ともちゃん の日常6


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1997年6月13日以前(ともちゃんの日常5へ)

1997年6月

16日(月)
「新車を作ろう」

28日(土)
「地下鉄に乗ったよ」

1997年7月

1日(火)
「市立科学館」

12日(土)
「今度はJR東西線だ」

13日(日)
「夏祭り '97」

31日(木)
「いつの間にやら夏休み」

1997年8月

3日(日)・4日(月)
「奈良に一泊旅行」

8日(金)
「兵庫県立フラワーセンター」

10日(日)
「温水プール」

17日(日)
「波がざぶーん海水浴」

1997年9月以降(ともちゃんの日常7へ)


1997年6月16日(月)

 ともちゃんはこの1年で見違えるくらい大きく成長しました。そのため、バギーもシーティングも小さくなってきています。シーティングには調節用のネジもついていて多少は大きくできるのですが、それも限界にきてしまいました。新しい車椅子を作ることにしました。身障者手帳を持っているので交付券で作ってもらえます。

 交付券で車椅子やバギーをあつらえるためには、整形外科の診断書が必要です。整形の先生の診断を基に装具屋さんと相談して、その人にぴったりの車椅子やバギーをあつらえるのです。今回は養護学校の校医の整形外科の先生に診断書を書いてもらって、学校に出入りの装具屋さんに作ってもらうことにしました。

 交付券も下りて、整形の先生や学校の先生とも相談して基本的な形や機能が決まりました。ともちゃんが今学校で使っている椅子(座位保持装置)が楽そうなので、今度はシーティングとバギーではなくて、車椅子を作ることにしました。車椅子の方がバギーより屋外でも押しやすいということでした。その代わり、バスに座るときの座位保持のためにはまた改めて専用のものを作らなくてはなりません。

 先日、車椅子作りのための採寸と付属部品の決定をしました。学校の先生も立ち会って下さって、細かくアドバイスしていただきました。学校で決めると友達の車椅子を見て比較検討することもできるし、先生が付いていて下さるので専門用語でわからないことも詳しく聞くことができます。今まではリハビリの病院で作ったのですが、お母さんとしては分からないことも多くて装具屋さんにお任せするという部分もかなりありました。今回はお母さんも納得できたし、自分の希望も詳しく伝えることができました。

 車椅子を作るに当たって、お母さんが一番楽しみにしていたのは、色の決定です。ともちゃんにとっての車椅子選びは健常児が子供用自転車を選ぶようなもので、機能だけではなくてデザインもともちゃんが気に入って乗れるかわいいものにしたいと思っていました。車椅子の機能によってメーカーが異なるので、それぞれの布地見本の中からシートの布地を選ぶことになります。

 お母さんはシートの色は座位保持装置のようにピンクがいいなと思っていました。けれども、このメーカーのピンクはレザーのようなつるっとしたビニール素材しかありません。この素材は、よく汚す子にとっては汚れがすぐに拭き取れて便利だけれど、通気性が悪く、夏は日に当たって素材自体が熱くなるということでした。ともちゃんのような子ならキャンバス地のような織物素材の方がいいですよと装具屋さんにも先生にも教えてもらいました。

 ピンクがないので、お母さんは随分迷って、結局一番明るい感じがしたオレンジ色のシートに決めました。それから、支柱などのアルミの部分も自費(1万円くらい)でカラーアルマイト加工ができるようになったということなので、これも見本の中から、最も明るいピンクがかった薄い紫に決めました。家に帰ってお姉ちゃんに話すと「いいと思うで。オレンジと薄い紫は好きな組合せや。」と言っていました。(ちなみにお姉ちゃんの自転車は紫とピンクと水色の3色です。)どんな車椅子ができるか、今からとっても楽しみです。

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1997年6月28日(土)

ともちゃんの目標の一つに、バギーで電車に乗ってみようというのがあります。この土曜日はお休みなのに台風が接近していて、天気が悪くなりそうです。いつものようなお出かけは無理なので、この機会に地下鉄に乗って新しくできた地下街「クリスタ長堀」に行ってみることにしました。この地下鉄の路線は最近できたところで、新しい駅ほどエレベータなどの車椅子用の設備が整っているというのがお父さんの考えでした。

 車で養護学校の近くの始発駅に行きました。すぐに身障者用のエレベータが見つかり、改札へと下りました。お父さんとお姉ちゃんは券売機で乗車券を買いました。お母さんとともちゃんは身障者手帳を改札口に示して、割引切符の買い方を聞きました。ともちゃんのバギーがぎりぎり通る改札を抜けて、再びエレベータでホームまで下りました。

 入ってきた電車からお客さんが降りてしまった後に乗り込みました。この駅で折り返して運転するのです。各車両には車椅子マークのついた車椅子を固定するスペースがあります。車椅子スペースにバギーを止めて、ともちゃんはお父さんに抱っこしてもらいました。目的地までは15分位かかりそうです。でも窓の外はずっと真っ暗なので、ともちゃんはつまらなさそうにしていました。ただ、駅に着くたびに「ピロロロ、ピロロロ、ピー」という発車音が鳴るので、その度に「また音がなってるなあ。」とお父さんから話しかけてもらっていました。

 クリスタ長堀に到着したときは、まだ多くの店が開店前でした。人も少なくて、その上広くて明るくてまっすぐに伸びた地下街で、バギーで散歩をしても快適でした。この地下街の特徴であるガラス張りの天井や天井の上を水が流れているところでは、ともちゃんもさかんに天井を見ていました。ともちゃんは明るさには敏感で、この場所は通常の照明とは違うと思ったようです。

 地下鉄の一駅分だけ散歩して、再び地下鉄の同じ路線に乗って帰りました。帰りの身障者用の乗車券は自動券売機で買いました。ともちゃんの分は小人と割引のボタンを押せばよく、お母さん(介助者)の分は大人と割引を押して買いました。この駅では改札とホームの間にエレベータがなく、その代りエスカレータの横に車椅子が乗れるように操作することができると書かれていました。インターホンで駅員さんに連絡したところすぐ来て下さったのですが、結局駅員さんに手伝ってもらってバギーを抱えて階段を下りることになりました。物見高いお母さんとしてはエスカレータがどうなるのか見てみたかったのですが、利用される方が少なくて駅員さんも不慣れだったようです。

 いつもは車で移動するともちゃんですが、こうして電車に乗るのも楽しい経験です。まだまだ体力のないともちゃんなので、電車に乗るということだけを目的にしているのですが、もっと体力がつけば電車でどこかに行ってみたいものですね。

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1997年7月1日(火)

 今日は校外学習でともちゃん達は科学館に行きます。去年より少し母子分離に向けて進歩しようということで、お母さんは学校からは同伴しません。ともちゃんは友達と先生とスクールバスで出かけます。お母さんは自転車で私鉄の駅まで走り、私鉄に乗って科学館まで一人で行きます。ともちゃん達とともちゃんのお母さんは偶然(ということにして)科学館で出会うという訳なのです。

 お母さんの方が先に着きました。チケットも買ったので先に展示を見ていようかとも思いましたが、やはりともちゃん達が無事到着したのを確かめてからにしようと思いました。車椅子専用入り口があると聞き、そこで待っていました。しばらくして守衛さんがやってきて、いつもは閉まっている扉を開けました。バスが到着したようです。

 ぐるぐると巻いた断熱材でできた銀色のキャンプ用のシート(ともちゃん達が床にゴロりんと寝るときに使う)を抱えた先生を先頭に、ぞろぞろとみんな入ってきました。案内のお姉さんがともちゃんにも挨拶をしてくれています。みんなが集まって、トイレに行く子は連れて行ってもらったりしている間に、お母さんはともちゃんのバスでの様子を聞きました。バスの中では元気がなく、いつもの笑顔も出なくて、でも寝かせようとしても寝ないということでした。登校時から少し元気がありませんでした。

 お母さんは科学館では別行動になるかと覚悟していましたが、幸い科学館の方がお母さんも団体の一人として下さったので一緒に行動することができました。地下1階の受付からエレベータ(上がりは一般の人もエレベータ。下りは通常はエスカレータで、車椅子のみエレベータを使用可。)で一気に4階まで上がり展示を見たり、さわって体験したりしながら階下に降りていきます。

 4階からはグループでの自由行動、ともちゃんは同じように障害の重いもう一人の友達と一緒で保健の先生も付き添って下さっています。お母さんもともちゃん達について行きました。ともちゃんは表情が硬くて、体験を楽しむとまでは行きませんでしたが、それでもいくつかの体験をしました。最初にジャイロスコープを体験しました。

 自由に回転できる台の上にのった椅子に先生がともちゃんを抱っこして座りました。もう一人の先生が車輪を力一杯回転させてともちゃんの先生に手渡しました。車輪はちょうど一輪車のサドルをとって、ペダルの代わりに車輪の中心から垂直に伸びた取っ手をつけたような格好です。車輪を傾けていくと、角運動量を保存する方向に椅子が回ります。「ほらほらともちゃん回っているよ。」と先生が声をかけてくれるのですが、ともちゃんは嫌な顔。車輪の風が当たることが嫌なようです。ともちゃんにとってのジャイロスコープの体験とは、顔に風が当たることと先生が「ともちゃん回っているよ。」と言ったことになるのでしょうか。

 他にも、先生と一緒に指の太さを計ったり、シーソーの原理を利用して体重を計ったり、熱を感じるビデオカメラでともちゃんと先生の体温の比べたりしました。平熱が37度台のともちゃんの方が少しだけ赤かった(赤い方が高温)です。お母さんとともちゃんが手をつないで、ともちゃんがアルミ板、お母さんが銅板に手をおくと電流が流れて電流計の針が振れたのですが、ともちゃんは頭ががくんと前に垂れてしまって、この姿勢を保ったままでは電流計を見ることはできませんでした。

 昼食時間の後半からともちゃんはだんだん元気が出てきました。帰りのバスでは寝ようといわれていたのに、バスが大阪の北の繁華街、梅田の近くを通ると珍しそうに外をキョロキョロして嬉しそうだったということです。そういえば、ともちゃんは梅田に行ったことがありませんでした。それにしても、ともちゃんのオレンジ色のスクールバスが繁華街を走ったなんてとても爽快な気分です。

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1997年7月12日(土)

今日も雨が降っています。今度はJR東西線に乗ってみることにしました。東西線も新しくできた路線なので、新しい駅は身障者用のバギーでも利用しやすい構造になっているでしょう。その上、東西線に乗るとともちゃんのお気に入りの地、大阪の北の繁華街、梅田にも行くことができます。バギーでJRに乗って梅田に行ってみました。

 雨の時は、ともちゃんのバギーには屋根をつけ、屋根の上から専用のビニールの雨コートをすっぽりとかぶせて、バギーごと包んでしまいます。ともちゃんは動くビニールハウスの中に乗っているような状態です。ともちゃんのスクールバスは大きく、ビニールハウスごとバスに乗り込んだ後、バスの中でゆっくりと雨コートや屋根を外すスペースがあるので、昇降時にともちゃんが雨に濡れることはありません。

 けれども、うちの車ではそういう訳にはいきません。いくら車で駅まで出かけても、屋根のないところで車からバギーに乗り換えることになれば、ともちゃんもバギーも濡れてしまいます。良いことを思いつきました。JRのK駅にはスーパーへの連絡通路に直結した改札があります。このスーパーの駐車場は屋内で、ここに車を止めるとスーパーを通り抜けて雨に濡れずに、JRの改札口まで行くことができます。ともちゃんの東西線での旅はせいぜい1時間くらいですから、帰りにスーパーで買い物をすれば駐車場に車を止めても構わないでしょう。

 10時の開店と同時にスーパーを通り抜けました。K駅は古い駅なのでエレベータはなく、ホームへはお父さんとお母さんがともちゃんごとバギーを抱えて降ろしました。JRのこの車両には車椅子止めはなかったので、しまっている方の扉の近くにバギーを止めて、ともちゃんはお母さんが抱っこしました。次の駅で止まってびっくり。今度はバギーを止めた側の扉が開き、お父さんがあわててバギーを移動しました。ともちゃんは電車が地上を走っている間はキョロキョロと窓からの景色を楽しんでいましたが、少しして地下に入ると真っ暗でがっかりしたようでした。

 3つ目の駅で降りました。ここは新しい駅でエレベータも完備されています。ここから地下街を通って、JRの大阪駅まで散歩をしました。地下街は明るくて、最初は空いていてゆったりとバギーで散歩できました。ともちゃんも笑顔でキョロキョロしていました。大阪駅に近付くにつれて人が多くなってきて、バギーでは人の少ないところを探しながら通りました。地下から地上に上がり、人波を避けながらJR大阪駅の南口までやってきました。外は雨ですが、ここから御堂筋が南に延び、3つの百貨店に囲まれたバスターミナルがあります。

 「ともちゃん、ここが梅田やで。」と話しかけましたが、そろそろ疲れてきた様子、引き返すことにしました。帰りは地下街の壁の楽器のレリーフをさわったりしました。この壁はレリーフになっている楽器の音が出るような仕掛けになっているのですが、疲れているのかともちゃんは嬉しそうではありませんでした。ともちゃんにとって、こんな人混みを見たのは初めてのことです。でも、嬉しかったようで、帰宅途中に昼寝をした後は、大きな声でニコニコしながらお話ししていました。

 JRでは、障害者用割引き切符は駅員さんのいる出札口で買います。そこのコンピュータに入力して、定期券のような大きな切符を発行してもらいます。帰りの切符はみどりの窓口で、新幹線の切符を求める人たちと並んで買いました。他の人はみんな1万円札を何枚か出して支払っています。同じ大きさの切符を発行してもらうのですが、ともちゃんは40円、お母さんの分は80円の計120円を払いました。

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1997年7月13日(日)

昨晩から大雨で大雨警報が発令されています。でも今日は夏祭りです。濡れずに登校するには何と言ってもスクールバスに乗らなくてはなりません。というわけで、ともちゃんは今年の夏祭りはバスで登校しました。お父さんとお姉ちゃんは後から車でやってきます。

 ざんざんぶりの雨の中、到着したバスはいつもの昇降場所に一斉に揃うことはありません。到着した順に学校の入り口の前の道路に止まって、先生達がすばやく順番に子供達を濡れないように教室に連れて行ってくれました。ともちゃんも一人の先生の抱っこしてもらって、もう一人の先生に傘を差してもらって、さっと教室に入って行きました。

 今年は学校ではっぴを用意してくれました。どこかで貸してもらったそうですが、青色の中に1つだけ赤いのがあって、それをともちゃんが借りることになりました。はっぴを着て、オープニング会場の音楽室へ行きました。雨天のため狭い校舎内、それも建築中の学校なので唯一完成している高等部棟内で夏祭りをやることになります。それで、オープニングの様子はビデオで各教室に生中継していました。小学部だけは会場で校長先生や児童生徒会役員のお話を聞きますが、中学部以上は教室で聞いています。このことを知ったお姉ちゃんはさっそく中学部の教室のビデオをみせてもらいましたが、きれいに映っていたそうです。

 オープニングが終ると、すぐにともちゃんは先生とゲームコーナへ急ぎました。去年は夕方から開催されたこともあって、しんどくなってゆっくりとお店をまわることができませんでした。今年はともちゃんが元気なうちにしっかり楽しもうという計画です。最初のボーリングではまだ高等部の係りの人が来る前に到着して、一番にゲームをやりました。残念ながら倒れたのは1ピンだけでしたが、膨らませるとぶーと鳴りながら縮む風船を賞品にもらい、お姉ちゃんに鳴らしてもらってにっこりしていました。お姉ちゃんはスペアをとって上位の景品をもらっていました。

 大きなパチンコ、輪投げ、的当て、くじ、あめすくいと、どれも楽しんで挑戦しました。でも、ゲームの方の得点はどれも今一つです。回っている途中で、大きなパチンコを手作りされた先生に出会って「100点のポケットに玉を入れるコツは、思いっきり玉を跳ばさずに緩めに跳ばすんや。」と教えてもらいました。1枚残ったチケットは、小学部のお店「色水遊びとスライム」の分ですが、もう1回パチンコをすることにしました。

 ちょうどパチンコの店の前で、製作者の先生にまた会ったので、ともちゃんは直々に指南してもらいました。先生に手を持ってもらってゴムを引くのですが、その具合を加減してもらって発射しました。さっきは気づかなかったのですが、巧妙な仕掛けがあります。100点のポケットの上には別の玉がたくさん並んでいて、それが落ちないように木片で止めてあります。ともちゃんが打った玉が木片の反対側に当たると、木片が動いてみごと100点のポケットに玉が沢山入りました。100点を出したのは、高等部のお兄さんに次いで2人目だそうです。ともちゃんすごーい。いや先生すごーいかな。

 店番の交替の時間になりましたが、ともちゃんは疲れてきたようなので、教室でお母さんと昼寝をすることにしました。店番はお姉ちゃんに任せました。お姉ちゃんは保育所祭り、学童祭りで鍛えられていて、手作りのお祭りは大好きです。他にも休憩している友達や喫茶コーナにいっている友達の分も頑張ってくれました。

 ともちゃんはエンディングが始まる頃には、ちゃんと目覚めました。最後の元気音頭を踊るのに音楽室では狭すぎたのが残念だけど、同じバスのお兄さんの上手な太鼓も聞けました。ともちゃんは今年の夏祭りは全部楽しみました。いつもの授業時間内に室内で開催されたのが、ともちゃんにとっては良かったようです。

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1997年7月31日(木)

7月も今日で終ろうとしています。ともちゃんは19日の終業式に通知表をもらって、もう夏休みに入っています。22日から24日まではプール学習で(とはいっても天候不順な日が続いたので体調が悪いお友達も多く、プールに入らない日もありましたが)、登校していました。その後も、検査や定期的な予約外来などの通院で予定がいっぱいで、今までずっと外出が続いています。小学部の友達とみんなで集まった日もあります。去年、体調のよいときにはできるだけ散歩をしようと心掛けていたことを思うと、体調も安定して体力もついてきたと嬉しく思います。

 19日の終業式、終わりの会の前に少し時間を割いてもらって、ともちゃんのささやかな誕生日会がありました。ともちゃんは7月25日の大阪の天神祭りの日に通天閣の見える病院で生まれた生粋の浪速っ子なのです。みんなに誕生日の歌を歌ってもらって、その後先生手作りの王冠をかぶり「子供の王様」の歌に合せてみんなの周りを抱っこしてもらって回りました。すいかの形の誕生日カードにはお祝いの言葉と共に「笑い声大好きだよ」と書いてもらいました。家でも26日(土)にみんなでヨーグルトやゼリーを食べてお祝いしました。お姉ちゃんがプレゼントに熊の形のワッペンを作ってくれました。

 去年は登校日の最後に小学部みんなで宿泊学習に行きました。けれども、今年は学校の都合で高学年だけが対象となって、ともちゃん達は行くことができませんでした。去年の宿泊学習で少し自信がついたお母さんは、近いところで無理のないスケジュールなら1泊旅行ができるのではないかと計画しています。行き先は奈良公園です。新しくできた第二阪奈道路を通れば1時間以内で行けるし、緑豊かな公園をゆったりとバギーで散歩できます。街中なので、いざというときはすぐに救急車で病院に運んでもらえます。

 7月に入ってけいれん発作の頻度が増えてきていたので、薬の調整もしてもらいました。主治医の先生にいざというときの紹介状も書いていただきました。宿泊予定の旅館にともちゃんのアレルギーのことを話して、特別食を作ってもらえるようにお願いしました。旅行予定日は8月3日(日)と4日(月)です。ともちゃんの体調が良いことと、天気のよいことを祈っています。

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1997年8月3日(日)・4日(月)

奈良へは長いトンネルを通って行きます。絵本の詞書を借りて「トンネル、トンネル、まっくら、まっくら。」と話しながら入ったのですが、中はオレンジ色のナトリウムランプがまぶしく輝いていました。ともちゃんは目をぱっちり開けて、不思議そうにキョロキョロ見渡していました。

 家から1時間足らずで奈良公園に着きました。奈良公園はともちゃんの住んでいるところから山を1つ越えただけなのに、緑が多くて鹿が自由に歩いていて別世界のようです。とても遠くまで来たような気持ちになります。木陰ではバギーの屋根を外して空の輝きや木の葉の色を楽しみました。動物の毛が苦手なともちゃんに鹿が寄ってこないようにお母さんとお姉ちゃんでバギーの両脇をガードしながら東大寺まで行きました。

 拝観券売場にはたくさんの車椅子が用意してあって「体の不自由な人のためのものです。ベビーカーとしては使わないで下さい。」と書かれていました。お母さんが障害者割引の表示を見て、身障者手帳を車に忘れてきたことを後悔していると、窓口の人がさりげなく「この方は手帳を持っておられますか。」と聞いてくれました。お陰で割引してもらえただけでなく、家族みんなでスロープのある障害者入り口から入ることができました。帰りに境内で東大寺整肢園という看板を見つけて、お母さんは親しみを感じました。

 昼食はゆっくりとおかゆペースト弁当がたべられるように、観光地ではなく郊外のファミリーレストランへ行きました。実はこういう時のことを考えてファミリーレストランやコンビニエンスストアの場所まで詳しく載っている地図を買っていたのです。ともちゃんは最初は知らないところなので集中して食べられないようでしたが、だんだんと慣れて時間をかけて全部食べました。地図によると夜間の小児科救急の受け入れをしている病院はこの近くのようです。本当に救急で来ることにならないように願いながら、病院の前まで行って建物を見てきました。

 その後、また公園を少し散歩しましたが、3時頃には旅館にチェックインしました。旅館選びも場所を考えて、奈良公園の入り口にあって私鉄の駅前商店街のすぐそばにあるものを選びました。ともちゃんが朝、薬と一緒に食べる牛乳プリンは商店街のスーパーで現地調達しました。チェックインしてからはともちゃんのいつもの夕方の予定をこなしていきました。部屋にあるお風呂にお父さんと入りました。特別にお願いしていた野菜の煮物は大根、人参、春菊が彩りよく盛られて出てきました。もう一品のおかずは家からフリーズドライのベビーフードを持っていきました。ともちゃんのアレルギーの原因となる食品の入っていないシンプルなカボチャのマッシュです。

 夕食もしっかりと食べて、両親やお姉ちゃんの料理が運ばれてくる頃にはもう眠くなってきました。はりきってたくさん散歩したから疲れたのでしょう。布団を敷いてもらう間にお父さんに抱っこされて眠ってしまいました。ともちゃんはそのまま朝までぐっすり眠りました。まだまだ騒ぎたいお姉ちゃんはともちゃんの眠りを妨げないようにお母さんと夜の商店街に出ていきました。クーラーに弱いともちゃんのために夜中は何度もクーラーのスイッチを入れたり、切ったりしました。

 ともちゃんはいつも通り、朝は4時半にさわやかに目覚めました。旅行していることがわかるのか、家族の楽しい気持ちが伝わるのか、今日も楽しいことがあることを期待しているかのように、いつになく朝からニコニコ笑顔がいっぱいです。いつもは朝寝坊のお姉ちゃんも起きてきました。「昨日は面白かったなあ。でも今日はもう帰らないとあかんねんで。」と話しかけられながら、朝の予定を済ませました。

 ともちゃんは今日も元気いっぱいですが、無理はせず、朝食後は予定通り帰路に着きました。まるで養護学校の宿泊学習の日程のようです。はりきっていたともちゃんは車の中で眠ってしまいましたが、次に目覚めたときは高速道路の東大阪分岐まで戻ってきていました。「もう家の近くまで帰ってきてしもうたわ。」と説明すると、心なしかつまらなそうな顔をしていました。朝の笑顔はどこへやらです。

 10時半ごろ家に到着して、お父さんは日課になっているともちゃんの今日の分のお粥を仕掛けたり、おかずを作ったりしています。本当に楽しい旅行でした。ともちゃんにも家族にも、いい経験と大きな自信になりました。また来年も行きたいものです。   

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1997年8月8日(金)

去年行こうとして、道路が渋滞していて行けなかった兵庫県立フラワーセンターに行って来ました。フラワーセンターには温室と広大な緑地公園があります。公園内も空いていてゆったりと過ごせました。温室は花の種類ごとに分かれていて、赤い鮮やかな花が咲き乱れている部屋や花の香りの強い部屋もありました。それなのに、ともちゃんは表情が硬くて元気がありません。 

 それで、喫茶店で休憩して昼寝をさせようとしました。昼寝の体制に入ろうとしましたが、ともちゃんは脱力してもたれ掛かってくるのではなくて、体に力を入れて鎌首をもたげてきます。しばらく押さえるお母さんと体を伸ばすともちゃんの攻防戦がありましたが、お母さんが負けて早い昼食にしました。食後は元気そうになったので、大きな池の周りの遊歩道を散歩しました。

 養護学校の近くの緑地公園は人工的に山を作ったものですが、こちらは自然のままの姿といった感じです。木々が鬱蒼と茂り、木漏れ日がさしています。石ころやぬかるみの道を行くとともちゃんはもうごきげんで満面の笑顔です。がたがたとバギーを押して山道も少し登りました。バラ園で花の香りもかぎました。ともちゃんは屋外が、それも木漏れ日を感じる道が大好きだったようです。温室内はちょっと緊張したのでしょうか。

 帰りに五百羅漢を見に寄り道しました。羅漢さんというのは古い石仏で、たくさんの羅漢さんがいるお寺があるのです。以前何かで、この中にきっと知っている人に似た羅漢さんがいると言っていたのを聞いたことがあります。ともちゃんのお友達に似た羅漢さんも2人いました。ともちゃんに似た顔も探したのですが、羅漢さんはみんな顎が張っていて、細面のともちゃんに似た人はいませんでした。

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1997年8月10日(日)

養護学校近くの緑地公園のそばに温水プールができたと聞いて行って来ました。ともちゃんは学校のプールでも大きいプールには足だけしか浸けたことがありません。でも、このプールはゴミ消却場の余熱で水温が常に30度に保たれていて、徐々に深くなっていく波が打ち寄せるプールもあるというので、ともちゃんも浅いところで楽しめるかなと思ったのです。

 9時に開場と聞いていたので、ちょうどそれに間に合うように行きました。それなのに、入場者はすでに行列を作っています。仕方なく行列に並びましたが、比較的スムーズに進んだのでそれほど苦ではありませんでした。チケット売場には「車椅子の方、目の不自由な方は連絡して下さい。」と掲示がありました。ともちゃんのことを伝えると更衣室の前まではバギーで通してもらいました。「ここからは濡れるので、これに乗り換えられますか。」とプールサイド用の車椅子を持ってきてくれました。でも普通の車椅子なので、座位の確立していないともちゃんは利用できません。バギーを預かってもらって、ここからは抱っこで行きました。

 2階にプールがあります。ともちゃんは波が打ち寄せるプールに入りました。最初は水が足やお尻に触れるたびにびくっと緊張していました。人は沢山いたのですが、プールの端っこにうまく陣取りました。ともちゃんのお尻を浮輪に入れてお父さんとお母さんが両脇からともちゃんの上体と膝をしっかり支えます。お母さんの膝より少し深いところで波に合わせてちゃぷーんちゃぷーんと波に乗る真似事をしました。もう水がかかってもびくっとすることはありませんが、まだまだ緊張しているようで神妙な顔つきです。

 3階に上がってみると採暖室というのがありました。体の冷えたともちゃんも入ってみましたが、サウナのようですぐに出てきました。お風呂のお湯ぐらいに暖かいジャグジー(気泡風呂)もありました。ともちゃんが暖をとるのは、こっちの方が良いようです。お父さんに抱っこされてしばらく浸かりました。プールとは違ってほーっとリラックスした表情です。ふわあと大きなあくびが何度も出ました。ギャグジーから出てお母さんがタオルでくるむと満足そうに笑っていました。

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1997年8月17日(日)

去年、下見した和歌山の片男波海水浴場に行きました。去年は一泊旅行の下見のつもりでしたが、ともちゃんにとって「海水浴」と「よそでのお泊まり」を同時にすることは負担が大きいので、海水浴は日帰りにしました。でも、ともちゃんが海で遊んだ後、お風呂に入って体をきれいにしてからゆったりと昼食を食べ、休憩できたらいいなあと思いました。

 それで、お母さんが電話をかけて、海水浴場の近くで休憩ができる旅館を探しました。ある旅館では、昼食の料理を予約すれば、部屋とお風呂が使えるということでした。この旅館に空きのある日ということで、お盆も過ぎた今日海水浴に出かけました。お盆を過ぎると、海水浴場も海水浴場への道路も随分空いてくるので、ともちゃんにとっても願うところです。

 高速道路を通って9時半には海水浴場に着きました。今年の夏は台風がたくさんやってきて、比較的冷夏です。朝家を出発するときは、涼しささえ感じられていました。車で水着に着替えて浜辺に出ると、快晴の空に太陽が輝いていて海水浴日和といった感じです。パラソルも立てました。他のみんなにとってはまだまだ海水が気持ちいいのですが、ともちゃんにはちょっと冷たいかもしれません。

 ともちゃんは波打ち際でお父さんに抱っこしてもらって、少しの間足首やお尻に時々海水が触れる感触を味わいました。海水が冷たくて、触れるたびに顔をしかめていました。パラソルの下に戻ってきましたが、ともちゃんにはもっと嫌いなことがありました。それは、濡れた足に砂がついて、擦れるたびにじょりじょりとした感触を感じることです。もともと足の裏が過敏なのです。お母さんはともちゃんを抱っこしたまま足首を砂の中に埋めてみましたが、これは平気でした。じょりじょりには嫌な顔をしています。

 砂を洗い流すつもりもあって、もう一度今度はお母さんと波打ち際へ行きました。小さな波が来ても、ともちゃんの足下には届かないくらいのところです。お父さんとお姉ちゃんは少し深いところに行っています。ともちゃんも足やお尻に海水が触れることに慣れてきた頃です。いきなり大きな波が来て、お母さんもともちゃんも頭から波をざぶーんとかぶってしまいました。お母さんは今度の波は少し大きいからここまで届くなあというくらいにしか思っていなかったので、これは逃げなければと思ったときにはもう波をかぶっていました。

 波をかぶった後ともちゃんが「はー」っと大きな呼吸をしたので、まずは安心。瞬間的に息を止めていたようです。波が砂を巻き込んできたので、ともちゃんもお母さんも砂まみれです。海水が少し口や鼻に入ったのか、ともちゃんはタンや分泌物が涌いてきて呼吸をするたびにぜろぜろ、ごろごろという音がし始めました。パラソルの下に引き上げてタオルでくるみました。口の中にたまった分泌物は簡易型吸引器で吸引しました。タンが切れるように背中もとんとんとたたきました。少し落ちついたので、ともちゃんに声をかけると、ともちゃんが「さっきの波すごかったな。」とでもいうように苦笑いで答えてくれたので、お母さんの気持ちも落ち着きました。

 奇しくも海水浴場に来る途中に和歌山市の休日診療所の前を通りました。お母さんはともちゃんの状態、特に呼吸の状態が急に変化するとお医者さんに胸の音を聞いて大丈夫かどうか確かめて欲しいという気持ちになります。心配性のお母さんは今回も休日診療所に行きたい衝動に駆られたのですが、ともちゃんの様子をよく観察してからにしないと、いたずらに混乱を招くことになります。少し唇の色が悪いと思っていたのは体が冷えてきたためのようです。よく拭いて、このままお風呂のある旅館に引き上げることにしました。

 灼熱の車の中にはいると、冷えていたともちゃんの手足も暖まり、表情も落ちついてきました。お風呂で暖まり、着替えてきれいになると、ともちゃんはすっかり元気になりました。タンの音も落ちついてきました。昼寝をしてから昼食にしようかと思ったのですが、眠らないのでお弁当にしました。お弁当もいつも通りにしっかりと食べました。他の家族は、ともちゃんのお陰で食べられることになった豪華な会席料理をしっかり味わいました。

 興奮していたともちゃんでしたが、帰りの車の中でお母さんに抱っこされると安心したのかぐっすりと眠りました。10時半には旅館に向かいましたから、ともちゃんが正味海で遊んだのは30分くらいです。ともちゃんにとってはちょうどいいくらいです。お姉ちゃんは泳ぎ足りなかったようですが、その分は豪華な昼食で満足してくれたようです。楽しかったけれど、海では油断してはいけないという反省もあります。今回のことはともちゃんにとっても貴重な経験と今では笑って話ができますが、今後は十分注意しましょう。家には午後3時前に帰ってきました。

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