ともちゃん の日常19


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2001年6月3日以前(ともちゃんの日常18へ)

2001年6月

9日(土)
「新車に初乗り」

26日(火)
「めざせ20キロ」

2001年7月

19日(木)
「カニューラと浴衣」

21日(土)
「夏休み、まずは西へ」

29日(日)
「今度は東、伊賀上野」

2001年8月

10日(金)
「北も行くぞ、舞鶴道」

13日(月)
「ハローキティ学園」

19日(日)
「梅田スカイビル」

2001年9月

1日(土)
「無事に2学期」

8日(土)
「姫路城」

2001年9月15日以降(ともちゃんの日常20へ)


2001年6月9日(土)

ともちゃんのために買った新車は、2週間前に納入されました。運転に慣れるために、土曜、日曜にはお父さんとお母さんが交代で買い物などに乗って出かけています。体調が勝れずにずっと学校を休んでいるともちゃんは、その間も両親のどちらかと留守番です。帰ってきたお父さんが「静かで、よう走るわ。」とか、お母さんが「(車が以前より大きくなったので)駐車場から出るとき切返しが多くて大変やけど、それをうまくクリアしたらホッとするな。」とか騒いでいます。

 両親が楽しそうに話しているのを聞いて、ともちゃんも「おーおー」と声を出して話に寄りたいようです。早く新しい車に乗りたいのでしょう。「ともちゃんも新しい車に乗りたいやんなあ。元気になったら、車でお出かけしよな。」と話し掛けると、「はん」と声を出して嬉しそうに満面の笑顔です。これだけ喜んでいるともちゃんを見ていると、体調が絶好調になって、本格的にお出かけするまで待たせるのはかわいそうな気がします。

 さて、最近のともちゃんの様子ですが、「疲れやすい」状態は少し改善されてきました。しかし、痰の絡みは相変わらずひどくて、空気中の酸素が肺に十分に入らないために、常時酸素濃縮器(もしくは酸素ボンベ)から高濃度の酸素を吸入しています。酸素を吸入していないとさらに呼吸が浅くなって、よけい痰を押し出す力がなくなり、じわりじわりと動脈血中の飽和酸素濃度が下ってきます。一方、酸素を吸入していると、飽和酸素濃度が安定に保たれるだけではなく、時にはともちゃんがゲホッと自力で痰を切ることもできます。

 一日中、酸素吸入をしながら、食べることと寝ることを中心にともちゃんのペースで過せば、特に大変な状態に陥ることもなく、普通に無事に生活ができます。状態が安定していれば、携帯用酸素ボンベから酸素を投与しながら、短時間のドライブに出かけられるでしょう。ともちゃんに「今度の土曜日、元気にしてたら、少し新車に乗ってみよか。」と話すと、ともちゃんはやっぱりうれしそうです。

 お父さんやお母さん自身がともちゃんとの短時間のドライブを楽しみにしているので、ともちゃんとおしゃべりする話題は、自然とドライブのことになっていました。ともちゃんは、どこまで話の内容を理解しているのか分かりません。言葉を理解することはできませんが、お父さんやお母さんの態度や雰囲気で何か感じるところがあるのでしょう。昨日は朝の痰絡みがひどくて、しばらくしんどい思いをしたのですが、午後になって体調が落着くと、気分が高揚してギャハハハと終始ゴキゲンで笑っていました。まるで、明日はドライブに行く日だと分かっているようでした。

 今日はマイペースで朝の予定をこなし、酸素吸入のための携帯用酸素ボンベを車椅子にぶら下げて、痰が絡んだ場合に用いる吸引器も持って、車椅子で出かけました。ともちゃんは駐車場までの道のりがうれしくてたまらない様子で、ニコニコしています。お母さんが話しかけると大きな口を開けて、ギャハハハと笑っています。3列目の座席を倒した車内はゆとりの大きさで、ともちゃんの車椅子をそのまま折りたたまずに乗せられ、吸引器も座席の横に置くことができます。

 お母さんに抱っこされて、運転席の後ろにともちゃんは座りました。横抱きされているともちゃんが進行方向に向って座れるように、お母さんは座席に横向きに座りました。お母さんは、片方だけ、肘掛けを倒して背もたれにして、足を隣の座席においてふんばっています。この姿勢はともちゃんを安定して抱っこするのにちょうどいいのです。ともちゃんも両足がぶつかることなくだらりとさせられて楽そうです。以前の車では、隣に座っているお姉ちゃんに、長くなったともちゃんの足がぶつかって窮屈でした。

 今日の行先は、養護学校を経由して学校近くの緑地公園までです。公園に着いても、降りて散歩するだけのゆとりはありません。公園の前まで行って、すぐに折返して帰路に着く予定です。30分程度のドライブです。最初は、話かけに反応していたともちゃんですが、座り心地(抱かれ心地)がいいのか、はしゃぎ疲れたのか、大きなあくびが出て眠そうになってきました。養護学校の周りをまわると、くたーっと眠りに落ちました。そして、そのまま30分以上ぐっすりと眠っていました。

 予定のコースが済んで家の近くまで戻ってきても、熟睡しているともちゃんが目覚めるまで、しばらく家の近くの高速道路の高架下の道をぐるぐると走りました。結局1時間足らずのドライブでした。これだけぐっすり眠れるなら、少し遠出をしても、ともちゃんは疲れることがないので安心です。

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2001年6月26日(火)

 ともちゃんの体重が19kgを超えました。1530gで生まれて、養護学校に入学した頃が11kg、9歳でようやく15kg、けれども2年前の厳しい入院の時には14kgまで減少していたともちゃんですから、大したものです。

 ともちゃんの重症心身障害児の先輩に、20kgを超えてから、熱を出すこともなくなり、元気になったお友達がいます。その人にあやかって「小学部を卒業するまでに、めざせ20キロ」が先生との合い言葉になっています。

 ともちゃんの現在の体調は、絶好調というわけではありません。登校も相変らず週1回のペースです。それでも順調に体重が増えているのは、何といっても経管栄養のお陰でしょう。そして、ともちゃんの生活が食べることと寝ることを最優先にしていることも大きいでしょう。

 ともちゃんは、生活のリズムが安定していて体調が落着いている時は、早寝早起きの睡眠時間をはじめ、お昼寝、食事の量、排便なども大きな変動がありません。逆に、いつものリズムを崩すような生活を強いると、体調を崩すきっかけとなるので、お父さんもお母さんも、お出かけなどの活動のスケジュールには注意を払っています。

 ともちゃんは登校したり、散歩に出たりすると、スケジュールに無理はなくても、うれしくて気分が高揚して、神経がピリピリしてしまい、食事が進まなくなることがあります。また、その後、肉体的に疲れてボーッとしていることもあります。そんな時は、ともちゃんの通常の生活リズムに戻るまで、自宅で静養するようにしています。

 ともちゃんは、いつもの生活リズムから少し外れるくらいなら、少し静養すれば、また元の生活に戻ります。けれども、少し外れたのをそのままにして、さらに無理を重ねると大きく体調を崩してしまい、病院の助けが必要になってしまいます。

 ともちゃんの2年前の入院以来、お父さんもお母さんも、生活のリズムが大きく外れないように、少し外れたらすぐに戻るように気を配っています。ちょっと前にあったTVゲームソフト「マリオテニス」のCMのように、「打ったら(活動したら)戻る(生活のリズムを戻す)、打ったら戻る。」が、ともちゃんの生活の基本です。

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2001年7月19日(木)

早いもので1学期が終り、夏休に突入しました。ともちゃんの1学期の出欠状況は13勝(出席が13日)、63敗(欠席が63日)と完敗です。しかし、酸素吸入が必要なことが多くなったともちゃんは、無理のないように多くても週2日の登校、体調が勝れなければ長期に渡って休んでいたので、これも仕方がありません。

 特にこの1学期は、学校行事に全く参加できませんでした。校外で不測の事態が起るリスクを考えれば、通常の登校以上に体調が良くなければ参加できないためです。ともちゃんは、学校でお友達や先生とかかわることが大好きですから、(行事ではない)平常の学校生活でも十分楽しいと思います。とりあえずは平常日の登校を増やすことが目標です。

 ともちゃんが、唯一参加したのは7月15日の日曜日に行われた、PTAと学校共催の夏祭です。先週以来また痰が切れにくくなっていて、この日も酸素が外せない状態でした。通常の登校なら休むところですが(酸素吸入は呼吸が苦手なともちゃんにとって有効な応急処置ですが、酸素吸入の状態で登校したのでは、いざという時にもう後がないので、酸素が必要なら休むと決めています)、幸い両親揃って参加できるので、登校することにしました。

 ともちゃんは、夏祭気分を楽しむために、2年前にお祖母ちゃんに作ってもらったキティちゃんの柄の浴衣を着て、携帯用酸素ボンベから酸素を吸入するためのカニューラを鼻にテープで止めるといういでたちで、お父さんの運転する車で登校しました。ともちゃんが体育館に入ったときには、もうすでにオープニングのペルーの民族音楽演奏が始っていたのですが、先生や友達の中に入って、賑やかな雰囲気にゴキゲンの笑顔です。

 オープニングが終ってお店の準備が始まると、ともちゃんはボーリングの店の前に一番に並んで開店を待ちました。ともちゃんの今日の体力では長居はできません。ささっとお店を一回りしたら、学校ではミルクの注入もせずに帰る予定です。さあ、最初のボーリング。ともちゃんは先生に抱っこされて、スロープ上からボールを押出しました。2投してピンを合計6本倒しました。

 次は福引。キリンの人形が当たりました。車椅子のともちゃんは、自分が当てたキリンを膝の上に置いてもらって、しっかりと手を添えています。輪投げでは、ともちゃんが輪を的のペットボトルに入れやすいように、的の方が車椅子に座ったともちゃんの胸の近くまでやって来てくれました。いつになく、ともちゃんは輪をしっかり握っていてなかなか離すことができず、時間はかかりましたが、おかげでたくさんの的に輪を入れることができました。

 スマートボールでは、先生とお母さんと一緒にバネを引いて玉を跳ばしました。でも、ヨーヨー釣りの頃にはさすがに疲れてきたようです。「どの色のヨーヨーが欲しい?」、「何色が好き?」という先生やお母さんの問い掛けにも、反応はもう一つです(ともちゃんは言葉は理解していませんが、自分に話し掛けてもらっていることは分かるので、元気なときにはタイミングよく反応を返してくれます)。最後のスライム作りの色選びのときも、反応がありませんでした。

 大急ぎでスライムを作ってお土産にして、お父さんの車で帰りました。車の中でお母さんに抱っこされると、もうぐったりと目を閉じて、すぐに眠ってしまいました。ともちゃんは家の前に着いても目が覚めず?自分で起きるまでしばらくの間家の近所をドライブしました。元気に目覚めたともちゃんは、さあこれからもう一回ゲームをするぞと思っていたのでしょうか、目を輝かせてニコニコしています。家に帰って、景品のおもちゃで遊びました。

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2001年7月19日(木)

早いもので1学期が終り、夏休に突入しました。ともちゃんの1学期の出欠状況は13勝(出席が13日)、63敗(欠席が63日)と完敗です。しかし、酸素吸入が必要なことが多くなったともちゃんは、無理のないように多くても週2日の登校、体調が勝れなければ長期に渡って休んでいたので、これも仕方がありません。

 特にこの1学期は、学校行事に全く参加できませんでした。校外で不測の事態が起るリスクを考えれば、通常の登校以上に体調が良くなければ参加できないためです。ともちゃんは、学校でお友達や先生とかかわることが大好きですから、(行事ではない)平常の学校生活でも十分楽しいと思います。とりあえずは平常日の登校を増やすことが目標です。

 ともちゃんが、唯一参加したのは7月15日の日曜日に行われた、PTAと学校共催の夏祭です。先週以来また痰が切れにくくなっていて、この日も酸素が外せない状態でした。通常の登校なら休むところですが(酸素吸入は呼吸が苦手なともちゃんにとって有効な応急処置ですが、酸素吸入の状態で登校したのでは、いざという時にもう後がないので、酸素が必要なら休むと決めています)、幸い両親揃って参加できるので、登校することにしました。

 ともちゃんは、夏祭気分を楽しむために、2年前にお祖母ちゃんに作ってもらったキティちゃんの柄の浴衣を着て、携帯用酸素ボンベから酸素を吸入するためのカニューラを鼻にテープで止めるといういでたちで、お父さんの運転する車で登校しました。ともちゃんが体育館に入ったときには、もうすでにオープニングのペルーの民族音楽演奏が始っていたのですが、先生や友達の中に入って、賑やかな雰囲気にゴキゲンの笑顔です。

 オープニングが終ってお店の準備が始まると、ともちゃんはボーリングの店の前に一番に並んで開店を待ちました。ともちゃんの今日の体力では長居はできません。ささっとお店を一回りしたら、学校ではミルクの注入もせずに帰る予定です。さあ、最初のボーリング。ともちゃんは先生に抱っこされて、スロープ上からボールを押出しました。2投してピンを合計6本倒しました。

 次は福引。キリンの人形が当たりました。車椅子のともちゃんは、自分が当てたキリンを膝の上に置いてもらって、しっかりと手を添えています。輪投げでは、ともちゃんが輪を的のペットボトルに入れやすいように、的の方が車椅子に座ったともちゃんの胸の近くまでやって来てくれました。いつになく、ともちゃんは輪をしっかり握っていてなかなか離すことができず、時間はかかりましたが、おかげでたくさんの的に輪を入れることができました。

 スマートボールでは、先生とお母さんと一緒にバネを引いて玉を跳ばしました。でも、ヨーヨー釣りの頃にはさすがに疲れてきたようです。「どの色のヨーヨーが欲しい?」、「何色が好き?」という先生やお母さんの問い掛けにも、反応はもう一つです(ともちゃんは言葉は理解していませんが、自分に話し掛けてもらっていることは分かるので、元気なときにはタイミングよく反応を返してくれます)。最後のスライム作りの色選びのときも、反応がありませんでした。

 大急ぎでスライムを作ってお土産にして、お父さんの車で帰りました。車の中でお母さんに抱っこされると、もうぐったりと目を閉じて、すぐに眠ってしまいました。ともちゃんは家の前に着いても目が覚めず?自分で起きるまでしばらくの間家の近所をドライブしました。元気に目覚めたともちゃんは、さあこれからもう一回ゲームをするぞと思っていたのでしょうか、目を輝かせてニコニコしています。家に帰って、景品のおもちゃで遊びました。

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2001年7月21日(土)

夏休み最初の土曜日の今日、ともちゃんは家族と一緒に山陽自動車道の三木サービスエリア(SA)までドライブしました。三木SAを目指したのは、ともちゃん以外の家族がここのスナックコーナーでカツカレーを食べるという目的があったからです。

 ともちゃんのお父さんは、一昨年の秋から今年の春まで、大阪の自宅から岡山にある工場まで毎週出張するという生活が続いていました。それで、沿線のSAのことはどこも良く知っていて、「西宮名塩は近畿地区限定のジャンボサイズのお菓子がたくさん置いてある。」と言ってジャンボポッキー神戸ワイン味をお土産に買ってきたり、「今日は竜野西で牛丼と肉うどんを食べたら、トッピングが全く同じやった。」とか話していました。

 そんな中で「下りの三木SAのカツカレーは、家で(お父さんが)作ったカレーみたいにドロッとしていて辛くておいしい。」ということで、沿線の全SAで一通り食事をとったお父さんのお気に入りでした。お母さんやお姉ちゃんは、自分たちも食べてみたくて、ともちゃんに付いてきてもらって、カツカレーを食べるのを楽しみにしていました。

 いつもはともちゃんのお出かけに家族がお供をしているのですが、今回は家族のお出かけにともちゃんがお供をする格好です。でも、それだけではありません。三木SAは、お父さんがともちゃんへのお土産としてフワフワの背中がリュックになった小さいキティちゃんのぬいぐるみを買ったところでもあります。おもちゃ類の販売も多いので、ともちゃんはキティちゃんのお土産を買うことができます。

 携帯用の酸素ボンベと痰が絡んだときのための吸引器を車に積んで、さあ出発です。久しぶりの遠出にはしゃいでいたともちゃんは、はしゃぎ疲れたのか少し眠っているうちに三木に到着しました。新しいSAは、身障者に対する設備も行き届いていて、うれしいものです。身障者駐車スペースは、雨が降っても濡れずに車椅子に移れるように屋根があります。また、建物前の舗道に上るためのスロープが駐車スペースから続いています。

 お父さんが利用する朝早い時間帯はいつも店内はガラガラで、お父さんはいつも一番奥のテーブルでテレビを見ながらカレーを食べていました。ともちゃんが訪れたとき、スナックコーナーには結構人がいましたが、お父さんのいつもの席が空いていたので、そちらに行きました。すると、そのテーブルの端には椅子が備えられていない車椅子用の席がありました。

 ともちゃんも車椅子席で車椅子に乗ったまま、ちょっと格好をつけてテーブルに向かってみました。ともちゃんは大喜びで満面の笑顔です。お姉ちゃんと並んでテーブルに着いてうれしくてしょうがない様子です。久しぶりの賑やかな店内の様子も感じ取っているのでしょう。

 ともちゃんのミルクの注入の準備ができると、ともちゃんはお父さんが抱っこしました。注入時はともちゃんの様子に慎重に注意を払わなければなりません。腰椎の側湾もかなり進行しているともちゃんにとって、抱っこは無理なく微妙に姿勢を変えることもできる、一番安心な座位保持の方法です。

 注入中のイルリガートル(ミルクを入れた袋)は、お父さんとお母さんが交代で手を上げて持ちました。ともちゃんもミルクでお腹一杯、家族もカツカレーに満足すると、おもちゃコーナーでともちゃんのお土産選びをしました。思えば、ともちゃんと買い物をするのも一年ぶりのことです。ともちゃんは少し迷って、お父さんが買ったお土産(水色)と色違いのピンクのキティちゃんを選びました。

 そして、三木SAにはもう一つおまけがあります。建物の横に遊歩道があって、暑い中ですが、ともちゃんも少しお散歩です。丘に上がると、淡路島も見えることがあると書かれていましたが、今日は霞んでいて見えませんでした。ともちゃんは、遠くまでのドライブ、ミルクの注入、お買い物、お散歩と1個所ですが盛りだくさんな内容で、夏休み最初のお出かけに大満足でした。帰路はぐっすり眠って帰りました。

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2001年7月29日(日)

夏休みに入って2週目の日曜日、今度はともちゃんは東を目指し、三重県の伊賀上野までドライブしました。生まれてこの方、ともちゃんは近畿2府4県から一歩も出たことがありませんでしたから、今回のドライブはちょっとした快挙でもあります。

 先週お出かけして以来、ともちゃんの体調は勝れず、ずっと家で静養していました。けれども、昨日、お父さんがお休みで家にいると分かると、ともちゃんは「オーオー」と大きな声で両親にたくさんおしゃべりしています。「お父さんがお休みやったら、またお出かけしようよ。」と訴えているように聞こえます。

 一昨日までの体調があるので、「元気にしていたら、明日お出かけしようね。」と約束して、昨日は酸素吸入なしで過してみるなど様子をみました。ともちゃんにとって、待ちに待ったお出かけです。痰がまだ少し絡むので、痰が自力で切れやすいように携帯用酸素ボンベで酸素吸入しながら行くことにしました。当然、吸引器も持参です。

 近畿自動車道から西名阪自動車道、名阪国道に入りました。ともちゃんは痰が絡むらしく、何度も咳込んでいます。今は自力で痰が切れるから良いものの、無理は禁物です。ともちゃんを抱っこしているお母さんは、伊賀上野まで行かなくても、適当なサービスエリアで車を止めて、痰を吸引してからミルクを注入して帰ろうと、お父さんに提案しました。

 お父さんがパーキングエリアに入って車を止めてくれました。車の中で痰の吸引をしました。カテーテルの刺激でともちゃんはゲホッと咳き込み、たくさん痰が吸えてすっきりしました。いままでもお出かけの時にはいつも吸引器を持参していますが、このように走行途中に車を止めて吸引したのは初めてです。

 すっきりしたところで、ミルクの注入をしようと思ったのですが、ここには昔ながらのドライブインのような小さなレストランが1軒あるだけです。ミルクを注入して帰るなら、せめて先週の三木サービスエリアのように、スナックコーナーやお土産屋さんなど建物の中を散策して、遠くまで来たよと確認してから帰りたいと思いました。

 ともちゃんは痰もなくなり元気だし、次の五月橋サービスエリアまで行こうということになりました。しかし、ともちゃんが眠りかけていたためにサービスエリアに入りそびれ、結局伊賀上野に着いてしまいました。ともちゃんは痰もなく元気です。上野公園近くの駐車場に止めた車の中で、ミルクの注入をしました。

 ミルクが済めば、上野公園を少し散歩です。上野城跡へ向かう木陰の坂道を車椅子で行くと、ともちゃんはニコニコ。けれども、往路に昼寝していないともちゃんに、長居は禁物です。忍者屋敷も芭蕉記念館も中には入らずに、ここまで来たよと証拠写真を撮って、おみやげに組み紐で作ったメロンのキーホルダーを買って帰りました。

 帰り道、ぐっすり眠って元気に目覚めたともちゃんは、今度こそ西名阪道路の香芝サービスアリアに入り、スナックコーナーの禁煙席で水分の注入を行いました。

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2001年8月10日(金)

夏休みに入ってから、週1回のお出かけを楽しんできたともちゃんですが、先週は体調を崩していました。痰が多く硬くなって、1日中酸素を吸入していました。また、食事が口から取れなくなって、ミルクの注入回数を増やして栄養を摂っていました。酸素吸入と経管栄養のおかげで元気になってくると、ともちゃんはお出かけしたくてたまりません。今日から始まるお父さんの夏休みを待っていました。

 今日は舞鶴自動車道を目指します。お父さんは、ともちゃんとドライブした道路をロードマップにマーカーで色を付けて記録しています。そんなお父さんが地図を見ながら「ともちゃん、舞鶴道にも行ってみようか。篠山ぐらいまでやったら(9時に出発して、遅くても2時には帰宅するという、ともちゃんのペースでも)行けるで。」と提案しました。

 その後も色々検討して、舞鶴道を西紀(にしき)サービスエリア(SA)まで行って、ここでミルクの注入をした後、お土産を買って、SAを少しウロウロして帰ろうということになりました。張切って出発したともちゃんですが、しばらくすると痰がゼロゼロとわいてきて、途中のパーキングエリアで吸引休憩をとりました。家ではゼロゼロがなかったのに、外出するとゼロゼロしてくるというのは、登校時にもよく経験することです。

 舞鶴道に分岐すると、急に山深くなった感じがします。遠くの山は霧で霞んでいて、随分遠くまでやってきた気分になりました。西紀SAには思っていたよりも多くの車が止っていて、屋外のベンチでお弁当を広げている家族連れなどもいました。日本海まで海水浴に行く人達のようです。でも、ここにも車椅子用駐車スペースがあって、楽々車を止めることができました。

 西紀SAのスナックコーナーでは、三木SAとは異なり、車椅子用の席が中央の長いカウンター風のテーブルの真ん中にありました。普通のテーブル席を探していたお母さんが、空き席がないのでしばらく待とうかとしていたところ、お父さんが長テーブルに空き席を見つけました。車椅子が邪魔にならない様にしてそこに座ったところ、お父さんの座った隣に車椅子用のスペースがありました。

 ここでも、ともちゃんはお父さんに抱っこされて、ミルクの注入を行いました。ミルクを入れたイルリガートルは、お母さんが立って手を上げて持ちました。ここは人出も多いので、ともちゃんのイルリガートルを「何かなあ」と不思議そうに見る人も少なくありません。お母さんはそれに気付くと「こうやって食事を摂っている障害児もいるのよ。よく見て、知っておいてね。」という気持ちで、ぐっと手に力を入れて上に引き上げました。

 ともちゃんの食事が終り、両親も食事をして、お母さんがデザートの黒豆ソフトクリーム(丹波の黒豆を使ったソフトクリームはここの名物ですが、ともちゃんは大豆アレルギーがあるので食べられません)を食べ終ると、お買い物です。オモチャのコーナーでともちゃんが自分のお土産を選ぶのですが、ここの売店は名物の黒豆を使った食べ物がたくさん並んでいて、オモチャの品数はわずかです。

 ともちゃんはキーホルダーに狙いを定めて、お父さんとお土産を選びました。いくつかの品物を見せてもらった後、お父さんが「これどうや。ずしりと重たい純金(本当はたぶん真鍮メッキ)の招き猫、『おこづかい招き』と書いてあるわ。」といって、招き猫のキーホルダーを見せてくれました。ともちゃんはニコニコ大喜び。今までの知らん顔とは大違いです。お土産はこれに決定です。

 ここにも思いがけなく小さな公園があったので、車椅子で散歩道を一周しました。園内には作り物のイノシシなどが置いてありました。西紀SAからの帰り道、動物注意の道路標識があって、イノシシやタヌキが本当に飛び出してくることがあるということを知りました。お父さんの地図の舞鶴道にも、ちょこっとだけ、ともちゃんとドライブした印がつきました。

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2001年8月13日(月)

金曜日に西紀までドライブしてからも、幸いなことにともちゃんは大きく体調を崩すことなく過しています。せっかくのお父さんの夏休みですから、毎日でもお出かけしたいところです。けれども、体力のないともちゃんは、「お出かけは少なくとも中2日空けて」とお父さんから強く言われています。ともちゃんは「月曜日にはお出かけしようね。」という言葉を楽しみに、土、日は家で静養していました。

 今日は、ともちゃんはいつもより朝早く目覚め、8時過ぎには朝の予定を消化しました。近頃にない早いペースです。車椅子に乗るとギャハギャハと大きな声を出して、はしゃいでいます。今日は大坂南港のアジア太平洋トレードセンター(ATC)で行われている「ハローキティ学園」というイベントに行きます。

 学生の頃からキティが好きなお母さんの影響で、ともちゃんもキティちゃんが大好きです。ATCで行われるキティちゃんのイベントに参加するのは、一昨年についで2度目です。今年のイベントは学校形式になっていて、英語教室や理科の実験教室があり、キティちゃんのショーは体育館でキティと一緒にダンスを踊ろうというものなので、ともちゃんには不向きです。それで、これらの授業はパスして購買部(キティグッズの販売コーナー)に直行し、お買物をしようという算段です。

 特別に車椅子用のエレベータから会場に入ったともちゃんは、最初にキティ学園の初代園長先生の銅像と一緒に写真を撮りました。ともちゃんは賑やかで楽しそうな雰囲気を感じて、にっこりしています。この会場では、どこも赤ちゃんから就学前までの小さな子どもたちが大勢自由に動き回っているので、車椅子でもお父さんやお母さんの抱っこでも、授業に参加しようとするとぶつかりそうで怖いのです。

 教室を一通りさっと覗きながら通り抜けて、早々とお目当ての購買部へやってきました。今日の1回目のショーが開演されている間に(多くのお客さんはショーに参加しているので)、空いている購買部でゆっくり買物をしようという狙いです。購買部には様々なグッズがいっぱいです。今年は地域限定販売のご当地キティグッズも勢揃いで、最近これに注目していたお母さんの歓声に、ともちゃんは圧倒されていました。

 ともちゃんは学校で使うタオルやTシャツ、車椅子に貼るためのステンドグラスシール、お姉ちゃんへのお土産のクッキーとラーメン(中身を食べるのはお姉ちゃんですが、クッキーの缶とラーメンに付いているどんぶりはともちゃんのものです)の他に、お誕生日プレゼントとして天使のキティちゃんが平べったく寝ている形のタオル地の枕、岡山の桃太郎キティのマスコット、それにキティの歩く風船とたくさん買物をしました。調子にのってあれもこれもとかごに入れたお母さんは、レジでびっくりでした。

 さて、帰ろうとして駐車場まで来ると、エレベータの真ん前に止めたはずの車がありません。おまけにエレベータのドアに垂直に車を止めたはずなのに、エレベータのドアに平行に駐車スペースがあります。きっとこの駐車場にはもう一つ別のエレベータがあるに違いないと思い、お父さんとお母さんは広い駐車場内を隅から隅まで探してまわりました。その間、喘息持ちのともちゃんは酸素をカニューラで吸引して、屋内駐車場に蔓延する汚れた空気を吸わないようにしていました。

 結局エレベータは見つからず、お母さんが入口まで行って係の人に尋ねたところ、ここは地下1階で1階にも駐車場があるということがようやく分りました。「そうや、車止めたとき、『ここは1階です』と書いてあったわ。」とお父さんが大声で言ったとき、ともちゃんはタイミングよく「ギャハハハ」。「私なんか、ずっと前から気づいていたもーん。」と言っているようでした。

 駐車場の一件は、この建物には2つのフロアに駐車場があると知らなかったお母さんが、エレベータに乗込んだときよく確認せずに「駐車場」と表示されたB1のボタンを押したことが原因ですが、これで30分も時間をロスしてしまいました。ともちゃんもお腹が空いたことでしょう。ミルクの注入は南港野鳥園の横に車を止めて行いました。

 家に帰ってからも、ともちゃんはずっとゴキゲンです。お姉ちゃんにお土産を見せて両親が話をしているときも、買ってもらったキティちゃんのおもちゃで遊んでもらっているときも、思い出したようにケラケラ笑っています。キティちゃんが一杯いる華やかで楽しい雰囲気がよほど印象的だったのでしょう。

 特にともちゃんが喜んでいるのは「歩くキティちゃん風船」です。これはキティちゃんの形をしたヘリウム風船に紙で作った足が重りとして付いていて、ちょうどキティちゃんが地面に足をつけて立っている形で釣り合って浮かんでいるものですが、キティちゃんの手に付けられた紐をひっぱると、フワリフワリと足を動かして、近づいてきます。ともちゃんは、このキティ風船を目の前で何度もぴょこぴょことジャンプさせてもらうと大喜びしています。今夜は興奮せずに眠れるといいのですが。

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2001年8月19日(日)

ともちゃんは大阪梅田にあるスカイビルに行きました。ともちゃんは、JR東西線に乗ってみたのと、靴を探しに行ったので、2年生のときに2回梅田に出かけているのですが、今回はそれ以来の梅田行きです。スカイビルには地上40階の展望台と人工の森があり、以前から一度訪ねてみたいと思っていました。今日はお盆休み最後の日曜日ということで、郊外に向うと帰省のUターン渋滞に巻込まれる恐れがあるため、大阪市内のスカイビルへのお出かけと決まりました。

 市内をスムーズに走り、スカイビルの駐車場に車を入れました。前回の失敗に懲りて、駐車場が地下2階であることを確認して、展望台に上がるためのチケット売場がある3階へ向かいました。両親のチケットは自販機で購入しますが、ともちゃんは障害者手帳を持っているので少し割引きがあり、カウンターで買いました。その時に、ともちゃんが車椅子で展望台まで行きたいことを伝えました。

 地上40階の空中庭園展望台へは、まずシースルーエレベーターで35階まで行き、空中シースルーエスカレータで39階まで上がった後、建物内のエスカレータで40階へというのが通常のルートです。車椅子使用のともちゃんの場合は、35階からは業務用のエレベータで案内してもらえるとのことので、35階で担当者が到着するのを待つように言われました。

 40階のさらに上には屋外の展望台があり、ここに上がるには通常は階段を利用します。車椅子利用者用に昇降機があるとのことで、「昇降機に乗り移ることは可能ですか。」と聞かれました。ともちゃんの場合は40階の屋内の展望台に行ければ十分で、風の強い屋上(今日は台風が接近していて特に風が強い)に上がるつもりはなかったので、お断りしました。でも、座位のとれないともちゃんは、きっと昇降機を利用することは不可能だったろうと思います。

 シースルーエレベーターに乗ったのは、ともちゃんの家族だけでした。ともちゃんのお母さんは狭くて高いところ、ゆれるところが苦手です。展望台まで行く人が少なそうなので、「展望台は狭いのではないかな、今日は強風で揺れているのではないかな。」と、お母さんは不安になってきました。お母さんは、ともちゃんとお出かけしたときには、いつでもともちゃんを守れるだけの心身の状態を保っていたいと思っています。39階で迎えに来てくれた案内の人に「(スカイビルは)台風が来ても揺れませんよ。」と言われて、やっとお母さんは安心しました。

 壁と間違えそうな扉を開けて通路を進むと、業務用のエレベータがありました。乗り込むと、ドアの横には各階の停止ボタンが3列に渡って40個以上もずらりと並んでいます。このビルの各階には事務所が入っていますから、考えてみれば当然のことなのですが、ボタンの多さに驚いてしまいました。40階のボタンを押してもらって展望台に着くと、観光客は他にもたくさん来ていました。

 ゆったりとした円形のフロアは快適な空間です。ともちゃんとゆっくりと外を眺めながら一周しました。北側に見える淀川をさかのぼって見ていくと、北東の方向にともちゃんの家の近くにある橋らしきものが見えます。ここで景色を見ながらミルクの注入するのもいいかなあと急遽場所を探しましたが、ベンチはすべて埋っていて取止めにしました。最初の予定通り、地下1階にある人工の森(中自然の森)で注入することにしました。

 業務用のエレベーターで地下1階まで下ろしてもらおうとすると、係の人から「39階にお土産屋さんがありますが、寄らなくてもいいですか。」と聞かれました。ともちゃんがお土産を買うのを楽しみにしていることを見透かされているようです。もちろん39階に止めてもらい、お土産を買いに行きました。

 ともちゃんは大阪地域限定キティちゃんグッズを買うことにしました。まずはキーホルダー。たこやきキティなどいくつもあるデザインをともちゃんに見せて、ともちゃんが自分で選んだのは、キラキラビーズの輪の中に大阪キティちゃんがいるといういかにも大阪的な派手なデザインのものでした。学校用のハンドタオルは2種類の柄があって迷ったのですが、「迷ったときは両方買う。」とともちゃんのことになると気前のよいお父さんの一声で決定です。スカイビルのプリクラも撮って、今度こそ地下1階へ向かいました。

 TVで何度も紹介されている地下食堂街「滝見小路」のレトロな町並みを抜けて、中自然の森の前に出ました。ここは高さ的には地下1階なのですが、掘割りになっていて完全な屋外です。正面には森が作られ、右手前方には今上ってきたスカイビルが聳え立っています。しっかりと日陰のベンチを確保して、青空の下で外気を吸いながらミルクの注入をしました。

 食後は中自然の森の散歩です。小さいながらもともちゃんの好きな木陰の山道です。人工の滝や、魚もいる川を見ながら車椅子で行けるところまで(階段の手前まで)散歩しましたが、ともちゃんは車椅子の振動に嬉しそうでした。楽しかったお父さんの夏休みも今日でおしまい。明日からは、ともちゃんはお母さんと通常の夏休みに戻ります。

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2001年9月1日(土)

 8月23日の午後、ともちゃんは38.9度の熱を出しました。異変に気付くきっかけは、けいれん発作でした。水分補給をしている時に異常にけいれんの気配が強くなって、どうしたのかなと思いました。周期的に強い筋緊張が起り、身体を縮める動作が続き、その内この周期に合せて声(最初は笑い声のような声から始まって、そのうち悲鳴のような叫び声になる)も出すようになりました。目が左右にチラチラ振れる眼振もあります。

 呼びかけると反応はあります。しばらく抱っこしていると、緊張も幾分和らいで、少し落着いてきたようです。声を出すこともなくなりました。けれども、心拍数は1分間に約130回と高い状態が続いています。もう落着くか、もう落着くかと様子を観察していましたが、1時間以上このような状態が続いたので抗けいれん座薬を入れました。

 そして、この時にともちゃんの身体が熱く感じられたので、体温を測ると熱がありました。発熱のためにけいれん発作が起りやすくなっているようでした。特に、咳や鼻水がひどいといった風邪の症状はありません。しかし、思い返せば、この日のともちゃんは朝から不安要素がいくつかありました。いつもは便秘がちなのに、今朝は下痢気味で何度も排便しています。さらに、おむつには何度も黄色い膿のような下り物が付いています。

 その後、ともちゃんの症状はさらに増えて来ました。経管栄養のチューブに水分を注入する前の、胃液の吸い上げ確認(チューブの先が間違いなく胃に入っているかどうかを見る)でドロドロのチョコレート色の液が上りました。これは、激しい出血を意味します。その上、さました白湯を注入すると、ともちゃんはアーアーと泣きそうな大声を上げています。胃が痛むのでしょうか。これは今までになかったことです。

 翌日、お父さんに会社を休んでもらって、病院を受診しました。ともちゃんは、この日も朝のミルク注入を始めたときに、アーアーと痛そうな声を出していました。病院では血液検査と尿検査を行ないました。炎症反応(CRP)は1.7で風邪の引き始め程度の値、尿中の白血球が増えているとのことでした。ともちゃんのお腹を押さえると痛がることから、お腹に来る風邪でしょうとの診断でした。

 さらに、胃からの出血は一時的な胃酸の増加による胃か食道の荒れが考えられるので、胃酸をコントロールする薬を出してもらい、尿路感染症も考えられるので、これにもお腹の風邪にも効果のある抗生剤も処方してもらいました。

 それから1週間経過しました。熱も、下痢も、下り物も治り、胃の痛みも、胃からの出血もなくなりました。全く食べられなかったお粥や、量を減らしていたミルクも、元気になるにつれて、徐々に元に戻しました。昨日の通院では、すっかり元気を取り戻したともちゃんが、お医者さんや看護婦さんにニコニコ笑っていました。病院で「明日は元気に登校して下さいね。」と言われた通り、今日の始業式は無事に登校することができました。

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2001年9月8日(土)

ともちゃんにとって最西端の姫路まで出かけました。姫路城へのお出かけは夏休み最後のお約束だったのに、予定していた日にともちゃんが体調を崩してしまい、心残りになっていました。

 本当なら山陽自動車道をどんどん進み、お父さんが出張でよく行っていた岡山県の備前までドライブしたいところです。けれども、現在のともちゃんの状態では、朝食にミルクを注入してお粥ペーストを食べ終るまでに時間がかかり、5時に起きてきても(ともちゃんは早寝、早起きで4時半ごろには目覚めます)、出発は9時を回ってしまいます。

 ミルク注入セットを持って行って昼のミルクを外で注入しても、ともちゃんが疲れずに午後からの予定をスムーズにこなすには2時ごろには帰宅しなければなりません。家に帰ると、昼食のお粥を食べ、その後も排便をしたり、身体をきれいにしたりと、5時に夕食のミルク注入を行うまでに、予定がびっしりと詰っています。そして早寝のともちゃんは、7時には寝室に行きます。

 午前9時から午後2時までのお出かけとなると、ともちゃんの家から西は姫路あたりが限界となってしまいます。ともちゃんの体調が最も安定していた2年生の頃は、日帰りで和歌山までお出かけできました。このころのともちゃんは経管栄養ではなく、牛乳やお粥をすべて口から摂取していましたが、食事のスピードは今より速く、朝食を終えて7時半には家を出発することができました。

 ともちゃんが2年生の体調を維持していれば、もう少し西まで行けたでしょう。しかし、その時々のともちゃんの体調に合せて、無理のないペースで家族で楽しみを共有したいと思います。経管栄養と経口の二本立てになって以来、ともちゃんはお粥弁当を持って外出したことはありません。今はまだ、ともちゃんも両親も外でミルクを注入するのが精一杯で、それ以上の余裕がないからです。外で昼食のミルク注入もし、お粥も食べられるようになると、またともちゃんのお出かけ範囲が広がるかもしれません。

 さて、今日も9時に出発です。西宮名塩サービスエリア(SA)で痰の吸引を行ない、ミルクの注入はともちゃん一家がお気に入りの下りの三木SAで行いました。お母さんはともちゃんのプリクラを撮ったり、キャラクター入りの名前シールや名刺などを作ることが大好きですが、三木SAには千社札シールを作る機械があります。キラキラの地に絵柄のついたかわいい千社札です。前回来たときに1シート作って「夏休みのくらし」の表紙に貼ったのですが、お母さんはもっと他の絵柄でも作りたいと思っていました。

 お母さんの希望通り千社札も作って、姫路を目指しました。カーナビの誘導に従ったら少し遠回りになってしまい、姫路城に到着したのは12時少し前でした。時間的には焦りましたが、姫路城の敷地内にある動物園の横の駐車場に車を止め、証拠写真だけを撮るつもりで車椅子でお城の正面までぐるりと散歩をしました。ともちゃんの大好きな木陰の山道(坂道)も通りました。ともちゃんは、車の中だけでも家族のおしゃべりや楽しい雰囲気を感じてお出かけしていることを喜んでいるようですが、やはり現地に着いて車椅子での散歩が一番の楽しみです。

 天守閣の正面の土産物屋さんでお土産も選んで、急いで帰路に着きました。遠くまでドライブして、散歩もしたともちゃんは満足したようで、車に乗るとお母さんの抱っこでお昼寝です。上りの三木SAについて経管で水分補給をしました。ミルクからかなり時間が経っているので、本当はお腹も空いてきたでしょう。経管でのお出かけを重ねて、そのうちお粥弁当も持って出かけられるようになればいいと思います。

 ここから家までは、速度違反にならない範囲で大急ぎで帰りました。それでも、帰り着いたのは2時を回っていました。すぐにお粥を用意して(両親が揃っているときは、お出かけしても手が多くあり、ともちゃんの世話と食事の準備が並行して行なえるので、ともちゃんに負担をかけずに手早く準備できます)、遅い昼ご飯を始めました。やはりお腹が空いていたともちゃんは、いつもより少し早いペースでお粥を食べました。

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