ともちゃん の日常16


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2000年3月以前(ともちゃんの日常15へ)

2000年4月

12日(水)
「5年たんぽぽ組」

15日(土)
「泣笑い初登校」

19日(水)
「2回目はスクールバスで」

26日(水)
「3回目はタクシーで」

2000年5月

18日(木)
「学校で注入」

23日(火)
「巨大熱さまシ○○」

2000年6月

6日(火)
「宿泊学習を目指して」

14日(水)
「けいれん×けいれん」

2000年7月

8日(土)
「七夕の会」

19日(水)
「謎のじんましん」

2000年7月21日以降(ともちゃんの日常17へ)


2000年4月12日(水)

 春休みも終って新学期が始まりました。ともちゃんは5年たんぽぽ組になりました。けれども、春休み中に少しずつ外気に慣らしておきたいと、ごく近くのスーパーまで車椅子で出かけたのが失敗だったようで、それ以来痰が少し多くなっています。それで、無理は禁物と10日の始業式からもずっとお休みしています。昨日は大きなけいれん発作もあって、今学期もゆっくりとスタートです。

 春休みの間に、ともちゃんの新しいクラスの担任団(複数担任なので)の先生方が、ともちゃんの様子を見に家まで来て下さいました。お母さんはともちゃんの最近の体調や生活のリズムを説明し、鼻腔からミルクを注入するところも見てもらいました。ともちゃんも久しぶりの賑やかな雰囲気に笑顔が出ていました。その時に、新しいクラス編成のことについても説明を受けました。

 ともちゃんの養護学校には様々な障害を持った子供が学んでいます。ともちゃんのような知的障害と身体障害を併せ持つ子供は今年度は7名になりました。昨年度は重複障害の子供が10名いたので低学年クラス「ひまわり」と高学年クラス「あすなろ」に分れていたのですが、今年はこれを一緒にするとのことでした。その新しいクラスの名前が「たんぽぽ」です。授業は内容に応じて「たんぽぽ」で行なったり、知的障害の高学年クラスと一緒に高学年のグループで行なったりするそうです。

 春休み中はお姉ちゃんも家にいてよく遊んでくれたのですが、今はお姉ちゃんは学校に行ってしまいます。お姉ちゃんが帰ってくると嬉しそうな顔になるともちゃんは、自分も学校に行きたいと思っていることでしょう。いきなり1日ずっと学校で過すというわけにはいきませんが、ともちゃんの体調に合せてまずは遅刻・早退で「学校に行ってみる」ということから始めたいと思います。幸い15日の土曜日は学校がある週です。お父さんの運転する車で、今年度初の登校ができたらいいなあと考えています。

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2000年4月15日(土)

 今日はともちゃんの今年度初めての登校日だというのに、朝から雨が降っています。「土曜日にはお父さんの車で学校に行こうね。」と話していたので、ともちゃんもきっと楽しみにしていることでしょう。また新学期の荷物も多いので、お父さんの車で登校できるチャンスを逃したくありません。ともちゃんの車椅子にビニールの雨カバーを被せて、雨のかからない高速道路の高架下から車に乗込むことにしました。

 ともちゃんは早いペースで朝食も食べ、車椅子に乗って出かけるときはうれしそうでした。マンションのエレベータの中では、お母さんから「今日は病院と違って、学校やで。よかったなあ。」と話してもらいました。ともちゃんのマンションは高速道路のすぐ横に建っているのですが、車に乗ることができる場所へ行くには、信号を2回、南向きと東向きに渡らなくてはなりません。

 お父さんは駐車場まで車を取りに行っているので、ともちゃんはお母さんと信号を渡りました。南向きの信号を渡り、雨のかからない場所まで行って、東西の信号が青になるのを待ちました。青になったので、ともちゃんに「信号、渡るよ。」と声をかけ、方向転換をするために車椅子を後ろ向きに少し移動しました。それから、ともちゃんが大声で泣きわめき出したのです。

 信号を渡っている間も、車に乗る場所に着いてからも、ウォーオォ、ウォーオォと眉間にしわを寄せて、必死の形相で叫んでいます。でも涙は出ていないようです。久しぶりの雨カバーが不安だったのでしょうか。それとも、後ろ向きに引張られて知らないところに連れて行かれると思ったのでしょうか。こんなともちゃんは初めてです。お母さんは雨カバーをはずして、車椅子に乗ったままのともちゃんを「大丈夫やで。どうしたんや。」と抱きしめてあげました。

 ともちゃんの体は冷えていましたから、方向転換の時に冷たい風がカバーの中に入ってきたのかもしれません。今日は冬に舞戻ったような寒い日です。お父さんの車の後部座席で毛布にくるまれ、お母さんにしっかりと抱っこされて、やっとともちゃんの顔に余裕の笑顔が戻りました。ともちゃんが泣叫んだ理由はよく分りませんが、ともちゃんが示してくれた新しい感情表現です。滅多に泣くことのないともちゃんのこの表現にどんな気持が込められているのか、これからも見守っていきたいと思います。

 ともちゃんは、みんなが教室で水分補給をしている頃に学校に到着しました。たんぽぽ組の教室は昨年度のあすなろ組の教室です。ともちゃんの場所(マットを敷いてもらって、ごろりと横になれる場所)は昨年度と同じです。けれども、お母さんに抱っこされて教室に入ってしばらくは、ともちゃんは緊張した様子で顔をこわばらせていました。顔色もいつもよりずっと白く感じました。

 新しい担任の先生に抱っこしてもらって、たくさん声をかけてもらいました。5か月ぶりの学校で、いろんな先生から「元気になってよかったね。」と声をかけてもらいました。じわりじわりと学校の楽しさを感じてくると、ともちゃんの表情もゆるんできました。今日は体育館で小中高合同の新入生歓迎会があり、ともちゃんも参加しました。先生に抱っこしてもらって、お話ししてもらいながら参加していると、良い笑顔や大きな声がたくさん出ていたそうです。

 1時間程の滞在で、お父さんの車で早退したともちゃんでしたが、すっかり学校の楽しさを思い出してくれたようです。今日はともちゃんにとって、嫌なことから楽しいことまで刺激がたくさんありました。そのために、夜は大きなけいれん発作が出てしまい、けいれん止めの座薬を使って眠りました。早く「登校することが当り前」の生活になればいいのにね。

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2000年4月19日(水)

 ともちゃんは、前回の初登校の後、大きなけいれん発作を起こしてしまいました。今までは家の中で刺激の少ない状態で過していたのに、急に強い刺激を与えたのがいけなかったようです。外出の不安や学校の楽しさを刺激としてしっかりと感じ取ってくれるのはうれしいことでもあるのですが、けいれんの重積(けいれんが長時間止まらない状態)にならないように慎重に行動しなければなりません。

 というわけで、今週は時間をかけてともちゃんを外気に慣らすことにしました。月曜日は15分間マンションの周りを散歩し、火曜日は25分かけて堤防の近くまで行ってみました。そして今日水曜日は登校です。いつもよりもさらに早く起きたともちゃんは、着々と朝の予定をこなし、スクールバスに間に合う時間に朝食も食べ終りました。よし、今日はスクールバスで登校です。

 ともちゃんは昨年の2学期から体調を崩し始め、遅刻早退をしながら登校していたので、長い間スクールバスには乗れていません。ともちゃんが最後にスクールバスで登校したのは、7月だったと思うので、なんと9か月ぶりのバス登校です。同じバス停から乗るメンバーも少し変わりました。卒業したお兄さんと、施設に入所して転校したお兄さんに変わって、高等部に新しく入学したお兄さんがお母さんとバスを待っていました。

 ともちゃんの席は昨年通りでしたが、まだしばらくは(座位保持装置に一人で座らずに)お母さんの抱っこで席に着きます。ともちゃんを抱っこしてお母さんが座ると、さっそく斜め後ろの座席から「昨日、何食べたん?」という懐かしい質問が飛んできました。今までも、この席のお兄さんは毎日この質問をしてくれたので、お母さんはいつも前日のおかずを思い出して答えを用意していたものでした。

 ともちゃんは全身でスクールバスに乗っていることを感じているようです。添乗員さんが「ともちゃん、元気になってよかったねえ。」と声をかけて下さると、ともちゃんは明らかに声に反応して、嬉しそうにちょっとはにかんだような笑顔を返していました。バスの賑やかさ、バス停で次々にお友達が乗車してくる気配を思い出しているようでした。

 学校にいる時間は今日もまだ1時間程度です。それでも新しい担任の先生にスポイドで口からお茶を飲ませてもらいました。今日はまだ10ccくらいで口を湿らせた程度ですが、新しい先生とお茶が飲めたことは新学期の第一歩を踏み出したようでうれしい出来事でした。そして、もう1つのうれしいこと、それは今日の身体測定で体重が17kg(昨年9月のともちゃんの最高記録)に戻っていたことです。

 鼻のチューブも抜けず、元気な頃と比べればまだ痰が多いともちゃんですが、ゆっくりと5年生の学校生活を始めました。このまま無理せずに、今のともちゃんの状態に応じた学校生活を楽しく送れるようになればいいなあとお母さんは願っています。夜、けいれん大発作が出ないか、びくびくしながら寝かせましたが、今日もやはり出てしまいました。ともちゃんはまだまだ、ぼちぼちの新学期です。

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2000年4月26日(水)

 今年度に入って3度目の登校はタクシーでした。朝の予定がスクールバスに間に合わなかったので、潔くタクシー登校と決断したのはよかったのですが、外は小雨が降っています。この程度の雨なら、いつものように高速道路の高架下から乗込めば、ともちゃんが雨に濡れることはないでしょう。でも、雨の日は電話でタクシーを呼んでも、すぐには来てもらえないことが多いのです。

 案の定、電話口では「空車が捕まるまでに20分位かかるかもしれません。」と言われてしまいました。仕方ありません。ともかくタクシー会社からの連絡を待つことにしました。学校にはその旨を説明して、「遅くなるかもしれないけれど登校するつもりです。」と電話を入れました。たんぽぽ組の先生が電話口に出られた時に、幸いキャッチホンが入りました。タクシー会社からでしょう。学校には「今から行きます。」と言って電話を切りました。

 ともちゃんは最初の予定通りの時間に学校に着いて、初めて朝の会に参加できました。今年から朝の会の歌が替り、「先生とともみちゃん、先生とともみちゃん、挨拶しましょ・・・」と司会の先生が順番に子供一人ずつの前で顔を見て歌って下さいます。ともちゃんも歌のときはオーオーと小さく声を出していたそうです。また一人ずつ名前を呼んでもらう時には、先生が近づいて顔のそばで呼んで下さったので、「えっ、私のこと?」と自分が注目されているのが分ったような表情でした。

 今日は授業にも初めて参加しました。ともちゃんの学校では、生活は重複学級(知的障害と身体障害の重複)のたんぽぽ組で行ないますが、主な授業は1・2年生、3・4年生、5・6年生に分れて、重複障害の子供も知的障害の子供も一緒になって行います。今日は生活科の授業で、ともちゃんは初めて知的障害の5・6年生と一緒になりました。授業開始前に前に出て挨拶し、一人一人と握手をしたそうです。

 積極的に関わってきてくれるお友達もいて、しばらく休んでいたけれど、ともちゃんもこの授業のメンバーだよとしっかりアピールしてきました。生活科の授業は「ミニトマトの苗を植えよう」だったのですが、ともちゃんは早退するのでミニトマトの歌の部分にだけ参加しました。「小さい・・・中くらいの・・・大きい・・・」と歌うのですが、ともちゃんは2回とも、「大きい・・・」のところで「オーオー」と声を出して笑顔が見られたそうです。先生からは「歌に合せて歌っているなー。すごいなー。」といっぱい誉めてもらったそうです。

 今日も1時間だけ学校にいて、タクシーで早退しました。今夜こそ、大きなけいれん発作を起こさずに、眠って欲しいと両親は願っています。今まで2回の大発作は、いずれもお母さんがともちゃんを寝かせた時に起こっています。それで、今夜はお父さんが寝かせてみることになりました。「学校の面白かった話、お父ちゃんにも教えてな。話がすんだら寝るんやで。」と言われていたともちゃんは、お父さんの思惑通り、大発作を起こさずに眠りにつきました。

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2000年5月18日(木)

今年のゴールデンウィークのともちゃんの目標は、学校がある日にはできるだけ登校することと、堤防まで散歩に行くことでした。ともちゃんのお父さんの会社が4月29日から5月7日まで休みになるので、ともちゃんのペースに合せてお父さんの運転する車で登校することができると考えたのです。けれども、ともちゃんは5月1日の1日登校しただけで、それ以外の日は痰の絡みがひどかったり、けいれん発作を起したりして、ずっと自宅で静養していました。

 堤防までの散歩は、辛うじて4日に敢行しました。ともちゃんの自宅の横の道をまっすぐ北に向かって500mくらい進むと堤防に突き当たるのです。この堤防はともちゃんの最も身近な散歩コースで、四季を通じてよく散策するところです。今回は「自宅から堤防まで散歩に行く」ということで、堤防の上の道に車椅子のタイヤが触れただけですぐに帰ってきました。30分の散歩でした。でも、これが今年のゴールデンウィークのともちゃんの唯一のお出かけになりました。

 連休明けも、ともちゃんは週1回のペースで1~2時間の登校を続けています。しかし、次のステップとして、先週から学校での注入を始めました。まずは、水分補給としてのお茶の注入からです。鼻腔から胃まで通じたチューブに注射器でお茶を50cc注入するのです。ともちゃんは授業を途中で抜けてきて、保健室でお母さんがお茶を注入します。先生にもしっかりと注入の様子を見てもらいました。ともちゃんは、担任の先生とお茶を口から飲む練習をしていますが、今はまだ上手に飲めません。必要な水分量を確実に摂取する手段として、今のともちゃんにとって注入は不可欠です。

 鼻腔のチューブからお茶やミルクを注入することは医療行為に当たります。学校で先生に注入してもらうには、保護者から医療行為の依頼書を提出し、担任の先生が主治医の先生や校医の先生の指導を受け、検討会を経て承認してもらう必要があります。ともちゃんの注入を学校でしてもらえるように着々と手続きは進んでいますが、まだ終っていません。でも、お母さんが学校で注入することは何ら問題ありません。

 そして、今日はお母さんが学校でミルクの注入をしました。ともちゃんの昼食は11時からのミルクの注入と注入後1時間ほどしてから口から食べるお粥の合せ技で一食となります。午前中だけ登校するようになって、お粥(ともちゃんの場合は給食ではなくて、アレルギー食の弁当)を食べないで早退する時でも、11時のミルクの注入は学校でしてあげたいと思います。

 ともちゃんが飲んでいるアレルギー用のミルク(粉末)をお湯で溶いて、哺乳ビンに入れて学校に持参しました。ミルクの注入は、お茶とは異なり、イルリガートルというビニール製の袋に入れて、30分程度かけてポタ、ポタとゆっくり落すのですが、今回も先生にこの様子を見てもらいました。先生は1分間に落ちる滴の数を数えたりして(お母さんは適当に調節しているのですが)、慎重に観察して下さいました。

 今日は学校の都合により教室でミルクを注入しました。ともちゃんは今回も授業を途中で抜けて、注入を行いました。しかし、授業が終って教室にやってきた元気なお友達が、吊るされているイルリガートルに興味を持って、さわろうとしてきたことには参りました。今度から注入は保健室で行いたいと思います。今日はたまたま土曜日と同じ時間の下校で、みんなは給食がありません。「みんなはお腹を空かせて帰るのに、ともちゃんだけ早弁で注入できて、得やねんで。ええなあー。」と先生に言われるともちゃんでした。

 ミルクの注入を終えて、11時50分発の土曜下校便のスクールバスでみんなと一緒に帰ることができました。今までより少し長く学校にいられたことになります。先週まではずっと週1日の登校ペースでしたが、今週は2日登校できました。このところ、日中は暑いくらいの陽気で、夏が得意のともちゃんは、そろそろ調子が出てきたのかもしれません。このまま、徐々に登校回数も登校時間も増えていけばいいなあと思っています。

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2000年5月23日(火)

 熱が出た時に氷枕の代わりにおでこに貼り付けて熱をさます商品で「熱さまシ○○」というものがあります。ともちゃんはこの商品そのものを使ったことはないのですが、専用の「巨大熱さまシ○○」を持っています。それはお父さんの抱っこで眠ることです。

 先週は2日登校した上に、金曜日の神経外来には養護学校の先生が4人も来て下さいました。学校でのともちゃんの医療行為について、主治医の先生から指導を受け、実際にお母さんがともちゃんの鼻のチューブ(フィーディングチューブ)を入れ替えるのを見るためです。

 以前から、ともちゃんは通院がある日には学校を休みます。1日に2つのことをすると、ともちゃんの体力が保たないからです。その上、前回の入院からは学校でも病院でもどこかへ出かけた日の翌日は必ず休養日にしていました。ですから、2日連続して出かけるということはありませんでした。

 先週は木曜日に登校して、金曜日にも先生と一緒に病院へ行くことになりました。ともちゃんはうれしくてたまらない様子で、興奮気味です。診察の時も主治医の先生が聴診器をお腹に当てるとギャハハハと大笑い。主治医の先生にも看護婦さんにも、「今日はとても元気やなあ。」と言われていました。

 ともちゃんにとって、この興奮が曲者です。翌日の土曜日は朝にけいれんの大発作があり、1日ぐったりと元気がありませんでした。お母さんもお父さんも「疲れが出たのだろう。土曜、日曜とゆっくり休めば元気になるだろう。」と思っていました。

 ところが、土曜の夜、眠っていたともちゃんが目を閉じたままウーンウーンと苦しそうにうめいています。最初はけいれんかと思ったのですが、抱っこすると熱く、熱を測ると38.4度でした。痰も絡んでいるようで、酸素を吸入していないと動脈血中飽和酸素濃度が下がります。

 翌朝には、酸素吸入を酸素マスクから直接鼻に酸素を入れる鼻カニューラに変えました。ずっと酸素吸入が必要になったからです。まだ熱が高いようなら、病院の時間外診療に行こうかと思いましたが、昼間は熱は下がっていました。ともちゃんはぐったりと疲れていますから、時間外を受診するより、このまま家で休養した方が治るかもしれません。

 体力のないともちゃんにとって、こういう場合に病院へ行くかどうかの判断は難しいのです。夕方、また熱が高くなり39.1度になりました。ウーン、ウーンとうめいてしんどそうで、夕方の注入も途中で止めました。

 こんな夜は「巨大熱さまシ○○」の出番です。なぜか、今までも、ともちゃんの熱が出た日の夜にお父さんの抱っこで眠ると、熱が下がることが多かったのです。それで、お父さんは「巨大熱さまシ○○」と呼ばれている(本当は自分で名乗っている)のです。

 いつもはお父さんやお母さんの抱っこで眠っても、ともちゃんが眠ってしまえば、布団におかれます。熱があってしんどい時はウーンウーンと眠りが浅く、布団におくとすぐに目覚めてしまいます。お父さんはともちゃんがぐっすりと眠るまで、ずっと抱っこしてくれます。お父さんもともちゃんを抱っこしながら眠っているのです。

 月曜の朝、熱は下がっていました。小児科を受診しましたが、ともちゃんの顔つきは日曜日より、うんと元気そうです。点滴をして、抗生剤をもらって帰りました。まだ、まだ痰絡みはひどいのですが、熱はそれ以来下がっています。「巨大熱さまシ○○」さまさまです。

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2000年6月6日(火)

 ともちゃんの学校では、毎年6月に5、6年生を対象にした宿泊学習があります。昨年度から、行き先は生駒山頂にある生駒ふれあいセンターというところになりました。スクールバスに乗って行って、散策をしたり、プールに入ったりして過した後、そこに1泊するのです。昨年の夏休み、ともちゃんは今年の下見のつもりで、家族でふれあいセンターに行きました。

 しかし、今年のともちゃんの体調を考えれば、宿泊するのは無理があります。ともちゃんは環境の変化に過敏な子供です。いつもの生活のリズムが崩れたり、知らない場所に行ったり、いつもと違う雰囲気を感じたりすると、それがたとえ楽しいことであっても、神経がピリピリと高ぶってしまいます。

 そうなると、ともちゃんは疲れているのに、興奮して眠れなくなります。その結果、けいれんの発作が起きたり、口腔内の分泌物が多くなってゼロゼロが強くなったりしてしまいます。お父さんもお母さんも、ともちゃんに新しい経験を積んで世界を広げて欲しいと願っています。しかし、あくまでも無理せず、ともちゃんの余力に応じて、段階を踏みながらと考えています。

 今回の宿泊学習については、ともちゃんの体調がよければ、日帰りで参加したいという希望を先生に伝えました。まだ週に1、2度の登校を楽しんでいるともちゃんにとって、いくらお母さんが付き添わせてもらっても宿泊は無理でしょう。体調がよければ、学校のみんなと生駒に出かけるという楽しい刺激は、大きな負担にならずに済むかもしれません。

 学校はお母さんの希望を聞いて、ミルクの注入や食事の時間が他の子どもたちとは異なるともちゃん専用のスケジュールを立てて下さいました。ともちゃんの「日帰り」宿泊学習は行きのバスの中に重点をおくとのことです。みんなと一緒にバスに乗って出かけること、バスの中で朝の会をやることなどから、ともちゃんにはみんなで宿泊に行くという気分を味わって欲しいということでした。

 2時過ぎには帰路につき、現地に着いてからも注入で忙しいともちゃんにとって、往路にみんなと楽しい気分を共有するということはありがたいことです。でも、ここで心配があります。学校から現地まで約1時間。今はまだ登下校にタクシーを使うことがほとんどで、ミルクの注入だけを済ませて12時までには帰宅するともちゃんにとって、いきなり長時間のバスや外出が負担にならないかということです。

 宿泊までまだ日にちがあると思っていたお母さんでしたが、先生に言われて気がつくと、もう10日しかありません。おまけに6月5日は創立記念日で学校は休みです。風邪のあと痰が絡んでしばらく休んだことがこたえています。1日おきに登校するとすれば、あと4日しかないのです。

 そこで、先生から提案がありました。決して無理はしないけれど、これからはスクールバスでの登校をめざしましょう。そして、1日目はバスで登校してミルク注入の後帰宅、2日目以降はバスで登校してミルク注入、学校で昼食(お粥)を食べて帰宅。このペースで、宿泊までに、学校で2時ごろまで過すことを、ともちゃんに経験しておいて欲しいということでした。

 お父さんやお母さんから見ても、宿泊までにこのプロセスを経験してから宿泊に参加して欲しいと思います。逆にこれで躓くことがあれば、まだともちゃんにとって宿泊は無理だということになります。そんなわけで、ともちゃんは頑張っています。今、体調が安定していることもあって、3日(土)に第1関門クリア、6日(火)に第2関門をクリアしました。

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2000年6月14日(水)

 楽しみにしていた「日帰り宿泊学習」は、結局当日のけいれん発作で参加することができませんでした。本当に残念です。

 持ち物の準備は、前々日の日曜日から着々と進めていました。誰にも借りることのできない注入や吸引の用具は、予備も含めて慎重に準備しました。月曜日には事前に宿泊学習の用意を学校に持って行くことになっていたのですが、ともちゃんは1泊の用意の代わりに充電式の吸引器を持って行きました。保健室の先生が学校備品の吸引器を持って行って下さるので、現地でみんなと一緒の時にはそれを使うことができます。しかし、ともちゃんはその日の午後にはタクシーでお母さんと自宅に帰ることにしていますから、タクシーの中で痰が絡んだ場合は自分の吸引器が必要になるのです。

 学校では何回も宿泊学習のための事前学習をして気分を盛り上げていき、月曜日には小学部での壮行会がありました。みんなに「行っていらっしゃい。」と言ってもらった時には、ともちゃんはごきげんで声を出して笑っていたそうです。ともちゃんにとっての事前学習(バス登校、学校でお粥を食べること)もクリアして、(日帰りの)「宿泊に行くぞ。」と張り切っていたのでしょう。月曜日はミルクの注入だけ学校で済ませ、ともちゃんが疲れないように早めに帰宅して翌日に備えました。

 火曜日、宿泊の当日は両親ともにいつも以上に気合を入れて、ともちゃんの朝の予定をこなしていきました。ともちゃんのけいれん発作が起ったのは、ミルクの注入とお茶の注入を済ませた後でした。悲鳴を上げて、全身をガクガクさせる状態が70秒くらい続きました。このタイプのけいれんはともちゃんのダメージが大きいので、もう宿泊学習に参加するのは無理です。

 お父さんもお母さんも残念でしたが、一番がっかりしているのはともちゃん本人でしょう。しかし、この発作が道中や現地で起ったことを思えば、登校する前でよかったとも言えます。とにかく、ともちゃんのペースで家でゆっくり過すことになりました。ともちゃんは1時間弱ぐっすりと眠った後、ゆっくりと朝食のお粥を食べました。

 みんなが宿泊から帰った翌日の木曜日は、宿泊の疲れをとる家庭学習日ということで、高学年は学校が休みです。金曜日は通院の予定が入っているので、ともちゃんは学校を休みます。火曜日に宿泊学習に参加できなかったともちゃんは、明日の水曜日に登校できないとなれば4日も連続して学校を休むことになってしまいます。

 お母さんは学校に電話をして、学校に残っておられるたんぽぽ組の先生に、ともちゃんが元気なら水曜日はみんなの出迎えに学校に登校したいとお願いしました。先生は快く承諾して下さいました。お母さんはうれしくなって、ともちゃんに「明日、元気やったら、学校に行けるからな。」と話しました。ともちゃんが元気な時には無理せず登校させてあげたいと思います。

 しかし、水曜日の朝もともちゃんは大きなけいれん発作に襲われてしまいました。この日は朝一番の薬を飲んだ後でした。硬直からガクガクと全身を震わせる発作になり、悲鳴も上げて1分くらい続きました。大きな発作があると心拍数は1分間に180回くらいにもなります。ぐったりと疲れたともちゃんは1時間余り眠り、そのあとも自宅でゆったりと過すことになりました。

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2000年7月8日(土)

 けいれん発作で宿泊学習を休んでしまったともちゃんですが、相変わらずのマイペースながら、登校日数は少しずつ増えてきました。でも、学校が休みの土曜日や日曜日は、もっぱら自宅での静養で過してきました。今日は、3月に退院して以来初めての土曜日のお出かけでした。保育所時代にお世話になった先生方に会って、成長した姿を見てもらうことができました。

 昨年の今ごろ、ともちゃんが在園していた当時の所長先生から「ともちゃんが保育所にいた頃の先生たちで久しぶりに集まろうかということになったのですが(今はそれぞれ別々の保育所に転勤されているので)、ともちゃんはどうですか?」と誘っていただきました。ともちゃんにとっても、お母さんにとっても、うれしい話で、ぜひみなさんにお会いしたいということで出席させてもらいました。

 最初は緊張していたともちゃんも、だんだんと雰囲気に慣れてくると笑顔がたくさん出て、ともちゃんのために用意して下さった口溶けの良いゼリーをおいしそうに食べていました。先生方にはずしりと重くなったともちゃんを抱っこしてもらいました。帰り際にともちゃんは寄せ書きをいただいて、来年もまた元気で来れたらいいねとお別れしました。この時期に1年に1度会いましょうということで「七夕の会」と呼ぶことにしました。

 しかし、この1年間は昨年の夏頃には想像もつかないくらいに、ともちゃんにとって大変な1年でした。秋からの体調不調と長い入院生活が続きました。実はともちゃんが入院中、お母さんは偶然にも病院の近くの回転すし屋さんで保育所の調理員さんとお会いしました。ともちゃんの体調が悪い間は、夜にお父さんが来てくれても、病室を長く離れることはありませんでしたから、もう日にち薬で退院を待っていたころです。

 お母さんは、思わぬところでともちゃんのことを知ってくれている人に会って、とても元気がでました。何があっても、ともちゃんの命と健康をしっかり守らなくてはと決意を新たにしました。そして、その時にお母さんの頭に浮んだのが昨年の七夕の会でした。今度、先生方と会える機会があったら、ともちゃんの元気な姿を見て欲しいという思いで一杯になりました。

 今年の七夕の会までに、鼻のチューブが取れるように願っていたお母さんの思いはかないませんでしたが(注入を続けていると、むしろ注入のメリットがよく分かってきて、今では急いでチューブを外したいとは思っていませんが)、今年もともちゃんの元気な姿を見てもらうことができました。

 今年も最初のうちは、知らない場所で知らない人ばかり(と、きっとともちゃんは思ったことでしょう)で緊張してしていました。けれども、お母さんに抱っこされて、先生方のおしゃべりする声を聞いているうちに、声に親しみを感じたのか、おしゃべりのリズムが楽しかったのか、ケラケラと笑い出し、すっかり会の中に溶け込んでいました。

 抱っこしてもらった時もそうです。最初は緊張して全身を突っ張っていたのですが、しばらくすると安心してゆったりと抱っこしてもらっていました。そして、みんなに背が伸びたねえと言われていました。保育所の頃は、ともちゃんの様子を見に来て下さった理学療法士さんの指導で、ともちゃんは緊張が取れる姿勢で箱の中にちょこんと入っていたのに、今では本当に大きくなったねえと懐かしい話も出ていました。

 昨年、口溶けの良いゼリーを食べていたことを覚えていて下さって、今年も用意していただいたのですが、経管栄養になって以来お粥以外のものは食べていなかったので、お断りしたのが残念でした。また、少しずつ食べられるものを増やしていきたいものです。

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2000年7月19日(水)

夏休みが近づいてきて短縮授業になると、ともちゃんにとってはスクールバスで往復できるチャンスです。登校日数はまだ週に1、2日ですが、この頃ともちゃんは朝の予定を順調にこなしてスクールバスで登校しています。長時間の学校生活は疲れるため下校時はタクシーを利用して早退しているので、下校時間が早くなるのは今のともちゃんにとってうれしいことです。

 7月15日(土)にスクールバスで往復できたことに自信を持ったお母さんは、終業式までの17日(月)、18日(火)、19日(水)の3日間、少し頑張ってスクールバスで登下校できたらいいなあと考えていました。しかし、この楽観的な計画はともちゃんのじんましんによって崩れてしまいました。

 16日(日)、朝起きた時にともちゃんの左頬全域に蚊に刺された時のような皮膚の盛上り(4cm×5cm)がありました。まだ起きて何も口にしていない時のことです。他にもできていないかと全身を調べましたが、左腕の関節の内側に直径1cmくらいの蚊に刺されたような盛上りがあっただけでした。ともちゃんは左側を下にした横向きで寝ていたので、この時は接触性のアレルギー反応かと思いました。

 この発疹は1時間ほどで消えましたが、午後からもいくつか蚊に刺されたような発疹が左頬だけに現われて、1時間ほどで消えました。夕方には左頬に発疹がいくつもできて、それらがつながって大きくなるということも見られました。先週からずっと鼻のチューブは右側に入れているし、一体何が起っているのでしょう。

 食事も特に変ったことはありません。接触性のアレルギーを疑ってからは、ともちゃんをおく時はいつも右側を下にして横向きに寝かせていました。15日から変ったことといえば、抗けいれん剤の量が増えたために、薬が新しい包装のものになったくらいです。粉薬は薬局で機械を使って計量、分包されます。新たな薬を包装するときには機械の中をクリーニングしますが、極少量の薬(ともちゃんのアレルゲンになるもの)が混入することも考えられます。

 いずれにしても、接触性のアレルギーではないのに身体の左半分(主に頬や首、他にはお腹、腕なども)にだけ発疹が出ることは説明がつきません。ともちゃんがかゆいだけなら、しばらく様子をみていてもいいかもしれません。しかし、この後にアレルギー性のショック症状が起ったり、この発疹に怖い病気が隠れていたりしないとも限りません。

 翌17日も同様の発疹が出たので、病院を受診して前日からのともちゃんの様子を話しました。その結果、「食物アレルギーであるとは考えにくく、食物アレルギーでなければショック症状になることは希であるが、このじんましんの原因は不明であり、抗アレルギー剤はけいれんを誘発する恐れがあるので止めておいた方が良い。」という話を聞いて、かゆみ止めの軟膏をもらって帰りました。念のために抗けいれん剤ももう一度新しく出してもらいました。

 18日も同様のじんましんが出たり消えたりしていましたが、その出方はだんだんと少なくなって、今日は出ていません。終業式にはやっと登校することができました。念願のバスでの登下校です。いただいてきた通知票の5年生1学期の出欠記録は24勝(出席)、52敗(欠席)。大不調の4年生後半を乗り越えての復帰後初の出欠とすれば、まずまずの頑張りです。今年は2学期から大崩れせずに、このペースを保っていきたいものです。

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