いてきて、退院できるかもしれないと思っていましが、そういうわけにはいきません。

 月曜日からは、空きの出た小児科の病棟に移していただくことになりました。小児科病棟の新館と今までいた本館は地下通路でつながっています。ともちゃんは部屋の移動のためにストレッチャーに乗って、本館の7階から新館の2階まで病院内縦断の大旅行をしました。ともちゃんは移動していることが嬉しくて、地下通路ではニコニコしながら大きな声を出しています。どこか楽しいところへお出かけするとでも思っていたのでしょうか。でも着いたところは残念ながらいつもの小児科病棟でした。

 小児科病棟に移ってからは熱も出なくなりました。今回の発熱は2晩だけだったので、ともちゃんの体力の消耗も少なくてすみました。その後は順調に酸素吸入を止め、加湿が無くなり、抗生剤を口から飲むようになって点滴が取れました。ともちゃんはけいれん止めの薬の副作用でとても毛深くて、手足にも毛がふさふさしています。点滴の針が外れないようにテープでしっかりと腕に止めてもらっていたのを取るときに、粘着テープについて体毛が抜け、ともちゃんは顔をしかめてビクッとしていました。テープを巻いていたところだけ縞状に赤くなった跡ができてしまいました。

 そして、今日18日、無事に退院できました。しばらくは抗生剤をちゃんと飲んで、痰が沸いたら吸引をして、自宅で静養して過ごしましょう。

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1999年3月2日(火)

 無事退院した後も、ともちゃんは自宅でゆっくり静養して元気になりました。ともちゃんの吸引の頻度は徐々に減ってきましたが、その頃お母さんが風邪を引いて熱を出してしまいました。お母さんの風邪を再びともちゃんにうつしてはいけないので、お父さんがともちゃんの世話をしたり、冬の風邪ウィルスは高温多湿の環境に弱いとのことから、ずっとお湯を沸かして部屋を加湿したりしました。

 やっとともちゃんもお母さんも全快して、昨日は久しぶりにともちゃんが学校に登校しました。元気になってきたともちゃんは、早く登校したくてしかたがありません。一昨日の日曜日も「学校行こうよ。お出かけしようよ。」と言わんばかりに大きな声でオーオーと文句を言っていましたが、「明日こそ本当に登校できるから。」とお父さんになだめられていました?

 ともちゃんは朝の予定も頑張って早くこなし、スクールバスで登校しました。張切っていた割にはバスで元気がないのが少し気になりました。でも、学校に着くと学校の雰囲気をしっかりと感じとって、声も良く出ていたということでした。今日の授業はともちゃんの大好きな課題別学習です。ともちゃんは感覚遊びを楽しむグループです。トトロの猫バスやシーツぶらんこに乗って、笑顔がたくさん出ていたそうです。

 昨日は3学期のクラス懇談の日にも当たっていて、午後からみんなが他のクラスのお友達や先生と散歩に行っている時間を利用して懇談会がありました。ともちゃんはいつものように昼寝の時間をとってもらって、そのあと吸引をして、いつものようにみんなより遅れて昼食を始めました。お腹が減っているのか、いつになくよく口が開いています。いつものように時間をかければ、ともちゃんはたくさん食べられたでしょう。でも、懇談会のために定刻に給食を終らなければなりませんでした。

 病上がりのともちゃんはみんなと一緒に散歩には出かけず、懇談会場に特別に場所を設けてもらって、先生に抱っこされて午後の昼寝をしました。帰りのスクールバスでも、家に帰ってからも、ともちゃんは空腹なようで口をもぐもぐ動かしていました。それを見てお母さんは今回だけ昼寝時間を早めてもらい、給食を早く始めるようにお願いすれば良かったと反省しました。

 家でおやつのヨーグルトを食べてともちゃんは落着いたようでした。学校に登校できて満足だったのか、お姉ちゃんに学校のことを聞いてもらって嬉しそうにしています。夕食のあと痰が絡んで吸引して、やはり久しぶりの登校は疲れたかなと言いながら寝室にいきました。その夜中、寝苦しそうにするともちゃんを抱っこしたお母さんは、ともちゃんの体がとても熱く感じました。体温を測ると39.7度ありました。

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1999年3月10日(水)

 3月2日の午前2時に39.7度の熱が出たともちゃんは、解熱座薬を入れて朝になるのを待ちました。パルスオキシメータをつけて、動脈血中の飽和酸素濃度が90台前半に下がると痰の吸引をしました。しかし、酸素濃度は一時的に回復しても、またすぐに低くなります。できることなら、寒い夜中に病院の時間外診療を受診しに行くのは止めて、朝になって少しでも暖かくなってから通常の小児科を受診したいと思いました。

 今回も飽和酸素濃度が低くなる原因は痰が絡んでいるためだと分かっています。痰を吸引しても、すぐにどんどん湧いてくるので、余力のないともちゃんに負担がかからないように酸素吸入も行っています。酸素吸入をしていると、しょっちゅう吸引をしなくても済みます。問題は自宅の酸素ボンベが朝まで持つかどうかということでした。

 ともちゃんは自宅に1リットルのボンベを4本持っています。150気圧で充填された1リットルボンベに入っている酸素は、1分間に2リットルの流量で使うと75分で無くなってしまう計算です。でも1分間に1リットルだと150分持ちます。今まで、ともちゃんは酸素ボンベを買ったときに付属品として付いていた酸素マスクを使用していましたが、今回からは鼻カニューレを使うようにしたので今までより酸素の摂取効率がいいようです。

 鼻カニューレは酸素の管の先端を直接鼻の穴に入れて、その両側を頬の上で粘着テープで止めるものです。今まで使っていた酸素マスクは大人用でともちゃんには大きく、ゴムで止めていてもよく外れました。鼻カニューレを使うと酸素マスクのときより酸素の流量を少なくしても、しっかりと酸素が肺に入るようです。これなら朝まで持ちこたえられそうです。

 翌朝小児科を受診し、血液検査と点滴をして帰りました。白血球の値は高かったのですが、体力にはまだ余力があり、今のところは入院しなくても大丈夫のようです。先生は痰が詰まっても家でしっかり吸引していれば、外来で診ていけるでしょうと言われました。両親も今回はいざというときの酸素さえあれば入院せずに乗切れると思いました。

 昼間は親が起きてしっかりと看ているし、ともちゃんも起きていることが多いので、吸引のタイミングを逃すことはないのですが、夜中が恐いのです。酸素ボンベの酸素を交換してくれる業者さんに、昨夜空になった2本のボンベを至急充填してもらうようにお願いし、さらに1リットルボンベを購入したいと伝えました。

 こちらの事情を話すと「10リットルボンベをお貸ししましょうか。」と申し出てくださいました。10リットルボンベは100気圧に充填されていて、酸素を1分間に2リットルずつ流しても8時間、鼻カニューレで0.5リットルにすると33時間も持ちこたえることができます。これだけあれば、一晩は優に安心です。夕方には届けてもらえるようにお願いしました。

 ともちゃんはこの日の午後も解熱座薬とけいれん止め座薬を入れて過ごしました。座薬で熱が下がり、その間に少しでも食事が摂れることは幸いでした。でも、寝室に行く頃には寒気でぶるぶる震えていました。また熱が上がってきたのでしょう。この夜、ともちゃんはお父さんに抱っこされて眠りました。ともちゃんが眠ってしまうと、お父さんもじわじわっとリクライニングの姿勢になり、動物のらっこの親子のように、ともちゃんはお父さんのお腹の上で寝ていました。

 ともちゃんは11時ごろ熱でカーッと熱くなっていたということでした。日付が変わる頃から酸素濃度が下がってきたので、たっぷりある酸素を吸入しながら眠りました。翌朝から熱は下がり出しました。ともちゃんはとてもよく昼寝をしていますが、昼寝の合間に水分はしっかりと補給することができています。吸引も何度もして、お昼には酸素の吸入を止めました。

 それ以降は日にち薬。明け方パルスオキシメータの警報が鳴って慌てて吸引に起きた日もありますが、酸素と吸引とパルスオキシメータの三種の神器を使って、回復を待ちました。その後の受診でも炎症反応が高かったので、抗生剤をしっかりと飲み続けました。発熱から1週間もすると食欲もふつうに戻りました。まだ、吸引は必要ですが、ともちゃんは自宅療養が退屈で早く学校に行きたいようです。今日元気で過せたら、小学部で「6年生を送る会」を開催する明日は登校してみようかと話しています。でも、今回は無理しないで半日だけで早退しましょう。

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1999年3月24日(水)

 この2月、3月はともちゃんにとって本当に大変でした。体調を崩し、やっと治って登校するとまた体調を崩すという繰返しでした。

 前回の風邪が良くなって11日に登校したのですが、このときは大事をとって昼食を食べずに半日で早引きしました。それなのに、翌日の昼食が食べられなくなり体温を測ると38.3度の熱が出ました。ちょうどこの日は病院の予約外来の受診日だったので、点滴をしてもらいました。今度はお腹の風邪ではないかと言われていましたが、熱はもうそれ以上は上がらず、お腹も少し緩くなった程度で治りました。

 残り少ない3学期、20日(土)、23日(火)は連続して登校することができました。学校が好きなともちゃんにとっては貴重な登校日です。ところが終業式の今日、朝起きてからけいれんの気配が強く、朝の予定が進みません。心拍数もいつもより高く出ています。体調の悪くなる前触れだろうかと心配ですが、できることなら遅刻してでも登校させてやりたいと両親は複雑な気持です。

 水銀の体温計で検温すると37.6度、ともちゃんにとっての微熱です。お父さんは「これはあかんわ。休んどき。」と言い残して会社に行ってしまいました。その後、お母さんはひょっとしたら熱がこもったのではないかと思い、ともちゃんの服を少し涼しいものに着替えさせました。昨夜お母さんが眠るときに寒く感じたので、ともちゃんにはしっかりと布団も毛布も着せて、おまけにお母さんが腕枕をしてあげました。そして、朝からは登校に備えて冬と同様の格好をしていました。

 しかし、今日は寒くはなく、お母さん自身はぐんと涼しい服装をしています。お母さんの予想は的中しました。しばらくすると、ともちゃんの体温は平熱に下がりました。けいれんの気配もなくなってきたので、朝の予定も進み始めました。スクールバスには乗遅れたけれど、遅刻しながらもしっかり登校できます。ともちゃんはいつもズボンの下に履いていたスパッツも脱いでぐっと春らしい格好になり、お母さんに抱っこバンドで抱っこしてもらってタクシーで登校しました。

 外に出た時は嬉しそうでしたが、タクシーの中では口の中がネバネバして、少し疲れた顔をしていました。終業式は体育館でありますが、ともちゃんが登校したときにみんながもう体育館に行ってしまっていたら、ともちゃんは体育館には行かずに教室でお母さんがお茶を飲ませて口の中をすっきりさせてあげようと思いました。思ったよりも早く、みんなが体育館に行こうとしているところに到着しました。でも、理由を話して、ともちゃんはみんなが終業式に出席している間、先生と教室でお茶を飲みました。少し教室でゆっくりすると、ともちゃんはまた元気になったということでした。

 3学期の出席はさっぱりでしたが、終業式にはちゃんと通知票を貰いに行くことができました。さて、問題の3年生の出欠の記録は117勝(出席)、103敗(欠席)。2学期に頑張って出席できていたのが幸いして、今年も勝越すことができました。ともちゃんはそろそろ思春期の入口の体調不調の時期にさしかかってきたのかもしれません。4年生になったら、よりいっそう健康に注意して、好きな学校にたくさん行けるようにしたいものです。

 この春休みに、ともちゃんのお友達が2人も転校して行きます。どちらも現在4年生のKちゃんとYくんです。Kちゃんは同じクラスの重複障害のお友達で、ともちゃんが入学したとき最初に気に入ったのがKちゃんの甲高い声でした。Yくんは今年度N養護学校から転入してきたお友達です。ともちゃんのクラスにもよくふらりと遊びに来てくれて、ともちゃんやお母さんを見かけると「ともちゃん、バス何コース?」「ともちゃん、(住んでいるのはマンションの)何階?」とよく声をかけてくれました。(Yくんにはこういう質問をするこだわりがあります。)

 今日も教室ではKちゃんの甲高い声のおしゃべりが聞こえます。Yくんもふらりとともちゃんの教室にやって来て、ともちゃんのお母さんにいつもの質問をして、またふらりと教室を出ていきました。来年度KちゃんやYくんの声が聞えないことは、ともちゃんにも寂しいことですが、新入生が入ってきます。KちゃんやYくんは転居先の新しい養護学校で、ともちゃんは新しいお友達を迎えて、それぞれ元気で新学期をスタートしましょう。

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1999年3月28日(日)

ともちゃんはお父さんの運転する車でお出かけをしました。病院以外のところへ出かけるのは本当に久しぶりのことです。お正月に近くの神社へ初詣に行って以来ではないでしょうか。

 今日はお姉ちゃんのバイオリンの発表会でした。お姉ちゃんはテレビアニメのセーラームーンに出てきたセーラーネプチューンにあこがれて、2年生のときからバイオリンを習い始めました。家ではちっとも練習をしないのですが、教室に行くのは大好きでずっと続けてきました。でも、今春から中学生になるので、この3月でおけいこを止めます。最後の発表会です。

 ともちゃんはお姉ちゃんのバイオリンを聞くのが好きです。お姉ちゃんは発表会が近づくと、さすがに家でも練習を始めました。少し疲れると「ともちゃん、弾いたげよか。」とやって来て聞かせてくれます。ともちゃんはバイオリンの音が聞こえると、しっかりと目を見開いて注意して聞いています。気分が良いとニコニコと笑顔を返していました。昨日は音色が聞こえ始めると「はおん」、「はあーん」と小さな穏やかな声を出していました。お姉ちゃんが間違えて変な音を出したときは、ちゃんと「ぐふふ」と声を出して笑っていました。

 今回の発表会は、毎年夏に行われる教室全体のもの(ピアノが主体)とは違い、お姉ちゃんがバイオリンを習っている先生の生徒さんだけのこじんまりとした家庭的な発表会です。会場も、ともちゃんの家から車で20分程度のところにある公民館の音楽室です。ともちゃんも元気ならぜひ連れて行って上げたいと思っていました。発表会は1時半から3時ですが、お姉ちゃんはリハーサルのために11時に会場に行きたいということでした。

 お父さんがお姉ちゃんを送って行っている間に、ともちゃんは昼寝もして、昼食もしっかりと食べられました。これなら昼からのお出かけも大丈夫そうです。でも、3時まで全部聞くことはともちゃんには負担になるので、途中の休憩時間にでも会場を出て、先に家に帰るつもりで出かけました。

 音楽室にパイプ椅子をならべた会場は、ともちゃんが生の音楽を聴くのにちょうど良い会場でした。会場内は明るく、マイクを通すことなくじかに近くで演奏が聞こえます。ともちゃんは今日は車でどこに行くのだろうと心配していたようですが、会場に着くとうれしそうです。拍手の音が嬉しくて、まず声を出さずに大笑い。それから、聞こえてくるバイオリンと伴奏のピアノの音にもニコニコ反応しています。小さな男の子が「カッコウ」を弾きおわると「ほほー」と声を出して感心(?)していました。

 しばらくすると、ともちゃんは久しぶりのお出かけに疲れてきたのか、表情が無くなってきました。先生のご主人がともちゃんに話しかけて下さったのですが、ぼーっとしていました。おねえちゃんの出番は前半の最後なので、それを聞いたら帰ることにしました。お姉ちゃんの演奏が始まりました。伴奏のピアノの迫力にともちゃんはちょっとびっくり。この刺激でしっかりと聞き出したようです。ともちゃんはお姉ちゃんの演奏中は笑顔が出なかったのに、終った途端「はあーん」とため息と一緒ににやにやしていました。お姉ちゃんが大きな失敗をしないか心配していたのかもしれません。

 帰りの車の中で少し落着くと、ともちゃんに笑顔がたくさん出ていました。発表会を思い出しておもしろかったなあと言っているようでした。本当にいい発表会、ともちゃんにとっても楽しいお出かけでした。

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