ともちゃん の日常21


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2002年3月15日以前(ともちゃんの日常20へ)

2002年3月

31日(日)
「ハローキティと桜まつり」

2002年4月

6日(土)
「ハローキティと『葉桜』まつり」

8日(月)
「中学部入学式」

28日(日)
「交通科学博物館」

29日(月)
「大阪歴史博物館」

2002年5月

3日(金)
「海南で災難」

5日(日)
「東福寺に再挑戦」

12日(日)
「最南端の道成寺」

16日(木)
「中学生になってんで」

2002年6月

30日(日)
「彦根城」

2002年7月以降(ともちゃんの日常22へ)


2002年3月31日(日)

まだ、ともちゃんが冬ごもりをしていた1月、お父さんが通勤で乗るモノレールの駅で1枚のチラシをもらってきました。「ハローキティと桜まつり」のチラシです。3月30日から4月7日まで、サンリオピューロランドのキティちゃんが万博公園にやってくるというのです。モノレールの駅には「ハローキティと桜まつり」と書かれた横断幕も張られて、改札にはキティちゃんのぬいぐるみも置いてあったといいます。その日以来、ともちゃんは「春になって元気になったら、万博公園にキティさんに会いに行こうね。」と言われてきました。

 卒業式の後ともちゃんは熱を出して、また痰が多くなってずっと家で過ごしていました。今年の春は暖かく、桜の開花も例年より早くなっています。先週はずっと「ゼロゼロがなくなって酸素吸入なしで過ごせるようになったら、今度のお休みに万博公園に行こうね。」と話してきました。万博公園の桜も今日が見頃でしょう。ともちゃんの痰も少なくなってきているし、用心のためにまだ酸素は外せませんが、特別に酸素をつけたままで万博公園に出かけることにしました。

 お出かけが決まると、ともちゃんにも気持ちが伝わるのでしょうか。朝の予定もスムーズにこなし、9時に出発しました。グッズ販売やゲームコーナのある「ハローキティ」の会場は10時に開場なので、余裕を持って行けるだろうと思っていたのですが、この予想は大きく外れてしまいました。絶好の花見日和の今日は、一般の花見客が朝から大勢万博公園に押し寄せてきていて、公園の周回道路は大渋滞になっていました。

 予定していた東駐車場は周回道路をぐるりと一周しなければ行きつくことができません。その上、周回道路脇には「中央駐車場満車」の表示が出ています。渋滞の道路を一周している間に東駐車場も満車になるかもしれません。幸い、すぐ近くの南駐車場はまだ満車ではありません。ここはとりあえず、南駐車場に車を止めることにしました。

 車椅子スペースに車は止められたのですが、ここからキティちゃん会場まで車椅子でどうやって行くかは、全く調べていませんでした。近くに係の人もおらず、表示もないので、人がゾロゾロ進む流れに従ってスロープを上がって行きました。スロープを上がったところには、ともちゃんの車椅子が通れないくらい隙間が狭い車止めの柵があったのですが、お母さんが「車椅子のことも考えてや。」と言いながらともちゃんを抱っこして、お父さんが車椅子を持ち上げて、通り抜けました。

 けれども、このコース選択は大きな間違いでした。その後、多くの人波に混ざって、坂道をどんどん進んでいったのですが、道のりの半分くらい行ったところに階段がありました。あの車止めは、このずっと先に階段があると言う意味だったのでしょうか(「この先階段あり」とでも表示しておいてくれれば良かったのですが)。

 ともちゃんを乗せたまま、二人で車椅子を持ち上げよう両親が算段していると、「手伝いましょうか。」と声をかけて下さる方もおられました。大変ありがたいことです。けれども、二人で何とかなると思ったお母さんは「ありがとうございます。大丈夫です。」とお断りしました。お父さんが頭側、お母さんが足側を持とうとしたのですが、足側のシャーシ部分を持つとともちゃんの足が邪魔になって、お母さんは安定して階段を下りることができません。

 困っていると、女性の方がさっと右の足側に近寄って、「こっちは二人で持ちましょう。」と手伝って下さいました。かなり重いので申し訳ないと思いながらも、この状況ではこの申し出は本当にうれしくて、手伝っていただきました。階段は思っていたよりもずっと長く続いていて、お父さんが頭側、お母さんが左の足、助けて下さった女性の方が右の足を持上げて、車椅子を運びました。途中、男性の方も加わって下さいました。助けて下さった方々の親切が身に染み、心からお礼を申し上げました。

 「ハローキティ」会場近くの道沿いは桜が満開で、屋台も出ています。もうすでに、大勢の花見客がシートを広げています。「ハローキティ」会場は予想していたよりも随分と狭く、開場から時間も経っていたので大変混雑していました。「キティちゃんのお部屋」という撮影スポットで写真を写そうとしても、長い行列に並ばなくてはなりません。奥にあるゲームコーナは人込みで、車椅子では近づくこともできません。

 ともちゃんも、ここまで来るのに疲れてしまったようです。写真を撮って、グッズコーナでお土産を手早く買って、会場を後にしました。桜の広場に出て、ともちゃんを車椅子から降ろして抱っこすると、ようやくともちゃんの顔に表情が戻り、笑顔が見られました。グッズコーナでお土産を選ぶ時も、どのキティちゃんを見せて話しかけても、表情は硬いままでした。お土産にはキラキラ派手好きのともちゃんのために、金色のクマの着ぐるみを着た大阪テディベアキティちゃんを買いました。

 桜が満開の広場で、多くの花見客に混じって、ともちゃんもミルクの注入をしました。お出かけ先でのミルクの注入も、今まではサービスエリア内の建物の中や車中で行なっていました。青空の下での注入は始めてです。地面にあぐらをかいたお父さんに抱っこされたともちゃんの傍に、お母さんがミルクを入れたイルリガートル(注入するミルクを入れる袋)を高く持って立ちました。気候もちょうど良くて、桜は満開、まわりにはお弁当を広げている人たちがたくさんいます。ともちゃんも今日のミルクはきっとおいしかったでしょう。

 帰りは、係の人に車椅子でも通行可能な段差のない道であることを確認した上で、来るときに横切ったエリアを迂回する道を通りました。ピューロランドからやってきた本物のキティさんに会えなかったことはちょっと心残りでしたが、ともちゃんにとって桜を見ながらお弁当(ともちゃんにとってはミルクの注入がお弁当)を食べるという本当のお花見が経験できて、とても楽しいお出かけでした。

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2002年4月6日(土)

3月30日のお出かけは、お花見注入ができてとても楽しかったのですが、キティちゃん(ピューロランドからやって来た着ぐるみ)に会えなかったのが心残りでした。今日は、万博公園周回道路には入らないで直接東駐車場を目指すというコースをとって、再度「ハローキティ桜まつり」に挑戦しました。前回はお祖母ちゃん宅に行っていて一緒に行けなかったお姉ちゃんも、今回は同行します。

 一般道を通るこのコースは、駅前の繁華街が予想通りの混み具合でしたが、無事に東駐車場に到着して車椅子スペースに車を止めました。ここからだと「ハローキティ」会場まで階段のないコースで、前回よりも短時間で着くことができます。会場に向う途中に、キティちゃんのショーの時間の案内が出ていました。ショーの様子が人垣の間からチラリとでも見られれば、キティちゃんの顔が見られます。会場に着くとちょうどショーが始まったところでした。

 客席よりも一段高い舞台がない会場は、黒山の人だかりです。後ろの方は子供がお父さんに肩車されて見ています。けれども、車椅子ではそういうわけにもいきません。会場のガラス張りの建物の外に出て、後ろから見ようとしましたが、柵がしてあって後ろ側に回ることもできませんでした。

 「今のうちに空いているゲームした方が得やで。」お姉ちゃんの言うことは正論です。前回来た時は大混雑していた「キティちゃんのお部屋」の撮影スポットも、ゲームコーナもガラガラです。ゆっくりとキティちゃんの部屋で写真を撮って、その後でゲームをしました。お姉ちゃんと回したガラガラ抽選も、お母さんとやったボール落しも、どちらも一等賞でキティちゃんの景品をもらいました。さすが強運の持ち主のともちゃんです。

 ゲームをしている間にショーが終ったようです。人垣が割れて出口が作られ、ショーを見ていた子供達が一人一人キティちゃんと握手をしってもらって出てきます。出口の流れがとぎれたのを見計らって、ともちゃんは出口から中を覗き、キティちゃんをチラッと見ることができました。係の人が「次のショーは1時からです。前もって連絡してもらえれば、(車椅子でも見られるように)誘導します。」とおっしゃったのですが、1時ではともちゃんはもう帰る時間でしょう。

 一応キティちゃんを見られたので、「キティちゃん、今日はヒラヒラのスカートはいてたなあ。」などとともちゃんと話しながら、会場を後にしました。前回と同じ場所で、散ってしまった桜を見ながらミルクの注入をします。桜の満開の時期はとっくに過ぎたのに、花見客は前回以上の多さです。以前と同様に適当な場所に陣取り、お父さんがともちゃんを抱っこして座り、お母さんがミルクの入ったイルリガートルを高く手に持って立ちました。お姉ちゃんも一緒なので、注入中も一等賞の賞品を見たりと何かとにぎやかです。

 ともちゃんのミルクを持ちながら、もう一方の手で「ハローキティと桜まつり」のパンフレットを見ていたお母さんが、「桜まつり限定グッズ」が載っていることに気付きました。前回の買い物では見落していたグッズです。再入場が可能なので、ともちゃんがミルクを飲み終えてから、もう一度お土産コーナーに行ってみました。

 限定グッズは、前回は人が多くて近寄らなかった一角にありました。この一角でひときわ目を引いたのが、桜の柄の着物を着て万歳をしているキティちゃんの人形です。 下駄を履いていて、もたれなくても自分で立っています。ともちゃんの車椅子からも、ともちゃんの目線と同じ高さに、ちょうど正面に向かい合う形で飾られていました。でも、かなり値段が高いのです。前回もお土産を買っているので、今回は小さな物だけと、両親は考えていました。

 「このキティさん、着物着て珍しいけどなぁ。前もお土産買ったからなぁ・・・。今日はやめとこか・・・」。ちょっと間を置いて「ともちゃん、これ欲しいか?」というお父さんの問掛けに、ともちゃんは今回のお出かけで一番の満面の笑顔で答えました。これで決定です。ともちゃんは「桜まつりキティちゃん」を家に連れて帰れることになりました。お土産コーナでも、ひときわ大きな袋に入れてもらったキティちゃんをお姉ちゃんに持たせて、ともちゃんは大満足でお家に帰りました。

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2002年4月8日(月)

ともちゃんの養護学校の入学式は、小学部、中学部、高等部合同で本日8日、始業式の日の午後から行われました。卒業式の日は出張だったお父さんも休みが取れたので、両親揃ってお父さんの運転する車で参加です。ともちゃんは卒業式のお姫様ドレスで出席したのですが、今日はとても暖かかったので、下は薄着にしてジャンパースカートを着ました。

 ともちゃんは体調を崩して、中学部の入学説明会(子供たちはその間、状態観察のために中学部の先生と過ごす)には参加できなかったので、中学部の先生にお世話してもらうのは初めてです。「式中、ずっと車椅子ではしんどいのなら、途中で抱っこしましょうか。」と申し出て下さったことはとてもうれしかったのですが、慣れない抱っこが不安定だといけないので、バギー(車椅子)の背もたれに手を入れて肩を抱いて下さるようにお願いしました。

 ともちゃんは先生と並んで一番前の席に着いています。両親の席は、生徒席の後ろ側に作られているので、両親からはともちゃんの様子が分りません。しかし、式中、先生があわてられた様子がなかったので、ともちゃんが元気にしているであろうと思われました。実際、ともちゃんは気分が高揚していたのか、ギャハハハとよく笑っていたと聞いて安心しました。ともちゃんは久し振りに登校できてうれしかったのでしょう。

 新中学1年生は全部で10名。養護学校小学部から一緒のお友達が4名で、6名は新しいお友達です。でも、新しいお友達のうちの2人は、ともちゃんの地域の小学校の養護学級からやって来たので、ともちゃんとはすでにお友達です。その中の1人は、ともちゃんと同じマンションに住んでいます。10名のうち、ともちゃんのような重複障害児は3名です。1年は2クラスあり、ともちゃんは1年2組ですが、教室は2クラス一緒で、朝の会も一緒に行うとのことでした。

 小学部のときは、朝の会や健康観察などの普段の生活は重複学級「たんぽぽ組」で過ごし、授業は知的障害児学級と一緒に各学年毎に分かれて行っていました。しかし、中学部では、生活は各学年毎の集団で行ない、授業は他の学年も一緒に、ともちゃんなら重複障害のお友達のグループでそのグループに合った内容を勉強するそうです。また中学生になったので、おむつの交換も、今までのように教室ではなく、トイレで行います。

 うれしかったのは、教室の隣りの家庭科室(主に給食の2次調理を行っている)の一角を仕切って、ともちゃんのミルク注入用の小部屋ができていたことです。今日は注入はせずに帰りましたが、早くここでミルクの注入ができる様になればうれしいですね。そして、元気で楽しい中学部生活を送って欲しいと思います。

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2002年4月28日(日)

「ゴールデンウィークは、混雑する郊外に向かう道路は避けて大阪市内へ」の定石通り、交通科学博物館にお出かけしました。交通科学博物館は、ともちゃんの養護学校の校外学習でも何度か行先になっていたのですが、残念ながらともちゃんは行ったことがありませんでした。学校のみんなが知っている交通科学博物館を、ともちゃんも見ておく良いチャンスです。

 交通科学博物館は、お父さんも小さい頃に行ったことがある古い博物館なので、バリアフリーになっていないのではないかと心配していました。けれども、博物館の入口にはスロープができていて、車椅子でも全く問題はありませんでした。それよりも、ゴールデンウィーク中は「機関車トーマス」のイベントを開催しているとのことで、小さな子ども連れの家族で大変混雑していたことが予想外でした。

 混雑を避けながら、展示を見てまわりました。新幹線のところでは「新幹線は乗ったことがあるやんなあ。」とともちゃんに話しかけましたが、電車に乗ることが滅多にないともちゃんには、展示物にも馴染みがありません。そう思いながら博物館の中を進んで行くと、ともちゃんにとってとても馴染深い展示物に行き当りました。それは急行列車の垂直シートです。新幹線「ひかりレールスター」などと同じコーナーに、実際に座れるように展示してありました。

 ともちゃんは、もちろん、本物の急行列車に乗って旅行したことはありません。それなのに、急行列車の座席に馴染があるというのは、深い(?)訳があるのです。ともちゃんは、小さい頃からずっと抱っこしてもらって眠り、ぐっすりと寝入ったら布団の上に置かれます。そのときの抱っこ、特にお父さんと眠る時は、お父さんの膝の上にお尻を置いて、上体を垂直に立てた横抱きで、背中をトントンしてもらいながら眠ります。その様子が夜行の急行列車の垂直シート(背もたれが座面に対して垂直になっているシート)に腰掛けて寝るのによく似ているのです。

 今では夜行の急行列車はほとんど見かけなくなりましたが、お父さんやお母さんの若い頃は夜行の急行列車での旅行というのがポピュラーで、垂直シートに座ったまま睡眠をとる(寝台車は料金が高いので)ということも珍しくありませんでした。ともちゃんがお父さんと眠る時、「今日も急行電車の垂直シートで寝よか。」と言われて、♪♪急行電車、急行電車、私は好きです急行電車。垂直シート。大阪発、長野行きなら『ちくま』号。大阪発、米子行きなら『だいせん』。大阪発、新潟行きなら『きたぐに』・・・♪♪という歌(作詩、作曲:ともちゃんのお父さん)までありました。

 この歌には(今はもうなくなってしまったものも含めて)いろんな急行列車のバージョンがあって、「今日は××号で寝よか。」と、よく子守り歌のように歌ってもらっていました。両親は、一度本物の急行列車にともちゃんを乗せてあげたいと思うのですが、吸引器や酸素ボンベなどお出かけ荷物の多いともちゃんにとっては、かなり難しい問題でした。「ともちゃん、これが急行電車の垂直シートやで。」とお話してもらって、今日はお母さんと本物のシートに座ることができました。

 「(本物の)食堂車(を使ったレストラン)でミルクの注入ができるかもしれへんで。でも、狭いかなぁ。」と、朝、お父さんが教えてくれたので、食堂車も楽しみにしていました。しかし、今日は席が空くのを待つ人が、列車の外にずらりと並んでいました。早々に諦めて、建物の壁際に陣取り、お父さんに抱っこしてもらって、お母さんがイルリガートルを持つといういつも通りのスタイルで注入しました。両親とお姉ちゃんは売店で売っていた駅弁を買って、ともちゃんの注入が済んでから交代で食べました。

 注入をしながら、まわりを改めて見回してみると、就学前の小さい子どもを連れた家族連ればかりです。そんな中で、ともちゃんは一番のお姉さんです。「入場券を買う時、考えたら、ともちゃん中学生になったから、大人(中学生以上)4枚買ったんやで。障害者割引きでともちゃんと付添い一名分は半額やったけどな。」と、お父さんが感慨深げに言いました。小さな子どもがはしゃいで騒ぐ声を聞きながら注入をするともちゃんは、お姉さんの余裕で微笑んでいました。

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2002年4月29日(月)

今日のともちゃんのお出かけ先は、大阪歴史博物館です。空いている阪神高速道路を法円坂で降りて、あっという間に着きました。実はこの近くに、ともちゃんが小さい頃に通っていたボイタ法の訓練施設があります。今はもう、ともちゃんはボイタ法はやめていますが、小さい頃はよく通った馴染みの場所です。当時は、歴史博物館のある場所に体育館が建っていました。この地には訓練のつらい思い出がありますが、今日はそれを払拭すべく、大いに楽しみたいと思います。

 この辺り一帯は難波宮(なにわのみや)の遺跡があって、歴史博物館も遺跡の上に建てられています。1階が入口ですが、すぐにエレベータで10階に上り、そこから7階までの4フロアが展示室となっています。昨日の交通科学博物館は小さい子供で一杯でしたが、ここでは年配の方が目立ちます。

 10階に上がると、難波宮の大極殿が実物大のパノラマで復元されています。宮廷人の人形が大勢で出迎えてくれる古代のフロアです。「ほら、あの人、おじゃる丸の持っている杓(しゃく)持ってるで。見てみ。」と話しかけながら、ともちゃんと人形を見ました。大阪各地で出土した土器や埴輪が展示されており、中でも馬形埴輪が特に印象的でした。展示室の隅は全面ガラス張りになっていて、大阪城が見下ろせました。薄暗い展示室から明るい日差しのもとに出て、ともちゃんも思わずにっこりしていました。

 9階は中世近世のフロアで、江戸時代の水都の景色です。天神祭の日に生まれ、淀川の堤防がお散歩コースのともちゃんは、車椅子で作り物の橋の下を潜りました。8階は、難波宮の発掘現場を再現しています。再現された穴のところまで車椅子で行くことができます。一見さりげなく放置されているバケツや軍手も、すべて動かせないように固定されているところが、心憎いばかりです。あれこれ触っていたお姉ちゃんが誤って発掘穴に落ちた時、ともちゃんはタイミングよく大笑いをしていました。

 7階は近代現代のフロアです。昭和初期の大阪の街角のパノラマができています。八百屋さんの野菜も、魚屋さんの魚もびっくりするくらいリアルで、とても楽しいところです。本当は食物アレルギーのために決して訪れない魚屋さんで、ともちゃんは「にせま(ほんまモンの反対語でお父さんの造語)」の魚を見たり、写真を撮ったりしました。1階に戻ってミュージアムショップでお土産を買った後、今日はレストランでミルクの注入をしました。レストランでの注入は初めてです。

 博物館のレストランはちょうど営業を始めたばかりで、空いていました。注文を済ませると、早速ともちゃんの注入を開始します。いつも通りお父さんがともちゃんを抱っこして、お母さんがミルクを入れたイルリガートルを高く持ち上げて立つというスタイルです。食事が運ばれてくると、お姉ちゃんがゆっくりと食べる中、少しの間お父さんにイルリガートルを任せて、お母さんが急いで食べ終わりました。お父さんの食事はともちゃんの注入が終った後、お母さんがともちゃんを抱っこしてからです。

 レストランでの注入は、食物アレルギーのあるともちゃんには敵になる食材もあるので、運ばれてきた食事が介助者の手や注射器に接触しないように注意する必要があります。ともちゃんは、レストランでの初の注入も終えてお腹一杯。近場で楽しいお出かけでした。もう、ともちゃんは法円坂に来ても、訓練ではなくて歴史博物館のことを思い出してくれるでしょう。

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2002年5月3日(金)

ゴールデンウィークの頃になると、ともちゃんの体調も落着いて、例年お出かけのシーズンの到来となります。今年も例外ではありません。今日も朝早く起きて、いつになく早いペースで朝の予定をこなし、自力で排便も済ませました。早くから出発できるので、今日は遠くまでお出かけができます。渋滞があまりないと思われる南に向い、和歌山の御坊を目指しました。御坊には安珍清姫の伝説で有名な道成寺があります。

 朝早くから張切っていたともちゃんは、少し疲れたのか車の中でウトウトしています。その間、車は阪和自動車道をひたすら南へと走ります。本線バリア形式の堺料金所と岸和田料金所の手前で渋滞がありましたが、全く動かないということはなく、料金所を抜けるとまたスムーズに流れ出しました。毎日の生活のリズムを大切にして過ごしているともちゃんは、帰りが遅くなりそうであれば、目的地に着かなくても折返して帰路に着かなくてはなりません。今のペースなら、なんとか御坊まで行き着けるでしょう。

 ところが、阪和自動車道の終点、海南インターチェンジの手前20kmから、大渋滞になってしまいました。海南から先も海南湯浅道路という自動車専用道路があるのですが、多分片側1車線なのでしょう。海南に近付くにつれて渋滞のノロノロ運転はひどくなり、帰宅時間の制約から御坊に行くのは諦めました。ともちゃんもしっかり目覚めて、道成寺に着くのを楽しみにしているのに本当に残念です。

 海南で高速道路を降りて、どこかでミルクの注入をしてから帰ることにしました。せっかく海南まで来たのですから、せめて海の見える場所で海を見ながら注入をしたいと思いました。地図にあるヨットハーバーを目指して国道42号線を進んで行くと、やっと海が見えました。対岸にはポルトヨーロッパの観覧車も見えています。この辺りで車を止められる場所があれば良いのですが、海が迫っている山合いの片側1車線道路では、真っ直ぐに進む他はありません。幸いなことに、山側に引込み道路がありました。「釣り餌」の看板が出ています。

 とりあえず、引込み道路に入ってみました。道は広くなっていて、釣り餌屋さんの隣には自動販売機がたくさん並んだ休憩コーナーや、トイレもありました。道路脇には、釣り餌を買求めるためか車が何台か止っていました。ともちゃんには釣り餌は無縁ですが、ジュースを買うことにして、ここに車を止めました。ここで注入しても通行の邪魔にはならないでしょう。

 車の中での注入でも、今日は後部ドアを開けて、景色を眺めながらの注入です。ともちゃんの家の車、マツダMPVは最後部座席を後向きに跳上げて、90°倒すことができます。こうすると、背もたれが座面に、座面が背もたれになり、運転席とは背中合わせの座席ができ上ります。ここにともちゃんを抱っこして座り、後部ドアを開ければ、後部ドアが日よけの屋根にもなって、景色を見ながら海の風や匂いを感じながら注入ができます。

 1年前に車選びをしたときに、このこともMPVに決定した大きな理由の一つになりました。お父さんはともちゃんと景色を見ながら車で注入できることをずっと楽しみにしていました。お父さんがともちゃんを抱っこして座った横に、いつものようにお母さんがミルクを入れたイルリガートルを高く持って立ちました。しかし、開けた後部ドアの内側の取っ手がイルリガートルをかけるのにちょうど良く、お母さんはお役御免になりました。お父さんは、このことまでちゃんと考えてあったと自慢げです。

 片道1車線の道路の向うには青い海原が広がっていて、右手向うには小さくポルタヨーロッパが見えています。ここは山の斜面がすぐ海に迫っているのですが、道路の下を覗きこむと何と電車が走っています。注入中は、抱っこされているともちゃんの位置からだと、海は振り返らないと見えないので、注入の後で海の見える位置に座ってしばらく海を眺めました。

 あとはもう、ひたすら来た道を引返すだけです。お腹が一杯になったともちゃんは今度はぐっすりと眠っていました。御坊まで、もう少しというところだったのに、海南での渋滞は悔しい限りです。けれども、海の空気を感じながら注入ができたのは、ちょっとうれしいことでした。ともちゃんが目覚めてから、水分補給と両親の食事のために岸和田サービスエリアに立寄りました。サービスエリアの建物に入ると、ともちゃんはオーオーと大声を出して御機嫌斜めです。ともちゃんは目覚めたら道成寺に着いていると思っていたのでしょうか。

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2002年5月5日(日)

今日のお出かけは、京都の東福寺を目指します。東福寺には、楓が密生した小渓谷の上にかけられ通天橋という歩廊があって、紅葉の名所になっています。学生時代に通天橋を訪れたことのあるお父さんが、「階段はないので車椅子(身障者用バギー)でも簡単に行くことができるで。」というので、ともちゃんは昨年の秋に一度行ってみようとしました。ところが、東福寺の周辺は観光客の車で大混雑しており、ちっとも進めず諦めて帰ってきたという経緯があります。

 新緑の今の季節なら、観光客もそんなに多くはないでしょう。国道1号線を京都方面に向かいました。途中、ゼロゼロと痰がわいて自分でムニュムニュと飲みこんだのですが、結局酸素吸入のカニューラを着けました。外出先ではパルスオキシメータがないので、慎重な対応になります。東福寺の近くまで来たときに、藤森祭の神輿巡行にぶつかって暫く停車しましたが、これをクリアすると東福寺境内は空いていて、本堂の前に駐車することができました。

 通天橋は身障者用バギーでも快適です。新緑の楓が太陽の光に鮮やかに輝いています。確かにここなら、紅葉の名所としてふさわしいでしょう。でも新緑もまた絶景です。いつもは頭上に樹木の緑を見上げるともちゃんですが、眼下に広がる緑をどう感じたでしょうか。通天橋からスロープを下って、楓の根っこに何度もバギーの車輪をとられながら、重要文化財の愛染堂まで行きました。湿った土と草のすがすがしい匂いがしていました。

 通天橋を戻って本堂を一回りし、国宝の三門を見た後にミルクの注入を行いました。今日も、車の後部ドアを開け、後部シートを反転させての注入です。車の最後尾から足を出す形でともちゃんを抱っこしたお父さんが座り、跳ね上げた後部ドアの内側の取っ手にミルクの入ったイルリガートルを吊しました。

 青空の下、日向では暑いくらいですが、後部ドアがちょうど屋根になって、日差しを遮ります。時々吹く風が心地よくて、屋外で「お弁当」にするにはぴったりの爽やかな気候です。ともちゃんの食欲もわいてきたことでしょう。ちょうど東福寺の参道にあたる日下門の正面に車を止めていたので、東福寺にやってくる人たちを眺めながらの注入になりました。ゴーン、ゴーンという鐘の音も聞こえてきました。注入している間、ともちゃんは終始ゴキゲンでたくさん笑顔が見られました。

 帰りは名神高速を通りました。桂川サービスエリアでともちゃんは水分補給をし、他の家族は昼食を摂りました。恒例のお土産選びでは、ともちゃんは京都キティちゃんのキーホルダーを笑顔で選びました。充分楽しんだともちゃんは眠くなってきているようなのに、車の中では興奮して眠りませんでした。お出かけはとても楽しいけれど、連休最後の明日は、疲れをためないようにおうちで休養にしましょう。

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2002年5月12日(日)

ゴールデンウィーク明けの日曜日なら、遠出する車も少ないでしょう。ともちゃんの体調も天気も良いので、今日は和歌山県御坊市の道成寺に再挑戦です。期待通り高速道路は空いていて、「前に来た時はこの辺が渋滞してたんや。」とか、「ここで高速を降りたんか。」などと言いながら、車は快適に走り続けます。

 御坊で高速道路が終ると、辺りには田園風景が広がり、随分田舎まで来た気がします。カーナビを頼りに、地道を走りました。途中で線路を横切りましたが、この線路を走る電車には白地にコバルトブルーのラインが入っていました。海南でミルクの注入をしていた時に、絶壁の海岸線に張付くようにして走っていた電車の色と同じです。あの電車も御坊まで来ていたのですね。

 道成寺の近くまでやってきました。前を行く大型の観光バスは左折していきましたが、真っ直ぐに進むと先は行止りになって、参道の長い階段が山門まで続いています。道の両側は民営の駐車場と土産物屋さんになっていて、ここに車を止めて階段を上るというのが一般の観光客のルートのようです。しかし、車椅子のともちゃんは、こんなに急な長い階段を登ることができません。

 民営駐車場の番をしていた人に事情を話して、車椅子でも境内に行けるルートを教えてもらいました。観光バスが左折した道を行くと坂道になっていて、道成寺境内の観光バス専用の駐車場に行き着くとのことでした。「観光バス専用いうことになってるけど、空いてたら自家用車でも止められる。空いてるかどうかは、ここからでは分らんけど。」ということです。急勾配の坂道の上に駐車場があり、観光バスの駐車スペースの先に車を止めることができました。前を走っていた観光バスは大阪の私立中学の団体で、ちょうど生徒たちが弁当をもらって下車しているところでした。

 さあ、ともちゃんとも話していた、安珍清姫伝説の釣鐘はどこでしょう。車椅子(身障者用バギー)で境内の探索に出発です。残念ながら、伝説の釣鐘は土の中深くに埋められたそうで、現在は鐘楼の跡だけが残っていました。安珍塚や蛇を埋めた場所もありました。三重の塔を見たり、お賽銭をあげてお参りもしました。ともちゃんが探索している間も、何人もの観光客があの長い階段を上って山門をくぐり、参拝に訪れていました。

 先程の中学生の団体は境内の思い思いの場所でお弁当を広げています。ともちゃんも車に戻って、ミルクの注入をしました。もちろん、後部ドアを開けて後向きに座るスタイルで、竹林とその向うに広がる田園風景を眺め、爽やかな風を感じながらの注入です。ともちゃんのアウトドアでの注入として、このスタイルはすっかりみんなのお気に入りになりました。

 帰りに階段の下の民営駐車場に戻って、土産物屋さんを覗きました。伝説の釣鐘はありませんでしたが、土産物屋さんには釣鐘まんじゅうがありました。お母さんがまんじゅうや煎餅の試食にかまけている間に、ともちゃんはお父さんとミニチュアの釣鐘の音を聞いて、お土産に選びました。家で留守番のお姉ちゃんには、カスタードクリームの釣鐘まんじゅうを買いました。

 帰路は、いつも通り、ともちゃんのお昼寝タイムとなりました。本当なら、初めて立寄ることになる吉備湯浅パーキングエリアでともちゃんの水分補給と両親の食事をしたいところでしたが、ともちゃんが眠っていたので、紀ノ川サービスエリアまで行きました。眠気覚ましの「激ミント」(ミント味で激辛のあめ玉)を買うために売店に行ったお父さんに付合ったともちゃんは、和歌山城の手まりの鈴のキーホルダーも買ってもらいました。

 かくして、ともちゃんのお出かけ最南端は御坊の道成寺となり、記録を大幅更新しました。ともちゃんは最南端達成のお土産の道成寺の鐘と手まりの鈴を一緒にカバンにつけています。ゆれるとチリンチリン、シャンシャンと賑やかです。

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2002年5月16日(木)

 今日は今までになく早く朝の予定が終りました。いつもより少し早く登校できそうです。

 ともちゃんは、朝食にミルクの経管注入とお粥ペーストの経口摂取を終えてから登校しているので、スクールバスには間に合いません。タクシーで遅れて登校しています。学校では、ともちゃんの日課に合せて、みんなの給食より一足早く、ミルクの注入をしてもらって、その後早退しています。体力のないともちゃんが、学校での興奮から覚めて、ゆっくりと休養しながら午後の予定をこなすためです。

 こんな短時間の登校でも、ともちゃんは週に1度できればいい方です。痰が多かったり、いつもより元気がなかったりすると、学校を休んで、健康第一で静養しているので、4月は3日しか登校できませんでした。しかしゴールデンウィークも過ぎ、梅雨までのひとときは、ともちゃんの体調も安定します。今のうちに、登校日数を増やして、ともちゃんの大好きな学校生活を楽しんで欲しいと思っています。

 タクシーが学校に着きました。ともちゃんが登校したことに気付いた保健室の先生から担任の先生に連絡していただき、担任の先生が校門まで迎えに来て下さいました。中学部ではこの時間(9時30分ごろ)は「健康」の時間で、いつもはみんな運動場に出て身体を動かしているのですが、今日は運動場がぬかるんでいるので体育館だそうです。

 先生に車椅子を押してもらって、みんなの待つ体育館に向いました。体育館に行くには小学部のたんぽぽ組の前の廊下を通ります。たんぽぽ組に近付くと懐かしい朝の会の歌が聞えてきました。たんぽぽ組のドアが開いていたので、先生がともちゃんの車椅子を押して中を覗いて下さいました。たんぽぽ組の先生がギターを引いて、みんなで歌を歌って、ともちゃんの大好きだった朝の会の真っ最中です。

 歌声を聞いたとたん、それまで無表情だったともちゃんの顔がぱぁっと笑顔になり、目がランランと輝きました。「これこれ、私が好きな朝の会や。これが楽しいねんで。」と表情が語っています。ギターを弾いておられた先生が、教室を覗いたともちゃんに気付いてニッコリ笑って下さいました。けれども、ともちゃんはもう中学生。たんぽぽ組を出て、体育館に向います。

 ともちゃんは朝の会に出るつもりだったようで、「あれあれ」という表情で笑顔が消えていきました。お母さんから「ともちゃんはもう中学生やから、たんぽぽ組とは違うねんで。」と言われてしまいました。

 体育館のドアを開けると「ともちゃーん」と友達が声をかけてくれました。ともちゃんが交流でお世話になっていた地域の小学校の養護学級から来たSちゃんです。Sちゃんの声を聞いたともちゃんの顔に笑顔が出ました。ともちゃんは満面の笑顔で答えています。「そうそう、私もう中学生やもん。新しいお友達もいっぱいいて、楽しいねん。」

 「健康」は中学部全体で取組む時間です。他の学年のお友達も一緒です。2年生の女の子達もともちゃんに興味を持ってくれて、たくさん話しかけてくれました。体育館の中でランニングをする時も、車椅子でみんなと一緒に回りました。回りながらも、新しいお友達がおしゃべりしてくれます。ともちゃんは終始笑顔でうれしそうです。「中学部の授業もおもしろいわ。」

 今日はミルクの注入も順調の終りました。「課題別学習の時間も覗いてから帰りませんか。(ともちゃんが属する重複障害のグループは)体をほぐす体操を音楽に合わせて行っていますよ。」と先生に誘っていただき、少しだけ参加しました。今日は2つも中学部の授業に出られて、大満足のともちゃんでした。「やっぱり、学校は楽しいわ。もっとたくさん行きたいわ・・・」

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2002年6月30日(日)

ともちゃんは梅雨の季節は好きではありません。特に今年のように肌寒い日が続くと体調を崩し、痰が多くなります。雨の日は学校にも行けないし、お出かけするのも大変です。スクールバスを使えば、雨除けカバーをかけたままで乗り込むことができるのですが、今の状態ではスクールバスの時間には間に合いません。けれども、今日は梅雨空のお陰で名神高速道路が空いていて、思いがけなく遠く滋賀県の彦根まで楽しいお出かけができました。

 今日は久しぶりに朝からともちゃんの体調が好調なので、ミルク持参でのお出かけを考えていました。マンションの玄関で小雨が降り出してきたので、行き先を博物館に絞り、取り敢えず京都市立博物館を目指しました。京都に向って近畿自動車道から名神高速にのると高速道路は驚く程すいていて、車はスイスイ走り、あっという間に天王山トンネルを通過しました。梅雨空の日曜日、京都や琵琶湖方面に遊びに行く車は少ないのでしょう。

 今まで、ともちゃんとお出かけしたとき、名神がこんなに空いていたことはありません。ともちゃんのお出かけ先は所要時間で限定されているので、こんな名神高速を京都で降りるのはもったいないと思いました。この機会に思いきり遠くまで行っておこうということで、彦根までやってきました。目的地は彦根城と彦根城博物館です。

 彦根城は外堀の内側に駐車場があります。かつては馬屋だったという建物の隣に、二の丸駐車場がありました。昔の人もここで馬を降りて、お城まで歩いたのでしょう。ともちゃんもここからは車椅子で内堀の横を行きました。幸い雨は降っていません。現在、内堀の橋が工事中ということで、臨時の橋が架り、そこに案内の人がおられました。

 車椅子で天守閣に行けるかどうか尋ねてみました。残念ながら、結果はペケでした。山城の彦根城は天守閣に行着くまで、ずっと階段を登らなくてはいけないというのです。しかし、同じく内堀の中にある彦根城博物館は車椅子でも問題はないということでした。そして、博物館までの通常の順路は砂利道なので車椅子では通りにくいと、博物館の裏側の舗装された道を通って入口まで案内して下さいました。通り道の横に続く高い石垣が、天守閣までの厳しい上りを物語っています。

 彦根城博物館には、城主の井伊家が所蔵していたものが展示されています。ともちゃんは往路、車の中で眠ってきたので元気一杯です。「刀やで。」「お茶入れる湯沸かす茶釜やなあ。」などと車椅子を押してくれるお父さんの話しかけにギャハハギャハハとゴキゲンです。展示物の中には戦国時代の甲冑(顔に当てる面も付いている)や能面など、子供にはちょっと恐く見えるかなと思うようなものものありましたが、ともちゃんは全く平気でした。

 博物館のもう一つの目玉展示として、城内にあった藩主の住居、表御殿が復元されています。博物館の鉄筋の建物と表御殿の木造棟が廊下でつながっていて、防火扉のような重い扉を開けると、そのまま車椅子で乗り入れることができます。木造棟に入ると古い木造建築独特の湿気たような懐かしい匂いがして、江戸時代にタイムスリップした気分ですが、ともちゃんには雰囲気の違いが分かったでしょうか。

 藩主の部屋は庭園が見える様に配置されていて、見学者が庭園に出て写真撮影をすることもできます。庭園に出たお父さんが、縁側にいるともちゃんを撮ってくれようとするのですが、ともちゃんはなかなか庭園の方を向いてくれず、お母さんは狭い縁側で何度も車椅子の方向転換を試みました。

 博物館を出る時には小雨が降っていたので、雨天用ビニールコートをともちゃんが乗った車椅子にすっぽりと被せました。駐車場にある土産物屋さんで、ともちゃんはキラキラ小判に彦根城が描かれたキーホルダーを買いました。この天気なのでミルクの注入は車の中で行いました。

 せっかく遠くまで来たのですから、ともちゃんの水分補給と両親の食事のために立ち寄るサービスエリアも、できれば行ったことのない所を利用したいものです。彦根インターチェンジからすぐの多賀サービスエリアに立寄りました。大きな新しいサービスエリアで、車椅子駐車スペースもレストラン棟前に2個所、別棟のファーストフード店前に3個所もあり、身障者団体のバス用の駐車スペースまでもが、トイレの前にありました。

 高速道路自身が空いているのですから、サービスエリアも当然のごとく空いていて、ゆったりと休憩できました。ともちゃんは帰路もぐっすりと眠り、元気に帰ってきました。久々の遠出を満喫したようです。本降りの雨の中、高速道路を走るのは怖くて嫌だけれど、曇り空に時折小雨が降るという程度の天気が、遠出の狙い目かもしれません。

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