ともちゃん の日常20


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2001年9月8日以前(ともちゃんの日常19へ)

2001年9月

15日(土)
「小雨の明石市立天文科学館」

2001年10月

8日(月)
「石切神社」

2001年11月

3日(土)
「クリオネ」

2001年12月

9日(日)
「私は魔女」

2002年1月

1日(火)
「元気におめでとう」

3日(木)
「初詣代参」

6日(日)
「成田山不動尊」

2002年2月

23日(土)
「お家でゲームセンター」

2002年3月

13日(水)
「ようやく春が」

15日(金)
「小学部卒業式」

2002年3月31日以降(ともちゃんの日常21へ)


2001年9月15日(土)

「お出かけいう言葉を聞いてどう思うか、聞いてみよ。」というお父さんの問いかけに「はーん」と答えてニコニコしているともちゃんです。明石の天文科学館まで行ってみようかと話していたのですが、無情にも今朝のTVの天気予報では、神戸より西の方面では雨になるとのことです。雨が降ってきたら、そこでそのまま引き返そうということで出かけました。

 今日のドライブコースは阪神高速神戸線なので、山陽自動車道のように立派なサービスエリアはありませんが、小さなパーキングエリア(PA)ならあります。下りの垂水PAでミルク休憩を取りましたが、建物の中は混んでいそうなので、車の中でミルクを注入しました。今のところ、雨は降っていません。明石まであとわずか、順調に進んでいます。

 高速道路を降り、一般道を通って天文科学館を目指しました。もうすぐ天文科学館というタイミングでフロントガラスにはポツポツと水滴がつき始めました。「駐車場が地下なんていうことはないわな。」とお母さんが言っているうちに、天文科学館に到着。道路を挟んだ向かい側に平面駐車場がありました。

 「これぐらいの小雨なら、ともちゃんが濡れずに降りられるやろ。」というお父さんには一つの思惑がありました。MPVの後ろのドアは地面と平行になるように上に跳ね上がります。このドアを屋根として用い、この下にともちゃんの車椅子を降ろすのです。ともちゃんも横のドアから降りずに、お母さんに抱っこされて、車の中を通って後ろまで来て、そこから降ります。ここから降りると跳ね上げたドアが屋根になるので、この程度の雨では濡れません。

 ドアの下でともちゃんが車椅子に座り、車椅子の屋根を付けて車椅子ごとビニールですっぽり覆う雨カバーを被せてしまえば、もう雨の中に出ても濡れません。道路を渡って天文科学館の前まで行き、証拠写真の撮影です。そこで、館内に展示品があることを教えてもらい、ともちゃんもはりきって入館しました。お父さんが子供の頃は明石の天文台と言っていましたが、館内には入れず、前で記念写真だけを撮って帰った思い出があります。

 最初に14階の展望室に行って感激しました。2年前にともちゃんが渡った明石海峡大橋が目の前に架っています。淡路島も、行き交う船もはっきりと見えました。東経135度の子午線をまたいで、展望室をぐるりと一周しました。次は4階に下りて、太陽観測の展示と天文サロンの見学です。エレベータを4階で降りてから、4階の展示室に行くまでには数段の階段があるのですが、車椅子用にリフトが備えられたいました。

 呼び出しボタンを押して係の人が来るのを待って、ともちゃんはリフトに初乗りです。お母さんがともちゃんの乗った車椅子をバックでリフトに入れます。車椅子が落ちないように、ともちゃんの胸の位置にバーをロックして、足下には出っ張りのストッパーが上がります。そろりそろりとリフトが上がります。一緒にリフトに乗ったお母さんは手に力を入れてしっかりと車椅子のハンドルを握っていました。

 展示室にの高さまで上がると、今度はお母さんの後ろのドアが開き、お母さんはともちゃんの車椅子と共にそのままバックでリフトから出ました。ここには中心に立った人の影がそのまま針になるという日時計がありましたが、あいにくの天気で残念でした。ともちゃんは天文サロンを覗きました。小さな図書館のようになっていて、中には月球儀や星座儀、それに明石天文科学館のホームページが見られるパソコンが置いてありました。

 次に行った3階は、天体観測の展示です。ともちゃんは地表、月面、木星の表面、火星の表面の凹凸をそれぞれ再現した模型を触ってみました。ここのエレベータの天井には光ファイバで形作られた星が輝いていて、さすがは天文科学館という演出です。2階にはプラネタリウムがあるのですが、暗いところが苦手なともちゃんはプラネタリウムはパスしました。でも、プラネタリウム入口のロビーの天井にも光ファイバの星空があって、こちらは眺めて楽しみました。

 証拠写真を撮るだけのつもりが、天文科学館では思いがけなく展示を楽しむことができました。駐車場への移動は来たとき同様、車椅子にビニール製の雨カバーを付けて行き、車の後部ドアから車中に乗込みました。帰り道は名谷PAで水分補給をしました。車椅子用駐車スペースには屋根もあり、屋内まで濡れずに行けるように通路沿いに屋根が設けてあるので助かりました。「少しの雨ならお出かけもできるよ。」と、ともちゃんもゴキゲンです。

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2001年10月8日(月)

2学期が始まって、ともちゃんは週1回のお出かけと週1回の登校を楽しんでいました。9月の体重測定では、体重が念願の20kgを超えました。ともちゃんは、お出かけや登校をした後は楽しい興奮や疲れを癒して、今まで通り食事が摂れたり、しっかり眠れたりするまでは家で静養するということを忠実に守っています。今、ともちゃんの体重が順調に増えているのも、このような「食べる」ということ(これがともちゃんの弱点なのですが)を重視した生活を送っているお陰でしょう。

 疲れが取れるまでは静養するということを守りながらも、学校生活に慣れて回復がもう少し早くなれば、登校できる日が1週間のうちもう1日ぐらいは増えるかなと期待していました。9月になっても痰の絡みは少なく、今学期はいい滑り出しだと思っていました。しかし、厳しかった今年の暑さも終りを告げ、朝夕に涼しさを感じるようになると、季節の変わり目の気温変化が苦手なともちゃんは体調不良が続くようになりました。

 最初はけいれん発作が頻繁に起こるようになり、これが治ると今度は食欲が無いのか食事が進まなくなり、いつもの量の食事が摂れなくなりました。食事が摂れるようになると喘息発作が起こり、痰の絡みがひどくなるという具合でした。それで、このところしばらく学校を休んでいました。無理せずゆっくりと静養していたので、まだ少し酸素を吸入していますが、食事もしっかりと摂れるようになり、家で過す限りでは元気にしています。そんなともちゃんは、お出かけがしたくてしようがありません。

 ともちゃんの気分転換に近場のお出かけを考えました。今回の行先は石切神社です。ここはお父さんもお母さんも行ったことはないのですが、奈良方面に向って走っていると「石切神社」の文字とその方向を示す矢印を書いた大きな看板をよく見かけていました。お母さんにはこの看板が印象的で、一度行ってみようということになりました。お父さんによると、ここは「でんぼ」(大阪弁でおできのこと)の神様として昔から有名なところだそうです。

 お出かけが決まって、ともちゃんは大喜びです。自宅で過すなら、もうそろそろパルスオキシメータの値を見ながら、酸素吸入を止めていくところですが、お出かけなので念のために酸素をごく少量だけ吸入しながら行くことにしました。

 石切神社の近くまではすぐに行き着くことができましたが、神社の前にたどり着くことができません。車がやっとすれ違えるくらいの狭い道路から、さらに奥へと車の通れない細い参道を進まなくてはならないようです。どこかに車を止めたいのですが、駐車場が見当たりません。付近を何度も回って、神社の駐車場の案内板を見つけました。思いがけないところに駐車場はありましたが、駐車場内で誘導してもらった駐車スペースは本殿のすぐ横の一番よい場所でした。ここからすでに神社の賑わいが見えています。

 ともちゃんも車椅子でお参りしました。境内には途切れることなく参拝の人波がびっしりと続いていて、すごい人出だと驚いたのですが、よく見ると二つの石柱の間を行ったり来たりするお百度参りの人たちの列であることが分りました。人混みを避けながら、車椅子で本殿の前まで行ってお賽銭をあげ、鈴をガラガラと鳴らしました。

 神社の前には、私鉄の最寄り駅から続いていると思われる狭い坂道があり(石切神社は生駒山の山麓にあります)、その両側にお店が並んでいます。この参道は人がすれ違えるくらいの幅しかないので、キョロキョロするだけで道の両側のお店の様子がよく分ります。何代も前からずっと続いているような煎餅屋さんなど、ふだん見慣れないお店が多くて、古くからの門前町独特の雰囲気が漂っています。ともちゃんもいつものニコニコ顔とは違って、ちょっと緊張した好奇心一杯の目を爛々と輝かせています。

 お土産屋さんに寄っておみやげを選びました。お父さんが目を付けたのは金と銀の大きな鈴に紅白の紐がついたものです。鳴らすとガランガランとちょうど神社の鈴のような音がします。ともちゃんに「これどうや?」と鳴らしてみせると、音を聞いたとたんに笑顔が溢れました。「これに決める?」とまた鳴らすとニコーッと笑顔で返事です。ともちゃんのお宝(お出かけで集めたおみやげ)がまた一つ増えました。

 車に戻って、神社のざわめきを聞きながらミルクの注入をしました。思い付きで下調べも全くないままに訪れた石切神社でしたが、とても楽しいお出かけとなりました。古くからの神社ということでお年寄りが多かったのですが、「永遠のお子様にして、生まれながらの寝たきり老人」と家で言われているともちゃんにとって、新しい観光地だけではなくこういう場所もまた味わい深いかも知れません。

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2001年11月3日(土)

クリオネというのは、流氷の下に住む貝殻を持たない貝の仲間で、「翼」にも「手」にも見える部分をパタパタと動かして海中を泳ぐ生き物です。その泳ぐ姿から「流氷の天使」とも呼ばれています。

 以前、自宅近くの百貨店で北海道物産展があった時、北海道地域限定キティグッズとしてクリオネの着ぐるみキティちゃんが描かれたタオルを売っていました。これをお母さんがともちゃんのお土産に買ってきて以来、ともちゃんの家ではクリオネが身近な存在になりました。

 ともちゃんは「クリオネのポーズ」が得意です。これは、赤ちゃんがしているように両腕をW字型に肘で折り曲げて、足の方はまっすぐに伸ばしているポーズです。クリオネキティちゃんのタオルを見た時から、家では「ともちゃんは、クリオネの真似が上手なクリオネ娘やなあ。」と言われていました。

 先日、お母さんが地下鉄に乗っていると、クリオネが期間限定で特別展示されているという海遊館の広告がありました。ともちゃんに「今度のお休みに元気にしていたら、クリオネを見に行こ。」と話すと、とてもうれしそうにしていました。昨日はけいれん発作のため学校を休み、昼食時もボーッとしんどそうだったのですが、お母さんが「ご飯が食べられへんかったら、無理せんとお出かけはまた今度にしよか。」と言うと、ともちゃんは昼寝の後に早いペースでお粥を全部平らげました。

 今朝もいつになく早いペースで朝食を済ませたともちゃん。やはりお出かけが楽しみなのでしょう。小雨の中、海遊館に向けて出発です。早い時間に着いたので、海遊館の地下にある駐車場の車椅子スペースに駐車することができました。車椅子専用のエレベータで7階まで上がり、スロープになった通路を下りながら見学するのですが、混雑している水槽はどんどんパスして、5階の特別展示を目指します。体力がないともちゃんは、あれもこれもと欲張らず、今日の目的はクリオネだけです。

 クリオネは、イワシが回遊する水槽の奥に設えられた特別展示「カナダ・北極圏の生き物たち」のコーナーにいました。クリオネはとても小さく、水槽の位置が車椅子からでは見上げないといけない位置にあったので、ともちゃんには良く分からなかったかも知れません。それでもクリオネの水槽の前にできた列に3度も並んで(混んでいるので、あまり長く止まれないため)、「この小さいのがクリオネやで。分るか。」と何度もお母さんに説明してもらっていました。

 目的は果たしたので、スロープを下る途中、鯛の泳ぐ水槽をながめました。「ともちゃんは赤ちゃんの時、(まだアレルギーがなかったので、離乳食に)鯛のお刺し身を煮て、すりつぶして食べててんで。」と言うと、ニコニコうれしそうにしています。この水槽は大きくて、目の前に鯛が寄ってきます。ここで、お母さんはともちゃんの唇の色が悪いことにあわてましたが、これは水槽を前にした光の加減だということがわかって一安心しました。

 暗いので、ともちゃんはちょっと苦手なクラゲのコーナーをさっと見て、最後のお楽しみのお土産コーナーに行きました。ともちゃんのお土産は、水族館限定のイルカに乗ったキティちゃんのキーホルダーとクリオネのマグネット、それに学校で使うジンベエザメのハンドタオルにしました。

 お土産を買い終ると、ともちゃんは眠そうにしています。ミルクの注入の準備もしてきているのですが、ともちゃんが眠いのなら、車で眠っている間に家に帰った方が良さそうです。家でゆっくりミルクの注入をした方が、ともちゃんも落着くでしょう。ともちゃんは車に乗ると安心してぐっすりと眠りました。珍しく道路が渋滞していましたが、ゆっくり寝ていたいともちゃんにとっては、ちょうどよい時間で帰り着きました。

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2001年12月9日(日)

今日、ともちゃんは久し振りに学校行事に参加しました。養護学校の文化祭、むつみ祭です。例年は小学部全体で一つの舞台発表(劇)があるのですが、今年は全体は「お話出てこい」というタイトルで、低学年(1年生)、中学年(2、3、4年生)、高学年(5、6年生)がそれぞれ別の舞台発表をします。ともちゃん達の高学年は「ハンスの冒険」というミュージカルをします。

 6年生は今年の修学旅行で岡山のチボリ公園に行って、そこでミュージカル「ハンスの冒険」を見ています。このお話をもとにして、ともちゃんの養護学校風にアレンジしたものが高学年の発表です。残念ながら、ともちゃんは体調が悪くて修学旅行には行けなかったので、チボリ公園の「ハンスの冒険」は見ていません。音楽の授業でも「ハンスの冒険」の歌を取入れていたそうですが、ともちゃんは欠席していました。それで「ハンスの冒険」のCDを学校からお借りして、ともちゃんは家で聞いていました。

 主人公のハンスが、途中出会ったカエルや熊と仲間になり、船を作って冒険の旅に出ます。船から魚釣りをしているとサメがかかり、船を壊されてしまいます。そこへ魔女が通りかかって、一緒に旅に連れて行くことを条件に、魔法で船をなおしてくれます。ハンス、カエル、熊、魚、サメ、魔女の一行は旅を続け、夢を手に入れる、というのが養護学校版のあらすじです。

 ともちゃんの役は魔女。本物の「ハンスの冒険」でも登場し、「私は魔女。その名はミーニャ。」とテーマソングも持っている重要な役どころです。ともちゃんが休んでいる間、先生はぬいぐるみの熊を古いバギーに乗せて練習に参加して下さっていたそうです。ともちゃんは、先週の火曜日、初めて魔女の衣装合わせをし、先生に抱っこしてもらって教室で魔女登場シーンのダンスの練習をしました。

 一昨日の生徒鑑賞日、ぶっつけ本番で舞台に出たとき、ともちゃんはえらく緊張していたということでした。さて、今日はどうでしょう。

 ミュージカルのオープニングで、全員が歌に合せて花道に登場してきました。ともちゃんはにっこり笑って、そのまま、にこやかな表情です。この曲は、家で聞いていた時に、ともちゃんが一番お気に入りだった(ニコニコ笑って聞いていた)曲です。一度経験したから、もう様子が分っているので平気だよと、ともちゃんは思っているのでしょうか。

 ハンスはもちろん、着ぐるみ風の衣装がかわいいカエルや熊のお友達の熱演で、お話は進みます。カエルのお友達はぴょんぴょんとジャンプ。熊役の身体の大きなお友達が、もう一人のお友達よりも格段に大きな鉞(まさかり)を担いで現れた時は、あまりにぴったりの役柄に見ていたお母さんも笑みが浮かびます。材木が描かれた板に吊された鋸や金槌を引張ると船に早変わりするセットも、先生の力作です。蛍光染色の布で作った衣装を着たお魚たちはブラックライトの下で美しく輝いています。

 いよいよ魔女の登場です。テーマソングに乗って、ともちゃんは先生に抱っこされ、踊りながら登場しました。椅子に座って、魔女のセリフ(先生が言う)が入りました。その時です。ともちゃんは満面の笑顔で「ははーん」と小さく笑い声を出しました。先生がマイクをともちゃんに向けて下さっていたので、ともちゃんの話したセリフ「ははーん」も、ちゃんとスピーカーから流れました。

 カメラのレンズを通して、ずっとともちゃんを見つめていたお母さんも、「ははーん」の声を聞いて大感激でした。このところ、よく学校を休んでいたので、舞台でともちゃんのゆとりの笑顔が現れるだけでもうれしいことなのに、タイミングよくセリフも話す(声を出す)なんて、とてもすごいことです。

 ともちゃんは、この後のエンディングのダンスも緊張することなく、緩やかな表情で演じていました。先週むつみ祭の練習に出て以来、ともちゃんはお姉ちゃんがむつみ祭のことや魔女の役のことを話題にするたびに、うれしそうにしていたので、今年は例年になく張切っていたのかもしれません。むつみ祭前には体調が安定していて、1、2日置きに、良いペースで登校できたのも好かったのかもしれません。家に帰ってからも、何度もビデオを見て、両親やお姉ちゃんにたくさんほめてもらいました。

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2002年1月1日(火)

 2002年1月1日午前4時30分、ともちゃんはいつものように目を覚ましました。お父さんが起きて、先にともちゃんの生活空間であるリビングの暖房を入れて、ともちゃんの薬やミルクの用意をします。その間、ともちゃんは、寝室で寒くない様に毛布にくるまって、お母さんに抱っこされて待っています。

 リビングが暖まって、ともちゃんの朝の用意ができると、お父さんが迎えに来てくれます。ここまではいつも通りなのですが、今日はお父さんがともちゃんを抱っこするとき、「今日はお正月やで。お正月には『明けましておめでとう』ってあいさつするねんで。」と、ともちゃんに教えてくれました。ともちゃんはきょとんとした表情で(ニコニコして?)聞いていました。

 ともちゃんの今年のお正月は、このようにして始まりました。体調は絶好調とは言えませんが、今年も入院せずに自宅で元気に新年を迎えられたことを幸せに感じています。

 昨年はむつみ祭の前後は体調も安定していてたくさん登校できたのですが、その後また体調が勝れず、結局2学期の終業式も休んで先生に通知票を自宅まで届けてもらいました。2学期も無理はせず、ともちゃんの体調を維持できるようにと生活のリズムを崩さず、食べることや寝ることを最優先にして過したので、出欠状況は11勝(出席日)、73敗(欠席日)という散々なものでした。けれども、この生活のお陰で、体重が念願の20kgを越えました。

 修学旅行、運動会を初め、むつみ祭以外の学校行事に参加できなかったことは残念でした。特に、修学旅行は経管栄養になって以来のともちゃんの状態(夜の呼吸管理が必要なので自宅以外でのお泊りはしない)と両親の希望を考慮して、特別にともちゃん専用に日帰りの予定も考えて下さっていたのに、体調不良で参加できなくなり、申し訳なかったと思っています。

 ともちゃんも今年はいよいよ中学生になります。小学部の集大成として、体重を増やし体力をつけて、できるだけ体調を安定させて、中学部に上がりたいものです。それと同時に、残り少ない小学部生活をできるだけ多く楽しませてあげたい、そのためには3学期はできるだけたくさん登校させてあげたいとも思っています。やはり、ともちゃんの体調に合せて、無理せずということになるのでしょうが。

 さて、ともちゃんのお正月に話を戻しましょう。お父さんがお正月休みに入って以来、ともちゃんはお父さんに笑いかけたりお話したりと、さかんに「お出かけしようよ。」と誘っているようです。しかし、ともちゃんは痰が多く、なかなかお出かけできそうにありません。そこで、お母さんは家の中で家族で楽しめるようにと「ハローキティ・モノポリー・ジュニア」というボードゲームを買ってきました。

 今日は家族でモノポリー大会でした。ともちゃんはサイコロを持たせてもらい、手を添えて振ってもらって、ぽとりと下に落とします。お姉ちゃんが破産しかけているとか、お母さんのお店をお父さんに横取りされたとか、ゲーム途中のおもしろい場面では、ともちゃんもタイミングよく家族と一緒に大笑いです。ともちゃんは本当に強くて、2戦2勝(2回とも1位)でした。

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2002年1月3日(木)

ともちゃんは、やっぱりお出かけしたくてたまらない様子です。今日は朝から痰も少ないので、近くの神社まで短時間で初詣に出かけることにしました。今年はお姉ちゃんが高校受験を控えているので、学問の神様、天神さんを祭った佐太天神にお姉ちゃんの代理でお参りです。

 今年のお正月は例年にない寒波ですから、ともちゃんもいつも以上に重装備になります。Tシャツの上に登山用品メーカーの長袖アンダーシャツ、その上に薄手のフリース地のハイネック、さらに起毛のトレーナ、そして登山用品メーカーの分厚いジャケット。下は登山用品メーカーのアンダーウエアの上にズボンをはいています。

 毛糸の帽子をかぶり、小さなともちゃんの顔の鼻から下が図らずも全部隠れてしまう風邪予防のマスクをつけて、目元だけが出ています。去年に続いて怪しい小学生のともちゃんができ上がりです。車椅子に座った後は、もちろんひざ掛けをして、その上にともちゃん特注の車椅子用防寒カバーを掛けています。ともちゃんの冬装束に登山用品が多いのは、登山用品なら間違いなく寒さを防いでくれるはずだというお母さんの思い入れがあるからです。

 口許のマスクが気になるともちゃんは舌でペロペロ、唇でクチュクチュとなめてしまっています。この冷たい風の中でマスクが濡れると口許が寒くならないかと、お母さんは心配です。駐車場までの道のりを急ぎました。車の中も冷えていて、ヒーターを入れてもすぐには暖まりません。それでも、冷たい風を防げる分だけ、車に乗込むとほっとします。

 少し車内が暖まってくると、ゼロゼロとたくさん痰がわいてきて、ともちゃんは酸素ボンベにつながれてしまいました。暖かい部屋から、冷たい外気、再び少し暖かい車中という急激な寒暖の変化こそ、ともちゃんの大敵なのです。酸素吸入をしていると、これくらいの痰は、ともちゃんが自分でコンコンと咳込んで切ることができます。

 佐太天神までは車で15分ほどで着きました。境内は参拝者もまばらで、風邪を移される心配はないようですが、よけい寒さを感じます。ここ佐太天神の境内にはお稲荷さん(佐太稲荷)の祠(ほこら)も、えべっさん(佐太戎)の祠もあって、いっぺんに3社詣でができます。例年は近くの神社を3カ所回って3社詣でをするともちゃんですが、今年はここで一度に済せました。

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2002年1月6日(木)

お出かけの楽しさを思い出したともちゃんは、もっとお出かけしたくてたまらない様子です。月に一度の小児科の神経外来受診のために通院した時も、看護婦さんや担当医の先生相手にギャハハ、ギャハハと大笑いしていました。ずっと自宅で過していると味わえない外の刺激が新鮮なのでしょう。このところ痰の絡みも少ないし、お父さんの冬休み最後の今日、成田山不動尊まで2回目の初詣に出かけました。

 成田山不動尊は交通安全の神様で車のお祓いで有名なところです。といっても、ともちゃんが行くのは千葉県にある本山ではなく、大阪府下にあるその分家です。ともちゃんの家では車のお祓いをしてもらうつもりはありませんが、新車になったことでもあるので、成田山にもお参りしておこうということになりました。成田山にお出かけするのは始めてです。成田山はともちゃんの自宅から車で30分くらいの距離にあるので、ミルクなどの外食の用意はせずに、さっと行って、さっと帰るというお散歩モードでのお出かけにしました。  今朝、ともちゃんは酸素吸入することなく過ごせています。でも、冷たい外気にふれると痰がゼロゼロとわいてくることは明らかです。それで、途中であわてて酸素吸入をしなくてもいいように、家を出る時から鼻カニューラで酸素をごく少量流しながら行くことにしました。屋外は冷たい風と凍える空気でお母さんは寒くてたまらなかったのですが、今回も重装備で防寒のともちゃんは、駐車場までの道のりでも声を出して笑っていました。寒さよりも楽しさが勝っているようでした。

 お正月の三が日は過ぎたというのに、ともちゃんの車の前後の車も続々と成田山を目指していて、改めて成田山の人気の高さを知りました。駐車場整理の人が車のお祓いをするかどうかによって車を振り分け、それぞれの駐車場に誘導しています。誘導されて着いた駐車位置は本殿の正面、本殿に一番近い位置で車椅子のともちゃんにはぴったりの場所でした。喜びもつかの間、本殿を見てびっくりです。本殿までは階段が続いています。

 困ったことになったなあと辺りを見回してみると、本殿前の車のお祓い用の駐車場まで、車のためのスロープが続いています。ここを通って行けないかな、危ないかなあと、様子をうかがっていました。すると、そこへ、車椅子に乗ったともちゃんよりも大きいお兄さんとその御両親がお祓いをしない方の駐車場から出てきて、慣れた様子で車用のスロープを通って本殿へと向って行きました。ともちゃんも思わずその後に続いてスロープを上りました。

 ともちゃんはお父さんとお賽銭をあげて、手を合せて拝みました。ここでもやはり、ともちゃんには健康お守りを、お姉ちゃんには合格お守りを買いました。立ち止ると、ともちゃんがオーオーと怒ったような声を出したので、本殿の周りをぐるりと一周しました。

 正面に戻ってくると、ちょうど山伏の格好をしたお坊さんがほら貝をブオーォォ、ブオーォォと鳴らしながら入ってきました。カンカンカンカンと鐘の音も賑かです。しばらく立ち止まって見ていたのですが、さすがにともちゃんも怒ることなく、「めずらしい音がしているなあ。何やろ。」と、ほら貝と鐘の音に聞き入っているようでした。

 帰りに車用のスロープを通り抜けようとしていると、今度は老人ホームの車椅子の団体さんと一緒になりました。駐車場整理の係の人が柵を外したりして、誘導していたことから、やはり車椅子の参拝コースはお祓い用の駐車場を通り抜けることが正解だったようです。それにしても、車椅子の人がたくさん初詣に来ていた成田山でした。

 寒い中、大急ぎで、お参りした成田山でしたが、ともちゃんは満足そうでした。

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2002年2月23日(土)

 ともちゃんは3学期の始業式に熱を出してしまいました。幸い、インフルエンザではない普通の風邪で、熱自体は数日で下がったのですが、その後も痰の絡みがひどくて、3学期はまだ一度も登校できていません。でも、幸いなことに、しんどい状態がずっと続いているという訳ではありません。だんだんと痰が少なくなってきて、家では酸素吸入なしで生活できるようになってきたので、そろそろ「明日は登校できるかな。」という状態までくると、また翌日にはゼロゼロと痰が多くなるということを何度か繰返しています。

 ともちゃんの痰の絡みが激しい時は、安全に食べること(経管も経口も)と寝ることに神経を使い、それだけで一日が終ってしまいます。しかし、その状態から脱すると、酸素吸入と吸引器の助けを借りながら、マイペースでのんびりと過ごしています。必ず春はやって来ます。温かくなれば、ともちゃんの痰も少なくなり、無理しなくても登校できるようになると思い、気長に構えて自宅療養しています。今回のお話も、ともちゃんがのんびりと療養している間のお話です。

 1月の終り頃、1人で大きなスーパーまで買物に行ってきたお母さんが、アニメキャラクター付きのキーホルダーを見せながら、「(ゲームを)やったら、100円で取れてんで。(こんなことは滅多にない)ラッキーやったわ。」と自慢気に話していました。お父さんに抱っこされて聞いていたともちゃんは、怒ったような口調で「オーオーオーオー」と大きな声を出しました。

 ともちゃんは、自分がゲームセンターの話題に入れないのが悔しいのでしょう。「ともちゃんも、今度お家でゲームやって景品取ってみよか。」とお母さんが話しかけると、ともちゃんはニコニコとして、「ハン」と小さく声を出してうれしそうです。お母さんが言う「お家でするゲーム」とはゲームセンターにあるプライズ(景品)ゲームを作っているバンプレストが運営しているインターネットゲームセンターBig Entertainmentのことです。

 本物のゲームセンター(スーパーのゲームコーナー)は大きな音がうるさく、落着かないので、ともちゃんは好きではありません。Big Entertainmentはプライズゲームにも興味のあるお母さんが、いつかともちゃんと一緒にしようと、以前から目を付けていたものです。

 数日後、ともちゃんの体調も落着いていて、時間的にも余裕があったので、ともちゃんはインターネットでプライズゲームに挑戦しました。まずはプライズを選びます。お母さんがともちゃんに「景品、何にしよう。ポケモンがいいか? おじゃる丸がいいか? ガンダムにするか?」と聞きました。すると、ともちゃんは「おじゃる丸」と聞いてにっこり。「おじゃる丸」はお父さんも好きなキャラで、よくお父さんと一緒にアニメを見ています。

 「ほんなら、景品はおじゃる丸のふさ付きストラップにするで。ええか?」と聞くと、ともちゃんはまたまたにっこり。景品は決定です。次はゲーム機を選びます。ともちゃんにも遊びやすいように、偶然性が大きい、スロットリフターにしました。これは数字が回転するスロットマシンのボタンを3つ押して、出た数字の合計が5以上になれば景品がもらえるというものです。

 まずは無料の(景品ももらえない)お試しゲームで少し遊んで、肩慣らし。お母さんがカーソルを必要な位置に動かした後、ともちゃんと一緒に「行くで。えぃっ。」とクリックして、スロットを止めます。ともちゃんはお試しゲームで2回も合計5以上を出して、お母さんに「すごいなー。」と言われて、うれしそうです。

 いよいよ、有料ゲーム開始です。前もって購入したインターネット用のプリベイドカードで支払い手続をしました。本物と同じく1回100円ですが、今日は500円だけ遊びます。気のせいか、お試しゲームに比べて、有料ゲームの方はなかなか合計が5になってくれません。「うーん、残念。合計が4やったなあ。」とか、「今回は2回目で、もう4になっているから、あとは1以上で景品ゲットやで。」とか、お母さんの興奮した言葉が出るたびに、ともちゃんにも雰囲気が伝わるのでしょう。お母さんが「ワクワクするなあ。」と言うと、ともちゃんはにっこり笑って「ハーン」と声を出しました。

 5回目にして、ともちゃんは「おじゃる丸ふさ付きストラップ」をめでたくゲットしました。お姉ちゃんとお父さんが帰宅するたびに、お母さんがともちゃんの奮闘を伝えて、みんなに「すごいなあ。」と誉めてもらいました。この夜、ともちゃんは少しピリピリしていました。しばらく、刺激の少ない穏かな日々が続いていたので、久し振りに興奮したのでしょう。

 景品は送料を支払って、後日配送してもらいます。ともちゃんは、この後もお母さんとゲームをして、おじゃる丸の湯のみも3個ゲットしました。

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2002年3月13日(水)

 その内ともちゃんの体調も安定して登校できるようになると、気長に構えている間に、とうとう3月になってしまいました。暖かくなるにつれて、少しずつ痰の絡みは軽減してきたので、ともちゃんはそろそろ登校することを考えながら、それに合せた生活を心がけていました。しかし、今度はけいれんの気配が強くなって、筋緊張が強く呼吸が浅いということが多くなり、そのために少しの痰でも切れにくいという状況に陥って、なかなか酸素吸入が手放せないでいました。

 昨日はけいれん発作のために、登校のチャンスを逃してしまったのですが、今日は大丈夫です。今年初めての登校ですが、小学部としての登校日は今日を入れて残り3日しかありません。スクールバスには間に合わなかったので、タクシーを呼んでマンションの下に降りると、明るい春の日差しが照りつけてポカポカといい気持ちです。タクシーの中は一段と暖かで、「ともちゃんの冬ごもり」の季節が終ったことが実感できました。

 冬ごもりの間も、通院のためにタクシーに乗ると、ともちゃんは屋外へ出たのがうれしくて、興奮して「オーオー」と声を出していました。今日も大きな声を出していたので、お母さんが「今日は病院とちがうで、学校やで。やっと学校行けるねんで。よかったなあ。」と話しかけました。ともちゃんは、お母さんの話しかけにうれしそうにしていました。

 学校では重複障害学級たんぽぽ組での「6年生を祝う会」が行われていていました。たんぽぽ組からの卒業生は、ともちゃんとY君の2人です。みんな揃った賑やかな教室に登校できたともちゃんは、学校の楽しさを思い出してくれたようです。みんなから「卒業おめでとう。」と言ってもらった後、短い時間でしたが明後日に迫った卒業式の練習を当日の会場となる体育館でY君と2人で行いました。

 ともちゃんは体育館に入った時はキョトンとしていたそうです。しかし、卒業証書をもらう時に名前を呼ばれると2秒くらいしてから「アー」と返事をしました。2回練習したのですが、2回とも返事をしたそうです。卒業証書をもらう間もギャハハハと大笑い。Y君が証書をもらいに行く時も先生の注意する声に反応してギャハハハと大笑い。ともちゃんは練習中ずっと上機嫌だったそうです。

 このともちゃんの様子を先生から聞いたお母さんは、あさっての卒業式は絶対元気で出席するからねという、ともちゃんの意気込みのようなものを感じました。今日は練習をした後、経管でのミルクの注入をして、タクシーで早退しました。2時間余りの登校でした。明日は1日しっかりと自宅で休養して、卒業式にはぜひ参加したいものです。

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2002年3月15日(金)

一昨日の登校が、ともちゃんにとって良い方に転ぶか(登校のリズムに慣れるか)、悪い方に転ぶか(体調を崩すか)と心配していました。幸い、良い方に転んで、ともちゃんは登校への意慾を燃やしています。ともちゃんは、おそらく、今日が卒業式であるということは理解できないでしょう。しかし、先生や家族の様子から、今日が特別な日であるという雰囲気は感じ取っているようで、朝は4時45分に起きて、朝の予定を着々とこなし、自力で排便まで済ませました。

 ともちゃんの都合で登校が遅くなっても少しでも卒業式に参加できるようにと、お母さんは式次第を詳しく聞いて、遅れる場合の先生との連絡方法も相談していました。けれども、今朝のともちゃんの気合は十分で、スクールバスには間に合わないまでも、卒業式には最初から参加できそうです。

 ともちゃんは卒業式には「お姫様ドレス」で参加をします。1年余り前、お姉ちゃんとお母さんがヒラヒラのたくさん付いたドレスの話をしていた時、ともちゃんが「アーアー」と大きな声で、話に寄ってきました。お姉ちゃんが「ともちゃんもヒラヒラのスカートが欲しいか?」と聞くと、ともちゃんが笑顔で「はあーん」と答えたのが、ことの始りでした。

 今は制服以外は全くスカートを履かないお姉ちゃんも、保育所時代にはヒラヒラのロングスカートが大好きで、お祖母ちゃんに作ってもらったロングスカートをはいてよく遊んでいました。ともちゃんもヒラヒラスカートが好きなのかもしれません。いつもは実用的なズボンしか履いていませんが、ヒラヒラスカートを履かせたら、華やかな気分になって、喜んでくれるかもしれません。

 とは言え、市販のロングドレスでは材質やデザインが不向きで、体温調節が下手で体の硬いともちゃんにとっては寒い上に着にくいのです。それで、ともちゃん用として、フリース地にヒラヒラの綿レースをつけた足の隠れるくらいのロング丈のジャンパースカートをお祖母ちゃんに作ってもらいました。いつものズボンの上に、ひざ掛けの代わりに着るのです。ピンク色のトレーナの上にピンク色のヒラヒラジャンパースカートを履けば、立派なお姫様ドレスに見えます。

 一足先に中学校の卒業式を終えたお姉ちゃんが、今朝はスタイリストさんになってお手伝いをしてくれました。昨日、ドレスに合うと買ってきてくれた白いレースのリボンも髪に結んでくれました。経管栄養のチューブはかかりつけの病院の看護婦さんに頂いたリンゴの絵を描いたテープで止めました。支度は完璧です。「ともちゃん、ドレスが良く似合ってかわいいなあ。」と言うとうれしそうに笑っています。お姉ちゃんに見送られて、タクシーで学校に向かいました。

 卒業式が始まりました。ともちゃんは緊張しているのか、神妙な硬い表情で入場してきました。終始ケラケラと大笑いをしていたという一昨日とは大違いです。体育館の厳粛な雰囲気を感じているのでしょうか。それとも、朝から張り切りすぎたので、少し疲れが出たのでしょうか。名前を呼ばれても、知らん顔をしていました。

 ともちゃんが卒業証書をもらう時には気が付かなかったのですが、卒業生に合わせて、登場の音楽が一人一人違います。お母さんは「となりのトトロ」の音楽で登場したお友達のときに、はじめて気がつきました。後で先生にお聞きしたら、ともちゃんのときは、いつも朝の会で歌っている歌だったそうです。何がいいか考えて下さった時に、ともちゃんが大好きな朝の会の歌がいいだろうということになったそうです。ともちゃんにとって、朝の会は小学部の大好きな思い出の一つ。良い選択をしてもらったと思います。

 最初は緊張していたともちゃんでしたが、式が進むにつれて会場の雰囲気に慣れてきたようです。ずっと車椅子ではともちゃんがしんどいだろうと先生に抱っこしてもらい、いろんな人のお話を聞く間、よく笑っていました。巣立ちの言葉の時はマイクを向けるとおすましだったそうですが、マイクを離すとガハハハと笑っていたそうです。

 式が終って、ずらっと廊下に並んだ在校生や先生に紙ふぶきを撒いてもらいながら、スクールバスまで見送ってもらう時も、ともちゃんは大喜びでした。先生に抱っこしてもらって紙ふぶきの中を通ったのですが、ギャハハと満面の大笑いでした。バスの前まで行ったともちゃんは、バスには乗らずに保健室に行って、小学部としては最後のミルクの注入をしました。

 ともちゃんにとって、今日はいつもとちょっと違って興奮もしたけど、とても楽しい学校でした。ちょっと時間は遅いけれど、いつも通り先生に抱っこしてもらってミルクの注入をして、いつも通りタクシーで帰宅しました。お母さんも、ともちゃんを卒業式に出席させることに夢中で、6年間の感慨にふける暇はありませんでした。明日もまた同じような小学部生活が続くような気がしますが、今日で小学部は卒業です。

 小学部生活を振り返ってみると、低学年の頃は体調も安定して、先生や友達と新しい経験をたくさん重ねることができました。しかし、4年生の厳しい入院生活を機に、ともちゃんの生活は大きく変化しました。体調が優れない日が多く、体調管理によりいっそうの注意が必要となったため、登校日数は少なく登校時間は短くなりました。

 それに伴い、学校での注入を初め、ともちゃんの医療的ケアのための体制を整えて下さったことは大変ありがたいことでした。遅刻して登校した朝のたんぽぽ組のざわめき、朝の会で歌を歌ったり名前を呼ばれたりしたこと、保健室で先生に抱っこしてもらってミルクを注入する間の先生とのおしゃべり、これらはすべてともちゃんにとって楽しい小学部の思い出です。

 この3学期のともちゃんの登校日は、冬の不調が長引いて2日間だけで、6年生の出欠は26勝(出席)、185敗(欠席)でした。けれども、体重は22.6kgと入学時の約2倍になり、身長も130cmを越えました。また、4年生の厳しい入院の後は、入院することなく過ごすことができました。これらは、ともちゃんの豊かな小学部生活の証です。ともちゃんは元気に中学生になります。

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