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24日(土)
「パジャマを買いに」
25日(日)
「まほら・しろやま」
29日(木)
「しあわせの村」
3日(月)
「花の文化園」
5日(水)
「大仙古墳」
28日(金)
「婦人科病棟に入院」
22日(火)
「側弯」
家の玄関を出た廊下はマンションの棟の隙間なので、風の通り道になっていて肌寒く感じます。それで、毛布も車椅子用の防寒カバーも掛けていきましたが、堤防へ出るとすっかり春の日差しでした。ともちゃんが暑そうな顔をしているので、防寒カバーのファスナーを開けてあげると、気持よさそうににっこりと笑っていました。
堤防は明るく輝いていて、小鳥のさえずりも聞こえました。ツバメも飛んでいました。病院の横の道は桜が満開で、いつも少し上向き加減のともちゃんには、桜の花の向うに青空が見えていたことでしょう。後になって、ともちゃんが散歩に行っている頃に、偶然この病院に3年生のTちゃんが熱で入院していたということを聞きました。
ともちゃんは4年生になりました。ともちゃんのクラス、あすなろ組には転校していった5年生のKちゃんに代り、3年生のTちゃんが入ってきました。ともちゃんの学校では1・2年生、3・4年生、5・6年生と下校のバスの便が異なるので、重複学級のあすなろ組は3年生から6年生までの子供達(今は5年生はいない)で構成されています。担任団の先生方も変りました。
ともちゃんは進級のお祝として、父方のお祖母ちゃんからは明るいオレンジ色のチェックのシャツと白いパーカーをもらい、母方のお祖母ちゃんにはピンク色の地にキティちゃんの模様のフリース地でベストを作ってもらいました。お母さんとお姉ちゃんが買ってきたトレーナと合わせて、ともちゃんの春の装いです。新学期から順番に着ているのですが、先生から「今春はパステルカラーが流行りやね。」と言ってもらっていました。ともちゃんは、本当は流行に関係なくいつもパステルカラーが好きです。
スクールバスにも新しいメンバーが増えました。春休みの間に少し座席の間隔を詰めて、新しい座席が2つ増えました。ともちゃんと同じバス停から乗込むお友達も中学1年のお兄さんが1人増えました。始業式の日からともちゃんははりきって登校しています。ともちゃんが新しいクラスの雰囲気や担任の先生に早く慣れてくれることを祈りながら、先生にともちゃんの状態を正しく伝えたいと思って、ともちゃんに付添う時間が長くなっているお母さんです。
今日は第4土曜日で学校はお休み。天気が良ければ、春休みのように堤防の散歩に出かける予定でした。しかし、残念ながら今日はどんよりと曇っています。日差しが明るくなければ散歩は楽しくありません。それでスーパーにともちゃんのパジャマを買いに行くことにしました。
ともちゃんは夜眠るときも最初はお父さんかお母さんの抱っこで眠ります。寝入って30分くらいすると布団の上に置かれて朝まで眠ります。この頃は、寝入ったときにともちゃんが寝汗をかいていることが多く、これで風邪をひいてしまわないか心配していました。そろそろパジャマも薄手のものに替えた方がいいようです。
スーパーに着くと衣料品のフロアへ直行し、子供パジャマ売り場の真ん中、パジャマが釣り下げられている間にしっかりと陣取りました。通路は狭いので、ともちゃんの車椅子があると他の人は通ることができません。でもこの売り場のお客さんは、ともちゃんの他には1人だけだったので、ゆっくりとパジャマを選ぶことができました。
お母さんはやはりキティちゃん柄に目がいきますが、ともちゃんのサイズがちょうど売り切れています。仕方なくお母さんが他の模様を探していると、お父さんが「珍しい緑のキティちゃんがあったで。」とメロングリーンの地色でキティちゃん模様のパジャマを見つけました。緑色の地色なのでかえるのケロッピの柄でも付いているのかとお母さんもお姉ちゃんも無視していたものです。
初夏の新作なのでしょう。サイズも揃っています。初夏らしくさわやかなキティちゃんです。お父さんがともちゃんの目の前にパジャマを掲げて「これにしよか。」と聞くとともちゃんも満足そうにしています。そしてもう1枚、今度はピンク地のパンシェルのパジャマも買うことにしました。「自分でパジャマ買うねんなあ。すごいなあ。」と言いながら、ともちゃんの膝の上にパジャマを置いてレジまで行きました。
お姉ちゃんもここでTシャツを買いたいといいます。ともちゃんも選ぶのに付合って、車椅子で両側に洋服の釣り下げられた狭い通路を行くと、ちょうどともちゃんの腕に洋服が次々に触れます。その感触がおもしろいのか、ともちゃんはにこにこしていました。帰り際には、久しぶりに家族でプリクラを撮りました。
久しぶりのお出かけ(なにせ、昨年度の3学期はともちゃんが体調を崩していたので、遊びに関しては何もかもが久しぶりです)で、家族みんながわくわくしています。後部座席にお母さんが横向きに片膝を立てて座り、ともちゃんの座位保持椅子の形を作りました。最初ともちゃんはお母さんの椅子の中に収まり、お母さんの手でしっかりと支えてもらって、お姉ちゃんと並んで進行方向を向いて座りました。お姉ちゃんにくっつかれ、ほっぺたを擦り付けられてニコニコしています。
高速道路に入ったので、お母さんが前を向いて座り、ともちゃんをしっかりと抱っこしました。そのうちにともちゃんは眠ってしまいました。ともちゃんが眠っている間、少し道に迷ってしまいました。そうこうするうちに古墳らしきものが見えましたが、今度は車を止めることができず、同じ道をぐるぐると回っていました。ともちゃんが住んでいる街のような住宅や小さい工場が密集している地域の中に、突然緑の丘が現れるのです。
住宅の間の狭い道を通って、古墳とその側にある神社に辿り着くことができました。そうするとまほら・しろやまも目の前にあるではありませんか。ともちゃんも目が覚めたので、まずはみんなでまほら・しろやまに行きました。展示館は一部屋だけのごく小さいものですが、完全にバリアフリーの構造で車椅子でも楽々と見学できました。最近できた施設はバリアフリーのものが多く、ともちゃんにはうれしいことです。
小さい展示館ですが、見学者が次々に訪れています。この近くの方が多いようですが、中には遠くから来た考古学マニアとおぼしき風采の方も居られました。お姉ちゃんは館長さんにどこから来たのか聞かれたそうですが、ともちゃんも遠方から来たほうでしょうか。まほら・しろやまの前から古墳の周りに遊歩道がついていて散歩コースになっています。展示館の前で館長さんにカメラのシャッターを押してもらってから、散歩をしました。
花は咲いていませんが、菖蒲園なども作られていて最近整備されたようです。¢お出かけでお散歩楽しいなあ。」とともちゃんに話しながら遊歩道を行きました。ともちゃんも良い表情をしています。いつもの散歩道もいいものですが、初めてのところを散歩するのは次は何があるかなという未知の面白さがあります。「あひるがおるで。」とか「花がきれいやなあ。」などの話しかけにともちゃんもにっこりしていました。
丘陵の周りをぐるりと半周して、丘陵の上にも登ってみようかと思いました。お姉ちゃんに先発隊として様子を見てきてもらうことにしました。でも、登って行くお姉ちゃんの様子を見ていた両親には、道が険しくて車椅子では無理なことがすぐに分かりました。残念ですが、丘陵には登らずに引き返して、神社の入り口まで戻りました。曇っていても楽しいお出かけでした。
連休やお盆、お正月のように世の中全体がお休みのときは、ともちゃんのお出かけの前にお父さんが道路渋滞予想を立てて、渋滞に巻き込まれない方面にお出かけするようにしています。今日もお父さんがしあわせの村へ行く道を考えて、行ってみようということになりました。ともちゃんの体調もいいので、いつものペースト弁当を持って行くことにしました。
朝、お父さんやお母さんが出発の用意をしている間、お姉ちゃんがともちゃんの相手をしてくれていました。お姉ちゃんに「今から修学旅行の下見に行くなんて、気が早いなあ。」といわれて、ともちゃんは笑っています。外はいいお天気なので、冬の間は外していた日傘を車椅子に取りつけました。
阪神高速湾岸線と神戸の山麓バイパスを経由して行ったのですが、予想通り道は空いていて、予定通りにしあわせの村に着きました。日差しは暑いのですが風がさわやかです。山の中なので新緑が美しく、空気が澄んでいます。とても気持ちのいいところです。行きの車で少し眠ったともちゃんは元気に散歩のスタートです。とはいっても、広大なこの村内のどこに何があるのかわかりません。案内図を見て、まずは日本庭園に行ってみることにしました。
遊歩道を通って池の周りをまわったり、坂道を登ったりで、日傘をさしていてもともちゃんに時折日が当たります。ともちゃんは車椅子に伝わる振動と日光が気になるようで、日陰になるとにっこり。小高い山の上では日傘を外して、ともちゃんの頭の上の新緑をお母さんと一緒に眺めました。日光が透けて黄緑色に見える葉っぱがすがすがしく、ともちゃんには黄緑色の空に見えたことでしょう。
村内にリハビリ病院があるせいか、杖をついたり、車椅子で散歩をしている人たちを多く見かけます。かといって、障害者やお年寄りばかりではなくて、家族連れもどんどんやって来ます。ローラーブレードに乗った子供や村内をサイクリングしている家族もたくさんいました。身体障害者も、走り回る子供たちも競合することのないゆったりしたところがこの村の魅力です。
宿泊棟を始め村内の中心部にある建物は一通り覗いてみました。その中で福祉機器を展示している建物がありました。ともちゃんの生活に役立つものはないかと立ち寄ってみました。係りの人が「おはようございます。」と挨拶してくれ、両親が挨拶を返すと、ともちゃんもタイミングよくニコニコして「ああー。」と挨拶していました。福祉設備満載のモデルルームがあって、車椅子を乗せたままでたたきの一部が昇降する玄関には驚きました。
ともちゃんのお弁当は宿泊棟の2階のレストランで食べました。1時間以上車椅子に乗って散歩をしていたので、ともちゃんはこの姿勢に疲れてきたようです。ベビールームのベッドで紙おむつを替えた後、お父さんの抱っこでレストランまで移動しました。11時の開店を待って入ったので、店内はがらがらでゆっくりと食事ができました。空いていたから良かったのですが、もし混んでいたら車椅子を置くスペースがなかったような気がするのが、ちょっと残念です。
帰り道は別の道、阪神高速北神戸線・神戸淡路鳴門自動車道・第二神明道路・阪神高速神戸線を経由して帰りました。しあわせの村を出るとき高速の入り口を見逃して、一つ向こうの入り口から入ったのですが、道は空いていて、家には1時半に到着しました。ともちゃんは帰りも車の中でぐっすりと眠っていました。帰り道、道路標識に「徳島」とあるのを見て、お母さんは明石海峡大橋の近くまで来ていることを知り、感激しています。いずれは明石海峡大橋も渡ってみたいものです。幸先の良いゴールデンウィークのスタートになりました。このあとはともちゃんはどこへお出かけできるかな。
しかし、中国道も工事渋滞との標識が出ています。しかたなく高速道路をいったん下りて明石海峡大橋を目指すことにしました。高速道路は渋滞でも、一般道は混合いながらも車は流れていました。お姉ちゃんは後部座席でさっさと眠ってしまいました。両親はともちゃんと「明石の天文台まで行ってみたらどうや。」とか「舞子浜に海浜公園ができたそうやから、そこを散歩したらどうや。」などとすっかり明石に着いた気分です。そのうち、ともちゃんも眠ってしまいました。
順調に進んでいた大阪中央環状線でしたが、国道176号線に入り池田から宝塚を目指すころになると車が増えだし、渋滞になってしまいました。隣を走る中国道はと見ると一応流れているではありませんか。悔しがっている間もなく車の流れが完全に止まってしまいました。この先には宝塚ファミリーランドがあるので、中国道を迂回した車とファミリーランドへ向う車で混合っているのでしょうか。このままではどうしようもありません。思い出したように1mずつ進む中、路線バスが先の信号を左折するのが見えました。とりあえず、それをまねてこの渋滞を脱出しました。
7時半に家を出発して、いくらも来ていないのにもう10時を過ぎています。遠くまで行くのは諦めました。でもせめてもお出かけしたと言う気分になるために、海がみえる甲子園浜海浜公園に行ってみようということになりました。お父さんは西宮で育っているので、幼稚園のころこの浜で泳いだことがあるそうです。渋滞中に目覚めたともちゃん、「琵琶湖に行くん?」と寝とぼけて起きてきたお姉ちゃんに行先変更を告げて、お父さんが通っていた中学校の横を通って、海浜公園の駐車場に着きました。
運良く駐車できましたが、ここも人でいっぱいでした。海水浴シーズンのような人出です。公園内では至る所にテントがひしめいていて、みんなバーベキューをしに来ているのです。ともちゃんは車椅子で散歩をしました。日差しは暑いのですが、風が吹くと気持がよく、ともちゃんも笑顔がでます。海浜公園は埋立て地にあるのですが、そこと陸地を結ぶ橋を渡って、甲子園浜の海(水は黒く汚い)や船を見ました。あっちこっちから漂うバーベキューの匂いを嗅ぎながら公園内も散歩しました。
公園を散歩した後、混み出す前にファミリーレストランに入りました。ともちゃんの体調が良いときしか家族揃って外食できないので、一家でファミリーレストランに行く(ともちゃんはいつもおかゆペースト弁当持参です)のは大きな楽しみです。ところがかわいそうなことに、ともちゃんはしゃっくりが出てしまいました。しゃっくりが出ているときに飲食すると誤嚥して危険なので、いつもしゃっくりが止るまで待っています。
今回もゆっくり食べたり、追加オーダーをしたりして、ともちゃんのしゃっくりが治るまで家族で時間を稼ぎました。この辺はお父さんにとっては土地勘のあるところですが、こんなところにこんな建物があったかなというところがいくつもありました。震災で街並が新しくなったのかも知れません。行きは3時間以上かかったのに、帰りは阪神高速神戸線を通り45分で家に着きました。渋滞(名神高速)、渋滞(中国道)、また渋滞(国道176号線)の1日でした。
一般の駐車場は園内から少し離れたところにあるのですが、係の人に身障者手帳を見せると入口のすぐ側の駐車場を教えて下さいました。入口のゲートを潜ると装飾花壇の色とりどりの花の美しさにまずは感激しました。ともちゃんに「見てみ、お花がきれいやなあ。」と話しながら、どんどん進んでいきました。
ここもバリアフリーの構造で花壇の階段にはすべてスロープが着いていて、花を少し上から見下ろしたり、少し見上げたりと様々な角度から眺めることができます。車椅子で、いつも上を向きかげんのともちゃんの視界にも様々な花の色が目に入ってきたことでしょう。花の香りもしています。
ハーブ園のベンチで持参のお茶を飲んだ後、温室に入りました。ここには、車椅子用のエレベータがありました。温室の中も美しい珍しい花がいっぱいでした。目の前に植物が迫っているのですが、むわっとする空気をともちゃんは不快に感じたのか、元気がありませんでした。ともちゃんが大喜びをしたのは温室の裏から続く遊歩道を山の上まで登っていったときです。
遊歩道は舗装されていない山道で、階段はありませんがさすがにここはバリアフリーというわけにはいきません。かなり急な坂道や、道幅が狭い上に坂道の真ん中が雨水で削られて凹凸が激しいところもあります。歩行者にはそれほど厳しい道ではありませんが、車椅子を押して上り下りするのは大変です。特に、ともちゃんの車椅子は長さに比べて幅が狭く、横転しそうで怖いのです。
特に下りは怖いので、先導がお姉ちゃん、お父さんが後ろ向きに足で踏ん張りながら車椅子を引張って、お母さんがともちゃんと向い合って車椅子が横転しないように肘置きを両手で押えて車椅子を移動させました。ともちゃんはガタガタ道をみんなで踏ん張りながら行くのが楽しいようでした。
ともちゃんはでこぼこ道の振動も大好きです。日傘ではなくて、木の葉によって日陰ができている緑に明るく輝く空も大好きです。梅園の上を通り、椿園まで下りてきました。ともちゃんに「もう下に下りてきたよ。冒険はおしまい。」というと満足したのか、どひゃひゃと笑っていました。
身体障害者用の駐車場の横に花摘み園があります。今はポピーがきれいです。着いたときには帰りに寄って帰ろうねと約束していたのですが、ともちゃんも疲れてきているし、時間も予定をオーバーしています。花摘み園に寄らずに帰ろうか迷いました。お父さんがともちゃんに「お花積みますか?」と聞くと、ともちゃんはタイミング良く大きな声で「ああー。」と返事をしました。花を摘むことに決定です。
ともちゃんはお父さんに抱っこされてお花畑に入り、大きく咲いているきれいな花を、黄色、ピンク、オレンジ、薄いオレンジ、白と5本選んで、お姉ちゃんに切ってもらいました。お姉ちゃんも自分で選んで切っていました。1本20円で花束にしてくれます。遅くなるのを心配していたレストランも、12時になるまでに入ることができました。ともちゃんは興奮したのか、レストランでも大きな声をだしてお話ししていました。
ともちゃんはこのところ色々な古墳を散歩のために訪れていますが、世界最大のお墓である大仙古墳には一度も行ったことがありません。明日から学校も始まるので、昼食は家に帰ってからという予定にも、大仙古墳はちょうど良い距離にあります。
さすがに世界最大だけあって、今までの古墳とは桁違いの大きさです。古墳の中は宮内庁の管轄で入ることができないのですが、お堀の外周に沿って一周2.85キロのウォーキングロードが整備されています。塀の中の森を眺めながら、このウォーキングロードを散歩してみることにしました。
前方後円墳の手前の四角の底辺からスタートです。ともちゃんは日傘をさし、少し風が強くて肌寒いので毛布を掛けて行きました。底辺から斜辺に曲る頃は、ウォーキングロードの向いは公園になっていたり、大学があったりで、いかにも古墳のまわりを散歩している感じです。ともちゃんも木陰にはいると笑顔が出ていました。
しかし、斜辺から後円の円の部分に入るととても古墳のまわりを散歩しているという感じではありません。一応カラータイルで舗装されているのですが、街中の照返しの強いアスファルト道を歩いているようです。柵の向うの堀も茂みも、古墳だと知らなければ何なのか分かりません。
広い道路の横を通っているとき、ともちゃんは大声を出して、顔をしかめました。お父さんもお母さんも気付かずにてくてく歩いてきましたが、ともちゃんは毛布を着たままで暑かったのです。「ともちゃん、気が付かずにごめん。」と謝って毛布をはぐとともちゃんは落着いたようにみえました。
最後は住宅地の横の長い直線コースを通って、前方の底辺に戻ってきました。2.85キロ完走です。でも、ともちゃんは元気がありません。少しからだが熱いような気がします。唇も乾いているようです。車で少しお茶を飲んで家に帰りました。
家に帰って体温を測ると38.2度です。とうとう熱が出てしまったかとお母さんはお出かけを後悔しました。でも大丈夫でした。涼しい格好になっtメロンジュースを飲むと、たちまち37.5度に下がりました。暑かったので、熱がこもったようです。もうすっかり新緑の季節です。ともちゃんもいつまでも春先の格好ではかわいそうでした。
肺炎の発端は5月12日の夜でした。眠りが浅く13日の朝は微熱があって、学校へは「ひょっとすると熱がこもった(ともちゃんは体温調節が苦手なので、暑くなってくるとそれだけで体温が高くなることがあります)だけかもしれませんが、今日は家で様子を見ます。」と連絡しました。
13日の午前10時には39度になりました。いつもの病院へ行って診てもらいましたが、この時は風邪だろうということで点滴を打ってもらって帰りました。またしばらくは、吸引とパルスオキシメータと酸素吸入のお世話になって通院治療で乗切ろうと覚悟を決めました。しかし、それから40度以上の高熱が3夜続きました。
夜の吸引も今までとは少し様子が異なりました。今までは、血液中の飽和酸素濃度が下がっても、しっかりと吸引すれば明らかに痰が取れて、飽和酸素濃度がめきめき回復したのですが、その手応えがありません。胸のもっと奥のほうに痰が絡んでいるようで、痰がたくさん吸えるということもなく、飽和酸素濃度も目覚しく回復するわけではありませんでした。酸素の流量を時には1分間に5リットルまで増やして過しました。
ともちゃんは食欲も無くなり、通院で点滴をしてもらっていました。16日に点滴に行ったときに、昨日行った血液検査の炎症反応(CRP)の値が9.5と高くなっていると言われ、入院することになりました。この日のレントゲン撮影の結果では、肺炎を起こしているとのことでした。
けれども小児科病棟は満室で、空いているのは婦人科病棟の個室だけということでした。この個室には専用の流し台やトイレが付いているので、お母さんがともちゃんの側をほとんど離れなくて済みます。その上、夜の7時ごろには消灯して静かにして欲しいともちゃんの生活リズムも崩さなくて済みます。今回はこの個室で頑張ることにしました。
点滴で抗生剤を入れるようになって、16日の夜を最後に40度以上の高熱は治まり、熱も順調に下がりました。うれしいことです。しかし、熱が下がった後も血液中の飽和酸素濃度が下がらないように注意深く吸引するのが大変でした。家でもそうだったように、痰をすっきりと取り去ることができません。特に夕食後寝るまでの間は厳しくて、吸引をしても酸素吸入をしても飽和酸素濃度をなんとか90%台にすることがやっとという日もありました。
気管支の奥のほうにある痰を上のほうに浮き上がらせることが重要でした。生理食塩水での加湿やタッピング(トントンと胸や背中をたたいて痰を浮かす)もしました。ともちゃんが息を吐くのに合せて胸を押し、人工呼吸のように呼吸を補助してしっかり空気を出し、奥に詰まっている痰をはがすようにすることも教わりました。
ともちゃんが息を吸ったり吐いたりするたびにバリバリ、バリバリという音が聞こえて、お母さんの手には振動が伝わってきます。今までの風邪のときの痰とははっきりと違うことが分かりました。しかし、これも日が経つにつれて、落ち着いてきました。痰も今までのように吸引できるようになり、飽和酸素濃度も酸素吸入なしで90%台後半を維持するようになりました。
今回、婦人科の病棟に入院して、ともちゃんにはうれしいことがありました。お姉ちゃんが病室に来てくれたのです。小児科病棟ではお互いの感染を予防するという目的で15歳以下の子供は病棟に入ることができないのです。お姉ちゃんが来てくれたのは退院が目前になった日曜日でした。ともちゃんも随分元気になりました。家でいつもしているように、ともちゃんの横にお姉ちゃんがごろんと寝転がって相手をしてくれると、ともちゃんはにこにこの笑顔でした。
ともちゃんにとって、家とは違う場所に出かけるということは、それだけでもいい刺激になるし、疲れる原因にもなります。少しぐらいの不調では好きな学校を休むのは忍びないし、登校した方が生活にメリハリもつきます。かといって長い時間学校で過すとともちゃんには負担になります。それで、午前中だけの登校で11時過ぎにはタクシーで早退することにしています。欠席とこのような出席の繰返しが、もう2週間も続いています。
この間に遠足となかよし運動会がありました。遠足は欠席したのですが、なかよし運動会は少しだけ参加しました。なかよし運動会はともちゃんの住んでいるM市の養護学級と府立M養護学校に通う子ども達の運動会です。昨年までは養護学校からは学校行事として参加していたのですが、今年は他校(養護学級)同様自由参加となりました。
なかよし運動会の会場となる市立体育館は、ともちゃんの家と養護学校のちょうど中間にあります。お父さんの運転する車で体育館まで往復しても、ともちゃんには負担にならないでしょう。でも長居は禁物です。活気溢れるにぎやかな体育館の雰囲気の中では、ともちゃんは学校より体力を消耗するでしょう。自分で動くことはできなくても、全身でその場の雰囲気を掴もうと神経を使っているのです。運動会も10時の開会から1時間だけ参加することにしました。
開会式やラジオ体操の後は、個人走、大玉ころがし、障害走とともちゃんが参加できる種目が続きます。いつもの車椅子は折畳んでもタクシーのトランクには入らないので、登校して早退するときに学校に置いてきています。それで、以前使っていたバギーでの参加になりました。個人走ではお父さんと、障害走はお母さんと出場しました。大玉ころがしはお母さんがバギーを押して、ともちゃんが大玉を右足で蹴って(ピンと右足を突っ張って)、先生がそれに合わせてボールを転がしていきました。
車椅子に比べて、バギーの方が座面が低く、ともちゃんが足をピンと突っ張ったときに、ちょうどうまく大玉の中心を蹴ることができるのです。以前もともちゃんはこのバギーに乗って、上手に大玉を蹴っていました。車椅子ではこうはうまくともちゃんの足が大玉の中心には触れません。思いがけない幸いでした。
ともちゃんも久しぶりに右足に大玉が当っている感触をしっかりと味わって、大玉ころがしに参加していることが分ったでしょう。折返し点を過ぎる頃には、先生とお母さんとともちゃんの3人の息もぴったりと合ってきました。大玉ころがしではともちゃんは緊張した顔つきでしたが、他の場面ではキョロキョロと天井を眺めたり、すこし笑顔がみられることもありました。地域の小学校の養護学級のお友達とも久しぶりに挨拶をして、有意義な1時間でした。
翌日、学校で教頭先生から「ともちゃん、上手に大玉蹴っていたなあー。」と誉めてもらいました。
これに気付いてから、意識して左側を下にして寝かせていました。しかし肋骨が変形する以前から左右差のあるともちゃんは、横向きに寝かせても同じ姿勢では寝てくれません。左側を下にすると、ともちゃんは横向きで長時間過せず、うつ伏せになりそうに半分潰れてしまいます。今は左向けでも潰れないようにと、お姉ちゃんが作ってくれた抱き枕を使っていますが、抱き枕を向こうへ押しやって、潰れているときもあります。
もっと大きな左右差にお母さんが気付いたのは、5月の入院の後です。抱っこしているときに左右の横っ腹(一番下の肋骨と骨盤の間)の硬さがはっきりと違うのです。抱き方のせいかなと思って左右を反対にしてみても、やはり右側はふにゃふにゃでやわらかいのに、左側はかちかちに硬くなっています。背骨の横を走る筋も左側だけがいつも張っています。
身体の筋緊張の左右差が進むということは、側弯がひどくなっているのではないかという心配がありました。今日は待っていたリハビリの病院の整形外科の診察日です。レントゲン写真を撮りましたが、やはり側弯は進んでいました。ともちゃんには胸部では右に凸、腹部では左に凸というS字型の側弯があります。腹部の変形がひどくなっていました。
側弯は身長がどんどん伸びるころにひどくなると聞いています。ともちゃんの学校のお友達の中にも側弯の出ている人がいます。側弯が進むと骨の変形だけではなくて、内臓にも悪い影響を及ぼしてきます。学校に来られた小児科の先生から、ともちゃんのように脳の中の松果腺という部分が欠落している子供は側弯が生じるものだと聞きました。しかし、リハビリの訓練や日常生活のちょっとした注意で側弯の進行を遅らせることができるのならば、頑張っていきたいと思います。
整形の先生からは、一番下の肋骨と骨盤の間の距離が左より右の方が短くなっているので、なるべく右側を伸ばすようにと言われました。現時点では側弯による痛みも内臓への影響もないだろうということでした。それと以前から脱臼している左の股関節も、脱臼による痛みはないだろうと聞いて、ちょっと安心です。学校にもレントゲン写真を持って行って報告しておきましょう。