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7日(水)
「書初め」
21日(土)
「春の散歩」
31日(火)
「3月はパーフェクト」
28日(火)
「社会人2年目スタート」
実はフェスタの前、2回続けて園を休んだんだ。痰が多くなって、夜は吸引しても血中酸素濃度が下がるので、酸素吸入を2リットルにして寝たりしてたの。朝起きてきても、しんどくて、眠くて仕方がないんだ。通園する時は、いつも頑張って朝ご飯を食べるようにしてるんだけど、この時は朝ご飯が食べられずに、ウトウト眠ってしまったんだ。気がついたら、お母さんが園に電話をかけてる。「お休みします。」って連絡するつもりなんだ。お休みなんてしたくないから、精一杯ニコニコ笑って、「ハーン(元気ですよー)」ってアピールしたけど、やっぱり眠くって、そのまま瞼がくっついちゃった。
今度、目が覚めた時には、お母さんはもうすっかりお休みするモードに入っていて、「まあ、今日はゆっくりしよ。ぼつぼつ食べたらええやん。」って言ってる。私が気になっているのは、フェスタで着るTシャツのこと。園のメンバーは、フェスタでは自分で絞り染めをしたTシャツを着ることになっているんだって。フェスタが始まった年にみんなで初めて染めて、それからは毎年新しく入ったメンバーが染める。色は何種類かあって、その年々で相談して決めているらしい。お休みばっかりしていたら、私だけフェスタの時にTシャツがなかったら嫌だもん。そうしたら、お母さんが「ともちゃんのTシャツも作っておいてくれるって。心配しなくていいって、言ったはったよ。」だって。よかったー。
今日に向けて、体調はどんどん回復。でも、お母さんは、朝から時間があると「ちょっとでも寝なさい。」って言うんだ。フェスタはお昼からあって、私の普段の活動時間とは違う上に、2時半からある園の職員さん達のバンドの舞台発表の後に、私のグループの紹介があるから、それに合せて、通園することになっているの。だから、お母さんは、私が園で眠くなってフェスタを楽しめなかったらって、心配してくれているんだけれど、「今日はフェスタに行くんだ!」と思ったら、とても寝てなんていられないよ。ソワソワして、ウトっとしても、すぐ目が開いちゃうよ。だって、寝ている間にフェスタが終ってしまったら困るでしょ。
でも、お父さんの運転する車に乗ったら、安心して眠くなっちゃった。園に着いたよってお姉ちゃんに起こされたけれど、ぼんやりしてイマイチ状況がよく分らない。先生が出迎えてくれたよ。養護学校高等部1年の時に担任だった先生も来てくれてる。あれ、ここ学校じゃないよね。私のグループのお部屋に入って、職員さんがTシャツを持ってきて見せてくれて、やっと園だって分かったんだ。先生方はフェスタに来てくれていたんだね。ありがとう。でも、お部屋の中には、リハビリの先生や、Nちゃん先輩や、そのお母さんもいて、園なのに学校の時みたいでおかしかったよ。なんか、楽しくなってきて、笑いがこみ上げてきたぞ。
Tシャツはね、すごくきれいに出来上がっていて、気に入ったよ。今年は全員青色で染めたんだって。薄い青色で、白い絞り模様が青空に浮かんだ雲のようでかわいいんだ。私のピンクのフリースの上に着せてもらったら、良く映えたよ。お母さん達は、お部屋の外で、チヂミやら、おでんやら、ムシャムシャ食べていたから、知らなかったみたいだけど、フェスタの会場に行こうとした時に、少し発作があったんだ。別によくある発作だし、大丈夫だったんだけれど、この後、園の職員さんのバンドの演奏を聴きながらまどろんでしまったのは、ちょっと残念だったな。職員さんや先生が抱っこしていてくれたから、いい気持ちでぼんやりしちゃったんだけどね。
ライブの後、私達のデイセンターの紹介になったよ。車椅子に乗って、舞台に出たんだ。目を細めていたから、まだ眠ってるのかなって思ってた人がいたかもしれないけど、さっきまでの抱っこで十分休養したから、しっかり起きていたよ。ちょうどね、太陽がまぶしかったから、目を細めていたんだよ。最初に、全員で風船を飛ばしたんだけど、みんな青空に色とりどりの風船がきれいだって、眺めていたよ。私達の後ろの方に飛んで行ったから、私からはあんまり見えなかった。見たかったなあー。
デイセンターは3つのグループからなっていてね、私のグループ「くすまいBe」では、「くすまいBe」のあいうえお作文で紹介したんだ。「くすまいBe」って、どんな意味なのかって思うでしょ。「クスクスまいど」グループと「Be-PAL」グループが一緒になって、そういう名前になってるんだよ。私は「Be-PAL」グループだけれど、いつも一緒に活動するんだ。ほら、だから、マドレーヌも「まいどレーヌ」って言うんだよ。そうそう、あいうえお作文だけど、私のところは「ま」で、「まいどレーヌ、おいしいよ。」だったの。私、お休みしていたから、こんな企画があるの知らなかったけれど、ちょっと誇らしかった。私は食べられないけれど、みんな、「まいどレーヌ」は本当においしいって言うんだもの。
紹介の最後に、今度は風船の束を飛ばしたんだ。そしたら、それが電線に引っかかっちゃったよ。わっ、どうしよう。みんな、注目してる。私、しーらない。
デイセンターの紹介が最後の舞台だったから、これでフェスタはおしまい。でも、遅ればせながら、お店を見に行ったよ。ね、日陰に入ると、目がぱっちりと開いたでしょ。食べ物のお店は売切れて、もう店じまいしている。でも、私のお目当ては、小物雑貨だよ。他のグループさんが、さをり織りやビーズの小物を販売していたよ。さをり織りのペンケースや髪飾りのゴムを見てたら、すごくすてきなビーズのブレスレットを見つけたんだ。お母さんが、「これはどう。」って見せてくれたから、もう嬉しくって、ニコニコして答えたよ。そしたら「こっちは、どう。」なんて、いくつか、青いのやら別のデザインのを見せてくれたけれど、私は断然この赤いのが欲しかったから、知らん顔したよ。
気に入ったもの、買った時って、うれしいよね。部屋に戻った時、「買物してました。」って話したんだけど、その時、お母さんが「これ、すごく気に入って買いました。」って、ブレスレットをみんなに見せたんだ。そしたら、また、うれしさが溢れてきて、自然と笑顔になっちゃったよ。おうちへ帰ってからも、フェスタは楽しかったなあっていう興奮が続いている。来年は、もっと長い間行けるようになりたいな。
19日にはH園のクリスマス会があるので、是非参加したいと思っていました。クリスマス会では、デイセンターの女子の出し物としてファッションショーがあるので、「園でも衣装を用意しますが、ドレスアップして来たい人は是非ドレスアップして来て下さい。」というお知らせを貰いました。おしゃれ大好きなともちゃんですから、この話には大いに乗り気で、早速お姉ちゃんと衣装の相談をして、お姉ちゃんの黒いワンピースを借りることに決めていました。
黒いワンピースの上には、白いモコモコのニットを羽織って、ピンクのコサージュを着けましょう。もちろん、園のフェスタで買った、お気に入りの赤色とパールのビーズのブレスレットもして行きましょう。それに合せて、前髪を束ねるゴムはパールの飾りのついたものにするのがいいね。着ていくドレス一式は、リビングのともちゃんの居場所の横に掛けました。音楽チャンネルで録画したクリスマスソングのプロモーションビデオも流して、クリスマス会を楽しみにして過ごしていました。
でも、残念なことに、クリスマス会に参加することは出来ませんでした。このところ、起きてきてからも体力が持たず、ウトウトよく眠っています。その上、当日は明け方に飽和酸素濃度が下がったので、起こして痰の吸引を行っています。お母さんは、朝から「今日はもうお休みやなあ。」と思っていました。でも、朝の支度をしながら、ともちゃんがカラ元気を振絞って、「今日はクリスマス会やろ。行くで。」と言わんばかりの笑顔で、時々(元気が長持ちしないので)、お母さんにアピールしています。ともちゃんの意欲を尊重したいといつも思っているお母さんは、様子を見守っていましたが、朝食で咳込んだり、ぼんやりして食事が進まないので、意を決してお休みの電話をしました。
その後のともちゃんは、力尽きた感じで怒ることもなく、何度も昼寝をしながらゆっくりと過ごしました。1日をマイペースで過ごして、ともちゃんがちょっと元気になった夕方、園の職員さんから「メンバーさんの送迎の帰りに、寄りますね。」という電話を頂きました。お母さんからその話を聞いたともちゃんは大喜び。キャハ、キャハはしゃいでいました。「もう園を出はったころかな」、「ギャハハ」。「きっと、車で走ったはる頃やわ」、「キャハハー」。分りやすいともちゃんです。職員さんが来られた時には、すっかりはしゃぎ疲れていましたが、クリスマス会の様子を聞いて、プレゼントを貰って、また笑顔を見せていました。
ともちゃんの楽しい様子と言えば、もう一つありました。養護学校時代、訓練の先生に訪問して頂いて、リハビリとしてうつ伏せの姿勢を取っていました。卒業してからは、ヘルパーさんの助けを借りて、お母さんがしていますが、なかなか出来ていません。22日はヘルパーさんが来て下さる日なので、学校の訓練の先生が、ともちゃんのうつ伏せ姿勢の取り方を教えに来て下さいました。園の職員さんも来て下さって、学校時代の担任の先生も尋ねて下さったので、賑やかな一日になりました。本来ならともちゃんは大喜びなはずですが、朝頑張っていた疲れが出た感じでぼんやりしていて、もう一つ元気がありませんでした。
先生方が帰られて、ぐっすり昼寝をしていた夕方のことです。ともちゃんは、目を閉じて寝たままで「グヒヒヒヒ」と寝言のように、でもはっきりと、楽しそうに笑っていました。機嫌良く目覚めた時に、「起きたよ。」と誰かに話しかけるように声を出して笑うことはよくあるのですが、寝たまま笑っていたのは初めてでした。やはり、昼間たくさんの方に訪問して頂いたことが、うれしかったのでしょう。ともちゃんの様子を見つけたお姉ちゃんがお母さんに話して、2人が笑いながら見守っていると、ともちゃんも機嫌良く目覚めて、一緒に笑っていました。
23日はお家でクリスマス会。ケーキの食べられないともちゃんは、代りにミルクプリンを食べました。お姉ちゃんから、キティちゃんの来年のスケジュール帳を貰いました。お母さんが「早速、通院予定を書込も。」と言うと、ともちゃんの横にくっついていたお姉ちゃんが、「ともちゃん、この予定表にはH園に通園する予定を書込むんやんな。」。「ホン」と応えたともちゃんの気持ちを通訳していました。
ともちゃんは良い子なので、19歳になってもサンタクロースがプレゼントを持ってきてくれました。25日の朝、ともちゃんの居場所に置かれていたプレゼントは、キティちゃん牛の着ぐるみでした。体は牛で、立派に牛のしっぽも付いているのですが、フードにはキティちゃんの顔が描かれています。キティちゃんが牛の着ぐるみを着ているという設定の手の込んだ着ぐるみです。ともちゃんが、朝、リビングに起きてきて着替えた後も冷たい手をしていたりするので、よくフリースでくるまれているのですが、この牛は暖かそうです。着てみると、ごろりと横になっている姿によく似合っていて、「モーモーちゃん」と呼ばれていました。
今日のヘルパーさんの訪問では、デイセンターから借りてきて頂いたH園のクリスマス会のDVDを見て楽しみました。実際に参加できなかったのは残念でしたが、おしゃれしたメンバーさんや楽しい出し物に、園やクリスマス会の様子を感じ取って、ともちゃんもよく笑っていました。いつもはともちゃんの昼食の用意をするお母さんも、手を止めて見入ってしまいました。来年は参加できたらいいね。デイセンターも、明日から年末のお休みに入ると言うことで、夕方には職員さんが尋ねて下さって、ともちゃんはうれしそうに笑っていました。お陰様で、今年はとてもよい社会人としてのスタートを切らせて頂きました。来年も、充実した楽しい1年でありますように!
ともちゃんが起きてきたのは6時半。夜の間に痰はたくさん湧いていて、起きて来るとゼロゼロが激しくなります。痰が引っかかって、咳き込んだり、息苦しそうに呻いたりした後、何度も吸引をしてようやく落着きました。朝の着替の一番上には、去年サンタさんにプレゼントして貰った「キティちゃん牛の着ぐるみ」(フードがキティちゃんで、体が牛模様、キティちゃんが牛の着ぐるみを着ているという着ぐるみ)を着ました。暖かいのと、牛模様で寝ころぶ姿が家族に好評で、今のともちゃんのお気に入りの一着です。
朝のミルクの注入をしながら、お父さんから「今日は『明けましておめでとう』って言うんやで。」と教えて貰って、ともちゃんは小さく低く「アーー。」と答えていました。生憎、今年は空が雲で覆われていて、初日の出はよく分かりませんでした。ともちゃんは、一応起きてはいるけれど、まだボーッと眠たくて、家族が揃っていても笑顔が出ません。注入を終えて、また40分ぐらい眠った後、ようやくともちゃんらしい笑顔が現れました。
さあ、しっかり覚醒して、口からお粥を食べます。ともちゃんも、大根と金時人参が入った白みそ仕立のお雑煮ペーストを食べました。ともちゃんがミルクを注入している時に、家族が食べていたのと同じお雑煮ですが、ともちゃん専用にお餅を入れず、別に作ったものです。お粥がしっかりと食べられたので、お節の代わりにと用意したデザートのミルクプリンにも手を付けました。でも、ともちゃんは食事をするだけで疲れてきたのか、一口食べるごとに痰が絡んで、ミルクプリンを食べるのは断念しました。ミルクプリンは、元々ともちゃんが好きな味なのですが、また次の機会です。
ゆっくりと休憩をしながらお昼のミルクの注入をして、いつものお粥を食べて、また少し昼寝をして元気になったともちゃんは、家族に囲まれてニコニコしています。お正月なので、家族でボードゲームをします。ともちゃんは楽しみにしていたようですが、ゲームが始まると安心したのか、お母さんに抱っこされてウトウトし始めました。そして、1回戦のサンリオキャラクター世界一周ゲームでは、ウトウトしている内にゲームオーバーのカードを引いてしまいました。2回目はハローキティ・モノポリーをしました。今度はウトウトしている間に、たくさんのお店を買占めていました。お姉ちゃんが「うわ、(ともちゃんのお店で)止まってしもた。」と嘆いているところで、ともちゃんはギャハハと起きてきました。
ともちゃんの勢いは、そのまま衰えることなく、圧勝してご機嫌です。「すごいなあ、ともちゃん、8万サクランボ(このゲームのお金の単位)も儲けたやん。」、「アハハハン」。みんなに誉められて、ケラケラ得意げに笑っていたら、ガクガクの発作(てんかん発作)が起こってしまいました。ちょっと興奮したからかもしれません。でも、大丈夫。短時間だったので、治まってしまえば何ともありませんでした。夕方は、静かにともちゃん宛にきた年賀状を読んで貰っていましたが、でも、やっぱりうれしくて笑顔になって、声を出して気持ちを表していました。
こうして、ともちゃんの2009年は穏やかに始まりました。痰の絡みやら、けいれんの発作やらとも、うまく付合いながら、決して無理をせず、ゆったりと生活を楽しみ、この1年も過ごしていきたいものです。
ともちゃんは、高等部時代の3年間、毎年授業で書初めを行い、今年の一字(漢字一文字)を書いていました。社会人になっても、デイセンターで書初めができるというので、「今年は何を書こうか。」とお休みの間、家族で話題になっていました。お姉ちゃんは「今年の干支やし、他のメンバーさんとカブることも無いと思うし。」と「牛」を勧めてくれましたが、着ぐるみですっかり牛の姿に馴染んだともちゃんは、どうもそれは気に入らない様子でした。今年は何を書くのでしょう。
職員さんが来て下さって、待っていたともちゃんは笑顔で歓迎しています。お母さんは、最近のともちゃんの元気な時間が長く続かないことを気にしていて、今は元気にしていても、書初めをしながら眠くなるかもしれないなと心配していました。でも、そんな心配は無用でした。少しだけ、ウトッとしかけたことはあったそうですが、すぐに復活したようです。職員さんと何を書こうかと相談しながら、手に筆を持たせて貰って動かしてもらう中で、ともちゃんの楽しそうな声がたくさん聞こえていました。
さて、ともちゃんは何を書いたのでしょうか。「紙は10枚ありますから、どんどん書いて下さいね。」ということで、今年はいっぱい書きましたよ。まずは家族で書初めの字を考えた時にお勧めだった「牛」。それに関連して、ともちゃんの牛の着ぐるみは実はキティちゃんなので(キティちゃんが牛の着ぐるみを着ている、という着ぐるみ)、職員さんの創作漢字で「猫」の右上にリボンの絵を描いて「キティちゃん」。色んな方向に自由に筆を動かした「散らし書き」。楽しそうによく笑うともちゃんの「楽」に「笑」。まだまだ、紙はあります。
今年の目標も書きました。暖かくなったら、ひまわり園にたくさん通園したいから平仮名で「ひまわり」。「ひまわり園で何する?」、「いっぱいおしゃべりする。」ので、お喋りの「喋」。「そうそう、ひまわり園では、お仕事もあるよ。」、「お仕事を漢字でどう表す?」。「ともちゃんは、まいどレーヌのシールを貼ったから」ちょうどぴったりの漢字「貼」。園でのお仕事の話題がはずんで、「ともちゃん、レモンのアレルギーは無いですよね。それだったら、レモンを摺り下ろす仕事ができるわ。」。社会人2年目、新しいお仕事に期待も膨らみます。そんなわけで。カタカナで「レモン」。最後の1枚、園に行ったら他のメンバーさんにもたくさん会って、仲良くなろうということで「会」。
「牛」「キティちゃん」の着ぐるみを着たともちゃん。今年も「ひまわり」園に通園して、「喋」ったり、メンバーさんと「会」ったり、シール「貼」りや、「レモン」の摺り下ろしのお仕事もして、「楽」しい「笑」顔が一杯溢れますように。10枚の書初めを書終えたともちゃんは、ご機嫌でした。
[後日談]
「キティちゃん」、「貼」、「レモン」、「笑」の4枚は、職員さんが持って帰って、ひまわり園に展示して下さいました。残った6枚は、お母さんが買ってきた色画用紙にお姉ちゃんが貼って、お父さんがリビングの壁に飾ってくれました。お父さん曰く、「楽しく喋り、ひまわりで会う謎(散らし書き)の牛」だって。
ともちゃんは、長い間、抗てんかん薬としてデパケンとアレビアチンの2剤を飲んできました。2歳6ヶ月の時、脳波にてんかんの波が見られたのでデパケンを飲み始め、6歳2ヶ月の時に実際にてんかんの強直間代発作が起こってアレビアチンを追加したのです。しかし、昨年末、ファンコニー症候群という腎臓の病気に罹っていることが分かり、その原因がデパケンの副作用であると考えられることから、1月末からデパケンを止め、新しいエクセグランという薬にしました。このエクセグランで薬疹が出たのです。
7日に病院で採血して薬の血中濃度を測ったところ、アレビアチンの濃度が30と高くなっていました。デパケンを止めた影響で、アレビアチンの血中濃度が上がったのです。そのため、エクセグランを中止するのと同時に、アレビアチンの投与量も減らさなければなりません。今まで飲んでいた抗てんかん薬でともちゃんのてんかん発作はうまく抑制されていましたが、急にアレビアチン1剤にして、しかもその量を再調整するとなると、思わぬ大きな発作が起こるのではないかという心配がありました。
いつもは、家で一人でともちゃんを看ているお母さんは、もし強直間代発作が止まらなくなったら、一人では座薬を入れることも出来ないと思い、入院することに決めました。ともちゃんは、いざという時に薬を静脈に注入するための点滴を付けてから、病室に向かいました。しばらくの間は、久しぶりの入院生活でともちゃんの日課をこなすことに追われて過ごしましたが、その間にも、日に日に抗てんかん薬を調整している影響が出てきました。
まず気になったのが、身体のビクつきと眼球のチラつきの極端な増加です。筋緊張が強くてかすかな音にもビクッとしたり、びっくりする原因が何もない時でもビクビク、ビクビクと何度も筋肉が収縮します。眼球の方は、左右どちらかに引きつられるようにピッピッと素早く動き、それと同調して首もまたピッピッと左右に引きつられるように振ることもあります。また、眼球がぐーるぐーると大きく動くこともありました。
ともちゃんの今までの人生で、たまにこういう状態になることはありました。特にビクつきが強い時、ともちゃんの脳の中では神経伝達の電気信号があちこち至る所で漏電や短絡を起こして、火花が散っているようなイメージがありました。こんな時、お母さんは「けいれんの気配が強い」という言い方をしていました。今回はこの状態が頻繁に起こっていて、とりわけ朝起きてから10時頃までが顕著でした。
ともちゃんがビクビクしているので、付添いの家族もピリピリと神経を尖らせます。ちょうどともちゃんの朝食(ミルクの注入とお粥ペーストを口から食べる)時間帯ですが、ずっと身体がビクついたり、目がチラついたりしている訳ではないので、ミルクの注入はゆっくりと落とし、口から食べるお粥ペーストもともちゃんが落着いてしっかりと覚醒している時を見計らって食べていました。入院する前のように朝から眠くなることは無くなって、ウトウトして食べられないということはありません。しっかり覚醒している時はむしろ積極的に食べたので、なんとか入院前くらいの量は食べていました。ただ、12日(木)だけは「けいれんの気配が強い」時間が長くて、朝のお粥ペーストは全く食べられませんでした。
10日(火)と11日(水)には、全身がガクガクとなる強直間代発作が起こりました。ガクガクは45秒くらいで終り、その後1分余り眼球がチラチラと泳ぐ余韻があって収まるという、今までと同様のものでした。入院中の強直間代発作はこれだけでした。12日(木)からは、夜8時頃寝かそうとしてからも、ギャヒギャヒ笑ってなかなか寝ないということが起こりました。ともちゃんは、今まで「楽しいよ」、「うれしいよ」とか、「ねえ、ねえ」とか自分の気持ちを表したり、人とコミュニケーションをとるために笑顔を見せてくれていたのですが、この笑いはそういう笑いではありませんでした。おかしくもないのに、興奮したように勝手に笑いが止まらなくなる感じです。この前後には眼球のチラチラした動きやビクつきもありました。
笑いが収まっても、眠いのに脳の中で神経がピリピリして寝られないような様子で、遅い時は12時半頃まで起きていました。最初の頃は朝にひどかった眼球のチラつきや身体のビクつきですが、この頃には昼や夕方にもまんべんなく起こるようになって、代わりに朝の状態が少しマシになってきたような気がします。
16日(月)の夜も、ギャヒギャヒ笑って寝なかったのですが、笑っている時から既に目つきが変で、眼球が右下に寄ったままになりがちでした。声を掛けた時の反応もいつもより悪く、ビクつきも大きくて、このままビクビクからガクガクに移行して、強直間代発作に入りそうな気配でした。普通に眠ったり、覚醒したりしそうにありませんでした。それで、11時40分にダイアップ座薬を使って、寝かせました。ダイアップの好影響でしょうか、以後今まであったような眼球のチラつきや身体のビクつき、興奮した笑いも強直間代発作も全く起こっていません。
入院当日にグンと増えた薬疹は、入院してエクセグランの投薬を中止してもその勢いは止まらず、どんどん広がっていきました。結局、点滴のラインから、ステロイド剤を投与することになりました。ともちゃんは、特に夜中、寝汗をかくと薬疹がかゆくなって眠りが浅くなり、しょっちゅう体をキューッと縮めて、ウーウーと呻いていました。お母さんにかゆみ止めの塗り薬を塗ってもらうと少し落着くのですが、せっかく寝入っても、ぐっすりと寝られないのは可哀想でした。
経管でミルクを注入する前には、鼻腔から胃に通したチューブがちゃんと胃に入っているか確認するために、必ずチューブから注射器で吸上げて、胃液が上がってくることを確かめます。薬疹が一番ひどかった10日(火)は、この吸上げで胃からチョコレート色を通り越して、真っ黒のドロドロのものが上がってきました。今までも、胃からの出血でチョコレート色の浮遊物が胃液に混じったり、褐色の胃液が上がってきたことはありましたが、ここまで真っ黒でドロドロのものは初めてでした。
念のため、胃洗浄(鼻のチューブから生理食塩水を入れては、吸上げる)をすることになりましたが、やはり胃からの出血で、今は出血は止まっているとのことでした。お母さんが観察している限りでは、ともちゃんが胃から出血するのは、痰がなかなか切れない日とか、けいれん発作が多くビクつきが強い日とか、ともちゃん自身が身体的に不快な日が多かったように思います。今回の出血は、薬疹がかゆかったのが原因だったのではないかと思っています。
抗てんかん薬をアレビアチン1剤にしてその量を調整してきましたが、幸いなことに大発作が頻発することはありませんでした。薬疹も随分きれいになり、盛上がっていた部分は枯れてきました。今起こっている発作は部分発作が多いので、後は通院でゆっくりと見ていきましょうということになり、18日(水)にともちゃんは退院しました。
9年ぶりの入院生活だったことを実感させてくれたのは、ベッドの狭さでした。ともちゃんに付添っているお母さんは、夜はずっとともちゃんのベッドで一緒に寝ています。ともちゃんが、腕枕で体に触れて貰っている方が安心して眠るのと、添寝をしていると夜中の発作や痰のからみなどの異常にいち早く対応できるためです。今回は、ベッドが一杯一杯。横向きに寝ているともちゃんがニューッと腕を伸ばしてのびをすると、お母さんはベッドの柵に張付かなければなりませんでした。9年前のともちゃんの体重は14キロ、今の約半分だったことを思い出しました。
また、前回の入院の時はまだ中学1年だったお姉ちゃんが、今回は大人として随分活躍してくれました。前日の夕方、お父さんが持ち帰って洗濯したたくさんの衣類やタオルを、お姉ちゃんが毎朝登校前に病室に届けてくれました。大学の授業が早く終った時や昼休みもこまめに訪ねてくれたので、ともちゃんはとても喜んでいました。お母さんは、お姉ちゃんがともちゃんの相手をしている間に、自分の食料の買出しをしたり、注入用のミルクの準備やともちゃんの食器洗いなどを安心して落着いてできたので、大助りでした。
2月18日(水)に退院してから24日(火)までは、ともちゃんは目立ったてんかん発作は無く過ごしました。入院前によくあった、食事中にウトウト眠くなるということもなくなり、口からの食事も摂りやすくて昼間は過ごしやすかったのですが、夜はそうはいきませんでした。退院してきた日こそ、ともちゃんはすんなりと寝たのですが、翌日は夜中、抱っこされたままギャハギャハと騒いで、3時半まで眠りませんでした。それ以来、朝は眠くて朝寝坊(と言っても、お父さんが出勤する7時前には起こされて、リビングに連れてこられますが)、夜は興奮して寝ないという繰返しでした。
夜中にギャハギャハと笑って寝ないといっても、入院中にあった笑い発作のような笑いとは、ちょっと違います。笑い発作の時は、ともちゃんの意識がどこか別のところに飛んでいるようですが、退院してからの夜中の興奮時は、ともちゃんに声をかけるとそれは分かるようです。分かっているけれど、自分の中では何かとても気分が高揚する状態があって、笑いがこみ上げてくるといった感じなのです。小さな子供が興奮して、大人が注意してもキャッキャッと騒いでいるような感じです。ともちゃんの人生の中でも、昼間に何か強い刺激を受けて、その夜に興奮してなかなか寝付けないということは何度か経験しています。
退院すれば、家でゆっくりと入院中の疲れを取ることができると期待していたお父さん、お母さんには、しんどい期間でしたが、24日(火)からともちゃんの様子がまた変わってきました。朝から目玉がチラつく発作や、ビクつきが少し出てきました。でも、夜はすんなりと眠ってくれるようになりました。25日(水)からは、朝さらに筋緊張が強くなって、ビクつきや目がチラつく発作も多くなり、夜、寝室に行く前には全身がガクガクとなる強直間代発作も起こりました。久しぶりのガクガク発作なので驚きましたが、ガクガクが40秒あって、その後1分半くらいは目玉がチラチラする発作、5分くらいは心拍数が毎分140回以上が続き、その後やっと治りました。
不思議なもので、25日(水)から3月1日(日)まで、今度は毎日1回、全身がガクガクとなる強直間代発作が起こっています。今まで、発作が完全に抑制されていた反動でしょうか。いずれも、ガクガクするのは1分以内には治っています。入院するずっと以前から、ともちゃんが時々起こしていた強直間代発作と同じようなものなので、ともちゃんの家族も落着いて対応しています。ともちゃん自身が受けるダメージもそんなに強くないようで、治ってしまえば普通にしています。それから、入院中ほど強くはありませんが、ビクつきや目玉がチラつく発作も増えています。それでも、こんな発作と付合いながら、ともちゃんの家での生活はボチボチと落着きつつあります。
今回、ともちゃんが17年間飲んでいたデパケンを止めてアレビアチンだけになったことで、ともちゃんの脳はびっくりしたのではないかとお母さんは考えています。抗てんかん剤は、脳内の異常な興奮を抑えるために、正しい興奮も含めて全体に脳の興奮レベルを下げているのではないかと思います。実際、抗てんかん剤の量を増やすと、それに体が慣れるまでのしばらくは、眠くなるようです。ともちゃんは、長い間、アレビアチンとデパケンで脳の興奮を抑えられた状態を普通の状態だと思って生きてきたので、デパケンがなくなったことで、一時的に脳がはっきりといつも以上に覚醒した状態になったように思います。
入院してアレビアチン1剤にして、発作が増えた時にダイアップ座薬を使ったことで(ダイアップの有効期間以上に発作が抑えられていたことは謎なのですが、なぜかダイアップ座薬がきっかけとなって)発作が抑えられている間、ともちゃんの脳はデパケンのない、すっきり感を味わっていたのではないでしょうか。それが、夜中に興奮し、ギャハギャハはしゃいで寝ないという形になったのではないでしょうか。そして、暫くして発作が増えたことや、デパケンがない状態に少し慣れてきたことで、夜中の興奮はなくなったのでしょう。
退院しての10日間を見ていても、ともちゃんの状態はこんなに変化していて、脳はとても繊細で複雑なものだと実感しました。まずは命の危険がないようにすることが第一ですが、それができれば発作の症状が変化しなくなるまで待って、その上でともちゃんの普段の生活に支障がない程度に収まるように、薬の調整をすることにしました。毎日、強直間代発作があるというのは気になるところですが、大きなダメージがある訳でもなさそうなので、ともちゃんの様子をみながら3月からはヘルパーさんやデイセンターの職員さんに訪問していただこうと思っています。
ともちゃんの普段の生活状態に戻して、楽しい刺激を受けながらてんかん発作の様子を注意深く見守りたいと思います。このまま、毎日、強直間代発作が続くのであれば薬を増やすことを考えていますが、これからも暫くの間、発作の様子は変わっていきそうな気がしています。入院中、ともちゃんには「退院すれば、すぐにまたヘルパーさんや職員さんが来てくれる普段の生活に戻れるよ。」と話してきたのですが、思いがけない夜中の大興奮で、これ以上刺激を与えることをためらっていました。明日からは、ヘルパーさんや職員さんが訪問して下さることをともちゃんも楽しみに待っています。
夜中に興奮して、ギャヒギャヒ騒いで寝ないということもなくなりました。まだ、いくらか遅寝遅起きの傾向はありますが、もう1時間早起きできるくらいに早く寝られるようになれば、今まで通り通園もお出かけも可能です。入院前のように、昼間にぼんやりしてウトウトよく眠るということもなくなりました。笑いも、今までのともちゃんの笑いです。うれしいよ、楽しいよとたくさん笑ってくれます。
最近は、家族がリビングに揃うとキャハキャハと小さな子供のようにはしゃぐことが多いのですが、家族に突込まれるとちゃんと反応して、黙り込んだり、タイミングよく声を返したりしています。しばらく入院していたので、家族と一緒のお家の生活を楽しんでいるようです。ともちゃんの発作については、普段の生活の中で、これからも長期にわたって見ていきたいと思います。
春の日差しがポカポカとうららかな3連休中日の土曜日、ともちゃんは両親と近所の散歩に出かけました。病院に通院する以外のお出かけは、昨年の秋以来になるでしょうか。久しぶりに車椅子で見る外の世界に、ともちゃんは興味津々で、キョロキョロしています。まずは近くの郵便局に、自分のアレルギー食ご飯を購入した代金の振込みに行きました。郵便局に入ると、ともちゃんはそれまでとは変って不安げな様子になって、上肢の緊張を強くしていました。それでも、お母さんとATMの前に陣取って、振込みを済ませました。
青空の下に出ると、ともちゃんはまた元気になって、目を輝かせています。住宅地を抜けて畑の中の道を行くと、一段と心地よくなりました。日差しが明るく、暖かく爽やかな風が吹き、鳥の声が聞こえます。農家の人がトラクタで土を掘返している畑からは土のにおいがして、味覚以外の感覚全てで春を感じられました。ともちゃんは、ニコニコとうれしそうにしています。目指した菜の花畑は満開です。近くの畦には、ナズナ、ホトケノザ、オオイヌノフグリ、カラスノエンドウと春を代表する野草が花をつけていました。この地に引越してきてから、毎年、菜の花畑の黄色に春の訪れを感じ、ともちゃんの冬ごもりが終ることを教えられてきました。
うれしそうに笑っていたともちゃんが、泣き笑いのような顔になったかと思うと、顔をしかめてビクビク、ビクビクと筋緊張が入ったので、発作かとあわてたのですが、車椅子に座っている姿勢が崩れてきて、ンーッと変な力が入っていたのでした。タオルケットをロール状に丸めて膝の下に敷いて、膝を深く屈曲させたら、落着きました。冬の間、工事をしていた畑の脇の用水路を覗いて「深くなっているね。」と話したり、小学校の木々を見上げて「桜はまだ咲いてないね。」と確認したりするうちに、ともちゃんの表情にまた笑顔が戻っていました。
お家に帰ったともちゃんは、チューリップの鉢とコニファーの鉢を見せて貰いました。チューリップの鉢は、去年、卒業の記念に先生方から頂いたものです。きれいな花を咲かせてくれた後、放っておいたら、今年は細い葉っぱが育っていました。つぼみを付けられる程たくましいチューリップではないのですが、春に芽が出たことがうれしいです。コニファーは、昨年のクリスマスにフラワークラブのクリスマス寄せ植えとして、ともちゃんが植えたものです。お母さんは大切に水をやっていたのですが、ミニシクラメンやパンジーはなぜかすぐに枯れてしまい、コニファーだけが冬を越してくれました。ともちゃんの回りでは、もう春がいっぱい。これからも、どんどん外に出て春を楽しみましょうね。
てんかん発作が少なかったからパーフェクトになったという訳ではありません。今月も、様態が様々に変化しながらてんかん発作はたくさんありました。3月2日から16日までは、それまで毎日あった全身がガクガクとけいれんする強直間代発作は不思議にぴたりと止んでいました。しかし、3月初めは筋緊張が強く、ビクつきや、目玉がチラチラする部分発作は多かったです。抱っこしてともちゃんの相手をして下さっているヘルパーさんや職員さんには、ともちゃんのビクつきや筋緊張の強さ、目玉のチラつきと共に左右に動かす首の動作を図らずも実感して頂くことになりました。
日が経つにつれて、筋緊張の強さやビクつき、目玉がチラチラする発作は少しずつ減ってきましたが、代わりに硬直発作が多くなってきました。硬直発作は、入院前は毎日何回か当り前のようにあったのですが、なぜか入院中からずっと抑制されていました。16日には強直間代発作も起こりました。3月中、強直間代発作が起こったのは1日、16日、25日、27日、28日、30日の6日間で、いずれもガクガクとけいれんしている時間は1分以内で、その後数分間は目玉がチラチラと動く、顔面、特に口元がぴくぴくけいれんしていてアワを吹く、心拍数が140回/分以上と高くなるなどの症状が続きますが、ダメージはそんなには無いようです。終ってしまえば、普通に過ごしていました。
発作があってもヘルパーさんや職員さんに訪問してもらえたのは、ともちゃんが以前のようにウトウトとしんどくなるいうことが無くなったからです。ここ1年くらいは、眠くなって食事が食べられないということや、頑張って食べてもその後体力が持たず、疲れてしまうということがよくありました。今にして思えば、デパケンの副作用で発症したファンコニー症候群のせいだったと思います。デパケンを止めて、治療を開始したおかげで経過も良く、ともちゃんは元気になってきました。しっかりと朝食を食べて、訪問を楽しみにしています。
3月26日はデイセンターの職員さん2人に訪問してもらい、高等部の時の担任の先生にも卒業後1年のアフターフォローの訪問をしてもらって、ともちゃんはチョコレートのお菓子を作りました。実は、入院前の2月の訪問の時に、「デイセンターでは、バレンタインデーに向けて、チョコレートを溶かしてパイ生地にデコレーションするお菓子作りをします。」という話を聞いていました。「ともちゃんも、訪問でしましょうね。」と楽しみにしていたのに、入院してしいました。バレンタインデーはおろか、ホワイトデーも済んでしまったのですが、そんなことはちっとも気にしないのがともちゃん流です。
ともちゃんは職員さんに抱っこしてもらい、包丁で板チョコを細かく砕いて湯煎をし、トロトロに溶かして市販のパイのお菓子の上にフォークですくって垂らしました。ともちゃんは、神妙な顔つきで取組んでいます。きれいにチョコで線状の模様が描けて、とても豪華でおいしそうです。銀の粒もトッピングしました。うまく出来ると、ともちゃんはうれしそうに顔をほころばせて、抱っこしてもらっている職員さんを見上げていました。
第2弾は、トロトロのチョコをスライスしたバナナの上に飾りました。こちらも大成功。本当は、食物アレルギーがあってパイが食べられないともちゃんのために、バナナを用意していただいたのですが、市販の板チョコに大豆由来成分が入っていたので、結局ともちゃんは食べられませんでした。チョコ菓子を作った後は、久しぶりに養護学校時代の先生に抱っこしてもらい、入院していた時の話を聞いてもらってたくさん笑顔を見せていました。ともちゃんが作ったチョコ菓子は、家族みんなに見せて大好評を得た後、家族みんながおいしく頂きました。ともちゃんは、一杯誉めてもらって自慢げでした。
月末近くになると、強直間代発作の頻度が少し多いものの、てんかん発作の状態は落着いてきました。3月の訪問パーフェクトは、てんかん発作に付合いながら普通に生活していける大きな自信になりました。来月からは新年度が始り、ともちゃんもいよいよデイセンターに通園を開始します。
まずは仕入からです。小雨が降るので、お父さんの車で地下駐車場のある近くのスーパーマーケットに行き、ケーキに飾る果物と生クリームを買いました。久しぶりのスーパーなので、最初ともちゃんは賑わいに圧倒されて、固くなっていました。入口を入ってすぐに並べられているイチゴを選ぼうとお父さんに声を掛けられても、表情を強ばらせていました。
でも、しばらくすると、今度はこのざわめきの中を買回ることが楽しくてたまらない様子で、通路を移動する間もキャハキャハとうれしそうにしていました。缶詰の売場がどこかを探し回って、ようやく見つけて桃缶を買う時には、満面の笑顔でした。生クリームも、大豆由来成分の入っていない乳製品だけのものを選びました。2階の日用品売場にも行って、生クリームを絞り出す袋も買いました。
張切って買物をしたので、家に帰ってミルクの注入をしているうちに、ウトウトと眠くなってきました。けれど、ともちゃんがミルクの注入をしている間に、生クリームを泡立ててくれていたお姉ちゃんが「泡立てできたで。さあ、ケーキ作ろか。」と言うのを聞いて、目をパッチリ見開きました。ともちゃんのケーキ作り開始です。
小麦や卵を使わず、お米で作られたケーキ台に、生クリームを塗りました。ゆるめのホイップだったので、お母さんと一緒に持ったスプーンでうまく塗れます。スポンジ台がクリームで隠れたら、その上にイチゴとカットした桃を載せました。スポンジの上面が平らではなくて、少し円錐に盛上がっているので、フルーツがずり落ちそうです。お母さんと一緒にフォークで突き刺したフルーツをクリームにめり込ませて、お姉ちゃんにフォークからフルーツを外してもらいました。
最後は、先日デイセンターの職員さんとやったチョコレートのデコレーション。アレルゲン物質を除去したチョコレートを溶かした中に、大きなフォークを浸けて、フォークからしたたるチョコをフルーツにかけました。とても素敵なデコレーションケーキが完成しました。頑張ってデコレーションしたので、出来上がったケーキと一緒に記念写真を撮る時には、パティシエのともちゃんはちょっとお疲れの顔でした。
少し休憩して、家族でケーキを食べました。お米のスポンジはもっちりと弾力があって、デコレーションもおいしく、家族にとても好評でした。ともちゃんも、ミキサーでペースト状にしたケーキを初めて食べました。一口目のペーストを口に入れると、まだ眠かったのか、フルーツの酸味が強かったのか、それとも知らない味だったからか顔をしかめていました。でも、ちょっと慎重な顔でアムアムアムと食べ出して、それからは口に入れられる度にアムアムし、結局全部食べました。笑顔も出ていました。
食物アレルギーを持つ人用の食品店を見つけたことで、ともちゃんの食生活も広がり、様々な味覚を味わうことができるようになるでしょう。今まで、あまり食べることに貪欲ではなかったともちゃんですが、好き嫌いも含めて普通に色々な味を経験できたらいいなあと家族は思っています。ともちゃんの家では、これから家族の誕生日にはお米のスポンジ台を買って、ともちゃんにその時々の季節のフルーツなどをデコレーションして貰った誕生日ケーキをみんなで食べようと話しています。
園への行き帰りは、同じH園の支援センターの送迎サービスを利用しています。お迎えの車で園に向かっている時から、ともちゃんは既にギャハギャハと楽しそうでした。園に着いて、自分のグループの部屋に入ってからも、この様子は変わりません。4ヶ月ぶりの登園がウソのように、「ここは私のグループの部屋やで。よーく知ってる部屋やもん。」とばかりに通園再開を喜び、嬉しそうによく笑っています。
でも、「先輩達に挨拶に行こか。」と職員さんと一緒に別の部屋を訪ねると、態度が一変しました。緊張して、「ここはどこ?」とキョロキョロしていたそうです。自分のグループの部屋に戻って、友達の気配を感じながらミルクの注入をしたり、絵本を読んで貰ったり、ゆったりと過ごしました。よく馴染んだ部屋の和やかな雰囲気に、ともちゃんはまた声を出して笑っていました。そして帰り際には、昨年度下半期のボーナスまで頂き、「今年度はお仕事をもっと頑張るぞ。」と意気込んでいます。
4月16日(木)
今日は新メンバーの歓迎会でした。通園すると、既にホールからは音楽が聞こえてきます。歓迎会の気配が感じられて、バイタルチェックをして貰っているともちゃんは、そわそわしています。ホールに行くと、養護学校の時の先生方に声をかけて貰いました。車椅子で席に着きましたが、ビクつきがあって早々に抱っこして貰いました。ともちゃんの担任だった先生が、今年も卒業生をH園に送り出したので来賓として挨拶されたのですが、その声を聞くなり嬉しそうに笑い出しました。それからはずっとリラックスして会に参加できました。職員さん達のバンドの演奏も、笑顔で聴いていました。
今年の新メンバーさんは、ワークセンターに4人、デイセンターのともちゃんとは違うグループに2人です。去年の歓迎会では、新メンバーとして緊張してガチガチだったともちゃんも、今年は先輩として新メンバーさんを迎える側になりました。この1年間ですっかり園に馴染んで、通園するのを楽しみにしています。自分の部屋も分り、そこではリラックスして過せます。そんなともちゃんの様子に、お母さんは感謝しています。週1回の通園ですが、これからも園の中で多くの職員さん、メンバーさんと関わって、楽しい経験を増やしていきたいものです。
4月23日(木)
今日はお仕事、まいどレーヌ(マドレーヌ)作りです。先週通園した時に、「来週は、まいどレーヌ作りやで。」と言われて、ともちゃんは楽しみにしていました。朝は4時半頃に起きてきました。こんなに朝早く起きたのは最近では珍しいことですが、「ハハハ、アハハ」と笑っています。「お仕事、頑張るぞー。」と意欲満々で張切っているのが、よく分りました。
車の中でも、元気に声を出して笑っていたのですが、園に着いてともちゃんの部屋に入る頃には、様子が違っていました。魂が抜けたようにキョトンとして、キョロキョロ辺りを見回しています。思いがけないともちゃんの態度に、お母さんも職員さんもびっくりするやら、おかしいやら。「どうしたんや」、「H園来たの、分ってる?」。「・・・」、ともちゃんは朝から張切り過ぎたので、疲れてちょっとの間、頭が休憩していたみたいでした。
暫くするとともちゃんの笑顔も戻り、ホールに行ってまいどレーヌ作りに参加しました。今日は、年始めの書初めをした時からのお約束で、レモンの擦下ろしとレモン絞りに初挑戦します。ホールに行った時は、ちょっと緊張してキョロキョロと落着かない様子でしたが、これは予想通りです。いろんな職員さんからやり方を教えて貰っているうちに、笑顔が出てきました。よい表情で、楽しそうにレモンの擦下ろしとレモン絞りをしていたということでした。
仕事が終ってからのミルクの注入の間も、ともちゃんは勢いが止まらず、ギャハハ、ギャハハとたくさん笑っていました。ともちゃんがレモンを擦って搾ったまいどレーヌは、翌日焼き上がります。お母さんは、早速購入の予約をしていました。家族のみんなは、食べるのを楽しみにしています。
4月28日(火)
特に決った活動がなくて、わやわやと園で過す時間も、ともちゃんは大好きです。今日は園の職員さんの健康診断があって、ともちゃんのお部屋でも職員さんの出入りが激しかったそうです。ともちゃんはガヤガヤしている様子を見て笑ったり、職員さん達とのおしゃべりに興じていました。4月に入って順調な通園生活を送ってきたともちゃんですが、今日はちょっと筋緊張が高めです。抱っこしてもらっていても、ビクつきがありました。明日は祝日、ゆっくりと休養しましょう。それにしても、今年度は幸先のよいスタートです。