ともちゃん の日常7


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1997年8月以前(ともちゃんの日常6へ)

1997年9月

27日(土)
「長期欠席」

28日(日)
「運動会 '97」

1997年10月

2日(木)
「遠足と散歩」

11日(土)
「バーベキュー」

22日(水)
「なかよし音楽会 '97」

1997年11月

2日(日)
「ふれ愛ピック大阪」

11日(火)
「キティちゃんの靴」

17日(月)
「お粥1合炊き」

30日(日)
「むつみ祭 '97」

1997年12月

25日(木)
「キティちゃんがいっぱい」

1998年1月以降(ともちゃんの日常8へ)


1997年9月27日(土)

 8月下旬は家で静養して新学期に備えたので、ともちゃんは元気に2学期を迎えました。まだ休み気分が抜けない友達の中でともちゃんは朝の会からはりきっていたそうです。これからも元気でたくさんの行事を楽しもうと思っていたのですが、10日の夜から喘息のような症状が出てずっと学校を休んでいます。

 夜寝室に行ったときから強い鼻づまりになって、呼吸をするたびに鼻がフガーフガーといって息苦しそうでした。ウトウト眠りかけるのですが息苦しくて目が覚めてしまいます。いろんな角度で抱っこの仕方を変えてみますが、あまり効果がありません。昼間は夜の寝不足と呼吸が苦しいのとでウトウトしています。鼻づまりがひどいときは食事はとれませんが、1日中ひどい状態が続くわけではなく、少し良くなったときに食事をとるようにしました。アレルギー性鼻炎用のスプレーをすると少しましになるようです。

 ともちゃんが養護学校に入学するまでは、季節の変わり目にしょっちゅう喘息の発作が起こりました。ともちゃんの場合は最初はこのような鼻づまりが少し起こって、それから気管支が狭くなってヒューヒューという喘息の音になりました。今回の症状は2年ぶりですが、気管支が狭くなる喘息の音はほとんどありません。

 鼻づまりなのでそのうちに良くなるだろうと最初は軽く考えていたお母さんでしたが、症状は一進一退で欠席が1週間、10日と続くと心配になってきました。症状が軽くなって1度遅刻して登校しようとしたことがありました。でもバギーに乗ってドアを開けて冷たい外気を吸った瞬間からンゴーンゴーと呼吸がしんどくなって、バギーの上で肩を揺らせて呼吸をしていました。登校は取りやめました。ンゴーンゴーと呼吸音がしているときは喉元がへこみ、細いお腹も大きくへこみ、肋骨も肩も大きく上下させて息をしています。 

 病院では気管支は狭くなっていないけれど、もともと肥大している扁桃腺が腫れていて気道を狭くして呼吸がしにくいと言われました。気道が狭くなっても、酸素の摂取が減るのでやはりしんどいということでした。強い薬は使えず、今までの吸入と鼻のスプレーで乗り切ることになりました。 

 運動会には元気で参加したいと目標を決めていたお母さんですが、それは諦めました。ともちゃんが疲れないようにして、ゆっくりと回復を待つことにしました。点滴に通ったり、入院したりしなくてよいだけ、ともちゃんも強くなったのかもしれません。夜鼻づまりがましでゆっくり寝られる日もあります。このまま良くなるかと思っていると午後からしんどくなります。このままなら明日は点滴にいかなくてはならないと覚悟していると、夕食は普通に食べられる日もあります。

 幸い金曜日から1日中ほとんど鼻づまりの音がしなくなってきました。ともちゃんは今までの疲れを回復するかのように、ウトウトよく眠りました。まだ、全く普通のペースではありませんが、食事の量もいつも通りに戻ってきました。このまま良くなっていけば、来週には登校できるかもしれません。明日は運動会ですが登校は無理でしょう。もし元気にしていれば、少し覗きに行けるかもしれません。今回の鼻づまりは、もう喘息は卒業できたと油断していた両親への警鐘だったのかもしれません。ともちゃんの健康にはくれぐれも注意していこうと改めて思うお母さんです。

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1997年9月28日(日) 今日はともちゃんの学校の(偶然お姉ちゃんの学校も)運動会です。ともちゃんは残念ながら参加することはできません。でも、ここ2日ほどは呼吸も安定しているし、今日も朝の予定がこなせたので、両親と車で養護学校の運動会を見に行くことにしました。まだ養護学校は工事中なので、運動会は近くの中学校の体育館を借りて行われます。ともちゃんは病院以外では久しぶりの外出ですので、会場が屋外でないことが何よりです。もうバギーで外に出たときの呼吸も大丈夫です。

 ともちゃんに徐々に大好きな学校の雰囲気を思い出して欲しいと思いました。今から行けばちょうど小学部のダンス「WAになって踊ろう」に間に合います。それを見て、音楽を聴いて雰囲気を味わって(ともちゃん次第ではそれに参加させてもらってもいいし)そのまま家に帰れば、ちょうど昼寝の時間です。ともちゃんの体調にも負担にならないだろうと思いました。

 会場に着くとプログラムが遅れていて、みんなまだ体操をしていました。小学部の友達のいる席に先生に連れていってもらいました。次は小学部の最初のメインの出し物「アラジンの冒険」です。マットのゆるやかな坂道、台車とシーツブランコ、先生が揺らす透明ビニールシートの波、風船の詰まった雲の間をそれぞれが自分のできる運動を(先生に手伝ってもらって)しながら全部まわるのです。ともちゃんは特別にずっと抱っこで参加させてもらいました。ともちゃんは友達の声にちょっと口元がゆるみますが、まだ硬い表情です。

 みんなよりも一足早く昼食時間(休憩時間)をとる小学部は、それまでにもう一つの出し物のダンスに出場します。ともちゃんの様子は落ち着いているので、これにも出場することになりました。実は今日家を出て駐車場までバギーで来る間、お姉ちゃんの小学校から「WAになって踊ろう」の曲が聞こえてきていて、ともちゃんは笑っていました。お休みしている間「先生が一生懸命練習しておくからね。ともちゃんはゆっくり休んで、元気になってからおいでね。」と言ってもらっていて、ともちゃんもお母さんもどんな踊りか知りません。

 みんな鈴とリボンが付いたバトンを先生と一緒に手に持って、バギーで登場しました。真ん中には美しくデコレーションされたポールが立っていて、その周りをみんなで輪になって踊ります。途中で向かい合う友達とバトンをトントン合わせて鈴を鳴らしますが、お母さんから見るとともちゃんはなかなかお友達の方を向かないように見えました。ともちゃんには好きな向きがあるので、その方向を向いたまま嬉しそうにニコニコしていたそうです。

 最後はポールのリボンの先に付いていた輪を持って、きれいな円になりました。ともちゃんにもにぎやかな雰囲気が伝わったようです。ダンスが終わってみんなが学校へ戻るのと同時に、ともちゃんも家に帰りました。来週から元気で登校できますように。

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1997年10月2日(木)

今年の秋の遠足は8月に延長開通したモノレールに乗って遊園地へ行くことになりました。養護学校からモノレールの始発のK駅まではみんなでスクールバスに乗って行き、K駅から遊園地のあるB駅まで約20分間のモノレールの旅を楽しみます。モノレールはともちゃんの家の近くを通っています。ともちゃんはマンションの7階に住んでいて、何もさえぎるものがないので、ほとんど同じ高さにモノレールが動いているのがはっきりと見えるのです。

 ともちゃんは昨日、遅刻はしましたが久しぶりに登校できました。けれども、長い間学校を休んでいたので急に続けて学校に行くのはしんどいかもしれません。特に遠足ではずっと屋外で過ごすことになるのでなおさらです。「残念だけれど、大事をとって明日の遠足は休みます。」と先生に告げて、昨日は帰りました。お母さんは先生に「家の中からモノレールを見て手を振ります(本当は手を振っている人が分かるほどは近くは通らないけれど)。」と話していました。

 昨日の夜はなかなか眠らなかったともちゃんでしたが、朝はニコニコして起きてきました。朝の予定もすんなりとこなし、これならスクールバスに間に合うくらいです。ともちゃんは昨日学校で遠足の話を聞いているので、行こうと思ってはりきっているようです。みんなと遠足に行かせてあげたいけれど、天気も良くないし長い間屋外で過ごすのは心配です。やっぱり遠足はお休み。その代わり、ともちゃんはお母さんと散歩に行くことにしました。

 K駅から次のD駅までのモノレールの散歩です。D駅はともちゃんの最寄り駅なのでここからはバギーを押して帰って来れます。早めにK駅に行って改札の中で養護学校のみんなを待ちました。朝からのともちゃんの様子を先生に話して途中まで一緒に行かせてもらえるようお願いしました。最初に改札口を通ってこられた先生がともちゃんに顔を近づけて「ともちゃんおはよう。」と声をかけてくれると、ともちゃんの顔はみるみる満面の笑顔に変わりました。

 みんなと一緒にエレベータでホームに上がり、止まっていたモノレールに乗りましたが、ともちゃんは終始ごきげんです。K駅からD駅の2分間ではあまりに短くて残念なのでもう少しモノレールに乗って行くことにしました。D駅が過ぎた頃ともちゃんの家が見えました。窓の下を眺めるとモノレールと並行して走る道路をオレンジ色のスクールバスが通っているのも見えました。みんなを駅まで送ってきたバスは遊園地まで行って、帰りは遊園地から学校までみんなを乗せて帰ります。

 帰りの時間も考えて名残惜しいけれど、そろそろ降りてD駅まで折り返すことにしました。お母さんが「ともちゃん次で降りるよ。」と声をかけてから、みんなに見送られてホームに降りるまでともちゃんは心なしか元気がありませんでした。結局、D駅までお母さんと2人で戻りました。帰った時はちょうど昼寝の時間で、ともちゃんは家でゆっくり眠りました。ともちゃんにとって体力的にはちょうどいい散歩だったと思います。でも、今日のともちゃんは床におくと元気がなくて、抱っこするとニコニコする甘えん坊でした。

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1997年10月11日(土)

3連休の中日、ともちゃんは養護学校の友達から緑地公園でのバーベキューに誘われました。去年も同じ時期に誘われたのですが、その時は熱が出ていて、毎日通院して点滴を受けていたのでそれどころではありませんでした。結局去年は小雨で中止になったそうですが、今年は体調を整えてぜひ参加したいと思っていました。昨日は家でゆっくり静養して、今日に備えました。

 昨日から「明日は友達と緑地公園にお出かけするよ。」と話していました。今日は朝から目をランランとさせてともちゃんがはりきっているのがわかります。バーべーキュー広場を予約したのが12時からだということだったので、ともちゃんは午前中の昼寝を済ませてから家を出発することにしました。

 10時半、お父さんに抱っこされてともちゃんは目が細くなってきました。もう寝るなと安心したお父さんも、ともちゃんを抱っこしたままウトウト。するとともちゃんは目をぱっちりと開けて知らん顔。しばらくして目覚めたお父さんが「ともちゃんももう起きたのなら出発しよう。」と言いましたが、一部始終をお母さんに見られていました。選手交代で今度はお母さんと昼寝です。お母さんが抱っこしても、ともちゃんはニコニコ笑って首を持ち上げてきます。結局時間切れとなって家を出発しました。

 少し風が強くてシートを敷くのが大変でしたが、秋晴れの良い天気です。ともちゃんは一足お先に、お父さんにお粥ペースト弁当を食べさせてもらい始めました。青空の下で友達の気配を感じながら食べるお弁当はおいしかったのか、しっかりと食べています。お母さんは肉や野菜を焼くのを手伝っています。ともちゃんの友達にはバーベキューを食べられる子は少なくて、みんなそれぞれの食事をしています。お好み焼きを持ってきた子もいました。近くの食堂へカレーライスを食べに行った子もいました。バーベーキューといっしょに焼いた焼きそばを食べる子もいました。いつも一番元気なお友達は、テーブルの下の熱い部分に指を触れてやけどをしてしまい、元気がなくて気の毒でした。

 午前中昼寝をせずに昼食にしたので、ともちゃんは食後の昼寝をしなければなりません。木陰で抱っこして寝る体制に入ったのですが、お父さんが抱っこしても、お母さんが抱っこしても、目をランランと輝かせて、「こんなところで寝てられませんよ。」というように笑顔でキョロキョロしています。しかたなく、ここでの昼寝はあきらめました。

 ともちゃんを寝かそうとしている間にも、どんどん肉や野菜や焼きそばは焼けてきます。ともちゃんのお父さんもお母さんも、交替でお腹いっぱい食べました。ともちゃんやバーベーキューを食べられない友達にも屋外で料理をする匂いや気配は伝わったでしょう。そしてなによりも学校が休みの日なのに、友達と一緒ににぎやかな中で昼食が食べられたことは楽しかったと思います。昼寝をしなかったともちゃんは、解散後は早く家に帰りました。

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1997年10月22日(水)

今年もなかよし音楽会に参加します。ともちゃんは9月の長い欠席の後もなかなかスクールバスで登校できません。それで、朝の会の後にある音楽会の練習にはほとんど参加できませんでした。昨日初めて楽器(今年は先生の手作り楽器です)を持って練習に参加しましたが、緊張で少し手が硬かったということでした。

 今日は音楽会ですが、嫌な予想通りに朝けいれん発作が出てしまいました。この頃強いけいれん発作は約1週間ごとに起こっています。「もし、けいれんが起こった場合は直接市民会館へ行きます。」と先生には話していました。けいれん発作は朝5時の起きがけに起こりました。そのまま30分ぐらいウトウトした後、1時間近くぐっすり眠り、すっきりした顔で起きてきました。

 今日はお父さんは出張で朝6時に家を出てしまいました。ともちゃんの朝食やお弁当、朝の薬や吸入の準備はすべてできているものの、お母さん一人ではともちゃんの世話と登校の準備が並行してできないので、間に合うかどうか心配でした。お母さんがあせるのは、ともちゃんにとっては良くありません。ところが、どうでしょう。やっぱり、ともちゃんは今日は何があるのか分かっているのでしょうか。今までにないハイパースで薬や牛乳も飲みました。朝御飯のお粥も含めて1時間半でともちゃんの予定はすべて完了しました。この早さは新記録です。この後、ゆっくりお母さんは登校準備をすることができました。

 ともちゃんが市民会館に到着したのは、みんなが到着した直後でした。迎えに来てくれた先生とともちゃんは指定された席へ行きました。お母さんは後ろの方の保護者席に行って見ていました。お母さんの席からは最前列の前にバギーを止めたともちゃんの顔が斜めに小さく見えます。おとなしく他の学校の演奏を聴いているようです。首を動かしたり、口を開けている(たぶん、笑っていた)のも見えました。

 今年の養護学校の曲目は「世界中の子どもたちが」と「どんな人が好きですか」です。最初みんなが一斉に舞台に並んで、それから始まると思っていたお母さん達の予想は大はずれ。最初は大太鼓とシンバルの友達だけが舞台の真ん中に出ていて、他のみんなは楽器を演奏しながら(バギーに乗って)行進して出てきました。ともちゃんはずっと好きな方向である右側に顔を傾けています。ちょっと緊張しているのかもしれません。ともちゃんのひよこのような厚くて小さくて尖った口が見えます。笑顔ではありませんが、良い顔つきです。

 2曲目の「どんな人が好きですか」は身体表現ということです。ともちゃんの先生がマイクで観客席に向かって「・・・トントンとして下さいね。」と動作を付けて説明していると、タイミング良くともちゃんも手足をにゅーと延ばして手首をぶるぶるとしていました。お母さんは思わず笑ってしまいました。みんな鈴の付いたバトンで先生とトントン(しゃんしゃん)していました。客席の他の子供達にも大好評でみんなトントンと大騒ぎで大いに盛り上がっていました。ともちゃんはすましてひよこの口をしていました。

 こうして、なかよし音楽会も何とか参加できました。この秋の行事はいつもぎりぎりで参加しています。それにしても、遠足の時といい、今回といい、ともちゃんは学校での話をしっかり聞いていて今日は楽しい行事があるということがわかっているのではないかと思ってしまいます。

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1997年11月2日(日)

ともちゃんも「ふれ愛ピック大阪」の開会式に学校行事として参加しました。大阪の養護学校の生徒が集まって団体演技をするのです。高等部のお兄さんお姉さんはほとんどが河内音頭を踊ります。小学部は歩けるお友達が一人、大阪の街と川と橋と人を表す団体演技の通行人の役で出場しましが、その他のお友達はともちゃんと一緒に観客席で開会式のお祭り気分を全身で感じるという形での参加です。

 ともちゃん達の出場については先生方も悩まれたようで、「予行演習を見たら(ともちゃん達も全員演技に)出場できたのに。」と残念がっておられました。お母さんはともちゃんにできるだけいろんな経験をさせてあげたいと思っていますが、出場まで隣の競技場で待機時間があるなどともちゃんにとっての負担もあるので、見学参加でもいいかと思っています。ともちゃん自身が楽しめるということが一番です。

 団体演技に間に合うように学校を出発するので、スクールバスはいつもより30分早く出ます。ともちゃんはこれに間に合うはずはありません。開会式のある陸上競技場まで直接お父さんの運転する車で行きました。競技場への到着時間と先生の携帯電話の番号を聞いていましたので、みんなと同じくらいに到着できるように頑張って出発しました。スクールバスが利用すると思った高速道路を通って、前方にバスがいないか探しながら行きました。

 高速道路も降りて競技場近くの道で信号で止まったとき、なんと隣に止まっているバスはともちゃんの養護学校のバスではありませんか。ともちゃんの通学コースのバスに小学部は乗ると聞いています。このバスはともちゃんのコースのバスではありませんが、お母さんはうれしくなって、車の中から先生の携帯電話に電話をかけました。小学部のバスは少し遅れているということですが、ほとんど同時に着きそうです。

 競技場のある公園内は交通規制があり車は入れません。事情を説明してバギーを降ろし、お祭りの雰囲気が漂う公園内をバギーで横切って来たので、結局はともちゃんの方が遅くなりました。養護学校関係の見学ゾーンに入り車椅子固定スペースにバギーを止めてみんなで並んで見学しました。固定スペースは大変狭くて、子供達も先生も一緒に見学する親も一度入るとほとんど身動きがとれません。ともちゃんの様子によってときどき膝に抱いたりしながらゆったりと見学できると思っていたお母さんはあてがはずれてしまいました。

 演技が始まりました。大きな競技場の観客席から見ていても、ともちゃんのお友達はすぐに分かりました。養護学校の名前を書いたプラカードを持っています。お母さんは大声でお友達の名前を呼んで旗を降ったので、ともちゃんにも賑やかな雰囲気は伝わったことでしょう。みんなでお弁当を食べているとき、演技に出たお友達に「(みんなが応援した)声は聞こえた?」と聞きました。演技に付き添っていた先生が「競技場内は大きな鍋の底みたいなもので、上の方でわーっとした歓声が響いているだけで、言葉は全然聞こえないのです。」とおっしゃっていました。

 それなら、ともちゃんにもそういう臨場感を味あわせてあげたかったと思います。狭い車椅子固定スペースで見学しながら、お母さん達は「反対側のゾーンは空席がたくさんある。」とか「フィールド内にも席が設けてあるけど、観客席の椅子が邪魔なら、フィールド内に車椅子スペースを作ってくれたら良かったのに。」などと話していました。フィールド内に車椅子見学スペースを作ってくれたら、ともちゃん達は演技をしなくてももっと臨場感が味わえたでしょう。

 ともちゃんもお母さんも、これほど多くの様々な障害者が参加した行事に出席したのは初めてでした。主催者側も多くの障害者が不便を感じないように多くのボランティアを動員したり、様々な配慮をしていると聞いています。けれども、残念ながらともちゃん達には役に立ちませんでした。お母さんがバギーを押して公園内を歩いているとき、ボランティアさんが「車椅子押しましょうか。」と声をかけてくれました。でも、バギーを押すことは特に負担でもなく、待ち合せ場所に急いでいるお母さんにとっては必要ないのでお礼を言って断りました。

 それよりも、見学している障害者がたくさんいるということをもっと知って欲しかったと思います。障害者の祭典に参加しているのは、競技に出場する人や演技をしている人たちだけではありません。障害の状態によって様々な参加の仕方があるのです。もちろん見学者も開会式の立派な主役です。車椅子固定スペースは数も少なく、このスペースに入れたともちゃん達は幸運でしたが、何人もの車椅子の方が場所を確保できないために、すぐには観客席に入れずに待機していたと聞きます。

 また、ともちゃん達のいる車椅子スペースの前は入り口からつながる通路になっています。ともちゃん達がいた養護学校関係の見学ゾーンは最上列まで観客で埋まっているので(他のゾーンはそんなことはないのに)、多くの人が通路に立って見学しようとします。ここで見学されると、車椅子のともちゃん達にはフィールド内の様子が全く見えなくなります。それで、お母さんは何回も退いてもらうように後ろから声をかけました。けれども、退いて下さった方も障害を持っておられたときは、お母さんの心が痛みました。不自由な体で空席を探して階段を上まで上るは大変だからです。

 全てのゾーンの通路付近を(応援ボランティア等の健常者ではなくて)障害者席として優先的にゆとりをもって確保して欲しかったと思います。また、車椅子スペースを介助者用の椅子と共にフィールド内に設けて欲しかったと思います。様々な障害者の様々なニーズを社会に向けて伝えることの重要さをつくづく感じたお母さんでした。

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1997年11月11日(火)

最近、ともちゃんも靴を履くようになりました。今までは、見かけにとらわれずにともちゃん自身が楽な方がいいと思っていたことや、バギーで出かけたときに周囲の人に歩くことができる(立つことができる)子供だと思われると困るということで靴は履いたことがありませんでした。冬は分厚い靴下を何枚も履いていました。けれども、足首の変形を防ぐためにも、足を衝撃や寒さから保護するためにも、障害児でも靴を履いた方がいいと学校で勧められていました。

 リハビリのために病院を受診したとき、訓練の先生に相談してみました。うまい具合に訓練室には子供用のおすすめの形の靴が各サイズ揃っていました。底がしっかりしていて甲の部分は柔らかい足首まで編み上げの形が良いそうです。履いてみると15cmの靴がぴったりでした。見かけもかっこいいのです。たまたまこのサイズは編み上げ部分が2段のマジックテープになっているので、着脱もとても楽です。次の休日にさっそくこの靴を探しに行きました。

 梅田のスポーツ用品専門店の靴売場、百貨店の子供靴売場、近くの商店街で一番大きな靴屋さんと、ともちゃんも一緒に探しに行きました。病院で履いた靴は古いタイプで今はもう販売していないと言うことでした。でも、足首までしっかりと覆うタイプの靴はいくつかあり、ともちゃんは試しにいくつも履いてみました。デザインがかわいいと甲の部分の素材が硬い、病院でいいと聞いてきたおすすめ定番商品はデザインがシンプルすぎると一長一短でその日は買わずに帰ってきました。

 家で靴の話をするとともちゃんはニコニコでとてもうれしそうです。結局硬くてともちゃんには履けなかったのですが、お友達も履いているピカピカと発光ダイオードが光る靴の話をしたときが一番うれしそうでした。百貨店にあったミニーさんがついているピンクの靴と、商店街の靴屋さんにあった病院おすすめの定番商品の靴(ここには珍しくピンク色が、15cmのサイズまでならあるとのこと)とで迷いました。結局ミニーさんの靴はもっと足が大きくなっても買うことができるので、商店街でシンプルなピンクの靴を買いました。

 この靴は紐で編み上げていって足首だけがマジックテープです。ともちゃんがミニーさんの靴も(デザインが派手なので)好きだったようなので、靴紐に通してつける幼児用の靴アクセサリーのベビーミッキーさんをこの靴につけました。とてもかわいい靴になりました。初めて靴を履いて学校に行く日、朝バギーに乗って靴を履かせるととてもうれしそうでした。

 以来、ともちゃんは靴を履いて登校しています。先生からは紐の部分が履かせにくいのでゴムにしてはどうですかというアドバイスももらいました。ピンクのゴムも探してきて下さいました。ゴムに付け替えるとき、今度はキティちゃんをゴムに通して付けてみました。このキティちゃんは弁当箱用のゴムバンドについていたものを外したものです。現在のともちゃんの靴はキティちゃんの靴です。えっ、ベビーミッキーさんはどうしたのかですって。家で大切にされて次の出番を待っています。

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1997年11月17日(月)

 1学期末14.3kgまで増えていたともちゃんの体重が11月の体重測定では13.3kgに減ってしまいました。一気に減ったのではなくて、夏以降徐々に減ってきたのです。9月に体調を壊したせいもあるでしょうが、それだけではなさそうです。ひょっとしたら、お粥の量が足らなくなったのではないでしょうか。

 ともちゃんは亡くなったおじいちゃんにもらった0.5合炊きのお粥炊き器でお粥を炊いています。朝炊きあがった0.5合のお米で炊いたお粥を1日3食かかって食べていました。長い間1日に0.5合のお粥を食べることはできなかったのですが、学校に通うようになってからはだんだんと食欲も出てきました。1年生の時の「夏休みの生活(生活記録帳)」に「体調の良い日には0.5合のお粥を全部たべられます。」と書いたことを覚えています。

 お粥の量が順調に増えている頃から、低迷していた体重も順調に増えだしたように思います。この体重の体を維持するのに0.5合のお粥では足らないのかもしれません。この半月程の間にともちゃんにも食欲の秋が来たようで、食欲も旺盛で食事も短時間にたくさんの量を食べられるようになってきました。ちょうど良い機会なので、1合炊きのお粥炊き器を買うことにしました。

 大きなスーパーを始め色々探してみましたが、お粥炊き器で1合炊きのものは見あたりません。どうも、0.5合というのが大人1人の1食のお粥の標準的な量ということらしいのです。ともちゃんのように1日分を1回で炊く人は珍しいようです。仕方がないので3合炊きの炊飯器をともちゃん専用に買いました。これにはお粥モードがついていて1度にちょうど1合のお粥を炊くことができます。

 炊きあがったお粥は今までのものより少し粘り気が強そうです。でもミキサーにかけるといつもと同じ様なペーストになり、ともちゃんは意欲的に食べてくれました。朝食も昼食もいつもより少し多めにお粥を入れましたが、全部食べてくれました。うれしくなって夕食も多めにお粥をよそったら、炊飯器の中には少ししか残って居ません。急に量を増やすのは良くないので、少し食べ残すことにしましたが、0.7か0.8合は食べたことになります。ともちゃんの細いお腹も膨れていて、大きなげっぷもしていました。この頃は毎日これくらいの食欲です。12月の体重測定が楽しみです。

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1997年11月30日(日)

今年のむつみ祭(文化祭)はともちゃんがウサギになります。劇の題名は「大きなおいも」ということですが、内容はお母さんも知りません。先日用事でお母さんが学校を訪れたときも劇の練習中だったのですが、先生から「秘密ですので、見に来てはダメです。楽しみがなくなりますよ。」と言われて我慢していました。

 連絡帳に「みんなでおいもを引っ張るときにニコニコしていました。」と書かれていたり、「ともちゃんが1番に出てきますよ。」、「みんなでおいもを食べる(演技をする)とき、ともちゃんは(先生方の迫真の演技に本当に食事をすると勘違いしているのか)本当に口をもごもご動かしていました。」などと教えてもらったり、ともちゃんの衣装を見せてもらったり、他の友達の役を聞いたりしているうちに、大体のストーリーは想像できたのですが、家族みんなで本番を楽しみにしていました。

 ちょっと体調が低下気味のともちゃんは、お父さんの運転する車で少し遅れて学校に出発しましたが、到着したのはスクールバスとほとんど同時刻でした。みんなと一緒に準備ができます。ともちゃんは赤いトレーナを着てピンクのズボンを履いています。その上から先生手作りのウサギの耳が付いたピンクの帽子、帽子と同色の上着、白色のブルマー型のパンツを着けます。ピンク色のウサギさんです。今年は全体に衣装が去年よりも凝っていて、クマの耳が付いた頭巾やライオンのたてがみ、それにモグラの耳が付いた帽子もみんな布で作られています。

 「大きなおいも」のお話が始まりました。ともちゃんの登場です。ウサギさんの植えたおいもが大きく育ちました。あんまり大きくなってウサギさん一人の力では抜けません。それで、ライオンさんとカモメさんと力持ちのクマさんに手伝ってもらいましたが、なかなか抜けません。それには理由がありました。地中の様子を見てみると4匹のモグラさんがおいもを渡すまいとして、ブルトーザーまで使って抵抗していたのです。ウサギさん達が勝って大きなおいもが抜けましたが、一緒にもぐらさん達も出てきました。モグラさんにもおいもの料理を分けてあげて、一緒に食べました。それで、めでたし、めでたし、なのですが、幕が引かれて暗くなった舞台の中から大きなおならの音がして、「うわ、くさーい。」という声がたくさん聞こえました。

 ともちゃんは全般にやや緊張した様子でした。首もきょろきょろせずに、好きな方向の右ばかり向いていました。でも、1度だけみんなでおいもを引っ張るところではニコニコ笑っていました。「うんとこしょ、どっこいしょ。」というリズムが楽しく感じたのでしょうか。それから、順番においも料理をモグラさんにも分けてあげて、みんなでおいもを食べる場面では、今日も口をもごもご、ぺろぺろとしています。友達の中には偽物のスイートポテトをなめている子もいました。でも、ともちゃんは弱視だし、蒸かしいも(の偽物)を持っていることを認識する能力はまだないと思うのに、不思議です。このところ食欲が旺盛で、給食前の昼寝の時や帰りのバスの中でも口をもごもごさせることが多いのです。やはり食事の場面を連想して、お腹が空いたようです。

 自分の演技のときは緊張気味のともちゃんでしたが、オープニングとエンディングでは大喜びでした。今年のオープニングは有志の先生達のバンド演奏と歌でしたが、ともちゃんは大きな口を開けて笑って聞いていました。昼食後ともちゃんは教室で遠くに賑やかなざわめきを聞きながら、先生と昼寝をしていました。目覚めたときに先生が「ともちゃん、これからエンディングに参加しようか。」と聞くと、目がらんらんと輝き笑顔で答えていたそうです。エンディング最後の河内音頭をみんなで踊っているときに、ともちゃんも参加でしました。先生に抱っこしてももらって踊りの輪に加わりましたが、満面の笑顔で楽しくてたまらないという様子でした。昨年はずっと昼寝をしていて参加できなかった河内音頭ですが、今年は十分楽しめてよかったね。

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1997年12月25日(木)

ともちゃんは、12月は体調を崩してあまり登校することができませんでした。喘息が出たとか、熱が出たとか、大きなけいれん発作が起こったとか、そういうことではありません。朝の予定(飲んだり食べたり)がなかなか終らず、やっと終ったときは疲れてぐったりしているのです。病院で採血して検査してもらいましたが、特に悪いところはなく、けいれん止めの薬の血中濃度も最適値ということでした。

 元気な子供なら、少し無理をしても登校すれば気分も変わるかもしれません。でも、体力もなく、体の機能も毎日生きていくことで精一杯のともちゃんは、いつもと様子が違うということが不調の前触れかもしれず、無理は禁物です。それでお母さんは慎重になってしまい、楽しみにしていたお餅つきも欠席しました。2学期も残りわずかという頃になって、朝の予定は遅いものの学校に行く元気が出て、遅刻しながらも登校できるようになりました。

 結局何が原因だったのか分かりません。水分の摂取量が減ると、けいれん止めの薬の血中濃度が急激に増えることがあるそうです。秋になって水分の摂取量が減ったので、その影響かとも思いました。薬の量は一定なのに、10月から12月まで少しずつ血中濃度が増加を続けています。でも、増加後の血中濃度も最適値の範囲内で、影響が出ることはないとのことでした。ただ、ともちゃんは薬の量をわずかに増やしても、薬の種類を変えても、体がそれに慣れるまで一時的に不調になります。何か薬の影響があったのかもしれません。

 遅刻はしましたが、2学期も終業式に出席することができました。通知票ももらいました。「生活」、「グループ学習」、「音楽」、「図工」、「体育」、「養護・訓練」、「感覚遊び」のそれぞれの学習内容のページや、「総合所見」のページには細かい字でともちゃんの様子がびっしりと書かれています。個人懇談の時に先生から「ともちゃんの昼寝の時間と体育の時間が重なってしまったのと、運動会の前の練習の頃ずっと休んでいたのとで、体育はほとんど参加できなかったのです。」と言われていましたが、「体育」のページにも運動会の時のことをたくさん書いてもらっていました。

 養護学校の通知票の表紙には通知票ではなくて「あゆみ」と書かれているのですが、本当にともちゃんの学校生活の記録です。その学期にあったことを思い出しながら読むのは楽しみです。さて出欠の記録、2学期は48勝(出席)38敗(欠席)で辛くも勝ち越し。でも、この中には30分だけ登校した日もちゃんと出席としてカウントされているのです。この日は、登校してしばらくしたら終りの会で、終りの会にだけ出席したようなもの。でも、ともちゃんは、友達や学校の気配にうれしそうでした。小学部は少しでも登校すれば出席になるのです。

 今日から無事冬休みに入りました。ちょうど今日はクリスマスです。今年はツリーを出すことはできませんでしたが、先生からもらったクリスマスカード(クリスマスソングのメロディが流れ、光が輝きます)を見せてあげると、ともちゃんはにこにこうれしそうです。サンタさんもプレゼントを置いていってくれました。ともちゃんには中国服を着た大きなキティちゃんのぬいぐるみ、お姉ちゃんにはバスケットボールです。

 今年のクリスマス、ともちゃんのところにはキティちゃんがいっぱいです。一足先に西宮のおばあちゃんからもバルーン地の大きなキティちゃんのぬいぐるみをもらいました。ともちゃんは2匹の大きなキティちゃんを「ほほー」とした顔つきでキョロキョロと見比べています。のばした腕が届いてキティちゃんが倒れると笑っていました。そして、生協で注文していたともちゃん自身が着るキティちゃんの着ぐるみ防寒着も届きました。京都のおばあちゃんには学校で使うキティちゃんの柄の毛布をお願いしています。たくさんのキティちゃんと元気で冬休みを過ごしましょう。3学期は朝スクールバスで登校できるように体調やリズムも整えていきましょうね。

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