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14日(日)
「一庫(ひとくら)ダム」
25日(木)
「学校ならではの楽しみ」
28日(日)
「西はりま天文台」
9日(金)
「四国だ!渦の道」
12日(月)
「小豆島が見えたよ」
14日(水)
「公園のはしご」
15日(木)
「大和郡山」
17日(土)
「高野山」
今日も高速道路は少しも滞ることなく、快適に流れていきます。ともちゃんに「前みたいに着くまでに寝といた方が、着いてから元気に散歩できるで。」と言って、寝かそうとするのですが、「今日は眠くないねん。」とばかり、キョロキョロとして眠る様子はありません。カツカレーの三木サービスエリアを素通りし、姫路城の姫路東インターチェンジを過ぎると、いよいよ通過していく場所場所がともちゃんの到達最西端となっていきます。
赤穂インターで高速道路を下りて、カーナビの誘導に従って赤穂海浜公園へと向いました。赤穂では、海浜公園に行こうか、赤穂城址に行こうか迷っていたのですが、ともちゃんのミルクの注入を行うのなら、海の見える場所の方が楽しいかなと思ったのです。でも、公園の駐車場からは海が見えず(車中で注入を行うので、駐車場からの景色が大切です)、駐車場を通り越して堤防の手前まで上がると海は見えるのですが、そこは駐車禁止でした。
それで、車の中から通りすがりに赤穂の海を眺めて、赤穂城址に行くことにしました。大石内蔵助以下赤穂浪士(赤穂の人は赤穂義士と呼ぶようです)を祭った大石神社の前を通って、城の門近くに車を止めました。赤穂城はもともと天守閣を持たない珍しい城で、今は城郭と建物の土台が残っています。ともちゃんは注入の前に恒例の散歩です。エアコンの効いた車内をでるとムワァと熱気につつまれますが、ともちゃんはニコニコ笑顔で元気一杯、眠らなくても元気だよと言わんばかりです。
ハスの花が咲くお堀を通って、城郭の中に入りました。建物の土台の上は柱の跡で仕切られて、ここがどんな部屋だったのか書かれたプレートが埋め込まれています。誰でも土台の上に上がって、プレートを見ながら散歩できるようになっています。ともちゃんもスロープのところから上がり、別の門のところまで行ってみました。遮るもののない炎天下の散歩だったので、ミルクの注入は車内でドアを閉めて、エアコンを入れて行いました。
赤穂のお土産を買うために、歴史博物館の横にあるお土産屋さんに立ち寄りました。姫路城、彦根城に続くお城シリーズのお土産は房のついた渋いキーホルダーです。お土産屋さんには赤穂浪士が討入りの時に打ち鳴らした山我流の陣太鼓が大小いくつもありました。こちらは値段の方も本格的なのですが、店の前にはこの陣太鼓の柄を模したでんでん太鼓がありました。本物の陣太鼓は二つ巴(ともえ)ですが、でんでん太鼓はなぜか三つ巴です。
でんでん太鼓ならお手軽で、ともちゃんと鳴らして遊べそうです。たくさん吊るしてあったのですが、どれも音がしない様に輪ゴムで止めてありました。「これ下さい。」と買うと、店の人が輪ゴムを外してデンデケデンと鳴らして、音色を確かめてくれました。顔の前ででんでん太鼓を鳴らしてもらったともちゃんは、ニコニコとうれしそうでした。
帰りに赤穂インターに向って走っていると、「赤穂養護学校」と矢印のある表示が目に付きました。海浜公園を目指していた時には、大きな病院の近くを通りました。車で訪れたお母さんが見る限りでは、赤穂は小さな町です。でも病院と養護学校が近所にあるのなら、こんな小さな地方都市でともちゃんとのんびり暮すのも悪くはないなあと思いました。
水分補給は竜野西サービスエリアで行いました。ここも、ともちゃんが立寄るサービスエリアとしては最西端です。お父さんが眠気防止の飴を買うために寄った売店で、岡山キティのニューバージョンを発見しました。桃太郎キティなのですが、これは「桃から生れるところのキティちゃん」なのです。さっそくお土産に加えてもらいました。
ともちゃんは、すでに阪神高速の支線はほとんど踏破しているので、今回は池田線も走破しましょう。池田線は、以前は伊丹空港が終点でした。「伊丹空港は、前にモノレールに乗って、飛行機を見に行ったところやで。」と話しながら、左手に見える飛行場を通り過ぎました。高速を下りて道なりに行くと、川西市の住宅地に入りました。国道沿いには大型スーパーや家電の量販店があり、この近くにダムがあるなんてとても信じられません。
ところが、トンネルに差し掛かると、急に山の中に来たような雰囲気になりました。トンネルを出ると右手にダムが見えました。駐車場はどこかなと探しながら、ダムの上を渡ってそのまま進むと、ダム湖に沿ってどんどんダムから離れていきます。駐車場の入口を見落としたのかなと思っていたところ、「一庫公園」という標識が出ていて、橋を渡って対岸の一方通行の道を下流に進み、無事駐車場に入ることができました。
一庫ダムは、お父さんが知らないうちに兵庫県立一庫公園として立派に整備されていました。公園内は上流から下流に向う一方通行になっていて、偶然にもお父さんは正しい順路で公園に入ったのでした。「湖畔の駐車場」に車を止めて、ともちゃんは車椅子に乗って散歩をしました。駐車場内からダム湖が眺められるようになっています。湖面の水、山の緑、涼しい風が心地良く感じられます。ここまで、ともちゃんの自宅から1時間もかかっていません。こんな近くに、こんな自然があるなんて感激です。
まだ朝の10時前だというのに、ともちゃんの他にも、車を止めてジョギングしている人、ベンチで朝食のお弁当を広げている家族など、この近くの人達でしょうか、何人も来ています。いつもより少し早いミルクの注入は、車の後部ドアを開けて行いました。後向きにセットした後部座席からは、残念ながら湖面は望めませんが、対岸の山の風景を眺めながらの食事に、ともちゃんもゴキゲンです。
台風が沖縄の南に近づいているせいか、空の雲が飛ぶように流れて行きます。ともちゃんがお父さんに抱っこされて注入をしている間に、お母さんが公園内の地図をもらってきました。それによると、展望台のある山の上にも駐車場があります。しっかりと車椅子駐車場のマークもついています。ともちゃんの注入が終ってから行ってみることにしました。
曲りくねった急な坂道を上った先にある「丘の駐車場」には、もう既に湖畔の駐車場以上に車が止っていました。駐車場を車椅子で出て、右手を見てびっくりしました。見上げるばかりの山の急斜面に、スロープのつづら折れの道が造成されていて、それがずっと上まで続いています。車椅子でも「見晴らしの丘」(展望台)に行くことができるようにと作られたスロープのようです。車椅子用のスロープが珍しくなくなったこの頃ですが、こんな山の上まで延々と続くスロープは前代未聞です。車椅子のともちゃんとしては、ぜひとも登らないわけにはいきません。
お父さんが頑張って車椅子を押してくれました。その間も、ともちゃんは、お母さんの声かけに笑顔を見せたり、眩しい日差しに目を細めたりと、車椅子のゆれを楽しんでいました。つづら折れの道を上まで登ったら、一般の人が徒歩で登る山道に合流して、見晴らしの丘まで行きました。こういう場所でもなければ、車椅子のともちゃんが山道を行くことはありませんから、山道も楽しんで通ります。その山道がまた、車椅子でも危なくないように整備されています。
見晴らしの丘からはダム、ダム湖、まわりの山々が一望できて、湖畔からの眺めとは、また趣が違いました。山の上に登ったので、湖畔では心地良かった風は少し強く感じます。紅葉の頃にも来たい所ですが、紅葉の頃はきっともっと駐車場が混んでいることでしょう。下りもつづら折れのスロープをお父さんが車椅子を押してくれました。スロープを下りたところにあるネイチャーセンター(管理事務所)も覗いてみると、自然の草木をハーブティーにして楽しめるコーナーがあり、ともちゃんも匂いだけ楽しみました。
帰りは阪神高速から(わざわざ)名神高速に入り、吹田サービスエリアで両親の食事とともちゃんの水分補給を行ないました。ともちゃんは気分が高揚しているのかゴキゲンで 、帰りの車の中でもケラケラとよく笑っています。吹田SAで、お父さんに「ともちゃん、すごく遠くまで来たと思てるやろ。でも、本当はお家のすぐ近所まで帰ってきてんねんで。」と言われていました。
ここは正真正銘、大阪。サービスエリアには阪神タイガースのユニフォームを着たキティちゃんがいました。お父さんがテレビで阪神を応援する時に、ともちゃんも一緒に応援してねということで、阪神キティちゃんを買ってもらいました。サービスエリアからは本当にすぐに家に帰り着きました。
毎年のことながら、ともちゃんが定期的に学校に行けるようになるとすぐに夏休みに入ってしまうので、残念な思いをしています。1学期のともちゃんの出欠状況は11勝(出席)60敗(欠席)とマイペースですが、その中で学校ならではの楽しい経験もしています。
夏休み前の短縮期間に入ると、スクールバスに乗って下校することもできました。ともちゃんは、経管栄養になってからは午前中のみの登校なので、3時15分発のスクールバスに乗ることはありませんでした。朝の予定がたくさんつまっているともちゃんには、8時25分に最寄のバス停を出発する登校便にも乗ることはできません。短縮期間中は11時50分に下校便が出るので、ともちゃんには好都合です。
ともちゃんが長い間スクールバスに乗っていない間に、バスに乗っているメンバーも随分変わりました。いつも「ともちゃん、きのう、なに食べたん。」と聞いてくれたお兄さんは卒業しました。代りに中学部の頃はおとなしかったお兄さんが高等部になり、たくさんおしゃべりしてくれています。車椅子のお友達も増えました。車椅子のまま乗車するお友達が4名で車椅子スペースは定員一杯、ともちゃんのように座席に座り替えるお友達が他に2名です。
ともちゃんは、お母さんに抱っこされて、馴染みの席に着きました。斜め向こうには、同じバス停で降りるお友達がこちら向きの座席に座り、手を振ってくれました。小学1年生がいつもの自分の座席が嫌だとぐずっています。後の窓際に座っていたともちゃんの同級生に、先生が「替ってあげるか。」と声をかけると、同級生はすっと席を立って替ってあげました。この同級生はともちゃんと小学部入学以来のお友達ですが、中学生になって身体だけでなく心も大きく成長して、すっかりお兄さんです。
そうこうしているうちに、ともちゃんは眠くなってきました。タクシーで帰る時は大抵眠って帰りますから、昼寝の時間なのです。先生方に見送られて、バスが出発すると、ともちゃんはすとんと眠りに落ちてしまいました。その間もバスの中は賑やかなざわめきであふれています。
5分くらい眠って、一旦眠りが浅くなったともちゃんは、気配を感じてハッと目を開け、キョロキョロしながら目を爛々と輝かせています。ともちゃんはスクールバスのざわめきが大好きなので、「おっ、いけねえ。スクールバスに乗ってたんだ。寝てる場合じゃあない。」と気合いで目を開けたようです。バス停に着くまで、ずっとバスの雰囲気を楽しんでいました。
夏休みに入ってすぐの日曜日は、養護学校の夏祭でした。今年も浴衣姿で参加しました。ともちゃんは出店の食べ物は食べられないので、ゲームに参加して、ミルクの注入をした後お父さんの車で帰ります。お母さんはお菓子やパンの出店の手伝いがあるので、ともちゃんは先生、お父さんと一緒にゲームをまわりました。
保健室でミルクの注入をしているところへ、役目を済ませたお母さんがやってきました。ともちゃんのまわりにはゲームの景品で一杯です。「ゲーム中はたくさんの笑顔がでていましたよ。」と先生。「景品も好きな物ばっかしやってんなあ。くじ引きではキティちゃんのカバンが当ったし、おじゃる丸のオコ坊ももろてんなあ。」とお父さん。ともちゃんは楽しい夏祭りを過したようです。
23日は登校日で、音楽室でのカラオケ大会でした。ともちゃんはカラオケは初めてです。ともちゃんが遅刻して音楽室に到着した時は、小学部時代からの先輩のCちゃんとNちゃんが「北風小僧の寒太郎」を熱唱していました。Y君のサザンの「愛のことだま」の後に、ともちゃんが入れてもらうことになりました。お母さんが、ともちゃんのために選んだ歌は「アンパンマンマーチ」です。
歌が大好きな先輩たちにも応援してもらって、ともちゃんは先生と一緒にマイクの前に出ていきました。ともちゃんはマイクを向けられると困ったような強ばった顔付きになっていましたが、先生がマイクを持って横で歌ってくれると、ニコニコと笑っていました。ちょっと恥ずかしがり屋さんのカラオケ体験でした。
本当なら、今日はプール登校なのですが、ともちゃんはさすがに疲れが出て、家で休養です。でも、今日はともちゃんの誕生日。補習で登校していたお姉ちゃんが大きなプレゼントを抱えて帰ってきました。開けてみると、キティちゃんの絵のついた畳井草の座布団でした。よかったね、ともちゃん。
佐用町には「西はりま天文台」があり、ここが今日のともちゃんの目的地です。快適に走り続ける車の中で、ともちゃんはちょっと興奮したような面持ちで、キョロキョロしています。「福崎インターチェンジまでは、五百羅漢に行った時に通ったことあるねんで。ここはまだ、ともちゃんの知っている道やで。」と声をかけてもらうと、にっこりしていました。
さすが中国山脈の尾根筋を走る中国道、どんどん山深くなっていきます。赤穂に行った時にも渡った千種川の上流を横切りましたが、山の間を流れる川といった様相になっていました。西はりま天文台はカーナビには載っていなかったので、佐用インターを下りてからの道順に少し不安があったのですが、インターを下りるとすぐに「西はりま天文台」と書いた矢印の標識が要所々々に出ていて助かりました。この天文台は、一般の人も天体観測できる県立公園なのです。
標識に従って山道を登っていきました。途中、作用の町が見渡せる展望台がありましたが、そこでは止まらず、目的地に向いました。太陽からの電磁波を受信するためのパラボラアンテナが見えたところで右折し、いよいよ天文台に到着です。カーナビの表示では、ここ(天文台の駐車場)から先に道はありません。
兵庫県立西はりま天文台公園というのが正式名称で、公園敷地内には天文台のほかに、宿泊棟や食堂棟、管理事務所が建てられています。一般の人は、宿泊棟での宿泊を申込み、夜は天文台での天体観測会に参加するという仕組のようです。フィールドアスレチックやキャンプ施設もあるようでした。これだけ山深い中にあるので、夜はさぞや星がきれいなことでしょう。
ともちゃんは、管理事務所の前の駐車場から天文台まで、舗装されたゆるやかな上り道を車椅子で散歩しました。暑いけれど、張り切るともちゃんの笑顔も健在です。天文台は、天体望遠鏡を出すために開閉できる半球形の屋根を持つ、いかにも天文台然とした建物です。天文台の周辺には、望遠鏡が収納されていると思われる天文台同様の屋根を持つ小さな建物が複数点在しており、太陽観測のための装置もありました。中に入ると、1階には太陽系の惑星や四季の星座、太陽観測などの展示がありました。
けれども、肝心の望遠鏡がある4階へ行くには階段を上るしか方法がなく、ともちゃんは諦めざるを得ませんでした。ちょっと残念な気持ちです。「車椅子の宇宙物理学者、世界的に有名なホーキング博士に申訳ないなあ。」とお母さん。お母さんが「車椅子用のエレベータはありませんか?」と尋ねると、職員の人は「新しい望遠鏡を備えた建設中の建物には(エレベータが)設置されますが、ここにはありません。」との答でした。新しい建物に期待したいと思います。
この天文台は標高500m足らずの山の山頂にあります。「六甲山(兵庫県の東端、お父さんの故郷近くにある標高932mの山)やったら山頂は涼しいけれど、ここは六甲山の半分やから涼しくないなあ。」と炎天下汗を流しながら車椅子を押すお父さん。車椅子のともちゃんも暑さと眠さで目がとろんとしています。しかし、家に帰ってからテレビを見ると、今日は大阪府枚方市では38度を超える気温が観測されたということで、「下界はもっと暑く、あれでも涼しかったんか。」とお父さんは思い直したのでした。
あんまり暑かったので、ともちゃんのミルクの注入は車の中でクーラーを入れて行ないました。ともちゃんの注入が終ると帰路に着きます。涼しい中でミルクを飲んだともちゃんは元気を取り戻し、「サービスエリアに着くまでお昼寝しておこう。」と言うお母さんの言葉を無視して、しっかりと目を開けています。来た道を戻り、1時間弱で加西サービスエリアに着きました。上り線の加西SAは初めてです。
いつも通り、ここでは両親の食事とともちゃんの水分補給を行いました。さあ、これからお土産を買うぞというころになって、ともちゃんは元気を売り尽してしまいました。急いでお土産コーナーに行くと、目に付いたのが大きな顔をしたキティちゃんのぬいぐるみ。アンティークドールの衣裳を着た神戸の異人さんキティです。つばの大きな帽子が顔を一段と大きく見せていて目を引きます。
「ともちゃん、お誕生日(7月25日)やから、お父ちゃんがプレゼントに買うてあげよか。」というお父さんの言葉にも、ともちゃんはボーッとしたままです。急いで買物を済ませて、車に乗り込みました。もちろん、キティちゃんは買いました。今度こそ、ともちゃんはぐっすりと眠りました。家に帰ってキティちゃんの大きな顔を目の前に見せてもらったともちゃんは「ハハーン」とうれしそうに笑っていました。
二人でタクシーに乗って目的地に着いて、料金を支払ってから、ともちゃんにゴロンと寝転んでいてもらって、その間に車椅子を組立てて、それからともちゃんを抱っこして車椅子に乗せるという動作は、もう何十回、何百回と行ってきました。しかし、ちょっとしたことから、思わぬ事故につながるという、お母さんの反省を込めたお話です。
今日はかかりつけの病院の小児科の神経外来を受診し、いつも通りタクシーで帰宅しました。車椅子を組立てたので、「ともちゃーん、抱っこするよ。」と声をかけ、お母さんの右手でともちゃんの肩を、左手で膝の裏を抱えて、ともちゃんを横抱きに抱き上げました。お母さんは静止したままともちゃんを抱き上げれば良かったのですが、今日に限ってともちゃんを抱き上げる際に、お母さん自身を中心にしてともちゃんを左回りに回転させるような形になってしまいました。
そこで、重い鞄を持っているとき、鞄を持つ手を伸ばして、自分自身を軸にしてくるくると回転すると、鞄に振り回されて止まることができなくなるということと同じことが起ってしまいました。お母さんは、抱き上げる時に無意識にくるりと回転して、素早く楽にともちゃんを車椅子に乗せるつもりだったのですが、そうはいきませんでした。お母さんはともちゃんを抱えたまま、止れなくなってしまいました。
抱きかかえたともちゃんに振り回されるまま、お母さんはヨロヨロヨロ・ヨロヨロ・ヨロ・・ヨロ・・・ヨロとよろけて、ともちゃんを抱きかかえたまま、舗道のアスファルトの上に、前のめりに転んでしまいました。お母さんは自分がどう転んだかははっきりとは覚えていませんが、一番後にともちゃんの首が反動で揺れて、右側頭部が舗道にぶつかる瞬間はスローモーションのように覚えています。「ゴチッ」
ともちゃんの側頭部がぶつかる一瞬の間に、お母さんは「ともちゃんの頭がぶつかる。保護しなくちゃ。私の手はどこで何をしているの。早く、早く手を出さなくちゃ。ああ、ぶつかる。(ゴチッ)」と、これくらいの思考を行っていました。ともちゃんは、痛さに顔を歪めて、泣きそうな顔をしていました。涙は流していませんが、「ウーウー」と小さい声でうめいていたように思います。
頭を打った子どもがすぐ泣けば安心ということを聞いたことはありますが、ゴチッという音が耳から離れないお母さんは、このまま病院へ戻って診察してもらうことにしました。物言わぬともちゃんの頭の中が傷ついていて、知らぬ間に手後れになっていたら大変です。お母さんが転んだ所を見て、駆けつけて下さったマンション清掃のおじさんに事情を話して、救急車を呼んでもらいました。
救急車が来るまでの間に、黒く曇っていた空からはパラパラと夕立が降り出し、瞬く間にザーっと本降りになりました。幸い本降りになったときには、救急車の中でした。そう、お母さんは夕立に会わないように焦っていたのです。タクシーの中から見た空は、今にも雨が降りそうに黒雲に覆われていました。それで、いつもならどっこいしょとともちゃんを持上げてから動き出すところなのですが、ともちゃんを持上げながら身体を回転させたのでした。
病院では、ついさっき別れてきたスタッフが待受けていて下さって、ついさっき後にした部屋に通されました。救急車の中では神妙な面持ちだったともちゃんも、見慣れた看護婦さんや主治医の先生の顔を見て安心したのでしょうか、笑顔が戻っています。頭部のレントゲン写真も異常はなく、「大丈夫ですが、念のために24時間は嘔吐や意識状態の変化などに注意して様子を見ておいて下さい。」ということで、お母さんは一安心でした。
「雨が降って地面が濡れていますから、滑らないように気をつけて。もう戻って来ないようにね。」という言葉に送られて、タクシーで帰宅しました。タクシーを降りてともちゃんを抱っこする時、お母さんはかなり緊張しました。しっかりと確かめながら動作を行い、ともちゃんは無事車椅子に乗りました。
落着いてから、お母さんは自分の右手の甲に擦り傷があることに気付きました。ともちゃんが頭をぶつけた時、お母さんの右手はともちゃんの右肩を抱いていて、すでにこの瞬間はアスファルトとともちゃんの肩に挟まれた状態にありました。左手はともちゃんの膝を抱えていたので、ともちゃんの頭を保護するには3本目の手が必要でした。やはり、一つ一つの動作を慎重に確実にするということ、転ばないようにすることが一番大切です。
(8月12日追記)
あれから、ともちゃんはずっと家でおとなしく過しています。24時間様子を見ていましたが、特に変ったことはなかったのが何よりでした。
初っ端の近畿自動車の渋滞で大切な時間をロスしてしまいましたが、中国道に入ってからは順調です。その間、ともちゃんはずっと張切っていることが、抱っこしているお母さんにはしっかりと伝わってきます。ギャハハギャハハとゴキゲンでよく笑ったり、お母さんの話しかけに声を出して答えたり、足をピンピンつっぱったりと忙しくしています。
お陰で、小さな硬直の発作が、車の中で何度も起っていました。この程度の発作は家でもしょっちゅう起っているものです。幸い、この発作によるダメージは少ないようで、終ってしまえば、ともちゃん自身はケロッとしています。
長距離を移動したためか、途中黒い雲が低く垂れ込めていた時もありましたが、明石海峡大橋を渡るころは良い天気で、両側には海が輝いています。「ともちゃん、見てみ。海やで。海を渡ってんねんで。すごいなあ。」とお母さんが声をかけてともちゃんを見ると、ともちゃんも遠くに光る海をホーッとながめていました。
ともちゃんが淡路島に渡るのは、3年前の夏以来2度目です。3年前は淡路ワールドパークONOKOROのスモールワールドに行ったのですが、今度は淡路島を縦断して、四国にちょこっと足を踏み入れて、鳴門の渦潮を見ようと思っています。大鳴門橋の橋桁内に作られた通路を歩いて渦の真上まで行く「渦の道」に行ってみるつもりですが、ちょっと恐いかもしれません。
最初は左側に見えた海岸線が、今度は右側に見えたりして、淡路島を突っ切り、いよいよ四国へと渡る大鳴門橋を通過します。下を見ると白くしぶきが上がっていて、渦潮が見えました。お母さんは、今度もともちゃんに話しかけたのですが、ともちゃんははしゃぎ疲れた様子で、あまり反応してくれませんでした。
鳴門公園の駐車場に車を止めようとして山道を上がっていく途中、第2駐車場の前で係の人に止められました。「上の第1駐車場は満車で10台程度待っているので、よかったらここに止めて下さい。」、「あのう、車椅子なんですけれど。」と様子を聞こうとしたお父さんに対しての返事が「そこの階段を上って行ったらすぐですから。」、「???(車椅子や言うてんのに分からん人やな。)」、もう一度、お父さんは車椅子であることを告げて、第1駐車場へと向いました。
帰る車も多く、第1駐車場へはすぐに入れました。幸いにも誘導された駐車位置は駐車場の端で、低い柵と松ノ木越しに四国側の海(鳴門海峡とは反対側)が臨めます。車を後向きに止めて、後部ドアを開けて、海を眺めながらミルクの注入を行いました。ともちゃんはすっかり疲れて、脱力して、くねくねヨレヨレです。ミルクを飲んで元気をつけましょう。
ともちゃんがミルクの注入を行なっている間、お母さんは付近の偵察に行きました。駐車場には渦の道ができる以前からある鳴門山展望台の宣伝も出ています。展望台行きのエスカレータのチケット売場で、とりあえず「車椅子はエスカレータに乗れますか。」と聞いてみると、特に車椅子用としての対策はないので、基本的には車椅子では無理だということでした。
それならと、渦の道には車椅子ではどう行けばいいか尋ねました。「渦の道の前には車椅子専用の駐車場だけが数台分ありますが、第1駐車場に車を止めてしまったのなら、鳴門山トンネルを通って車椅子を押して歩いて行くのがいいでしょう。」、チケット売場のお姉さんは親切に教えてくれましたが、渦の道の前に車椅子専用の駐車場があるのなら、第2駐車場の係のおじさんはちゃんとこのことを教えて欲しかったなあと、お母さんは思いました(ちなみに、この車椅子専用駐車場は、ちゃんと空いていました)。
車椅子でトンネルを抜けると、千畳敷展望台に出ます。ここで渦潮を眺めて、写真撮影をして、いよいよ渦の道に挑みます。チャンカチャンカチャンカチャンカと軽快な阿波踊りの音楽が流れる中、大鳴門橋の橋桁内の遊歩道を進みます。たくさんの観光客がゾロゾロと歩いていますが、予定時間をオーバー気味のともちゃんは、他の人にぶつからない様に注意しながら、先を急ぎました。
通路の両側の壁面は低いところは透明の板で覆われているのですが、上の方は金網で、潮風がビュービューと吹きぬけて行きます。さすがに海の上、強風です。この風のお陰で暑さも感じられません。ともちゃんにとっては、こんなに強い風圧を長時間感じていることは初めてのことでしょう。ともちゃんは身体をよじって硬くなっていました。
入口から450m、大鳴門橋が揺れているかどうかを感じる余裕がないくらい(揺れに弱いお母さんには幸いでしたが)、強い潮風に全身の感覚を麻痺させて、阿波踊りのリズムに急かされるようにともちゃんの車椅子を押し進んできました。渦潮の真上、海面から45mの遊歩道です。今日の満潮は12時10分とのことで、ちょうど今が渦の見頃です。
所々遊歩道の足下がガラス張りになっています。「真下を見ると吸い込まれそうで、怖いねえ。」と言いながら、ともちゃんも車椅子で、ガラスの上を通過してみました。もっとも、ともちゃんは車椅子では上向き加減の姿勢をとっているので、車椅子の足下を見ることはできないのですが・・・
目が回りそうになるので、長くは足元を見ていられなかったお母さんには、きれいなぐるぐるした渦巻きは分かりませんでしたが、渦潮らしきものは見えました。渦の道は自分自身が大鳴門橋になったようで、高さ、距離、潮風と全身で鳴門海峡を体験できる貴重な場所でした。帰り道では、ともちゃんは風圧に感覚が麻痺したようで、急ぐ車椅子の小刻みな振動に疲れた笑いが出たりします。
さあ、四国に到達した記念のお土産を買って帰るぞということで、土産物屋さんに入りました。四国キティちゃんとしてお遍路さんの格好をしたキティちゃん、徳島キティちゃんとして阿波踊りをしているキティちゃんのグッズがあったので、タオルとキーホルダーを買いました。
帰り道は、風に当って冷えたともちゃんの体をタオルケットでしっかりとくるんで、寝かせつけました。ともちゃんがぐっすりと眠っていたので、水分補給は西宮名塩サービスエリアになりました。ここで、またまたキティちゃんを発見。歌舞伎コレクションシリーズというもので、和風キティちゃんが歌舞伎の色んな役柄を演じています。その中に「娘道成寺」があったので、5月に道成寺に行ったともちゃんは、根付けとタオルを買うことにしました。3か月遅れのお土産追加です。
その間、ともちゃんはずっと起きていて、足をニューニューと突っ張ったり、キョロキョロしたりしていました。ゼロゼロと痰の絡みがひどくなりましたが、幸か不幸か渋滞のお陰で、パーキングエリアに車を止めるまでもなく、走行中にお母さんが一人で、ともちゃんを抱っこしたまま痰の吸引をすることができました。
今日、ともちゃんは夏休み中のもう一つの近畿圏脱出として、岡山県を目指しています。宝塚東トンネルを出て渋滞が解消されたと思った途端、今度は烈しい雨がザーザー降り出しました。「雨で全然前が見えへんから、怖いなあ。」というお母さんに、お父さんは「大丈夫、通い馴れた道やから。」と帰省ドライバのノロノロ運転を追越して行きます。
ともちゃんが小学4年生から5年生にかけて、お父さんは勤め先の地方工場がある岡山県備前市まで週に一度は出張していました。今回は、お父さんの案内で、ともちゃんは備前までお出かけします。しばらく行くと雨も上り、お父さんは今までの遅れを取り戻すかのように、快走します。渋滞ニモ負ケズ、雨ニモ負ケズ、走り続けた車はどうにか11時半に備前インターに到着しました。
ともちゃんの予定を考えると、どこかでミルクの注入を済ませて、備前のお土産を買ったら、すぐに帰路につかなければなりません。備前インターを出て岡山ブルーライン(有料道路)に入り、瀬戸内海の見える展望台で注入を行うことにしました。ブルーラインを走っていると、この地方は随分山深くて、山と山の間のわずかな土地に畑があったり、建物が建てられていることがよく分ります。
道が山間の水際を通りました。翡翠のような美しい緑色の穏かな水面に、お母さんは湖だと思いました。けれども、これが入り組んだ海であることを知って、驚きました。「日本のエーゲ海、牛窓(うしまど:ブルーラインよりも海沿いの地名)」のキャッチフレーズに偽りなしです。その後、橋でまたいだ両側の海には、真珠や牡蠣の養殖をするような筏が、たくさん浮かんでいました。何を育てているのでしょうか。
ブルーラインの道の駅「一本松展望園」の一番上の駐車場に車を止めました。ここから小豆島を眺めることができます。空いている駐車場に海に背を向けて駐車し、後部ドアを開けて後ろ向きに座り、小豆島を眺めながらミルクの注入をしました。天気がよければ、水平線あたりに四国も見えるそうですが、生憎の曇り空で、水平線さえ定かではありません。
それでも、曇っているお陰で暑い日差しや照り返しはなく、風も爽やかで、気持よく注入ができました。小豆島の手前には、ちょうどお饅頭のような半球形の、小さくてぽっこりとまあるい島が見えます。「あの島、かわいらしいから、ともみ島という名前にして、私のん(私の物)にしよか。」と、注入中お父さんとお話ししていたともちゃんですが、後で案内板を見ると、残念ながら、鼠(ねずみ)島という名前がすでについていました。
一本松展望園は丘の下にも駐車場があり、そこにはレストランや売店、おまけに小さな遊園地まであります。一本松展望園に来る途中にも、ブルーライン沿いに小さな遊園地を持つ道の駅がありましたが、このような田舎の小さな遊園地は、ともちゃんにも両親にも珍しいものです。ともちゃんはお土産を買うために売店に立ち寄りました。
本当は「ここまで来たよ」という証拠に、「一本松展望園」でも、「岡山ブルーライン」、「邑久(おく)町」でも、何か名前の入ったキーホルダーやマスコットがあればいいなと思ったのですが、あるのは桃太郎さんばかりです。ともちゃんは桃太郎さんの大きな顔のクッションと鈴の付いたキーホルダーを買いました。
これでは、岡山市に行ったみたい(岡山市のお土産屋さんにも桃太郎さんはたくさんいるので)と内心思いながら、ちょっと残念そうに「桃太郎さんばかりやなあ。」と言った両親でした。けれども、小舟で行けそうな近くにたくさんの島が見えているさっきの展望台からの景色を思い出すと、岡山市ではなくてこちらの方が桃太郎伝説の本家かなという気がしてきました。
クッションは車の中でおむつを換える時にさっそく利用しましたが、ともちゃんの頭を乗せるのにちょうどよくて、これからも車に備え付けてお出かけのお供になりそうです。桃太郎さんがお供とは、なんとも強そうなともちゃんです。
急いでいる帰り道ですが、ともちゃんの水分補給は必要です。初めての場所でということで、権現湖パーキングエリアに寄りました。ここは建物内にはラーメン屋さんしかなくて、あとは自販機と売店があって、戸外に木で作ったテラスに丸太製のテーブルとベンチが置かれているという、やけにアウトドアっぽい造りのPAです。
ともちゃんの水分補給もベンチで行ないました。帰ってから、サービスエリアで配っているエリアガイド(高速道路地図)を見ると、権現湖PAは「自然の中のラベンダー畑の中にあります。」と説明がついていました。
最初に行ったのは猪名川沿いにある西猪名公園です。プールの横を通ってテニスコート脇の駐車場に車を止めました。他の車からは、小さな子どもを連れた家族が思い思いに水遊びの仕度をして、プールへと向っていきます。テニスコートはすでに満杯で、炎天下でプレーをしています。ここはスポーツ公園なのでしょうか。
とりあえず車の外へ出て、車椅子で散歩をしてみることにしました。グオオーンと大きな音が響いて、飛行機が白い腹を見せて、頭上を低く飛んで行きます。ここは伊丹空港のすぐ近くで、来る道中も伊丹空港のすぐ横を通って、飛行機がたくさん止まっているのを見てきたところです。ちょうど、空路の真下に当たるのでしょう。
プールを過ぎると、小高く土を持った築山の上にあずまやがあって、スロープも通じています。セミの声を聞きながら、上ってみました。その後、公園の正面入口の方にも行ってみましたが、散歩する場所はわずかで、残念ながらともちゃんの好きなお散歩公園とは違うようでした。
散歩の間も何回も騒音とともに飛行機が通っていきます。高度が高くて小さく見える時は、ともちゃんが以前伊丹空港を訪れた時にお父さんに買ってもらった空気で膨らませるビニール製の飛行機(ともちゃんの家では、ラックと天井の隙間に引っかけてあって、いつも腹が見えている)のようですが、低空で飛ぶジャンボ機の大きな機影の下に入ると、その迫力に落ちてきそうな恐怖感を感じて、思わずともちゃんをかばいそうになります。
ともちゃんは、この飛行機をどう感じているのでしょう。グオオーンとまた飛行機が近付いてきたので、「ともちゃん、飛行機やで。」と声をかけました。ともちゃんはキョロキョロと音のする方を探すのですが、飛行機の姿を視野にとらえることはできなかったようです。この後、車の中でミルクの注入を行い、今度は西武庫公園に向かいました。
西武庫公園は、西猪名公園から車で15分程度のところにあります。パンフレットによるとここは交通公園で、遠足などの子供の団体には足こぎペダルカーを大量に貸し出して、交通安全指導を受けられるようになっているようです。昭和39年に開設ということですから、交通事故死者が急激に増加して交通戦争と呼ばれていた頃にできたのでしょう。
ともちゃんは、今はガランと人気のない廃墟の街(交通公園)の交差点を堂々と斜めに横断しながら、自然園のエリアに行きました。西武庫公園は武庫川の堤防に隣接しており、こちら側は武庫川から水を引いたと見られる菖蒲園や、噴水の水辺で遊べる徒渉池があります。ともちゃんは水遊びはしませんが、徒渉池はスロープでも水際まで行けるようになっているのに好感が持てました。
菖蒲園だけではなくて、桜並木やあじさいもあったので、花の咲いている季節に来たら美しいことでしょう。ともちゃんは、武庫川の堤防際の小川のところまで行って、引き返しました。夏のお散歩では、ともちゃんは保冷剤や氷まくらを車椅子の枕の下に敷いていますが、そろそろ暑さで疲れてきたようです。涼しい車で水分補給をして、家に帰ることにましょう。
大和郡山は金魚の産地として、また金魚すくい選手権が開催される街として有名です。ともちゃんの身近な田舎シリーズ第2弾としても打ってつけです。最初は、自然豊かな矢田丘陵の中にある大和民俗公園に行きました。敷地内には原生林もあり、移設した歴史的な家屋が並ぶ一画、梅林、菖蒲園、そして民俗博物館があります。公園内にはぐるりと遊歩道が設けられていますが、日差しが暑そうなので長時間の屋外散歩は避けて、民俗博物館に向いました。
博物館には、昔の奈良県の人々の暮らしが展示されています。最初は奈良盆地の米作りの農具の展示です。昭和30年代頃まで用いられていたものも展示されていて、お母さんは思わず「これ、小さい頃、近所の農家にあったのを見たような気がする。」と声を上げました。次は大和高原のお茶作りの農機具です。「ともちゃん、お米とお茶やったら、ともちゃんも食べれるもんばっかりやなー。」、ともちゃんは食物アレルギーがあるので、食べられる食材が限られています。
ともちゃんが一番反応したのは「灯かり」のコーナーでした。真っ暗な部屋に入ってそれぞれのボタンを押すと、行燈、石油ランプ、電灯、蛍光灯だけが順番に点きます。行燈は言うまでもなく、石油ランプでもその周りだけがかろうじてほの明るい(ちょっと離れると真っ暗)という状況で、とても本など読めそうにありません。こういうのを体験すれば、「蛍の光」の歌にあるような、雪明りで読書をしたという話もすんなりと納得できてしまいます。
「ともちゃん、暗いなあ。昔は行燈つけても、こんなに暗いねんて。この暗ーい灯かりの中に、行燈の油をペロペロなめる猫化けの影が映るねんで。こわいなー。」、ともちゃんは暗い所は好きではないのですが、猫化けなんて怖くないよと言いたかったのか、明るさが変るのがおもしろかったのか、ギャハハハと声を出して笑っていました。
吉野山地の林業を見て、特設展の「唐箕(とうみ)」(手動式の扇風機で風を送って、籾殻を選別する農機具)を触って、博物館を後にしました。空いている駐車場の車の中でミルクの注入を行い、次の目的地である郡山城跡に行きました。カーナビについている説明によると、大和郡山城は豊臣秀吉が建てた城だそうです。今は城跡だけが残っています。
駐車場がなかなか見つからずに苦労しましたが、郡山城跡は、思いがけなく、情緒あふれるよい散歩コースでした。車が5台程しか止められない小さな駐車場は、巨大な石を積み重ねた城壁の直ぐ前にあります。観光客もほとんど居らず、一般の車が通る道から車一台がやっと通れる細い路地を通ってくるので、駐車場の一画がすでに歴史的な空間を作っています。
すぐ傍の門を通って中に入ると、お城ではないのですが、なにやら由緒がありそうな時代がかった建物が見えます。明治時代に図書館として建てられた和洋折衷の建物で、現在はここに移設されて市民会館とし使われているということです。郡山城の敷地内には、城内高校、郡山高校と、高校が2つもあります。市民会館もそうですが、歴史的建造物がさり気なく市民生活の中に入り込んでいるのは、うらやましい限りです。
内濠に沿って設けられた散策路を行きました。深い内濠にはほとんど水がなく、夏草が繁り放題に繁っています。伸び切った草の先ですら、はるか谷底の方に見えているのが、一段と濠の深さを際立たせています。「お濠の底が深くて怖いなあ。」などと言いながら、ともちゃんは城内高校の横まで散歩しました。
水分補給をして帰ろうとしたとき、何処からともなく、正午のサイレンが聞こえてきました。こういうところも「近くの田舎」としての風情があります。カーナビの案内に任せていると、阪奈道の入口まで思わぬ狭い道を行くことになりましたが、田んぼの中や住宅の横にいくつも金魚池が見かけられました。
ともちゃんもいつになく早く目覚めて、朝の予定も順調にこなし、8時には出発できました。阪和道を美原北インターで下りて、富田林、河内長野を経由して、高野街道と呼ばれる国道371号線に入ります。国道371号線は南海電車の高野線と並行して走り、紀見トンネルを抜けると和歌山県橋本市です。紀ノ川を渡ると目前に山並みが迫り、この山を登るといよいよ高野山だと実感します。
今回のお出かけがいつもと大きく違うのは、くねくね山道を長く走ることです。橋本から先の高野山街道、国道370号線はどんどん山道に入ります。小刻みなカーブが続くようになると、車は減速と加速を繰返し、身体は横に振られるだけではなく、刻々と変わる複雑な加速度を感じて、車酔い感は最高調に達します。元々乗物酔いに弱いお姉ちゃんは「気分悪いー。」と苦しんでいましたが、ともちゃんは全く元気そのもの。アハーン、ハーンとにこやかにおしゃべりをしています。
高野山金剛峰寺まであと6km、5km・・・とカーナビに表示が出るたびにお姉ちゃんを励まして、やっと高野山の街に着きました。霊峰高野山には金剛峰寺を初めとしてたくさんの寺院があるのですが、今回はお姉ちゃんの希望で「一の橋」から「奥の院」にかけて散歩をします。一の橋前の有料駐車場に車を止めて、ともちゃんはさっそくミルクの注入を開始しました。その間、お姉ちゃんは一足先に奥の院に向って偵察に行きました。
ちょうどともちゃんの注入が終る頃、お姉ちゃんが戻ってきました。「奥の院まで行ってきてん。織田信長のお墓も、伊達政宗のも、武田信玄のもあったで。」、奥の院への参詣道沿いにある戦国武将のお墓が、お姉ちゃんのお目当だったのです。ともちゃんも散歩に出てみました。
樹齢何百年という巨大な杉の木が立並ぶ中に、石畳の参詣道が続いています。ともちゃんは木陰の散歩道は大好きですが、こんなに緑の葉っぱの空が高い散歩道は初めてです。遥かに仰ぎ見る杉の枝葉は、ともちゃんの視界にはどのように映っているのでしょう。杉木立の中に、お墓があります。最近できたと思われる会社社長のお墓や団体の慰霊碑、一般個人のお墓もありますが、多くは400年も昔の苔生したお墓です。
墓石もお祖父ちゃんたちのお墓のような長方形のものは少なくて、大きく丸い石を重ねたものや、なぜか鳥居のあるもの、祠のあるものと色々です。また墓石には梵字が書かれていて(これは宗派の違いかもしれませんが)、墓地を散歩しているというよりは、古墳のような歴史的遺跡を見学している気分です。戦国武将や江戸時代の大名のお墓の前には「奥州 仙台藩主 伊達家」とか「明智光秀」とか表示されているので、探しながら歩くと楽しいものです。
石畳の道は凹凸があって、車椅子がガタガタと振動するのがともちゃんには楽しいようです。声を出してよく笑っています。すこしの段差は家族で車椅子を持ち上げて乗り越えたのですが、奥の院の少し手前で階段があり、ともちゃんはそこで断念です。杉の巨木と400年前のお墓の中の散歩はいつもとは違う雰囲気があったでしょう。霊気をしっかり吸い込んで、車へと戻りましょう。
お土産屋さんでは、金と銀の大きな鈴がついた飾りものと、カバンにつけるための紫色の花の形をした小さな鈴のキーホルダーを急いで買って、再び車で水分補給を済ませました。またもや一人で探索していたお姉ちゃんが、「上杉謙信と北条氏康のも見つけた。」と満足そうに戻って来たので、急いで帰路につきました。道路沿いに合った気温を表す電光表示が29度を示していて、下界よりも5度程低いことが分ります。そういえば、注入中に車の中を通り抜けた風は、秋の風でした。
くねくね山道が続くと、さっそくお姉ちゃんが「止めて休憩しよう。」とうめき声をあげています。道幅が広くなった場所で、路肩に車を止めました。ともちゃんは元気だろうと見ると、唇の色が白っぽく土気色です。あわてて、吸入している酸素の量を増やしました。ともちゃんは、水分補給の後、眠かったのですが、寝かせるタイミングがずれて、寝られなかったのです。
お母さんはすぐに心拍数を測定しましたが、幸い116回/分と正常範囲内でした。お母さんはけいれんの気配が強いのかと思いました。酸素吸入で唇の色が少し戻ったので車は出発し、お母さんはともちゃんを寝かせようとしました。しかし、ウップウップ、クチュクチュと、ともちゃんは胃から込上げてくるものをしばらくこらえようとして、こらえきれずに、ウエッと嘔吐してしまいました。
ともちゃんは水分補給の後、いつもなら車が走り出すと眠るのですが、今回は前後左右上下に揺さ振られたものですから、摂取した水分の納まりが悪くなり、気分が悪くて、余計に眠れなくなったようです。嘔吐した後は多い目に酸素吸入をしながら、クターッと眠りました。目覚めてからはすっきりしたようで、ニコニコしています。
ハアーン、ハアーンとおしゃべりもしています。「車酔いと違うで。ちょっと条件が悪かったからしんどかっただけや。お出かけは大好きやから、また行こな。」と言っているのでしょうか。「ちょっと、しんどかったけど、楽しかったな。今日は本当にきつい山道やったけど、もうこんな山道を行くことはないで。しんどくないようにして、また、お出かけしような。みんな、ともちゃんとお出かけするの楽しみにしてるねんで。」・・・