ともちゃん の日常27


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2003年11月以前(ともちゃんの日常26へ)

2003年12月

7日(日)
「むつみ祭 2003」

26日(金)
「キーボード」

2004年1月

3日(土)
「2004年のお正月」

28日(水)
「ニャンちゅう1/1ハンドパペット」

2004年3月

17日(水)
「久しぶりのお出かけは眼医者さん」

23日(火)
「やっと登校」

2004年4月

11日(日)
「弥生文化博物館」

24日(土)
「岸和田だんじり会館」

29日(木)
「須磨離宮公園」

2004年5月

2日(日)
「信太森葛葉稲荷神社」

2004年5月3日以降(ともちゃんの日常28へ)


2003年12月7日(日)

今日はともちゃんの養護学校のむつみ祭(舞台発表の文化祭)でした。元気に参加できたともちゃんは、今は家でお母さんに抱っこされて、ニコニコしながら今日のビデオを見ています。画面に映るともちゃんも、舞台の上で楽しそうに笑っています。友達と一緒にむつみ祭に参加できて、にぎやかなことが大好きなともちゃんは嬉しくて仕方がありません。ともちゃんの活躍を振返ってみましょう。

 今年の中学部の劇は、「山寺物語」です。山寺の和尚さんたちは、タヌキのいたずらに手を焼いていました。お月見の夜、お団子を狙ってやってきたタヌキたちに、和尚さんが聞こえよがしに言いました。「タヌキが来たら、タヌキ汁にするぞ。でも、サルだったら仕方がないな。」、タヌキはサルに化けてお団子を狙います。「サルなら、でんぐり返りが得意なはず。」という和尚さんの誘いに乗ってでんぐり返りをしますが、目を回して隠れてしまいました。

 今度は和尚さんが「どうもサルではなくて、ウサギが来ているようだ。」と言いました。今度はウサギに化けたタヌキたち、「ウサギの鳴き声が聞きたい。」という和尚さんの言葉にまんまと引っかかって、「ウサ、ウサ、ウサ」と鳴いて、タヌキだということがばれてしまいます。でも、やさしい和尚さんに今までのいたずらを許してもらいました。めでたし、めでたし。そしてフィナーレには、みんなで和太鼓の演奏を披露しました。

 ともちゃんの役はおサルの桜ちゃんです。3年生はタヌキを、1年生はタヌキが化けたウサギを、そして2年生はタヌキが化けたサルを演じます。お友達はみんな、全体の舞台練習以外にも学年別のパートごとに何回も練習しています。でも、残念ながら、ともちゃんは今日までおサル役の練習は一度も参加することができませんでした。

 ともちゃんが唯一参加できたむつみ祭の練習は、舞台練習の最後の出演者紹介でした。ともちゃんは、いつものように遅れて登校してきました。その日は舞台練習の日で、演技の練習自体はもう済んでいたのですが、ちょうど最後の出演者紹介の場面に間に合ったので、ともちゃんもすぐに参加しました。心の準備ができていなかったともちゃんは、暗い体育館のライトが当たる舞台に上がると、何が何だかわからずに、とても緊張した顔をしていました。

 おサルの衣装はピンク色です。タヌキが茶色、ウサギが白で、それぞれの衣装は学校の方で作って下さいました。ところが、偶然にも、ともちゃんが通学時に着ているフード付きのパーカーとその上に羽織っているフリースの上着が両方ピンク色で、ウサギの衣装と同じ色でした。体育館は冷えるし、寒がりのともちゃんなので、薄い衣装の代りにパーカーとフリース上着で出演してもいいですよと言ってもらいました。

 さあ、今日はいよいよむつみ祭本番です。練習には参加できなくても、元気な顔で舞台に上がりましょう。お母さんは、いきなり本番に参加するのでは、舞台挨拶の練習の時のようにともちゃんが緊張して、舞台発表の楽しさを味わうことができないのではないかと少し気になっていました。でも、家でむつみ祭の話が出る度に、ともちゃんは張切っているようで、「むつみ祭に出よか。」と声をかけると、「なーん」とニコニコしていました。

 中学部の出演時間に合せて、遅くとも10時30分までに登校すればいいことになっていました。ともちゃんは、このごろ朝食を摂るのに時間がかかっていましたが、今日は頑張って、お父さんの手助けもあって、思っていたよりも少し早く到着することができました。みんなはまだ会場である体育館に行っておらず、教室で待機しているとのことでした。ともちゃんも教室に行くと、びっくりです。友達はすっかり、おサル、お月様、お坊さん、ナレーターのカンガルーに扮していて、普段でも楽しい教室が今日は一段とにぎやかで楽しいところになっていました。

 友達が寄って来て声をかけてくれると、ともちゃんのうれしさと興奮はさらに高まって、ギャハギャハはしゃいでいます。ともちゃんも急いでおサルに変身しましょう。おサルの衣装(今日はズボンもピンクです)で登校しましたから、おサルの耳のカチューシャをつけてもらうと、すぐにおサルの仲間入りです。細面のともちゃんの顔に大きなおサルの耳がよく似合います。いつものパーカーを着ていても、ともちゃんはすっかりおサルさんです。

 おサルのパートの最後の練習をすることになりました。(タヌキが化けた)おサル達がやってきて、「アイアイ」を歌って踊る場面と、でんぐり返りをする場面です。ともちゃんも含めて6人のおサルがずらりと揃うと(本当は7人ですが、1人お休み)、圧巻です。6人のお友達は体格も動きもそれぞれ大きく異っているのですが、それがまたそれぞれに個性的で、ゆっくりとした動作、きびきびとした大きな動作、身軽そうな小さな身体、迫力ある大きな身体と魅力的なおサルになっています。

 ともちゃんの周りでお友達が「アイアイ」を歌い踊ると、ともちゃんも嬉しくて、楽しくて、満面の笑顔で左足をピンピンと突っ張っています。ともちゃんなりの表現で「アイアイ」の曲を友達と一緒に楽しんでいます。友達がマットの上ででんぐり返りや寝返りの連続でごろごろと転がる技を見せる時には、ともちゃんは黒子の先生が鳴らすタンバリンを聞きながら、応援します。得意の左足ピンピンをするともちゃんを見て、先生が金色のキラキラ光るフサフサのモールをチアリーダー風に手首と足首に付けて下さいました。

 土壇場でしっかりと練習にも参加し、ともちゃんは本番を迎えました。ちょっとおすまし顔で登場したともちゃん、みんなと「アイアイ」を歌い踊る時はやっぱりいい笑顔を見せてくれました。チアガールの時は、一番よく動く左足を突っ張って高く上げていました。フィナーレの太鼓の演奏では、ともちゃんは先生に手を持ってもらって、リラックスして穏やかな表情で太鼓を打っていました。

 太鼓の演奏はぶっつけ本番でした。舞台の袖で順番を待っている間は、初めて太鼓の音を聞いてなんだろうと緊張した顔も見せていたそうですが、舞台に上がると笑顔も見せてくれました。むつみ祭では一人一人のその子の状態に応じた目標があります。ともちゃんの目標はみんなで演じる劇や太鼓を楽しむことです。ともちゃんは、練習から存分に楽しみ、その感情を表情や足でたくさん表してくれました。

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2003年12月26日(金)

クリスマスの朝、ともちゃんはいつもより少し早く起きてきました。リビングのロボタ(酸素濃縮器)の耳(フック)に、お姉ちゃんがプレゼントしてくれた布製のキティの大きなブーツを掛けてあったのですが、その横にブーツに入りきらないもっと大きな包みが置かれています。「ともちゃん、サンタさんがこんな大きいプレゼントくれたで。開けてみよか。」とお父さんが話しかけると、ともちゃんの気持ちが華やぎます。開けてみると、プレゼントはともちゃんの背丈の半分以上もあるキーボード(電子楽器)でした。

 自宅で過している時、お母さんがともちゃんのミルク注入の準備をしたり、片付けをしたりしている間は横向きに置かれています。「テレビ、見ときな。」と言って、布団の上に置かれるのですが、ともちゃんの手の届く範囲にビデオやテレビのリモコンが置かれていると、チャンネルを変えたり、ビデオを再生したり、音量を変えたりすることがよくありました。

 お母さんが文章作成途中のノートパソコンのふたを開けたまま放っておくと、文章の途中に「ccccc・・・」とか「mmm」とかがいつの間にか書込まれていたりすることもあります。この前は、入力モードをローマ字からひらがな入力に変えて、「むむむむむ・・・」と入力していました。ともちゃんがチャンネルを変えたり、パソコンに入力した時、お母さんが「いたずら坊主やなあ。これ。いたずらしたやろ。」と言うと、ともちゃんは「してやったり。」とうれしそうにニャハハハと笑っています。

 もちろん、ともちゃんがビデオを再生してやろうとか、音量を大きくしようとか、ましてやパソコンの入力モードを変えようなどと、考えて操作をしている訳ではありません。何となく興味があって、にじり寄って手が触れたら、ビデオが映ったとか、音が大きくなったとか、パソコンに入力できたというのが本当のところでしょう。でも、そういうともちゃんの興味と偶然の驚きを大切にしたいと考えました。

 そういうわけで、サンタさんにはキーボードをもらうことにしました。ともちゃんの手が触れて音が鳴れば、きっと楽しいでしょう。お父さんとプレゼントの包みを開けて、音を鳴らしてもらったともちゃんは、なんだろうと不思議そうな顔をしています。キーボードは、ピアノを初め色々な楽器から大聖堂、救急車まで100種類の音色が選べるので、あれこれ選んで鳴らしてみましたが、鈴虫の鳴き声ではともちゃんが大笑いしていました。

 お父さんが出勤してしまい、抱っこしていた母さんがともちゃんを寝かせて用事をする時、早速ともちゃんの前にキーボードが置かれました。「何の音にしよ。」と、お母さんがその時々に適当に音色を決めて、その場を離れます。ぽん、ぽろん、ぽろろぉーんと音が聞こえると、「ともちゃん、上手やなー。」とお母さんが用事の手を止めて、ともちゃんに声をかけてくれます。ともちゃんは自慢そうに笑っている時もあれば、ボーっと眠そうにキーボードを抱き枕のように抱えていることもありました。

 宅配便が来て、お母さんがハンコを持って玄関先に出ました。品物を受取って戻ってみるとシャッカシャーン、シャッカシャーンとリズムパターンが鳴っていて、それにかぶってぶぉーんとハーモニカの音が聞こえます。「ええっ、ともちゃん、ハーモニカだけ鳴らしてたんと違うん。」と、驚いてお母さんが見ると、リズムパターンが06番のシャッフルに設定されているではありませんか。ともちゃん以外に誰もいません。

 この設定をするには、パターンのモードのボタンを押して、0と6を押して、さらにスタートボタンを押す必要があります。本当に偶然なのでしょうが、ともかくすごいことです。お母さんが「自分で押したんか。すごいなあ。」と言った時はすましていたともちゃんですが、話を聞いたお姉ちゃんやお父さんから「ともちゃん、すごいなぁ。作曲するんやなあ。」、「うわ、天才やなあ。」と誉めて貰って、ニコニコとご機嫌でした。

 クリスマスイブが終業式となる養護学校は、すでに冬休みに入っています。むつみ祭には参加できましたが、その後の寒波襲来でともちゃんはもうすでに冬籠りに入っています。終業式も欠席したので、先生が通知表を持って訪ねて下さいました。楽しみに待っていたともちゃんは、久しぶりに先生に会うことができて、とても嬉しそうにしていました。

 中学部2年生の2学期の出欠状況は、授業日数77日中、出席日が11日でした。昨年の2学期は5日しか出席できていませんでしたから、今年は昨年よりたくさん登校できたことになります。冬の訪れが遅かったお陰です。けれども、これからしばらくは無理をせず、家で過すことが多くなるでしょう。お母さんと二人で一日中家の中にいる時も、キーボードを鳴らして楽しく過ごしましょう。

 今朝は、ともちゃんが左側を下にして横向きに寝転がって、前に身体と平行にキーボードを置いてもらいました。お父さんが聞いていると、とても高い音がポロン、ポロンと聞こえてきます。キーボードの位置とともちゃんの手の位置を考えると、こんな高い音の鍵盤に触れるはずはありません。見てみると、ともちゃんは膝を曲げて、膝頭を鍵盤に触れて音を鳴らしていました。これからもしばらくは、ともちゃんにも、家族にも、こんな新しい驚きが待っていることでしょう。

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2004年1月3日(土)

2004年になりました。暖冬の穏やかなお正月です。昨年からすでに冬籠り生活に入っているともちゃんは、「お正月元気やったら、近くの神社までちょっとだけ初詣に行こか。」と言われていたので、楽しみにしていました。けれど、年末から湧いていた黄色い痰は一向に治ることはなく、お父さんから「お出かけはなし。ずっとおうちで静養やな。」という判定を下されてしまいました。

 実際のところ、元旦も夜中に年が変ってすぐ、痰が絡んで激しく咳込んで、何度も吸引するという事態になりました。夜中は動脈血中の飽和酸素濃度が下り、息苦しくて抱っこしてもらっていても、昼間のともちゃんは元気です。朝起きて、しばらくの間は頻繁に吸引が必要ですが、一段落すると普段通りの生活になります。

 元気を取戻すと、しんどいときのことなどすっかり忘れて、ともちゃんは「お出かけしようや。」とばかりに家族に話しかけてきます。家族みんなが冬休みに入って、ともちゃんの周りにいることが嬉しくて、でも年末から自分以外の家族は入替り立替り買物などで出かけているようなのが悔しくて、ともちゃんはたくさんおしゃべりをします。

 「ともちゃん、お出かけでけへんから、おうちで何か楽しいことしよか。」ということで、3日には例年通り家族でボードゲームを楽しみました。今年は新しいゲームではなく、一昨年に買った「ハローキティ・モノポリー」に再び挑戦です。一昨年と違うのは、さいころ。お姉ちゃんが年末にスーパーの福引きのハズレで貰ってきたちょっと大き目のさいころで、角が面取りしてあるのでともちゃんにも握りやすいのです。

 キティのモノポリーは、さいころを振って盤のマス目(お店)を進みながら、そのお店を買ったり、自分のお店に止った人からお金を貰ったりします。誰かが、最初に配られたお金を使い果して破産すると、そこでゲーム終了となり、その時の所持金が多い人の勝ちとなります。ともちゃんにもさいころを持たせてあげて、振らせようとするのですが、このさいころはともちゃんの掌にすっぽりと納ってちょうど握りやすい形と大きさなので、なかなか離してくれません。

 ゲームは3回行いました。1回目、ともちゃんは、お父さんがどんどんお金が無くなっていくと嘆いているのを聞いて大笑い。そのままお父さんが破産してゲームが終了となり、所持金の計算をすると、何とともゃんはお姉ちゃんと同額の1位でした。2回目は、今度はともちゃんが破産です。がっかりした表情のともちゃんを見て、「お父ちゃんが代ったげるわ。」と言ってもらい、ベッタコは免れましたが、お父さんの所持金も少しでした。3回目は着実にお店を買占めて、ともちゃんがダントツの1位、とても満足そうでした。

 家の中で家族に囲まれて過ごした冬休みも、5日にお父さんが出勤、8日にお姉ちゃんが登校となり、あっけなく終ってしまいました。またお母さんと2人で家の中で過す毎日です。本当はともちゃんも登校したいと思っています。けれど黄色い痰が治っても、冬の寒さはともちゃんの大敵です。朝の食事が終るまでに時間がかかって、時間的にも、体力的にも、家の中で一日をゆっくりと過すということが、今は最善の方策です。

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2004年1月28日(水)

新学期が始って、1週間が過ぎました。本格的な寒波がやってきました。今まで暖冬だっただけに、余計に応えます。気温が低くなると、ともちゃんの身体機能の活動性はさらに低下します。朝、身体の機能が目覚めて、しっかりと食事が摂れるようになるまでに、まず時間がかかるようになります。顔、特に口の周りの肌が荒れて、赤い発疹ができたり、唇の端が切れたりもします。朝食を摂るだけでも疲れて、ウトウト眠たくなってしまいます。まさに冬籠りのモードです。

 お母さんが学校に休みますの電話をかける時は、ちょっと悔しい思いをするともちゃんですが、しばらくの間登校は我慢です。電話が終ってから、ゆっくりと朝の予定をこなし、元気が出てくると、置かれてキーボードを鳴らしたり、お母さんに抱っこされてスキンシップやおしゃべりを楽しんだりします。2学期末、先生が届けて下さったお友達からの手紙を読んでもらったりもしました。

 1月も最後の週となりました。相変わらず、ともちゃんの苦手な寒い日が続いています。昨日夕方5時半ごろ、一昨日より東京に出張していたお父さんから「今、新幹線に乗ったから。」と電話がありました。電話を取ったお姉ちゃんが「ともちゃんに、すごいおみやげがあるねんて。」と伝えてくれました。「ともちゃん、何やろうなあ。楽しみやなあ。」、ミルクの注入が終って、喘息予防薬の吸入を行っているともちゃんも嬉しそうです。

 お父さんが帰宅したのは、ともちゃんがすっかり寝入ってからでした。ともちゃんが眠っている時は、両親のどちらかが必ず添い寝をしています。お父さんが寝る支度をして寝室にやってくると、交代に、ともちゃんに添い寝をしていたお母さんは自分の時間を過すために起出して行きました。

 リビングのともちゃんの布団の枕元には、とても大きな紙袋が置かれてありました。中を覗くと、おみやげは「ニャンちゅう1/1(1分の1:原寸大の意)ハンドパペット」でした。お父さんが贔屓にしている東京駅八重洲地下街のNHKキャラクターグッズショップで購入したものです。夜行性のお姉ちゃんもやって来て「うわっ、ともちゃんのおみやげ、本物とおんなじニャンちゅうやん。どんなんか、早よ開けてみたいなあ。」と2人で興味深々です。

 昨日のおみやげの話を聞いて、楽しみにしていたのでしょうか。ともちゃんは今朝は、早く、にこやかに目覚めました。けれども、お父さんに抱っこされてリビングにやって来て、着替えが済む頃には、ぼーっと元気のない様子になってしまいました。家族の期待の下、ニャンちゅうの包みを開けても、いまひとつ反応はありません。

 実物大のニャンちゅうはともちゃんよりも大きな顔をしていて、迫力があります。手には操作用のスティックが入るようになっていて、本物と同じ動きをすることができます。家族が「ニャンちゅう貸して。」と順番に手にはめて、ニャンちゅうの声色をまねて、「とぉむぉちゅあーん。」と話しかけますが、ともちゃんはぼーっと関心がありません。

 このところ、ともちゃんは朝は元気がなくて、朝の予定もなかなか進まないという状態ですから、ニャンちゅうともゆっくりと仲良しになりましょう。お父さんもお姉ちゃんも出かけてから、ともちゃんはニャンちゅうに見守られて、ゆっくりと朝食を摂りました。もちろん、学校はお休みです。朝食を食べ終ってから、ともちゃんは、やっと、話しかけるニャンちゅうに微笑み返してくれるようになりました。

 元気が出てくると、いつものともちゃんです。ニャンちゅうといっぱい遊びました。ともちゃんが横向きに置かれている時、「おおーおおー」と大きな声を出しているので、お母さんが見ると、ニャンちゅうがともちゃんの背中側にいます。「ニャンちゅう、どこいったんや」と探していたのでしょうか。ともちゃんの目の前にデンと置くと大きな声を出すのをやめて、「あーあー」となにやらご機嫌でお話していました。

 夕方、お姉ちゃんが帰宅してニャンちゅうで相手をしてくれた時には、大喜び。「はぁーん、はぁーん」と笑顔で答えていました。午後7時になって、ともちゃんは寝室へ引上げます。お母さんがともちゃんを抱っこして運ぶので、お姉ちゃんがパルスオキシメータや枕を寝室へ運んでくれたのですが、ついでにニャンちゅうも一緒に寝室に持込みました。

 お母さんがリビングに散らばったともちゃんの衣服を洗濯籠に片付けて、寝室に戻った時は、ともちゃんはニャンちゅうを抱き枕のように抱えて、横に寝転がっているお姉ちゃんとお話していました。「もう、今日は寝るで。ニャンちゅうも、また明日や。」お母さんの号令にお姉ちゃんは、ニャンちゅうをリビングに連れて行きました。

 でも、困ったことになったのはともちゃん。嬉しくて、楽しくて、興奮してしまって、ギャハギャハ笑って全く寝ません。結局、今夜は8時半ごろまで起きていて、帰宅したお父さんに抱っこしてもらってやっと眠りました。

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2004年3月17日(水)

 1月は家でゆっくりと過ごしたともちゃんですが、2月に入って余計に体調が思わしくなくなりした。黄色い痰が多くなって吸引の回数も増え、ともちゃん自身もそれに疲れて1日に2回の口からの食事がなかなか進みません。経管栄養があるので、口からの食事が摂れなくても、あせらず、無理せず、十分休養を取りながら過ごしていました。

 2月も終り、痰の絡みも少し落着いてきたと思っていたら、朝起きてきたともちゃんの左目が真っ赤です。目ヤニも少々出ています。以前、髪の毛や枕カバーが目に触れて充血したことがあったので、抗菌目薬を点して1日様子を見ました。しかし、充血は軽減するどころか、ますますひどくなるばかりです。

 そういえば、その前日お父さんの右目も真っ赤でした。きっとお父さんが会社でもらってきた結膜炎がともちゃんにうつったのでしょう。帰宅したお父さんの目は相変らず充血しています。翌日親子で眼科を受診することにしました。家族で「お出かけ」するのは12月以来、3ヶ月ぶりのことです。

 ともちゃんは完全防寒装備で臨みます。上半身はいつものTシャツの上に登山用の下着、フリースのシャツの上にトレーナ、さらにフリースの上着、その上に登山用の防寒ジャケット。下半身は同じく登山用の下着を履いてから、スウェットのズボン、その上にお姉ちゃんに貰ったスキー用のサロペットズボンを履いています。着膨れてモコモコなので、車椅子に乗せるために抱っこしようとしたお母さんも、いつものようにはいきません。

 外へ出ると気温は思っていたよりも穏やかで助かりました。ともちゃんはエレベータの中でも、車の中でも、お出かけしていることがうれしくて仕方ありません。目ヤニで開きにくい真っ赤な目でニコニコしていました。幸い眼医者さんは空いていて、それほど待たずに診察してもらいました。予想通り、親子揃って結膜炎でした。

 お父さんは「クラビット点眼薬」と「コンドロンデキサ液」、ともちゃんは「クラビット点眼薬」と「プロラノン点眼薬」をそれぞれ貰いました。お父さんもともちゃんも抗菌剤は同じですが、抗炎症剤がお父さんのものはステロイド系、ともちゃんのものは非ステロイド系と異なります。デリケートな体質のともちゃんに配慮して下さったのでしょう。

 受診した翌日から3日間、ともちゃんは38度台の熱を出しました。眼科受診で外出した時にどこかで風邪をもらったのかと、お母さんは心配になりましたが、これといった風邪の症状はありません。結膜炎がウィルス感染なら、そのせいで発熱してもおかしくないような気がします。ともちゃん自身はウトウトとしんどそうで、よく昼寝をしています。急いで小児科を受診するのも、逆に体力を消耗しそうです。以前にもらった抗生剤を飲んで、ゆっくりと休養して、様子を見ることにしました。

 その間に、眼科の先生の言われた通り、ともちゃんの右目も結膜炎に感染してしまいました。両瞼がはれ上がって、目ヤニでふさがって、目が開きません。市販の清浄綿で目ヤニを拭いて、やっと細く開いた目は真っ赤に充血していて痛々しい顔です。熱が下がってからも、1週間くらいは元気がなく、よく寝ていました。目がはれぼったくてうっとうしいので、目を閉じているうちにウトウト寝てしまうのではないかというのがお父さんの説です。

 お父さんの結膜炎はすぐによくなったのに、ともちゃんは完治するのに半月以上かかりました。ウィルス性の結膜炎は、薬は2次感染を予防するだけで、身体自身がウィルスに打勝つだけの抵抗力を付けなくては治らないので、完治に時間がかかるのは仕方ありません。むしろ、熱がひどくならずに済んだことに、ほっとしています。

【後日談】4月になって、ともちゃんの主治医の小児科の先生に診てもらった時に、結膜炎の話をしました。すると、最近、いわゆる夏風邪(今は夏ではないけれど)のウィルスであるアデノウィルスによる感染症が流行っていて、これに感染すると結膜炎を起すということを教えてもらいました。ですから、ともちゃんの熱もアデノウィルスに感染したことによる熱だったのでしょう。

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2004年3月23日(火)

 今日、ともちゃんは3学期初めての登校をしました。先週末から、「来週こそ元気にしとこな。早く朝ごはんを食べて登校しよ。最後のチャンスやで。」と、お母さんにずっと聞かされていたともちゃんは、朝から頑張って最近にはない早い時間に朝食を終えました。

 いくらやる気満々のともちゃんでも、体調が万全でないと食事を早く摂ることはできませんから、体調もよいということです。実際、今までは、いくらお母さんがともちゃんに「登校しよ。」とハッパをかけても、体調が全くついてこず、ずっと家で過ごしていました。窓の外はうららかな陽光が差していて、登校日和です。

 一足早く春休みに入ったお姉ちゃんに見送られて、ともちゃんは車椅子で屋外に出ました。こんなことは滅多にありません。いつもは、お姉ちゃんやお父さんが出かけるのを恨めしい思いでともちゃんが見送ってきました。それが、今日はちょっと優越感に浸りながら「行ってきまーす。」です。

 ともちゃんが久しぶりに車椅子のシートのすわり心地を実感している間に、エレベータは1階に着きました。マンションの前には、お母さんが電話で呼んでおいたタクシーが止っていました。先にカバンを座席に積んで、次はともちゃんがタクシーに乗ります。

 「タクシーに乗るで。ちょっとの間、座席にゴロンしといてや。いくで、どっこいしょ。」と、お母さんが、ともちゃんを車椅子から抱き上げようとすると、ともちゃんはパアッと満面の笑顔になって、うれしそうに大きな口を開けて声を出さずに笑っています。「そうそう、この感覚、お母さんと2人でタクシーでお出かけする時、こうやって抱っこされるねん。学校に行く時もそうやで。うれしいなあ。」

 タクシーで登校していたこと(ともちゃんは元気な時でも朝の予定がスクールバスの発着時間に間に合わないので、ほとんどタクシーで登校しています)を思い出したともちゃんは、興奮したのかタクシーの中で「おおーおおおー」と大きな声を出しています。「どうしたんや。」とお母さんに尋ねられると、「ぎゃははは」と笑い声に変りました。タクシーの中は温室みたいに暖かです。

 学校に到着する頃には、ともちゃんは朝からの頑張りと興奮でちょっと疲れていて、ボーっと反応が鈍くなっていました。けれども、先生に声をかけてもらい、懐かしい校舎に入ってエレベータで教室のある3階に上がると、ジワーっとうれしさがこみ上げてきて、笑顔がこぼれます。

 教室では中学部集会をやっていて、春休みに向けての注意事項が話されています。「知らない人に付いて行ったらあきません。」、「一人でどっか行ったことがある人。」という問いかけに、車椅子のYくん(自分で車椅子を動かすことはできません)が「あーーーー」と大きな声で返事。「ピアノの発表会に行った。」とHくん。先生のお話にお構いなしににぎやかな1年生のAちゃん。みんな、大好きなお友達の声です。

 長く学校を休んでいた間も、ともちゃんは時々学校の雰囲気を感じて、学校に思いを馳せていました。ともちゃんは出席できなかったけれど、音楽の時間にみんなで歌った歌を録音してもらったテープやCDも聞きました。お母さんに抱っこしてもらって、お母さんも一緒に歌って、音楽に合せてゆらゆらしてもらって、にっこりでした。

 学校から届けていただいたお友達や先生からの手紙も読んでもらっていました。生活の時間に商店街にみんなで買物にいった話を読んでもらった時は、「薬局で買物してんて。みんなはお家で頼まれたもの買ってんて。ともちゃんやったら薬局でたくさん自分の買うものあるやんな。何買お?」と言うと、うれしそうにしていました。

 やっと念願の本物の学校に来ることができたともちゃんは、笑顔で出迎えてくれたSちゃんと先生と一緒に、しばらく集会のざわめきの中に紛れて、終始ごきげんでした。友達や先生の本当の声を聞き、ともちゃんは久しぶりの学校の楽しい刺激を満喫しました。

 ミルクの注入の間、先生から来年度の修学旅行の話を聞きました。ともちゃんにとっては、体調から考えてとても都合のよい5月に予定されています。岡山方面に行くとのこと。夜間の呼吸管理が大変なので(酸素濃縮気までは持って行けません)、泊まることはできませんが、体調がよければ日帰りで行けるところは参加させてあげたいと思います。

 明日の終業式は、今日の登校の後の休養で学校は休みます。それで、今日、みんなより一足早く通知表ももらいました。3学期の実質的な出席は今日1日だけなので、所見の欄にはどの教科も「参加できずに残念でした。」ということが書かれています。でも、2年生の授業日数201日に対して、出席日数が27日、欠席日数174日。今年度は残暑が厳しかったおかげで1年の時よりも登校日数が増えました。次に登校する時は、ともちゃんは3年生。また、いろんな新しい経験が待っています。

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2004年4月11日(日)

今日はともちゃんが待ちに待ったお出かけの日、「『暖かくなったら』、『4月になったら』、『元気になったら』、『朝ご飯がしっかりと食べられるようになったら』、お出かけしようね。」と言われ続けてきました。このところ、条件はすべてクリアしています。お出かけしない理由がありません。ともちゃんはお父さんに得意顔で訴えかけてきます。

 今日のために、早くからお母さんがともちゃんと一緒に考えていた行先は、和泉市の弥生文化博物館です。まだ寒い頃からお出かけ先をインターネットで探していたので、「寒くないように南の方面、でもいきなり和歌山や淡路島は遠すぎるので、大阪府南部。風が冷たくても屋内なら平気なので博物館。」という理由で決めたのですが、今日はゴールデンウィーク並みの陽気になるそうです。

 前回、ともちゃんがお出かけした時(3学期末に登校した時)には、登山用の下着の上下、フリース素材の服、スキーウェアを身に着けていました。今日は打って変って、ピンク色の綿素材のパーカーというすっかり春らしい装いです。靴も新しいものを下ろしました。まだ少し大きい20cmのピンクと赤の2色の靴です。

 朝から張切っているともちゃんは、車椅子に乗って一段とうれしそうです。阪神高速を走る車の中、お母さんに抱っこされてともちゃんは安心したのか、疲れたのか、大きなあくびを何度もしていました。「子供は(現地に)着くまで、寝とき。」と言われましたが、ともちゃんはそわそわして寝ているわけにもいきません。

 堺出口で阪神高速から国道26号線に入り、そのまま南下すると、いくつもの市を通り過ぎます。この辺りは市域が東西に平べったい形をしているのです。和泉市に入ってすぐ、右手前方に目的の博物館が見えました。「えっ、こんな街中にあるの。」、HPで調べた時に、以前に行った「近つ飛鳥」博物館と共通の入場券が発売されていることから、両者は姉妹館だと思っていたお母さんは、弥生文化博物館も同じように山の中にあるものと思っていました。

 車から降りて車椅子に移ったともちゃんは、嬉しくて仕方ありません。張切って向かう先はこじんまりとした博物館です。「大きなおねえ(近つ飛鳥博物館)と小さいともちゃん(弥生文化博物館)みたいなもんやな。」とお父さん。朝一番に入館したので、博物館はともちゃん一家の貸切り状態です。エレベータで2階の展示室に上がると弥生人の一家(人形)が出迎えてくれました。

 「お米作ってんねんで。ともちゃんもお米は食べるやろ。」、弥生時代の稲作風景の模型を見ながら、話しかけます。「あんな道具で木を切ったんと違うか。」、「(弥生人の)骨があるで。こわいかー。」、「こんな高床式のおうち(本当は倉庫)では(車椅子で上れないので)困るやんなー。」と話しながら、卑弥呼のおうちを見て、たくさんのつぼも見ました。

 「ほら、金印(有名な『漢の倭の那の国王』のレプリカ)があるわ。金のはんこやで。キラキラやな。」、はんこの裏に刻まれた文字を拡大して見えるように、虫眼鏡が組込まれたアクリルボックスに展示されています。そして、これまたキラキラ輝くとても大きな平成の銅鐸(出土品の銅鐸を当時のやり方で再現複製したもの)を見た後、第2展示場へ向いました。途中に、手で触れて実感するコーナがあって、つるつるの石器をさわってみましたが、ともちゃんは「???」。

 第2展示室は近くの池上曽根遺跡で発掘された出土品が展示されていますが、ここでのともちゃんのお気に入りは大型井戸の木枠のレプリカです。子供にも大きさを実感できるように、階段で上から覗いたり、木枠の横に潜り穴がついていたりして、一見遊具のように作られています。この横の穴がちょうど車椅子のままで潜れる高さで、ともちゃんは何度も出たり戻ったりしてみました。

 ともちゃんのミルクの注入の時間になりました。博物館にはレストランや飲食可能なスペースがないので、おみやげに金印のキーホルダーを買って、池上曽根遺跡跡公園に移動することにしました。ともちゃんは車で移動しましたが、公園は博物館のすぐそばで、小学校の遠足なら館内の見学の後、徒歩で移動して公園でお弁当にするといったところでしょうか。

 公園内のプレハブ建ての小さな食堂に入り、両親は食事、ともちゃんはミルクの注入を行いました。お出かけ先で食事をするという一見何気ないごく当り前の行動ですが、ともちゃんはもちろんのこと、両親も待ち望んでいたものです。半年の冬籠りの間、この日を楽しみに無理せず過したお陰です。今年もともちゃんのお出かけシーズンを無事に迎えられた喜びを、お父さんは五目そば、お母さんはきつねうどんと一緒に噛みしめました。

 遺跡公園には弥生時代の建物がいくつも復元されています。食後の散歩に大きな井戸と屋根倉形式の建物の近くまで行ってみました。ともちゃんは一段とごきげんで、車椅子が小石を踏んで揺れただけでもおかしいといった様子で、ひゃははははひゃははと笑っています。気持ちのよい晴天の下から高い屋根倉形式の建物の下に入ると、風がひんやりと感じられます。

 公園の向う側に見えた樹木の茂みを目当に曽根神社にお参りしてから、公園内をぐるりと一周しました。神社にはもう半分くらい散った桜の木があって、今年はお花見ができなかったともちゃんは桜の下で写真を撮りました。竪穴式住居の横を通って車に戻ってくる頃には、のども渇いたことでしょう。水分補給をして、帰路に就きました。

 家に帰ってからも、ともちゃんは日に焼けた顔で満足そうにしています。寝る前もさかんに声を出していました。「お出かけが楽しかったから、明日も行こうって言うてんのか。」と聞くと、うれしそうにニコニコして「ほーん(そうや)」と返事をしていました。でも、お出かけシーズンは始まったばかり、あせらず、疲れを残さないように、明日はゆっくりと休養です。

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2004年4月24日(土)

にぎやかなお祭大好きな浪速っ子のともちゃんですから、だんじり祭で有名な岸和田は是非一度は訪れておきたいものです。とはいっても、9月や10月の祭の最中は街中に人があふれているので、安全のために混雑は避けてお出かけしているともちゃんには不向きです。そこで、お祭とは関係ないシーズンにということで、今日は岸和田にお出かけしてだんじり体験をしてきました。

 今日は寒波の襲来で寒くなるとの予報でしたが、風は冷たいものの暖かい日差しがあって、着込んだ上からフリースの上着をまとい、ともちゃんは元気いっぱいです。車に乗り込むと「ハアン、ハン。」と話しかけるような口調でおしゃべりしてくれます。「岸和田までお出かけやなあ。うれしいなあ。」と答えると笑顔を返してくれました。

 車で高速道路を走っている間は、時々足をピンピン突っ張らせて、車のドアをドンドンと蹴るので、お父さんに「だんじり、だんじり、えい、えーいって蹴ってるやろ。」と言われましたが、表情はうつろでボーっとしていました。ところが、岸和田城のお堀の横の市営駐車場に車を入れると表情は一変し、目を爛々と輝かせて好奇心一杯の笑顔でキョロキョロとしています。

 お城は駐車場のすぐ後ろの一段と高くなった丘の上にあり、駐車場から石段の階段を上るようになっています。駐車場の係の人に車椅子で行く方法を聞くと、歩道を次の信号まで行って左折すると、お城まで坂道が続いているということです。風が強くて少し寒く感じるので、ひざ掛けを伸してともちゃんの首まですっぽりと覆って行きました。

 駐車場を出てすぐ、歩道に面して、だんじり会館がありました。1階に休憩コーナーがあるようなので、まずここでミルクの注入をさせてもらって、館内を見学することにしました。本物のだんじりが見られればいいなと入っただんじり会館でしたが、予想以上に様々な趣向が凝らしてあり、とても楽しい体験型の展示館でした。

 4階建ての会館の1階は出入り自由で、2階からが有料の展示室となります。ミルクの注入時からご機嫌だったともちゃんは、はりきって2階の展示場へと向い、映画館のようなドアの中に入りました。天井が高くて広い場内は薄暗く、たくさんの提灯を灯した本物のだんじりが浮び上っていて、圧倒されます。「うわっ、本物のだんじりやで。ともちゃん、見てみ。」

 だんじりの奥には、古い時代のだんじりと当時のお祭の日の岸和田の街並みが再現されていました。写真を撮っていると場内の照明が消えて、一段と暗くなりました。暗いのは苦手なともちゃんは、ちょっと不安げな顔です。27面スクリーンにだんじり映像が映し出されました。それぞれに目まぐるしく変る場面は祭の躍動感と迫力を伝えています。

 しかし末梢性の眩暈症の持病を持つお母さんは目が回りそうになって、スクリーンの前から逃げ出しました。岸和田の古い商家の中は電灯が明るくて、ともちゃんはほっとうれしそう。お母さんもほっと安心。「昔のお店やねえ。いらっしゃい、いらっしゃいって、何売ってたんかなあ。」とゆっくりと見学しました。

 10分間の上映が終ると、今度は展示場の天井に星空が現れました。「天井見てみ。星が出てるわ。」、きれいな星空を眺めていると、だんだん明るくなっておしまい。夕闇のだんじり祭の街角は朝を迎えました。次の展示は4階です。車椅子なので、特別にエレベータを利用するために、係の方が付添って下さいました。

 4階はだんじり体験をするところです。ともちゃんは法被を着て、お父さんに抱っこしてもらって、大屋根の上に上がりました。爆走するだんじりの大屋根の上で豪快に踊っている人、「大工方(だいくかた)」になった気分です。といっても、大屋根が床面から低いところに設けてあって、誰でも安全に大工方の気分を味わえるようになっています。

 だんじりと言えばお囃子の鳴り物。この体験もできるようになっています。だんじりの上に、本物の太鼓や鐘が置かれていて誰でも自由に鳴らすことができます。ともちゃんを抱っこして狭い階段を上るのは危険なので、自分で鳴らすことは諦めましたが、他の見学者が鳴らす太鼓の音をすぐ下で聞きました。ともちゃんは迫力ある太鼓の響きに反応して満面の笑みを浮かべています。

 ともちゃんの喜ぶ姿を見て、係の方が本当のだんじり囃子を演奏して下さいました。桐でできた軽いばちから繰出されるリズミカルな振動が、ともちゃんの耳にビンビンと伝わって、ともちゃんは大喜び。大きな口を開けてギャハハハギャハハハと大興奮でした。近くで、生で、本物を聞く感動は勿論ですが、ともちゃんがこれほど喜んでくれると両親もうれしくなります。係の方には心から感謝です。

 次は3Dだんじりビジョンで実際のだんじりに乗って運行している気分を疑似体験します。だんじり会館には何でもあります。ともちゃんも一応3D用のめがねをかけて、外れないようにお父さんに押さえてもらっています。だんじりを引く人たちが立体的に浮び上がって、ガタガタと小刻みに揺れながら街中を進みます。もちろん、「引回し」と言われる角曲りも勢いよく曲りました。

 映像が終ってめがねを外すと、ともちゃんはニコニコしていました。ともちゃんは脳性の弱視なのですが、どのように見えていたのでしょうか。ひょっとすると、めがねを外して、明るくなっている館内にうれしくて、微笑んだのかもしれません。

 体験だけではなく、だんじりの装飾品や町内毎に柄が異なる法被の展示もあります。多くの金箔を織込んだ太い飾り綱の展示に感心して、3階へ向いました。ここには、だんじりを飾る彫刻(過去のだんじりのもの)が展示されていました。彫刻は川中島の戦い、大阪夏の陣などの歴史物から浦島太郎まで様々な物語の場面が彫られているのだそうです。

 近畿圏のだんじりの所在を示すパネルがありました。ともちゃんの住む北河内地域の氏神さんのお祭でもだんじりが出ますが、これもちゃんとカウントされていて、ちょっと感激でした。もっとも、ともちゃんの地域のだんじりは岸和田のような勇壮な引回しではなくて、ゆっくりと歩いて引いています。大阪のだんじりの北限は(河内ではなく摂津の)高槻市というのにびっくり。さらに神戸市にもだんじりがあると知ってまたびっくりでした。

 最後にだんじりキティちゃんのマスコット(提灯も鈴もついていて華やか)を買って、十分に楽しませてもらった会館を後にしました。次は最初に考えていた目的地、岸和田城跡に向います。信号を左折して坂道を登り、再び左折すると、ちょうどだんじり会館の後ろの道に出ました。まっすぐ行くとすぐ城跡です。だんじり会館でしっかりと遊んだ後なので、お城ではあっさりと入口で写真を撮っただけで、車に戻りました。

 それにしても、今日は一段と大はしゃぎのともちゃんでした。ともちゃんがこんなにもだんじり囃子を楽しんでくれるのなら、地域の氏神さんのお祭りのお囃子も今度はじっくりと聴かせてあげたいと思っています。

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2004年4月29日(木)

ゴールデンウィークが始りました。この頃になると、ともちゃんは痰の絡みもなくなり、吸引回数も減って、お出かけシーズン本番となります。ところが、今年は(お父さんの会社にとっては)連休の並びが悪く、4月29日みどりの日が木曜日、30日の平日をはさんで5月1日(土)から5日(水)までは「天下の休日」(お父さんは土、日、祝日だと、ともちゃんにこう言います)です。お父さんの会社は5月1日(メーデー)は元々休日の上に、特別休日の制度で飛び石連休の間の平日が「オセロ休み」になることが多いのです。今年は「天下の休日」が5連休で、「お父さんの会社だけ休み」という旨味がありません。

「(天下の休日の)連休中は道が込むから、ちょっと遠出できるのは29日しかないなあ。」と言うお父さんの助言に従って、ともちゃんとお母さんが決めていた行先は須磨離宮公園です。朝から、道路公団のホームページの渋滞情報をつけて、道路の混雑状況をモニターしています。ともちゃんは、キョロキョロとお父さんがいること確認しながら、早いペースで朝食を摂りました。

車に乗ったともちゃんはうれしい気持ちとは裏腹に、生あくびが何度も出て、身体の筋緊張が強くなりがちです。そう、忘れてはいけません。この時期のともちゃんのお出かけの強敵は道路渋滞ともう一つ、痙攣発作(医学的にはてんかん発作)があります。寒い間低下していたともちゃんの身体機能が、新緑の芽吹くこの季節には目覚めて、脳も急激に活性化するからでしょうか。

ぐっすりと眠って、しっかりと覚醒すると発作が起りにくくなります。そうはいっても、「固まらんように(硬直発作を起こさないように)、寝ときや。」と言われ、タオルケットを掛けてもらって背中をトントンしてもらっても、ともちゃんはそう易々とは眠れません。

阪神高速を降りてすぐに駐車場の表示が出ました。「神戸市立」須磨離宮公園は、駐車場に入る時に駐車料金と入場料を一緒に払うという(ワイン城やフルーツフラワーパークと同じ)神戸方式でした。開館時間からあまり時間が経っていなかったので、第1駐車場の奥に3台分ある車椅子スペースは全て空いていました。

駐車場から公園に行くには、木陰の山道を進みます。家族連れがパラパラと歩く流れに、ともちゃんも混ります。ガタガタと車椅子が揺れ、心地よい風を感じて、時折木漏れ日がかかります。ともちゃんはもうボーっとしていられません。しっかり覚醒して、笑顔でお散歩を楽しんでいます。

公園に行き当ると道は二手に分かれます。レストランの方向を目指すと、かなりの傾斜の坂道で、車椅子を押すお父さんは踏ん張りどころです。登り切ってレストランの前の噴水越しに園内を見下すと、水路を挟んで左右対称の見事なフランス式の庭園が広っています。そして、その先には須磨浦の海まで見えて、船が航行しているという素晴らしい眺望です。ミルクの注入の後はフランス式庭園を散歩してみましょう。

ミルクの注入はお弁当広場の前にあった丸テーブルで行いました。ともちゃんはお父さんに抱っこしてもらいましたが、車椅子をすぐそばに止めて、車椅子に取付けた日傘で日陰を作り、同じく車椅子に取付けた点滴用ポールにイルリガートル(ミルクを入れた袋)を掛けました。

見上げると青空に鯉のぼりが泳いでいます。「ほら、鯉のぼりやで。ここお弁当広場って言うねんて。ともちゃんもお弁当(ミルク)食べてるやろ。」、ミルクを注入している間に、レストランの前に屋台が店開きをしました。お父さんはフランクフルト、お母さんはとうもろこしを注文して、第1号のお客になりました。

須磨離宮公園は、かつての武庫離宮の跡地を昭和42年に公園として整備したものだそうです。駐車場から上ってきた道を途中まで戻り、そのまま下って行くと、両脇に狛犬を従えた和風の立派な門に突当りました。きっと、武庫離宮の頃の名残でしょう。この辺りにバラ園があるのですが、花のシーズンにはまだ少し早かったようです。

レストランの横から見下したフランス式の庭園に行ってみます。「『王侯貴族のバラ園』やて、ちょっとゴージャスでお嬢様な感じがともちゃんにぴったりやなあ。」と言いながら散策しました。ともちゃんは車椅子が動いているととても楽しそうで、笑顔で足をピンピンしています。でも写真撮影のために止ると笑うのを止めて、おすまし顔になってしまいます。

この庭園は滝や噴水といったダイナミックな水の流れが見事です。レストランの前の噴水から流れ出た水はカスケード(段々になった滝)で山を下り、庭園の中央の噴水の水路に流れ込み、大噴水へ向っています。ここもバラの季節には早かったのですが、水辺の周りをぐるりと散歩すると、太陽の光に水しぶきが輝いて、とても気持ち良く感じられました。

レストランに向って右手の遊歩道を上り、本園(他に植物園があります)を一周しました。レストランに入って、ともちゃんは水分補給、両親は食事をしました。窓際の席に陣取ることができたので、今度は今まで散歩してきたコースを上からゆっくりと眺めました。

帰り道も車椅子を押してもらってニャハハハ、ニャハハハとともちゃんはご機嫌です。でも着いたところが駐車場で、車に乗込むと怒っていました。「お散歩楽しかったのに、もう帰るんか。お土産も買うてないやんか。」と思っているのでしょう。そうその通り。素晴らしい庭園でいいところだったけれど、お土産屋さんがなかったのは、ちょっと残念でした。

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2004年5月2日(日)

ともちゃんは信太森(しのだのもり)葛葉稲荷神社にやって来ました。大阪の南部、和泉市にあるお稲荷さんです。JR阪和線の踏切に向って進んで行くと、左右に大きな鳥居が見えます。一方通行かと進入するのをためらう細い道に右折して鳥居を潜ると、すぐ右手に神社がありました。境内の駐車場に車を止めて、車の中でミルクの注入をします。

 久しぶりに後部ドアを開けて後部座席を後向きに倒し、座席に腰をかけたお父さんに抱っこしてもらっての注入です。ミルクを入れたイルリガートル(ミルクを入れて点滴のようにぽたぽたと落す袋)は後部ドアの内側ハンドルに紐で括りつけています。境内にはたくさんの樹木が大きく枝を広げて茂り、緑を見上げながらの注入は気持ちの良いものです。

 信太稲荷は小さな神社ですが、猟師に追われていた狐を助けた男のもとに、葛の葉という名の女に姿を変えた白狐がやって来るという伝説(ここではその白狐を祭っています)で有名なためか、たくさんの人が参拝しています。ハイカーのグループや団体で乗用車を連ねて来ている人たちもいますし、個人で参拝している人も途切れずに次々とやってきます。

 ここは白狐を祭っているとのことですが、社務所には白狐ならぬ白犬が繋がれていて、人の気配を感じるたびにワンワンとうるさく吼えています。ともちゃんは樹木にやってくる小鳥の声と犬の鳴き声を聞きながら、ごきげんで注入していました。途中何度も、抱っこしているお父さんにニコニコと笑いかけていました。

 ミルクを飲み終った後はお参りと境内の散歩です。境内の奥に茂みは広がっており、参道の石畳は続いているのですが、段差があって車椅子では奥には行くことができませんでした。ミルクの注入の間観察していると、お参りの人は石畳の奥まで入っていくのですが、何があるのかちょっと気になりました。

 ともちゃんは赤い鳥居がたくさん並んでいるところで写真を撮りましたが、後ろに連なる鳥居や頭上高くに空をさえぎる木の葉が気になるようでした。段差があって本殿にお参りすることはできなかったので、代りにお父さんにお賽銭をあげに行ってもらって、ともちゃんは段差の手前でそれを見ていました。

 水分補給はファミリーレストランで行いました。国道沿いにはたくさんのファミレスがありますが、弥生時代の穀物倉庫のような高床式のもの(1階が駐車場で階段を上がった2階がレストラン)は論外です。車椅子では入れません。1階にあるものでも、ちょっとしたところでバリアフリーに気を配っているところがうれしいものです。

 平屋建の中華のファミレスと和食のファミレスが隣同士に並んでいました。駐車場はつながっており、どちらに車を進めようかと迷いました。この時、お父さんは「あっ、車椅子用駐車スペースのマークがある。」と和食のファミレスに向いました。そこは入口の低い2段分の階段でも、ちゃんとスロープが設けてありました。こういうお店が増えるとうれしいですね。

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