ともちゃん の日常4


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1996年12月以前(ともちゃんの日常3へ)

1997年1月

13日(月)
「ともちゃんのお正月」

19日(日)
「NHK『こどもの療育相談~療育の記録~』の取材」

1997年2月

2日(日)
「作品展」

4日(火)
「放送されたよ」

17日(月)
「牛乳を誤嚥」

1997年3月

3日(月)
「ひな祭りは通院」

9日(日)
「高等部の卒業式で3連休」

14日(金)
「小学部の卒業式」

15日(土)
「出席日数勝ち越し」

29日(土)
「はなぽーとブロッサム」

1997年4月以降(ともちゃんの日常5へ)


1997年1月13日(月)

 ともちゃんは風邪を引きやすく、一旦かかると重くなることが多いので、冬はあまり外に出かけません。夏休みに行ったおばあちゃんの家も冬休みはお姉ちゃんだけが泊まりに行きます。おまけに年末に受診した神経外来では、「今インフルエンザが猛威を振るっているので、年末年始はあまり人混みに出ない方がいいですよ。」と教えてもらいました。インフルエンザと言えば、一昨年の1月にかかった時重くなって入院しました。あの阪神大震災の時は、しんどくて一晩中機嫌が悪かったともちゃんが、病院のベッドの上でお母さんに抱っこされて、やっと眠ったときでした。昨年は1年間入院せずに過ごすという快挙を成し遂げたともちゃんです。もう入院は嫌です。

 ともちゃんの冬休みの目標は、寒さに負けずに外に出ようと、おうちの人に絵本を読んでもらおうと、しっかり食べようです。そんな理由で最初の目標は、本当に家の近くを散歩しました。ともちゃん自身は遠出しなくてもバギーでの散歩が大好きです。二つ目の目標は新しい目標です。たまに絵本を読んでもらうことはあっても、毎日読んでもらうなんて初めてです。ともちゃんは学校で用いている「松谷みよ子の赤ちゃんのわらべうたシリーズ」が好きです。リズムのある言葉が好きなのか、学校を思い出したのかよく笑ってくれました。

 元旦は近くの神社まで両親とバギーでの散歩を兼ねて、初詣に出かけました。いつもは通らない昔からある家と家の間の細い道ばかりくねくね通って神社まで行きました。神社まで誰にもすれ違うことなく着きました。ともちゃんは辺りをキョロキョロ見たり、あーあー、おーおーといい顔で大きな声を出したりしていました。境内も人はまばらだったので、3段の石段をバギーごと両親に抱えて上がってもらって、お賽銭を投げて、お母さんと鈴をがらんがらんと鳴らしました。鈴が鳴るととてもうれしそうにニコニコ口を開けて笑っていました。

 健康に注意して過ごしたはずなのに、6日に風邪を引いて熱を出してしまいました。幸いインフルエンザではなかったようで、ひどくはならずに治りました。でも、先週はお休みで、今日から1週間遅れの3学期のスタートです。今年も健康第一で過ごしたいです。

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1997年1月19日(日)

ともちゃんは1月14日(火)から18日(土)までNHKの取材を受けました。実はお母さんがNHK教育テレビの「こどもの療育相談」(火曜日、夜7時20分)の「療育の記録」にともちゃんのことを書いて応募したのです。年末にディレクタさんから取材の連絡がありました。それで、お母さんとお父さんは、いつもは床や家具の上に平積みされて散らかっている本や書類を入れる収納ケースを買ってきて、部屋を片付けました。大掃除も念入りにやりました。お父さんは散髪にも行きました。ともちゃんは先週は風邪で学校を休んでいたのに、今週は元気に頑張っています。

 14日の夕方に、ディレクタさん、カメラさん、音声さん、それから療育相談のキャスターの小林さんの4人で挨拶に来られて、撮影の日程について伺いました。いつもテレビで拝見している方が目の前におられるので、お母さんは少し緊張しました。お姉ちゃんは喜んでよくしゃべっていました。ともちゃんはごきげんで元気にしていました。そうこうするうちに、お父さんも会社から帰ってきました。

 15日は家でのともちゃんの様子を撮影してもらいました。ともちゃんの生活のペースを大切にして、そのままのともちゃんの生活を撮影して下さったので、ともちゃんはいつものように食事をし、おやつを食べ、お母さんの抱っこで昼寝もしました。ただ、いつもと違うと感じていたのか、撮影されると恥ずかしと思ったのか、おしっこはスタッフの人たちが食事に出かけた間にまとめてしていました。ともちゃんの食事の用意を撮影されているとき、お父さんはおかゆをミキサーに入れる手が震えたと言っていました。

 学校でも撮影しました。先生方の緊張が見学しているお母さんにも伝わってきます。もちろん、ともちゃんにも伝わっているでしょう。ともちゃんは朝少しけいれんの発作もあったので、いつもより笑顔が少なかったようでちょっと残念です。でも、これもともちゃんの本当の姿です。早起きのともちゃんの、朝の支度の様子も撮影してもらいました。スタッフの皆さんも朝早くから大変です。3日間ともちゃんの生活を取材してもらいました。18日に帰る前の挨拶に来られたときは、名残惜しい気がして、ともちゃんを抱っこしてもらって記念撮影をしました。番組が放送される日(2月4日)が楽しみです。

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1997年2月2日(日)

以前にともちゃんが学校から「作品展に出品する保護者の作品募集」のお手紙をもらってきたことがありました。お父さんもお母さんも作品展とはいったい何だろうと話していました。お母さんがともちゃんの付き添いのたびに先生にいろいろと聞いてきてきました。高等部の作業実習の作品と小中学部の図工の作品の展示、高等部の作品の即売、それに高等部のお兄さん、お姉さんによる喫茶コーナもあるそうです。なんだか楽しそうです。

 小学部の子供は担任の先生や保護者と展示会場、喫茶コーナを回ります。ともちゃんも先生、お母さんと一緒に展示コーナを見に行きました。高等部の紙すき、木工、ワープロ、裁縫、陶芸などの作業実習の作品が並んでいます。ともちゃんのお母さんも高等部の人たちの名前と顔が大分一致するようになりました。それで、「OOさんが作ったんですねえ。すごいね。」、「ともちゃん、OOさんが作ったんやて、見てごらん。」と話しながら見ました。上手に作られたベストの前では先生が「私たちも、おむすびころりんの時に衣装のベスト作ったんですけど、OO君、私たちよりずっと上手ですねえ。」とおっしゃっていました。

 ともちゃんの作品もありました。先生に手を動かしてもらって描いた「花」「栗」、みんなで大きな紙にはんこや手形を押したもの、本物そっくりに出来ている紙で作ったさつまいもなど。ちょうどその頃、お父さんとお姉ちゃんもやってきました。「この栗、本物みたいな色やなあ。」とお父さんにほめてもらいました。最後のコーナには教職員の方や保護者の方の作品がありました。手芸や絵画など、どれも素敵ですが、調理員さん(男性)の手編みのセーターにはみんなびっくりです。いつも、ともちゃんの給食を作っていただいている方がこんな特技を持っておられるとは知りませんでした。

 ともちゃんも喫茶コーナへ行きました。お友達はすでにクッキーを砕いてもらって、ミルクティーに浸しておいしそうに食べています。レモンティーのレモンを初めてなめたお友達もいます。ともちゃんはアレルギーでクッキーは食べられないので、先生と教室に戻ってヨーグルトを食べることにしました。ともちゃんの分のクッキーはお姉ちゃんがもらって「おいしい、おいしい。」と食べました。

 今日はお昼前に下校です。帰りは家族とお父さんの運転する車で帰ります。お父さんとお姉ちゃんはともちゃんの「終わりの会」も見てくれました。「終りの会」ではグッドバイの歌を歌ったり、順番にお友達一人一人が今日は何をしたかを先生が話したりするのです。ともちゃんの様子、友達の様子がよくわかるのでお母さんはいつも楽しみにしています。今日はクッキーの話題が中心でした。1個だけでもの足りなくて怒っているお友達。7個も食べたお友達。ともちゃんはこの話題にはよれなくて、少し残念でした。でも、ゲストで「終りの会」の輪の中に入っていったお姉ちゃんが感想を聞かれて、「クッキーがおいしかった。」と答えてくれました。

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1997年2月4日(火)

 今日はいよいよ療育相談の放送日です。新聞のテレビ欄にはお母さんとともちゃんの名前まで載っていました。朝刊で名前を見つけて、お母さんはとても喜んでいます。ビデオデッキもクリーニングテープできれいにして、ビデオテープもセットしました。お母さんとお姉ちゃんは30分くらい前からそわそわ、わくわくしながら待っています。ともちゃんはもう寝る時間なので、明朝牛乳を飲みながら見ることにしました。それで、お父さんとともちゃんは寝室に行きました。

 番組が始まりました。タイトルが出て、お母さんの名前も出ました。ともちゃんのマンションの屋上から撮影した市内の様子が映し出されました。それに続いて、キャスターの小林さんが家を訪ねて来られたときの映像が映りました。ともちゃんはとてもかわいく映っています。お姉ちゃんもお母さんも自分がテレビに出ているのを見るのは照れくさくて、何か恥ずかしいのではないかと思っていました。でも、そんなことは全くなくて、すんなりと引き込まれていきました。後で姉ちゃんはこの時の気持ちを「全然恥ずかしくなかったなあ。(学校行事をホームビデオで撮影した)ビデオを見ているのと同じ様な気持ちやなあ。」と言っていました。

 テレビに釘づけで見ているとき、電話がかかってきました。お姉ちゃんの保育所の頃の友達で、今は引っ越して遠くに住んでいるご家族からでした。お姉ちゃんの友達が「赤ちゃん(ともちゃんのこと、お姉ちゃん達が卒園する頃はまだ赤ちゃんという印象が強かったのでしょう)の名前、なんやった。」と聞いてきました。「今テレビに出ているの(保育所に来ていた)赤ちゃんやなあ。」きっと、新聞で名前を見つけて、テレビを見て下さったのでしょう。

 ともちゃんの学校が映ると、お姉ちゃんは「OOちゃんも映ってなあ。」「XX先生もでてる。」とうれしそうです。お姉ちゃんはともちゃんの学校が好きで、ともちゃんの友達や先生とも仲良しです。放送後、お母さんが大満足で寝室に様子を見に行くと、ともちゃんはぐっすり眠っていました。放送を見てくれた方々から電話もたくさん頂きました。この3月で90歳になる父方の大おばあちゃんからも電話をもらいました。大おばあちゃんもいつもともちゃんのことを気にかけてくれているのですが、なかなか顔を見せに行くことができずにいました。大きくなって、元気なともちゃんを見てもらえてよかったです。

 お母さんは本当によい番組に仕上げてもらって感謝しています。お母さんには、まず、ともちゃんという重症心身障害児の日常生活を知って欲しいという希望がありました。でも、それとはまた別に、お母さん自身が葛藤の末に仕事を辞めたことについても知ってもらいたかったのです。子供の障害の種類や程度が様々なように、障害児の親の生き方も様々であることを知って欲しかったのです。どちらのこともありのまま、いいバランスで描かれていました。とても、良かったです。

 今回は寝ていてお話にあまり登場しなかったともちゃんですが、翌朝牛乳を飲みながら、ビデオを見ました。学校の場面で朝の会の音楽がかかるとそれからはきょろきょろして、うれしそうにニコニコしていました。 

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1997年2月17日(月)

 今だからこそ落ち着いて書けることですが、10日の月曜日の朝、ともちゃんは牛乳を誤嚥しました。この頃ともちゃんは朝の目覚めが悪く、食欲も無くてスクールバスに乗れない日があります。その日は少し頑張れば乗れそうだったので、やや早いペースで牛乳を飲んでいました。頑張って飲んでいたのですが、急に呼吸がしんどそうになり、みるみる顔色が悪くなりました。お父さんもお母さんも何が起こったのかわかりませんでした。 

 けいれん発作も起こっていません。むせてせき込んだりもしていません。ともかく、酸素スプレーで酸素を吸入しました。実はともちゃんは自宅に小型の酸素ボンベを持っています。スポーツ用のスプレーではけいれん発作が2回起こって吸入すると無くなってしまいます。でもボンベでは毎分2リットルの酸素を出しても、1本で25分は使えるからです。以前病院で業者さんを教えてもらいました。運が悪いことにちょうどボンベは空で新しいものと付け替えなくてはいけない状態で置いていました。お母さんがスプレー酸素を吸入している間に、お父さんがボンベを交換しました。

 スプレー缶の2本目が無くなりかけているのに、顔色が回復しません。呼吸もしんどいままです。普通の状態ではなさそうなので、救急車を呼びました。酸素ボンベの吸引マスクをして救急車を待ちました。すぐにサイレンは聞こえてきました。救急隊の方が来られたころには、ずっと酸素吸入をしていて、顔色は少し戻ってきていました。呼吸はまだ苦しそうです。自宅の酸素ボンベを救急隊の方に持ってもらって救急車に乗り込みました。救急車の中では備え付けの酸素を吸わせてもらっていました。だんだん呼吸も穏やかになって、マスクをしたまま声がでて、意識もしっかりしてきました。

 病院でも長い間酸素吸入をしました。ずっと吸入している間に、マスクを外しても顔色が悪くなることもなくなり、呼吸の方も落ち着いてきました。先生の診察では牛乳を誤嚥した疑いがあるとのことで、レントゲンを撮りました。現像したフィルムを見ると、お母さんにも右の肺に白い影があるのが分かりました。やはり、誤嚥で一時的に呼吸困難になったようです。たまたま、むせることなく、牛乳が肺まで到達してしまったらしいのです。取りあえず症状が落ちついているということで、肺炎を起こさないように抗生剤をもらって、熱が出たり、何かあったらすぐ受診するようにという指示を受けて帰りました。

 幸い、熱も出ず順調に回復しました。月曜、火曜は食欲もあまりなく、うとうと眠いようでしたが、先週末は普通の状態に回復していました。肺についた傷が治るのが1週間くらいかかるとのことで、今日病院を受診してレントゲンを撮りました。1週間前に比べて、明らかに白い部分は薄くなっていました。良かったです。影が完全に無くなるのにはまだ1ヶ月くらいかかるそうですが、もう大丈夫ということでした。お母さんは学校にも、酸素ボンベを置かせてもらおうと思っています。 

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1997年3月3日(月)

 誤燕事件が落ちついても、朝食がなかなか進まず、いつもスクールバスに乗れないともちゃんです。お母さんのあせりは禁物なので、バスは諦めてともちゃんのペースで朝の支度をしています。そして、タクシーで登校です。よく、学校の先生や友達のお母さんから「お母さんは車の免許を持っていないのですか。」と聞かれるのですが、そうではありません。お母さんは冷静沈着な方ではないので、ともちゃん(特に体調の良くないときのともちゃん)を1人で乗せて運転するのが嫌なのです。けいれん発作などが起こったときにすぐに対処できるようにしていたいのです。

 3月1日は地域の小学校の1年生のゲーム大会に招待されていました。でも、明け方からタンがゼロゼロして眠りが浅く、けいれん発作も起こっていたので、登校は躊躇していました。取りあえず朝はゆっくりと牛乳を飲んでいたのですが、ともちゃんの体が熱く感じられます。体温は38.6℃、登校はやめて病院へ行くことになりました。今思えば、明け方発作が起こったときもともちゃんの体は熱かったような気がします。

 病院へ向かう車の中でけいれん発作が起こりました。お母さんが抱っこして、お父さんが運転していたので特にあわてることはなく、スポーツ用のスプレーで酸素吸入もできました。でも、狭い助手席で全身をつっぱらせるので、ともちゃん自身が窮屈でかわいそうでした。病院では熱は39.7℃に上がっており、けいれん止めと解熱剤の座薬を使いました。点滴も2本してもらいました。呼吸の音は今のところ大丈夫で、のどが赤いのでそこからの熱だろうと言うことでした。朝病院に出かけたのですが、帰ってきたのは夕方でした。

 一番しんどかったのは、病院にいた時のようでした。一晩寝てからは順調に熱も下がってきました。「日帰り入院(?)でよくなってよかったなあ。」とともちゃんはお父さんに言われていました。3月3日、今日は学校でもひな祭りの行事があります。でも、しかたありません。学校は休んで、通院です。夕方、地域の小学校の養護学級の先生とお友達からのお手紙を届けてもらいました。お友達が牛乳パックで作ったおひな様も添えて。

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1997年3月9日(日)

7日は養護学校の高等部の卒業式です。小中学部は自宅学習でお休みです。ともちゃんにとっては、卒業式、第2土曜、日曜の3連休となります。せっかく、やっと元気になって登校できるのにちょと残念です。

 先日、久しぶりにタクシーで登校すると、高等部の3年生のお姉さんが「ともちゃん、お母さんと一緒に登校できてよかったなあ。」と声をかけてくれました。「もう卒業式やなあ。寂しくなるね。」とお母さんが言うと、「いろいろ、お世話になりました。ともちゃんも体に気をつけて、元気で学校に来て下さいね。」とお姉さん。いつもやさしく、時にはひょうきんに、ともちゃんたちに接してくれたお姉さんたちですが、ぐっと大人びて頼もしく見えます。「こちらこそ、ありがとうございました。また遊びに来て下さいね。」と返事を返すお母さん。ずっと、会話を聞いておられたともちゃんの担任の先生が「もう、すっかり大人の会話やなあ。3月末からはお仕事やもんなあ。」とほほえんでおられました。6日の下校のバスは高等部3年生(みんな自主通学)が見送ってくれました。

 ともちゃんは体調がよくなったのか、やっぱり学校は楽しいと生活にメリハリがついてきたのか、7日は朝食も早く食べ終えて、ゆうゆうバスに乗れる時間です。良い天気なので朝少し昼寝をしてから、市役所まで散歩に行きました。帰りはスーパーで買い物をしたり、河川敷公園の堤防を通ったりして少しゆっくりと遠回りをしました。スーパーではレジに並んでいると「ともちゃんや。」と声がしまいた。見ると保育所のクラスメイトです。「ちょうど1年ぶりやねえ。(養護学校の)バスはよく見かけているんですよ。」と友達のお母さん。思いがけない懐かしい出会いでした。堤防に向かっていくと、今度はともちゃんが通っていた保育所の3歳児クラスのお散歩の一団にも出会いました。堤防では風は強かったものの、日差しは暖かく、つくしを積んだり、たんぽぽの綿毛を飛ばしたりしました。

 8日もともちゃんは朝から元気でしたがこの日は休養日。夕方「体調もいいようだし、明日(9日)は少し遠出をしてみようか。どこがいいかなあ。」と両親で話していました。ところが、夜中にけいれん発作があって、朝はゆっくりのペースで過ごしています。遠出は無理です。でも、今日もいい天気で暖かそうです。家にいるのはもったいない。ともちゃんの様子を見て、近くの公園に出かけることにしました。お昼前に、車で商店街の近くまで行きました。お母さんが商店街で紙おしめや酸素スプレーを買っている間、ともちゃんはお姉ちゃんとお父さんと商店街の近くの公園で遊びました。この公園はともちゃんが引っ越しする前に住んでいた家の近くで、お姉ちゃんにとっては懐かしい公園です。ブランコや滑り台に乗せてもらったのですが、ともちゃんは少し緊張した顔をしていたそうです。

 どうも、乗り物に緊張したと言うより、知らない公園に来たことで緊張していたような気がします。長い春休み、天気が良くて暖かくなれば、ともちゃんの家の近くの児童公園を順番に探検してみるのもおもしろいかなとお母さんは思っています。 

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1997年3月14日(金)

 小学部の卒業式だと言うのに、今日もともちゃんはスクールバスに乗れませんでした。朝方にけいれん発作があって、その後眠ってしまい、起きた時間が遅い上に、牛乳を飲んでいる最中にしゃっくりまで出てしまいました。しゃっくりが出ると誤嚥が心配なので、止まるまで食べたり飲んだりするのを止めています。

 朝食を牛乳だけにして、なんとか式が始まる10時までに登校することができました。卒業生はたった一人なので、ともちゃんたち小学部の友達も卒業生と一緒に入場すると聞いていました。全員がもう着席している保護者席にお母さんがあわてて座って、すぐに卒業式が始まりました。先生方、中学部のお友達、保護者、来賓の見守る中、緊張した顔の6年生の車椅子を先頭に小学部のみんなが先生と一緒に入場してきました。演壇を中心に左側には中学部の友達が、右側には小学部の友達がそれぞれ円弧を描くようにならんでいます。卒業生はちょうど演壇の正面に位置しています。そして、それを取り囲むように、先生、保護者、来賓、高等部の生徒会役員の皆さんが座っています。お母さんの席からは中学部の大きいお友達の背中越しにともちゃんの逆立った髪の毛がわずかに見えます。

 とても家庭的な雰囲気で式は進んでいきました。今回卒業するお友達は「はい」と返事をすることができます。実は式の予行で名前を呼ばれたら返事をする、巣立ちの言葉(送辞、答辞)で先生の問いかけに返事をするという練習をしたそうです。でも、自分に都合の悪い思い出、例えば「鹿が恐かったですね。」などと話しかけると返事をしてくれないので、巣立ちの言葉の内容は何度も変更されたと聞いていました。小学部の友達はそれぞれに卒業生との思い出を話しました。(先生がかわりに話してくれました。)ともちゃんとは学校で寝ている席も端と端で一緒に行動することも少なかったのですが、それでも訓練の時にともちゃんの方を向いてくれた話をして(もらって)いました。

 巣立ちの言葉の最後に先生が「じゃあ、花いちもんめしようか。」と問いかけました。ずっと緊張していた卒業生の顔がにっこりゆるんで「はい」。すると、椅子を片付けて小学部と中学部が向かい合って、花いちもんめの体制になりました。「たーんす、長持ち、どの子がほしい。」「(卒業生の)I君がほしい。」「何になって行くの。」「中学生になっておいで。」というわけで、卒業生のI君は中学部の側へ移りました。閉会の後の卒業生の退場は中学部のお友達と一緒でした。

 手作りの暖かい卒業式でした。ともちゃんは式中、友達の声が聞こえるとニコニコしていたそうです。今回は卒業証書も高等部の紙すきの作業実習の工程を利用させてもらって、I君が先生と一緒に作ったものです。校章の透かしも入っていてとても立派です。文字は全て小学部主事の先生の手書き、証書入れのファイルも高等部の手作りの重厚なものです。式の後で友達のお母さんが「今は卒業生一人だから家庭的で色々できるけど、この子達の頃はどうなるかなあ。」と言っていました。平成10年度、新しい小中学部棟が完成したら、府立養護学校の通学区域が変わります。今は隣の知的障害児の養護学校に行っているお友達が大勢ともちゃんの学校にやってきます。ともちゃんの卒業式はどうなるか楽しみです。

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1997年3月15日(土)

 1学期も2学期もともちゃんは終業式を欠席しました。それで、通知票は担任の先生が家まで届けてくれました。「3学期こそ必ず自分でもらいに行きます。」とお母さんは昨日学校で話していました。その通り、ともちゃんは1年の締め括りの日にスクールバスで登校することができました。学校にバスが着いて、先生が迎えに来てくれたときに「ともちゃん、来ることができて良かったなあ。通知票の出席日数を書く欄にしっかりと1日を足してつけておいたよ。」と言って下さいました。

 先日、学校で入学説明会があったということを聞きました。ともちゃんが両親と一緒に初めて養護学校を訪れてから1年が経ちました。あのときはまだ古い校舎でした。あの頃はまだ心配が残っていたお母さんですが、今ではともちゃんの楽しそうな様子や先生方の暖かい対応を心からうれしく思っています。

 この1年間でともちゃんは6人の先生と昼寝をすることができました。アレルゲンを除去した給食を作ってもらって、多くの先生方に食べさせてもらいました。たくさんの楽しい学校行事も初めて体験しました。また、仲の良かったお友達が突然亡くなるというとても悲しい出来事もありました。これからもずっと一緒に過ごしていけると思っていたのに・・・。ともちゃんも学校のみんなもお父さん、お母さん達もお友達の笑顔、泣き声、そして「ふふふ」というかわいい笑い声はずっと忘れません。

 さて、通知票の裏表紙にある出欠の記録です。また3学期になって学校を休む日が多くなっていました。でも、2学期頑張ったおかげで、1年間を通じて出席日数が108日、欠席日数が105日。通算でかろうじて勝ち越しです。

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1997年3月29日(土)

本当なら今日は学校のお友達と一緒に緑地公園に行くはずでした。でも、昨日からずっと雨が降り続いています。せっかくの土曜日でお父さんも休みなので、家族で「はなぽーとブロッサム」に行きました。ブロッサムは花の形をデザインした建物で生花市場の上にショピングタウンがあります。ちょうどハイビスカスのような花の雌しべにあたるところが吹抜けになっていて、それを花弁が取り囲むようにお店が並んでいます。雨でもゆっくりとバギーでお店を見て回れます。

 ともちゃんのお目当てはその中にあるスヌーピータウンです。スヌーピーグッズのお店がいくつもあって、ともちゃんも一緒に色々な商品を見て楽しみます。今までも、家族お揃いのTシャツやともちゃんの食事用のお盆なども買いました。店の中はバギーでうろうろするには狭いので、バギーは邪魔にならない場所に止めて、バギーに乗ったままでお父さんと待っているともちゃんのところへ、お母さんが「ともちゃん、こんなんあるけど、どうや。」と話しながら、色々な商品を見せに来ます。今日は小さなタオルのハンカチを買うことにしました。ピンク色のものと白地に赤い線でスヌーピーが描かれているものとどちらが好きかともちゃんに選んでもらうことにしました。

 ともちゃんは周りの雰囲気はわかるようですが、話しかける内容が理解できるわけではありません。YES/NOのサインを出すこともできませんし、正直なところはっきりとしたサインが示せるだけの能力がともちゃんにあるかどうかは疑問です。けれども、学校ではともちゃんが自分で選べる場面を多く作ってもらっています。音楽の時間に大太鼓か小太鼓かを選ぶとか、図工の時間に好きな色を選ぶとかです。先生に何度も見せてもらって、聞いてもらって、ともちゃんが微かに表情を動かすのを捕らえて、「ともちゃんがこっちが好き(いや)って言うてんで。だから、こっちするよ。」と教えてもらっています。今はまだ偶然の動きで周りの方が勝手に決めていることが多いと思います。でも、この繰り返しによって、だんだんとともちゃんが少しでも自分で決めるということ出来ればいいと思っています。

 ピンクのハンカチを示したときも、白地のハンカチを見せたときも、ともちゃんの表情は嬉しそうではありません。どこか嫌そうです。「そうか。ともちゃん両方買って欲しいと思っているのやな。両方買ってあげようか。」とお母さんが言った途端、タイミング良くよい表情になって、おまけに口まで開けてくれました。それで、ともちゃんはハンカチを2枚買ってもらいました。

 それから、お姉ちゃんと一緒にスヌーピーのプリント倶楽部もしました。できてきたスヌーピーの絵のついた写真シールはキーホルダーにして新学期からともちゃんのかばんに付けようと思っています。ブロッサムの雌しべの部分にあたる吹抜けには、ここで唯一の乗り物であるスカイバルーンがあります。気球の形のゴンドラが吹抜けの天井まで上がって周りを一周するというものです。ともちゃんはこの乗り物にもお父さんに抱っこされて、お姉ちゃんと一緒に乗りました。お母さんが下から見ているとゆっくりと動いているように見えました。でもお父さんによると、途中に飛行機がエアポケットに落ちるように、すとんと降下するところがあって、きっとともちゃんは恐かったと思っているとのことでした。

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