ともちゃん の日常14


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1999年6月22日以前(ともちゃんの日常13へ)

1999年6月

25日(金)
「コアラの5班」

1999年7月

5日(月)
「おふろでちゃぷちゃぷ」

18日(日)
「念願の琵琶湖博物館」

25日(日)
「大阪空港」

30日(金)
「やっぱり夏娘」

1999年8月

2日(月)
「ドレミファ・ショー」

6日(金)
「新幹線に乗ったよ」

9日(月)
「橋を渡って淡路島」

12日(木)
「今度は明日香村」

31日(火)
「楽しかった夏休み」

1999年9月以降(ともちゃんの日常15へ)


1999年6月25日(金)

 今年の3月、ともちゃんのお姉ちゃんは小学校を卒業しました。4月になって、ともちゃんが地域の小学校の前のバス停でスクールバスを待っていたとき、昨年お世話になった先生とお会いしました。先生の方から「お姉ちゃんが卒業したので小学校の行事のスケジュールが分りませんね。誰かに学校だよりを届けてもらうようにしましょう。」と言って下さり、それ以来毎月ともちゃんの家のポストに学校だよりが届けられています。とてもうれしいことです。

 今日、今年度初めての交流学習がありました。縦割り班活動で班に分かれて教室でゲームを楽しみます。ともちゃんは今年は「コアラの5班」にメンバーとして入れてもらっています。ともちゃんの養護学校の担任の先生は天気を心配しておられましたが、完全防雨(雨よけのビニールカバー付き)の車椅子に乗っているともちゃんにとっては、天気よりも体調の方が心配です。何といっても、昨年度最後の交流では体調が不良で、行ってすぐに帰ってきたのですから。

 心配した通り、朝大きなけいれん発作がありました。交流は11時からですから、それまでにともちゃんがぐっすりと眠って元気を取り戻せば参加することにしました。久しぶりの小学校ですから、できるだけ参加したいという思いでした。ともちゃんは1時間ぐっすりと眠り、朝の予定もすべて終りました。もうひとつ元気はなく、目つきはとろんとしていますが、交流に出かけました。

 今回は少し早めに小学校に着くようにしました。ともちゃんは慣れない場所へ行くと、それが分るために緊張してしまいます。久しぶりの小学校も、きっとともちゃんにとっては緊張する場所でしょう。しばらくして、緊張感が取れて、ゆったりと楽しい雰囲気を受け止められる心の余裕がともちゃんの中に生まれてから、ゲームに参加できたらいいなあと考えたのです。学校の門をくぐると、ともちゃんをよく知ってくれているお友達が声をかけてくれました。ともちゃんは養護学級に行って、しばらくそこで過しました。

 コアラ班の教室に移動して、ゲームに参加することになりました。ゲームの内容は「宝さがし」と「リーダー当て」で、すべて6年生の班長さんたちが企画進行しています。ともちゃんは車椅子から降りて、おかあさんの抱っこで参加しました。「宝さがし」では教室内に隠されている宝のカードを探します。

 ともちゃんを抱っこしたお母さんはともちゃんに声をかけながら、カードを探しました。その間ともちゃんはまだとろんとした顔つきで、あまり反応はありませんでした。当たりや大当たりのカードを見つけた人には折り紙で作ったきれいなくす玉が賞品としてもらえます。先生の協力もあって、宝のカードは3枚も見つけたのですが、全部はずれのカードでした。でも、ともちゃんは特別にくす玉を2つもらいました。

 次は円形に座って「リーダー当て」をしました。円形にすわっている人の中から1人リーダーを決めます。リーダーがする動作(手をたたいたり、膝をたたいたり)を他のみんなはまねします。リーダーは時々動作を変えるので、みんなは間違わないようにリーダーのすることを良く見ていなければなりません。この様子から鬼はリーダーが誰かを言い当てるのです。

 ともちゃんはお母さんに抱っこされて、お母さんに手を取ってもらってリーダーの動作をまねていました。すると、隣に座っていた5年生のお友達が自然にともちゃんの手をとってくれて、やさしく動かしてくれました。ともちゃんも力をぬいていました。ともちゃんは「リーダー当て」の途中でいっとき、らんらんと目を輝かせて、しっかりとあたりを見回し、ニヤリとしましたが、この状態は長くは続かず、またふぁーああと大きなあくびをして、とろんとしていました。

 今回もいろいろと楽しい企画に参加させてもらって、友達とふれあったり親切にしてもらったりできました。ともちゃんも元気なときに出る満面の笑顔をみんなに返せるようになればいいのになあと、お母さんは思いました。いつか、交流でも以前のような笑顔をみんなに見せられるように、元気になりたいと思います。

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1999年7月5日(月)

 7月に入り、ともちゃんの体調は落着いてきて、遅刻、早退せずにスクールバスで登下校できるようになりました。雨が降るとぜろぜろと痰がからみやすくなったりすることもありますが、久しぶりの晴天で出かけた散歩では、以前のような爛々とした目の輝きも、満面の笑顔も戻ってきました。

 今学期のともちゃんの課題別学習は「おふろでちゃぷちゃぷ」というテーマで行っています。課題別学習というのは、学年によらず発達段階が同じ程度の友達でグループを作り、同じ課題に取組むというものです。かず・ことばの勉強をしているグループもありますが、最も障害の重いともちゃんたちバナナグループは、皮膚刺激や揺れ遊びが中心です。

 昨日の連絡帳に今日の課題別学習では本当にお風呂に入りますので、水着を持ってきて下さいと書いてありました。ともちゃんの養護学校のどこにお風呂があったんだろう、どんなお風呂だろうと思いながら、お母さんは見学するのを楽しみに行きました。お風呂は高等部棟にある和室の奥にありました。ここは生活訓練室と呼ばれていて、流し台・食器棚・冷蔵庫・タンス・家庭用のお風呂などが備えられた身辺自立のための訓練をする部屋です。

 奇しくもこの部屋は小・中学部棟が建設中の時には板の間で、ともちゃん達が教室として使っていた部屋です。いつものグループ学習の部屋で軍手や刷毛、スポンジなど様々なもので皮膚刺激をした後、ともちゃん達は生活訓練室にやってきました。ぷーんと畳の匂いがします。何か楽しそうと感じたのか、ともちゃんは目を爛々とさせてニコニコしています。

 残念ながら天気が悪く、水着になるには肌寒かったので、服を着たまま足にだけお湯をかけることになりました。一人の先生がシャワーやじょうろを持って湯船に入り、もう一人の先生は湯船に向って子供を抱いて、洗場においたテーブル用の椅子に座ります。子供達は順番に風呂場に連れて行ってもらって、足にお湯をかけてもらいます。ともちゃんは車椅子で脱衣所まで入ったときもニコニコとうれしそうにしていました。

 けれども、実際に先生に抱っこされて、足にシャワーのお湯をかけてもらったときは目を見開いて、ンと口をつぐんで困惑した表情になりました。読み聞かせてもらった絵本の言葉を繰返してもらいながら、足に石鹸を塗ったり、シャワーをかけたりしてもらったのですが、ずっとこの表情でした。実はともちゃんは、家でもお風呂につかるのは好きですが、洗うのは嫌いなのです。

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1999年7月18日(日)

ともちゃんは、とうとう念願の琵琶湖博物館に行くことができました。去年の夏休みと今年のゴールデンウイークに琵琶湖を目指して出発したものの、2回とも名神高速道路が渋滞していて行き着くことができませんでした。そこで、夏休みに入って琵琶湖への人の流れが多くなる前に、もう一度行ってみようということになりました。今日は小雨も降っていますから、なおさら琵琶湖に向かう高速道路は空いているでしょう。

 でも、ともちゃんの家が借りている駐車場には屋根がないので、雨が降っていると車に乗り込むときにともちゃんが濡れてしまいます。車椅子には屋根を取り付けて、その上からビニールの雨カバーを被せているので、車椅子に乗ったままならともちゃんは全く濡れずに移動できます。スロープ付きのスクールバスは車椅子のまま乗込めるので問題はありませんが、自家用車ではそうはいきません。近くの高速道路の高架下までお母さん、お姉さんと一緒に車椅子で行って、お父さんが移動しておいた車に乗込むことにしました。

 予想通り名神高速は空いていて、以前は京都南インターまで3時間余りかかったというのに、今回は栗東インターまで45分という表示が出ていました。名神を下りてからは水田の中の道を走り、琵琶湖岸の道路を走って博物館につきました。お父さんは駐車場の係りの人に教えられた車椅子用駐車場(一般の屋外駐車場の一部)に車を止めて、小雨の中をともちゃんが濡れないように苦労して博物館までの坂道を急ぎました。

 開館前に着いたので、しばらく入口に前で待っていました。あたりを見回すと、博物館の建物のすぐ横に障害者用の駐車場があるではありませんか。その上、屋根のあるところまで車を乗入れることもできるのです。お父さんは「最初からここを教えてくれれば良かったのに。」と文句を言いながら、帰りにそなえて車を移動させました。

 ともちゃんは久しぶりのお出かけがうれしくて、気分が高揚しています。昨日から「明日は琵琶湖までお出かけしよう。」と家族みんなに言われていたので、ワクワクしていたのでしょう。最初の展示室である琵琶湖の歴史をテーマにした部屋では、「ともちゃん、こんな石あるで。さわってみ。」「ぐはは。」「おおきな骨やなあ。」「ぐひょひょ。」とちょっとしたことで笑っていました。

 展示物を見ていくうちにともちゃんの興奮は落ち着いてきて、お父さんと一緒に化石堀りのパソコンシミュレーションをやったり、昔の人々の暮らしの展示を見たりしました。床に琵琶湖から大阪湾までの淀川に沿っての航空写真が敷き詰められている展示室では、ともちゃんの家を探しました。昭和30年代からの生活用品が展示されているコーナーでは、お父さんとお母さんが喜んで騒いでいました。

 琵琶湖博物館で期待していた展示の一つが淡水魚の水族館です。ドーム型の水槽の中を通ることができるので、ともちゃんにも琵琶湖の中の雰囲気を感じてもらえるかなという思いがあったのです。でも、家族みんながそれぞれに盛りだくさんな展示を楽しんだので、最後の水族館まで来たときは、ともちゃんは少し疲れた表情でした。ドーム水槽の中は「ともちゃん、魚のお腹とお尻が見えてるねえ。」と言いながら、ゆっくりと通ったのですが、ともちゃんは以前の海遊館で見せたような不安そうな緊張感はなく、リラックスしていました。

 ともちゃんが疲れてきたので、後は展示の横を素通りしました。今日は雨なので同じ敷地内にある水生植物園も見るのは止めにしました。また、秋になったらこの博物館に来て、今度は魚を見たり、植物園を散歩したりしましょう。車の中でともちゃんはすぐに眠り、大津サービスエリアでお粥弁当を食べました。楽しいお出かけでしたが、この方面への高速道路が混雑する夏休みの間はしばらく琵琶湖とはお別れです。

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1999年7月25日(日)

今日はともちゃんの10歳のお誕生日です。大阪の街は天神祭りで賑わっていますが、ともちゃんは大阪モノレールに乗って大阪空港に飛行機を見に行くことにしました。関西空港ができてから大阪空港の国際線搭乗口は閉鎖されていたのですが、旧国際線ロビーを改装して国内線専用の空港として新しく生まれ変わったとテレビで紹介されていました。ともちゃんのお姉ちゃんは、赤ちゃんの頃から出張に行くお父さんの見送りに来たり、お父さんの会社の人の見送りに一緒についてきたりして、何度も大阪空港に行ったことがあるのですが、ともちゃんは始めてです。

 モノレールにゆっくりと乗り込めるように始発駅まで車で行きました。エレベータで2階のコンコースに上がるとき、ともちゃんはニコニコとうれしそうにしていました。エレベータの中に鏡があって中が明るく感じられたのが、よけいワクワクする気持ちを生んだのでしょう。改札を通るときは、緊張したときに起る舌根沈下のための「ンガー」という呼吸音をさせていたので、ともちゃんはやっぱりこれから何かが始まるんだと期待しているようです。

 始発駅からモノレールに乗車したので、車椅子スペースに車椅子を止めて、ともちゃんはお母さんの抱っこでゆっくり座席に座ることができました。けれども、モノレールは思ったよりずっと混んでいました。座席ではお母さんが横向けに座り、足でともちゃんの座席を作ってあげました。ともちゃんはお母さんの足の中に入って、お母さんは両手でともちゃんを抱えています。ともちゃんは窓際の席でちゃんと進行方向を向いて座ることができました。

 途中、モノレールからともちゃんのマンションが見えます。以前遠足で行ったエキスポランドも見えます。様々な景色の移り変わりに応じて、家族のみんなが話し掛けるのですが、ともちゃんは緊張したような疲れた表情で、あまり興味を示してくれませんでした。大阪空港の2つ前の駅に着いたとき(このときは少し空いてきていたので)、車椅子に乗り移って運転手さんの後ろ(車椅子固定スペースは運転席のすぐ後ろにあります)からモノレールの行く先を見ながら乗っていきました。

 大阪空港に着きました。目指すは送迎デッキです。エアポートホテルの中のエレベータが送迎デッキに直通になっていました。デッキは木製の床に改装されていて、お姉ちゃんがゲームをして遊んでいた頃の面影は全くありません。ともちゃんはデッキの手すり近くまで行って、飛行機が離陸するのを眺めました。ともちゃんはお母さんやお姉ちゃんが車椅子の横にかがんで、自分と同じ高さで頬をよせるようにしながら飛行機を見ると、うれしそうでした。

 今回の改装の目玉として、空港ビルの屋上にある送迎デッキだけでなく、フィンガー(飛行機に搭乗する時の通路)の屋上部分にも見学者が入れるようになりました。フィンガーの屋上は、送迎デッキよりも1階分低いところにあります。フィンガーの先まで行くと飛行機が間近に見えるので、ともちゃんも行ってみたくてどのエレベータがそこに通じているのか色々と探し回りました。結局分らず、案内係の人に聞いたところ、答えは「車椅子ではフィンガーに上がることはできないんです。」ということした。バリアフリーの建物が当たり前になりつつある昨今、ちょっとがっかりしました。

 土産物屋さんで、ともちゃんは誕生日プレゼントも兼ねて全長105cmもある大きなビニール製の飛行機を買ってもらいました。ともちゃんも送迎デッキから止まっているのを眺めたJASのレインボーセブンです。お姉ちゃんも小さいときANAのビニール製の飛行機を買ってもらい、またがって遊んでいたものです。

 暑いデッキにいたので、ともちゃんの水分補給が必要になりました。モノレール大阪空港駅の自動販売機では、うまい具合にともちゃんの好きなココアが売られていました。モノレールが到着するたびにどっと降りてくる人波からの多くの視線を感じながら、駅のコンコースのベンチでともちゃんはいつも通りに悠然とスポイドでココアを飲みました。帰りのモノレールでは、遊び疲れてくたっと眠りました。

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1999年7月30日(金)

長かったような短かったような1学期も終り、夏休みになりました。今年度のともちゃんは4月は元気にスタートしましたが、5月は入院してほとんど登校することができませんでした。6月は無理せず、登校しても早退する日が続いたりしながら体調を調えました。おかげで7月に入ってからは絶好調、通院も含めて3日しか欠席していません。1学期の出欠の記録は43勝(出席)32敗(欠席)です。

 19日に終業式を終えて夏休に入ったのですが、7月中はプール登校やPTA行事が入っていて、まだまだ夏休みという実感はありませんでした。1学期中はプール学習の日程とお天気の相性が悪くて、ともちゃんは大きなプールに入ることはできませんでした。プールサイドに用意されている簡易プールにお湯を入れてもらって入っていたのです。でも、肌寒い日はこの簡易プールが人気で、友達とぎゅうぎゅう詰めで入っていました。

 21日のプール登校日、朝から太陽がじりじりと照りつけています。やっとともちゃんも大きなプールに入ることができました。今年のともちゃんの水着はキティちゃんの絵柄の赤色で、スカート付きのものです。水着に着替えてシャワーを浴びたときに、温水を足元からゆっくりとかけてもらい、お腹から胸のあたりまでシャワーがくると、ともちゃんはギャハハハと声を出して笑っていました。これにはお母さんも先生もびっくりでした。

 26日はPTA主催の夏祭りでした。一昨年までは学校主催の夏祭りがあったのですが、府立として全面開校になった昨年度からはなくなり、今年はPTA主催で復活しました。ともちゃんのお母さんは小学部3、4年で出す水鉄砲のお店を担当します。夏休みになる前からお母さん達が集まって、的になるペットボトルのデコレーションや水鉄砲の調整、試し撃ちを楽しんでいました。

 当日、ともちゃんはおばあちゃんに作ってもらった新しいキティちゃんの浴衣を着て、お祭り気分で参加しました。ともちゃんはお祭りの食べ物は全く食べられないので、ボーリング、魚つり、水鉄砲、飴つかみのゲームを楽しみました。お母さんは浴衣姿で笑うともちゃんの写真が撮りたかったのですが、会場の体育館や運動場では笑顔を見せてくれません。あきらめて教室に入ると満面の笑顔でニコニコ。熱気のこもった会場から涼しい教室に来たのが心地よかったのか、あるいは「やっぱりここが私の教室よ。」と安心したのかもしれません。

 28日と29日はPTAによるプール開放でした。学校のプール登校のときのようなカンカン照りを期待していましたが、28日は小雨、29日は曇りで風も強く、ともちゃんがプールに入れるような天気ではないので参加はあきらめました。さあ7月も終り、これからの1か月は夏休みを楽しみましょう。でも、無理は禁物。今年はどんな経験ができるかな。

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1999年8月2日(月)

今日、ともちゃんは厚生年金会館大ホールであった「おかあさんといっしょ」のショーを見に行きました。ともちゃんは、大きなホールを訪れるのも、舞台のショーを見るのも初めてです。ともちゃんがどんな反応を示すかと楽しみにしていたお母さんは、ともちゃんが予想以上に大喜びしてくれたのでとてもうれしく思いました。

 この催しは郵便貯金がスポンサーになっていて、お母さんが郵便局でポスターを見かけて申込みました。はがきで応募して、抽選で参加券が当たるのです。一昨年は外れましたが、今年は運良く当たりました。当たりのお知らせが届くと、さっそく会場に車椅子席があるかどうか問合せました。すると、うれしいことに通常の座席とは別に1階の中央通路の後ろに車椅子席が用意されているとのことで、こちらの名前も控えて下さいました。

 開場は12時30分、開演は1時30分からなので、会場まで行く時間も考えてともちゃんは11時前から昼食を食べ始めました。いつもとは生活のリズムが大分違うのですが、ともちゃんはそんなことは気にする様子もなく、早いペースでしっかりと食べました。昨日からみんなに「明日は『おかあさんといっしょ』を見に行くよ。」と言われていましたから、張切っているようです。

 夏休み前で忙しいお父さんは会社を休めないので、お母さんとお姉ちゃんとでタクシーに車椅子を積んで行きました。ともちゃんはタクシーの中で昼寝もとって、準備万端です。1時ごろに厚生年金会館に着きました。ほとんどの人はすでに参加券を座席番号券に換えて大ホールに入っていましたから、入口付近も車椅子でも無理なく通ることができました。窓口で名前と事前に連絡している旨を伝えると、すぐに座席に案内してもらえました。

 車椅子はすぐ前の通路において、ともちゃんはお母さんに前を向いて抱っこしてもらいました。端の方ですが、思っていたよりもずっと舞台が近くて、よく見える席です。ともちゃんは座席に着くと、小さな子供たちの賑やかな熱気と場内の明るくて高い天井の様子が気になって、目を爛々と輝かせて天井や周りを見回しています。

 会場が暗くなって舞台が浮かび上がっても、ともちゃんはご機嫌です。大きな声で聞こえてくる歌のお兄さんとお姉さんの歌声をわくわくした顔つきで聞いています。笑顔もたくさん出ています。途中で手をたたく歌では拍手が聞こえるとニコニコ、学校でよく聞いていただんご三兄弟でもニコニコ。体調もよく、昼寝の後で、お母さんの膝の上でしっかり抱っこしてもらって、曲に合わせて身体をゆすってもらいながら聞いているという最良の条件が揃ったとはいえ、ともちゃんが舞台と一緒になってこんなに楽しめるなんて感激です。

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1999年8月6日(金)

今日からお父さんの夏休みが始まりました。最初の予定では明石海峡大橋を渡って淡路島に行くつもりでしたが、あいにく台風の影響で風が強く、淡路島方面は天気が悪いようです。そこで、急遽予定を変更して新幹線で京都まで行ってみることにしました。ともちゃんは地下鉄、京阪電車、モノレール、JR東西線には乗ったことがありますが、お母さんは一度ともちゃんを新幹線に乗せてあげたいと思っていました。新幹線に乗るのに大げさにすることもないだろうと、何の予備知識も事前調査もしないままに新大阪駅に向いました。

 運良く、駅のすぐ前に駐車場は見つかりましたが、車椅子で2階の切符売場まで行くこともできません。今回は何でも駅員さんに聞いて教えてもらうつもりでした。1階にある団体待合室におられた駅員さんに2階への行き方を尋ねると、携帯電話で連絡を取って下さって、係りの方が迎えに来てくれました。エレベータは売店や車内販売の荷物を運ぶためのもので、倉庫の奥の隠れた場所にありました。迷路のような構内を通って、2階の駅長室の前の応接室に案内されました。切符を買ったら、ホームまで案内して下さるとのことでした。

 お母さんが切符売場の窓口で伝えたことは、乗りたい列車の時刻、行先は京都、大人3人と子供1人、その子供が障害者で身障者手帳を持っている、指定席を取りたい、子供は車椅子に乗っているので車椅子固定スペースとその近くで席を確保したいということでした。車椅子スペースの指定は通常の指定とは別で駅長室で扱っているということでしたが、車椅子スペースは喫煙車の11号車にしかないことが分りました。ともちゃんは煙は全くだめなので、禁煙車の12号車の通常の指定席を取りました。車椅子はデッキに置いても構わないということでした。

 ホームで列車を待っている間、ともちゃんは眠そうにあくびをして、目を細めていました。お母さんは、きっとともちゃんは列車に乗込んだら眠ってしまうだろうと思いました。新幹線に乗りに来て、新幹線のゆれで心地よく眠れたのなら、それもまたよしと考えていました。ところが、お母さんに抱っこされて座席に着くと、ともちゃんの目は爛々と輝き出しました。とても寝てなんかいられないという様子で、きょろきょろ、にこにこして、楽しいことが始まっているぞとちゃんと分かっているようです。

 新大阪駅から連絡がいっていて、京都駅にはちゃんと駅員さんが待っていて下さいました。駅員さんの案内で、ここでも荷物用のエレベータを使って、改札の外まで出ました。今回の京都駅での目的地は、京都駅ビルの9階にあるハートプラザKYOTOです。ここは、京都府下の作業所で障害者が作った様々な商品を扱っている店です。ハートプラザで今日の記念のお土産を買って、すぐに新大阪に引き返すつもりでしたが、そこへ行く途中に京都駅ビルの有名な大階段も見ることができました。おみやげには猫の模様の陶器のお椀を買いました。京都駅でも、ともちゃんは好奇心いっぱいの良い表情をしていました。

 帰りも駅員さんの案内でホームまで上がりました。京都駅の新幹線の下りホームでは、ホームが緩やかに弧を描いているためか、列車がホームとは反対側に傾いて止まります。このため、ホームから列車のドアへの段差が一段と高くなっています。ともちゃんの細い車椅子をお父さんが押して乗込もうとした時、前輪が段差をうまく乗り越えられなくて、危うく横転しそうになりました。お父さんと駅員さんが支えてくれて、体勢を立て直すことができました。

 さすがにともちゃんは眠くなって、帰りの新幹線ではうとうとしかけていました。けれども、15分という乗車時間は短く、すぐに降りるための準備に入らなければなりませんでした。短かったともちゃんの旅「新幹線で行く京都」は無事に楽しく終了しました。帰りの車では、ともちゃんは心置きなくぐっすりと眠っていました。

 今回の旅で、お父さんとお母さんは色々なことが分りました。車椅子固定スペースは、事前に予約しておけば11号車のオープンスペースだけでなく多目的用個室も使えるということ。新幹線のドアは幅が狭いので、幅の狭いともちゃんの車椅子なら大丈夫ですが、車椅子用の11号車のドアを利用した方が車椅子の横に荷物を吊していても落着いて乗降りできること。新幹線の通路は思ったより狭く、ともちゃんの車椅子は対向して来る人とすれ違うことができないということなどです。空いている座席の方に向って通路から直角に曲がることもできません。

 最初に新幹線に乗込んだ時は、ともちゃんを指定席まで車椅子で連れて行こうとして、通路を歩く人の渋滞を作ってしまいました。これに懲りて、帰りはともちゃんの車椅子をデッキに止めてから、人の流れがなくなるのを待って、ともちゃんを抱っこして指定席まで向かいました。それでも、背の低いお母さんが、背が伸びたともちゃんを横抱きにして通路を歩いて行くと、通路側に座っている人のちょうど顔の前にともちゃんの靴がくることになってしまい、ご迷惑をかけました。

 ともちゃんの場合は、体調次第で予定がどうなるか分らないし、時間に合せて食事などを急かされるのは致命的なので、事前に列車を予約するというのは難しいのです。予約なしに行ったのに、駅員さんが丁寧に応対、案内して下さったのはとてもありがたかったです。ただ、今回のケースでは通常の乗降ルートに車椅子用のエレベータさえあれば、経路を教えてもらうだけでホームまで行けたのになあと思います。東海道新幹線ができた当時はバリアフリーということは全く考慮されておらず、新幹線の駅や車内が車椅子にとって使いにくいものになっているのは致し方ないことかもしれませんが・・・

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1999年8月9日(月)

明石海峡大橋を渡って、淡路島まで行ってきました。日帰りですが、ともちゃんにとってはこの夏のメーンイベント、最長距離のお出かけです。ともちゃんは今朝は4時過ぎから起きて順調に朝の予定をこなし、7時には準備完了です。お父さんやお母さんの準備の方が遅くなり、ともちゃんに待ってもらって7時半に出発しました。往路は阪神高速5号湾岸線から3号神戸線、第二神明道路と乗継いで行きました。

 早起きしたともちゃんは、車の中でふぁぁと何度かあくびをしました。お母さんは「今のうちに昼寝しておき。着いたら楽しいから。」と言ってタオルケットを掛けて、背中をとんとんとして寝かそうとします。でも、気分が高まっているともちゃんは、足をニューと伸ばしたり、にこにこ笑いかけたりして眠ってはくれません。夜更しのお姉ちゃんは隣でぐっすり寝ています。

 垂水ジャンクションで270度の円弧を描いて神戸淡路鳴門自動車道に入りました。トンネルを抜けるといよいよ明石海峡大橋です。「ともちゃん、今橋渡ってんで。見てみ。」とお母さんは、ともちゃんに窓の外の海と空の景色が良く分かるように、後部座席の日よけスクリーンを外しました。ともちゃんは今までぱっちりと開けていた目を細めています。「今ごろ、眠くなったんかいな。」とお母さんはスクリーンを取り付けましたが、実はともちゃんは快晴の空と海の輝きがまぶしくて、目を細めていたのでした。

 淡路島まで2時間、比較的順調に来られたので、淡路ワールドパークONOKOROへ向かいました。お目当てはテレビCMでもお馴染みのミニチュアワールドです。ONOKOROに到着すると、お粥弁当や保冷剤と一緒にアイスボックスに入れてきたアイスノンを頭の後ろに当てて、車椅子に乗って出発です。アイスノンもちょうど良い融け具合で快適なのでしょう。ともちゃんもご機嫌です。世界各国の有名な建物のミニチュアの前で写真を撮る時に顔が暗くならないように日傘をよけると、顔に日が当って嫌なようですが、日傘をさして移動すると笑顔や声がたくさん出ています。

 しばらくすると、お姉ちゃんが「ともちゃん、なんか訴えたはるみたいやで。」と言いました。確かに、ともちゃんの声はおーん、おーんと強く、顔つきも最初の頃とは違って嫌な顔をしています。このうだるような暑さがこたえたのでしょう。日陰のベンチを確保して、アイスボックスに入れて持ってきたココアを飲みました。いつもは冷たいとしかめ面をするのに、今日はごくごくと早いペースで飲みました。その後歯磨きがわりにお茶も少し飲みました。

 アイスノンのカバーのタオルを外し、髪の毛だけを介して頭にじかに冷気が伝わるようにして、再度出発。また、しばらくはともちゃんの元気な顔が見られました。もっと、ゆっくりと過したいところですが、明石海峡大橋の見える淡路サービスエリアまで戻って、智ちゃんはお弁当、他の家族はレストランで食事を食べる予定です。レストランが混雑し始める前に到着しなければなりません。ONOKROのロゴの入ったプリクラを撮って淡路サービスエリアに向いました。

 淡路サービスエリアの車椅子用の駐車スペースは、車のすぐ後ろがスロープで歩道に上がれるようになっていて、透明なプラスチックの屋根も付いています。障害者にとって、とても使いやすい構造です。新しくできたサービスエリアは、このような構造になっているところが多いようで、うれしい限りです。レストランはギリギリで間に合いました。ともちゃんが席に着いた後、わずかな時間で満席になりました。

 サービスエリアに着くまで眠っていたともちゃんは、お弁当をしっかりと食べました。食後、今度は柔らかくなった保冷剤を車椅子の枕の上に敷いて、明石海峡大橋が見渡せる展望台に行きました。でも、ともちゃんは暑いよ、まぶしいよという顔をしていました。帰路は山陽自動車道から中国自動車道に入るコースをとりました。ともちゃんの早い帰宅時間には高速道路はガラガラで、淡路サービスエリアから1時間10分で帰ってこられました。

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1999年8月12日(木)

ともちゃんは今日は奈良県明日香村に行きました。ともちゃんの家から南の方角はいつも道路が比較的空いていて、ともちゃんお気に入りのお出かけコースになっています。ところが今年の夏は、まだ南方面に行っていませんでした。それと、昨年は平城宮跡に行って国立奈良文化財研究所(奈文研:なぶんけん)の博物館に寄たので、今年は明日香村を回った後、奈良県立橿原考古学研究所(橿古研:かしこけん?)に行ってみることにしました。

 空いているはずの高速道路は、近畿道から西名阪への分岐で1車線になっているところへ八尾ランプからの車が割込んでくるため思いがけない渋滞です。張切っているともちゃんはその間もしっかりと目を開けて起きていました。この渋滞個所を抜けた後も、西名阪は名古屋方面へ向う車で渋滞気味でした。高速を降りて「山辺の道」の一筋西側の国道に入ると、やっとスムーズに走れるようになりました。「三輪そうめん」の看板がたくさん出ています。「ともちゃんは(小麦アレルギーがあるので)そうめんは食べられへんもんなあ。」と話しながら行きました。

 最初の目的地、石舞台に着きました。「ともちゃん着いたよ。」と言うとうれしそうにしています。けれども、車椅子に乗せてしばらくアスファルトの歩道を行くと、暑さのためか表情が消えています。石舞台はお母さんもお父さんも子供の頃や若い頃に行ったことがあるのですが、その時の田園風景の中にぽつんと見えた大きな石というイメージはなく、囲いがされていて外からは見えないようになっていました。

 入場券を買って中に入りました。石舞台は古墳の盛り土がなくなったもので、周りには堀(水は枯れている)があります。お父さんがともちゃんを抱っこして、お母さんとお姉ちゃんが車椅子を抱えて、階段を上りました。ともちゃんはお父さんに抱っこしてもらって石舞台の中にも入ってみました。

 売店の横の屋根のある休憩所で、ともちゃんは持参のココアを飲みました。休憩所の裏は丘陵に作られた田んぼで、すぐ先には低い山が迫っています。お父さんやお母さんの記憶の中にあった明日香村の風景です。次の目的地の猿石も、国道を外れて農村の狭い道を行ったところにあります。車を降りて少し急な坂道を車椅子で登ると、猿石と会えました。どこかともちゃんのお友達と似ています。

 最終目的地の橿古研の博物館に着く前に、ともちゃんは一眠りしました。ともちゃんが目覚めるまでは、博物館の駐車場に車を止めてそのまま静かにしていました。しばらくして、ともちゃんがにこやかに目覚めたので、車椅子に乗せて見学に行きました。建物は97年にできたようで、中は明るくて見やすくなっていました。コの字型の建物に石器時代か中世まで広い年代に渡っての出土品が展示されていました。

 ともちゃんの目の高さにあるものだけを「これは何かなあ。」「掘っていたらこんな物が出てきたんやて。」などと話しながら見学しました。最後に入り口の黄金の靴のレプリカの前で写真を撮った時、ともちゃんは笑顔を見せてくれました。博物館の近くのファミリーレストランでお粥弁当を食べました。帰路もまた渋滞かと思いましたが、空いている一般道を経由してから高速に乗ったので渋滞をうまく避けることができ、予定通りに家に着きました。

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1999年8月31日(火)

この夏休み、ともちゃんは予想以上に元気で色々な活動ができました。お父さんの運転する車に乗ってのお出かけも、淡路島や明日香村だけでなく生駒ふれあいセンターや西宮浜のヨットハーバーと貝類博物館にも行きました。体調が良かったので、ともちゃんは生き生きとした表情を見せて、声もたくさん出してくれました。

 生駒ふれあいセンターはともちゃんの養護学校の宿泊学習の行先で、5、6年生はここで宿泊をします。ですから、ともちゃんにとっては来年の下見の意味もありました。夏休み中に2度行ってきました。1度目はふれあいセンターの場所を確認して、宿泊棟の中を見たり、周りの山道を散歩したりしました。2度目はセンターにある温水プールに入りに行きました。

 宿泊学習のときは、日中はこのプールで遊ぶ予定になっています。プールの建物の側面がガラス張りで、日光がさんさんと降り注いでいて、室内プールなのに明るくて、気持ちの良い構造です。この日は風が強く、体感温度が低く感じられる日でした。温水ということで期待していましたが、水温は思っていたよりも冷たく、ともちゃんには少し寒いようでした。

 定番の車でのお出かけ以外にも、公共の交通機関を利用することもできました。新幹線もモノレールも、どちらも「乗ってみる」ということが目的でしたが、ともちゃんにはいい経験でした。また、「歌や着ぐるみのショー」という、ともちゃんにとって新しい楽しみが発見できた夏休みでもありました。

 ともちゃんが「お母さんといっしょ」のショーを喜んでいたので、ATC(アジアトレーディングセンター)で開催されていた「ハローキティとお友達」というイベントにも行きました。キティちゃんの着ぐるみショーがあるからです。キティちゃんタウンや迷路では、興味のない顔をしていたともちゃんですが、やはりショーは楽しんでいました。キティちゃんがバイバイと去っていく時には、おーんと声を出していました。

 また、コミュニティFM放送局の生番組にゲストとして呼んでいただきました。スタジオでお母さんに抱っこされたともちゃんは元気一杯で、痰もコンコン、クッシュンと自分で飛ばして、「おーおーおー」と大きな声を電波に乗せました。ともちゃんの発する声にはいくつかのパターンがあるのですが、この「おーおーおー」というのは何かを強く伝えているときの声です。DJの方とお母さんの話の中に入って、自分で答えていたのでしょう。スタジオを出る時は満足な表情をしていました。

 京都のお祖母ちゃんの家に泊ったり、西宮のお祖母ちゃんのところに行ったり、大祖母ちゃん(曾祖母)にも会うことができました。8月の後半からは2学期に備えてゆっくりと過していましたが、ともちゃんは28日の土曜日から体調を崩しています。幸い大したことにはならずに済んでいます。早く元気になって今度は学校生活を楽しみたいものです。

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