ともちゃん の日常8


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1997年12月以前(ともちゃんの日常7へ)

1998年1月

3日(土)
「初詣」

22日(木)
「新春お楽しみ会」

1998年2月

13日(金)
「インフルエンザ」

19日(木)
「みんなでボーリング」

23日(月)
「お好み焼き大会」

1998年3月

4日(水)
「先生とバスで下校」

6日(金)
「椅子で食事」

17日(火)
「欠席が続いて残念」

24日(火)
「2年生の終業式」

29日(日)
「近つ飛鳥博物館」

1998年4月以降(ともちゃんの日常9へ)


1998年1月3日(土)

今年は暖かくて過ごしやすいお正月でした。昨年の12月は体調を崩して学校も休むことが多かったともちゃんでしたが、すっかり元気になってお出かけを楽しみにしています。風邪をもらっては困るので、人混みは避けて市内の小さな神社ばかりを選んで初詣に行くことにしました。

 元旦に行ったのは養護学校の近くにある産須那(うぶすな)神社です。バギーに乗って外へ出ると大喜びのともちゃん。お父さんが運転する車の後部座席にお母さんに横抱きにされて乗り込むと、さえない表情をしています。「病院に行くのと違うやろなあ。」と思っているのかもしれません。年末にタクシーで病院に行った時も、こういう乗り方をしていました。それならスクールバスに乗るときのように前を向いて座ってみたらどうでしょう。お母さんが片足を座席にあげて膝を立てて横向きに座ります。お母さんの立て膝を背もたれにして、ともちゃんは前を向いて座らせてもらいました。もちろんお母さんは腕でしっかりとともちゃんを支えています。「これでどうや。」と話しかけると、ともちゃんはにこにこ顔です。やっぱり、前を向いて座るとこれからお出かけという気分になるのですね。

 学校の周りをぐるりと一周して、今年度末に完成予定の小中学部棟の様子を見てから神社に行きました。思ったより人出は多くて、次から次にお参りする人がやってきます。ガランガランという鈴の音が聞こえる度に、ともちゃんは口を開けて笑っています。参拝者がとぎれるのを待って、バギーのまま階段を上り、本殿にお参りしました。鈴の紐をさわらせてもらってお母さんにガランガランと鈴を鳴らせてもらいましたが、頭上でなった鈴は刺激が強すぎたのか、強ばった顔つきで聞いていました。この神社の子供用のお守り袋には、なんとキティちゃんが描かれているではありませんか。それも、ふつうのお守り袋のように織り柄として織り込まれていて、裏には神社の名前も織り込まれています。もちろん、ともちゃんも買いました。

 2日はともちゃんが赤ちゃんの時に住んでいたマンションの近くにある神社2か所に行きました。やっぱりガランガランという音には笑顔がでます。頭上の音も小さな音なら鳴る度に目をパシパシと瞬かせてこらえてから、にーっと笑います。最初にお参りしたのは高瀬神社で、それから商店街をぬけて守居神社まで行きました。お正月なのと朝早いのとで商店街を歩いている人は少なくて、ちょうどいい散歩になりました。お姉ちゃんにバギーを押してもらってとてもうれしそうでした。

 3日はお姉ちゃんのリクエストで佐太天神に行きました。ここは少し広くて境内を一回り散歩しました。佐太天神は市の北東の端にあります。帰りはともちゃんの家まで最短コースをとらずに路線バスのコースを走って校区めぐりをしながら帰ることにしました。天神さんからともちゃんの家までの間に住んでいるお友達は、ともちゃんとは別のスクールバスに乗って登校しているので、ともちゃんもお母さんもその家は知りません。お姉ちゃんも2年生のときの生活科で、歩いて校区めぐりをして友達の家を見に行きました。ともちゃんの校区は広いので車で回ろうというわけです。この辺りがTちゃんの家、この奥の方にKちゃんの家があるはず、あれがSちゃんのマンションなどと話しながら帰りました。

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1998年1月22日(木)

今日の授業参観は、保護者も参加しての新春お楽しみ会です。昨年末に「今年も小学部の親たちで主催した去年のようなクリスマス会をしたい。」とか、「今年は全員が参加できるように土曜日の午後に学校を会場にして開催すればいい。」とか、親の間では様々な意見が出ていました。でも、日程の都合がつかず、結局実現できませんでした。その話が学校にも伝わって、「新春お楽しみ会に親も一緒に出席しませんか。」とのお誘いをいただきました。

 ちょうどともちゃんが体調を崩して休んでいる間に、お母さん達の間でどんどん計画が煮詰まって、親の出し物やプレゼント交換をするということも決まりました。ともちゃんのお母さんは企画には参加できませんでしたが、できてきた計画を聞いて楽しみにしていました。親の出し物は、若い頃社交ダンスに熱中していたお母さんに指導してもらって、みんなでダンスを踊ることになりました。

 ともちゃんは今朝は4時に起きているので、いつまで体力が持つか心配です。歌、じゃんけんゲーム、先生の出し物のエプロンシアターと続き、いよいよお母さん達の出番です。懐かしいアメリカンポップスが流れる中、お母さん達はジルバを踊りました。自分で歩ける子供達はウキウキしています。車椅子の子供達もリズムに合わせて車椅子を押してもらい、みんなのダンスパーティとなって盛り上がりました。練習の時ほどうまく足が運べなかったともちゃんのお母さんもホッと安心です。

 休憩を挟んでお楽しみ会のメインプログラム、新春トーナメント紙相撲大会がありました。子供と親と担任の先生の3人で1組になって、画用紙でお相撲さんを作ります。3人で相談してそのお相撲さんのしこ名を決め、トーナメント戦に挑むのです。以前学校で相撲大会をしたときは、ともちゃんは「智の華」というしこ名で出場して、予想に反して優勝しました。その時は、先生の関わりやくすぐりで先に笑った方が勝ちという笑い相撲でした。

 この時のしこ名は、先生が「智の鼻」にしようか「智の華」にしようかと迷って、ともちゃんに尋ねたそうです。「智の鼻」では嫌な顔をしたということで、「智の華」に決まりました。「ともちゃんはキティちゃんが好きなので今度はキティにちなんだ名前はどうですか。でもキチィキチィ山では弱そうだしねえ。」と先生の提案です。「とものきちぃ」、「トモキティー・・・これではお相撲さんというより競馬の馬やなあ。」などいくつか名前を挙げてともちゃんの反応をみるのでが、どれもうれしそうな顔をしてくれません。

 それでお母さんがともちゃんの昔のあだ名「琴美水(ことみみず)」の話を先生にしました。実はともちゃんは赤ちゃんの頃に太っていた時期があって、このころ「琴美水」という弱そうなしこ名(あだ名)を持っていたのです。先生が「ともちゃん琴美水はどうや。」と訊くと、ともちゃんはなぜかニッコリ。しこ名は「琴美水」に決まりました。余談ですが、ともちゃんは昔も今も家ではたくさんのあだ名を持っていて、お父さんやお母さんやお姉ちゃんが作ったお話の主人公として活躍しています。

 次は画用紙を切りぬいてお相撲さんを作ります。先生が珍しいはさみを貸してくれました。普通に指を入れる穴からまだ先にもう一つ指を入れる穴がついているはさみです。子供は支点に近い側の穴、大人は遠い方の穴に指を入れて、一緒にはさみを使うものだそうです。「お母さん、ともちゃんと一緒に使ってみて下さい。ともちゃんの指はふわっと入れるだけでいいです。」といわれて使ってみましたが、お母さんにはうまく一緒に使えませんでした。ともちゃんは穴に片方の指を触れていただけで、ほとんどお母さんが一人で切りました。でも、こんなはさみを使っているとは知りませんでした。

 ともちゃんの対戦相手は同じ2年生ですが体重が50kgもある「ぽてち山」。対するともちゃんは、このお楽しみ会参加者の中では最軽量の14kg。行司をしていた先生が、思わず「小錦と舞の海の対戦やなあ。」先生が作った板の上の土俵に紙のお相撲さんを載せて、子供が(お母さんに介助されて)板をどんどんと振動させてお相撲さんを戦わせます。ともちゃんの場合はお母さんが抱っこして板に向かったのですが、腕がゆったりと延びず、土俵の板まで届きません。特別にお母さんと先生がどんどんと板をたたいてもよいということにしてもらいました。

 いつもならドンと一撃で勝負をつけてしまいそうなお友達も、今日は気分がのらないのかそっとたたいています。琴美水が俵の上に足をかけてしまいましたが、トントントンとうまく移動させて持ち直しました。ともちゃん側のお母さん、先生連合の小刻みな攻撃で2人のお相撲さんはそれぞれに土俵の中をうろうろしてなかなか勝負がつきません。そこへ先生のドンと大きな一撃、倒れたのは琴美水の方でした。うーん、残念。でも、ともちゃんは眠さもあってぐったりと疲れたようです。これを機会に先生に抱っこされて昼寝の体制に入りました。

 相撲大会はともちゃんがウトウトしている間も続いています。お母さんの方がエキサイトして、抱っこした子供の足でどんどんと板をたたいているチームもあります。興奮の中で優勝者が決まり、最後のプログラム、プレゼント交換になりました。ともちゃんはウトウトしているのでお母さんが代わりに交換しました。円形になって音楽のなっている間にプレゼントを隣にまわして、音楽がなったときに手元にあるものをもらいます。ともちゃんがもらったのはそれぞれ色の違うかわいい5匹の熊の箸置きでした。

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1998年2月13日(金)

 とうとうともちゃんもインフルエンザにかかってしまいました。1月31日の夜、寝入るときから痰がゴロゴロいっていたので、気になっていました。夜中に眠りが浅くなり、硬直のけいれん発作が起こりました。その後全身をガクガクガクと震わせていました。熱をはかると40.2度もありました。ずっと眠りが浅く、しんどそうなうめき声をあげるので、朝まで抱っこしていました。

 翌2月1日(日)は養護学校の作品展で家族で楽しみにしていましたが、それどころではありません。病院の時間外診療に行って、200ccの点滴を2本して帰ってきました。帰りの車の中でともちゃんの黒目が左に寄ったまま動きません。特に右目はほとんど白目になるくらいひどく左に寄っています。「ともちゃん、ともちゃん。」と声をかけるとそれに反応して一瞬両方の目玉が動くのですが、左右の黒目の間隔がせまく寄り目になっていて、右側の黒目は目の中央にすら戻ってきません。

 「インフルエンザから髄膜炎や脳膜炎を併発する。」という言葉を思いだし、このまま病院に引き返そうかとも思いました。しかしマンションの下まで戻ってきたので、いったん家に入って落ちついた状態でともちゃんを観察することにしました。呼びかけに対する反応もあり、呼吸も普通にしていますが、相変わらず左右の黒目の間隔は狭いままで、黒目は左に寄って落ちついています。もう30分くらいこの状態です。

 病院に電話をして神経外来の主治医の先生に連絡をとってもらいました。「熱が高いのでけいれんを起こしやすくなっていると思います。目が寄っているのも、いつものてんかんによるけいれん(ともちゃんには硬直やガクガクする大きな全身のけいれん発作の他に、目玉が左右にチラチラするけいれん発作もあります)だと思うので、とりあえずけいれん止めのダイアップ座薬を入れて様子を見てみて下さい。」と言われました。

 座薬を入れて寝かそうとしました。抱っこでとんとんするのですがなかなか寝てくれません。そのうちにだんだんと、固まっていたのが解凍されるように目玉の動きがスムーズになってきました。やっと一安心です。それで眠くなる前に抗生剤やけいれん止めの薬を飲みました。もう1つの粒々のけいれん止めの薬(いつもはココアプリンや牛乳プリンに混ぜて食べます)は飲めずに眠くなってしまいました。

 いつも7時頃には寝室に行くともちゃんです。座薬の効果が表れて、眠ったまま目覚めずに夜の睡眠に入りました。それで、主治医の先生から「どうですか。」と再び電話をもらったときにはぐっすりと眠っていました。粒々のけいれん止めが飲めなかったことについては、明け方にもう一度座薬を入れればよいと言うことでした。ともちゃんはずっとお父さんの抱っこで眠りました。熱があって眠りが浅い夜は、いままでもずっとお父さんに抱っこしてもらったまま朝まで眠るのです。

 熱は3日ほど続きましたが、順調に下がってきました。インフルエンザとしては通常の経過で入院もせずに済んでよかったです。熱が下がってからも、せきや痰が残って、自分で痰を出すことのできないともちゃんは鼻腔からの吸引を何度も行いました。いつもとは違う硬くて黄色い痰が出ていました。熱の有る間はなかった食欲も徐々に回復してきました。熱が下がってしばらくは食事を少しとっては疲れてウトウト眠る、起きたらまた少し食べるという生活をしていました。

 熱が下がってから一週間かけて、食事にかかる時間や食事の量、昼寝の時間などがだんだんと元気なときの状態に戻ってきました。一昨日よりやっと普通の生活のペースになり、昨日はリハビリの病院に行くことが出来ました。リハビリの病院で子供の声を聞いたともちゃんはとてもうれしそうな笑顔をしていました。爛々とした目の輝きも戻ってきました。そして、今日からスクールバスで大好きな学校に登校することができました。

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1998年2月19日(木)

今日は校外学習です。学校からスクールバスで15分くらいのところにあるボーリング場に行きます。先生の作ってくれた木製のスロープを持参して、車椅子の前に置いたスロープの上からボウルを転がして、ボーリングを楽しむのです。このようにして楽しむボーリングは学校のクラブ活動の時間によくやっているし、去年の2月にも校外学習でボーリング場に行っています。でもそのときは、ともちゃんは牛乳を誤嚥して学校を休んでいました。それで、今回はぜひとも行きたいと思っていました。

 ともちゃんは朝に軽いけいれん発作があったものの、頑張ってスクールバスで登校しました。お母さんは必ず見に行くつもりで、「今回も現地で偶然会うかもしれませんね。」と先生に伝えています。ともちゃん達が学校を出発するのは健康観察などを終えた9時40分です。自転車のお母さんは、バスより少し早めに学校近くの公民館を出発してボーリング場へ向かいました。思っていたより随分早く着いてしまったお母さんは、まずはボーリング場の中に入って下見をしました。

 お母さんは「偶然会うかもしれません。」と先生にもことわっているし、緊急時にはいつでも駆けつけられるような状態でいたいと思っています。ただ、学校行事にべったりと同行するのではなくて、ともちゃんに気付かれないように距離をおいて潜んでいた方がいいとも思っています。でも、正直なところお母さん自身はともちゃん達の楽しそうな様子を見てみたくてたまりません。それで、こっそりと邪魔にならずに見学できる場所を探しました。

 1階のドアを入ると、すぐにレーンが並んでいます。車椅子で利用するにはとても便利そうです。このボーリング場は上の階にもレーンがあるらしく、1階にあるのは12レーン程度でこじんまりしています。ボーリング場内には、こっそりとともちゃん達を待っていることのできる場所はありません。しかたがないのでボーリング場の外をうろうろしていると、オレンジ色のバスが着いて子供達が降りてくるのが見えました。

 お母さんもボーリング場に入りました。先生が靴をはきかえているところだったので、静かに挨拶をして、レーンの後ろにある椅子に腰掛けて見学することにしました。ここには、ゲームの邪魔にならないところに高い丸テーブルがずらりと並んでいて、テーブルを囲んでいる椅子は飲食店のカウンター席のように高いものです。ゲームをしている人たちの頭越しに、ボウルのコースもピンの倒れる様子もよく見えます。お母さんはともちゃんがゲームをしているレーンの後ろに座ったのですが、養護学校が借りている4つのレーンの様子がどれもよくわかる特等席でした。

 ともちゃんの1投目、ボウルはうまくレーンの真ん中あたりを転がっていきますが、残念、勢いがなくて1ピン残ってしまいました。2投目、スペアはとれませんでした。ともちゃんは同じく車椅子に乗っているS君と同じレーンです。先生たちはともちゃんとS君の車椅子を順番にレーンの前に止めて、注意深くスロープをセットして、狙いを定めてボウルを転がしてくれるのですが、なかなか難しいようです。

 隣のレーンに目をやると浅い角度で溝に向かっていたボウルが溝に落ちる手前で緩やかにカーブしてレーンの真ん中に戻っていきます。曲がる魔球かと思ってよく見ると、溝には蓋がされていました。別のレーンでは元気なお友達が、ごとんとボウルをレーンに落しています。ボールはまず左の溝にぶつかり、次に右の溝にぶつかりしながら進んでいます。同じレーンの目の不自由なお友達も、この音には慣れっこになったようです。

 そのうちスペアやストライクをとるお友達が出てきて、所々で(先生の)歓声が上がっています。でも、ともちゃんは苦戦です。思うようにコントロールできないだけではなく、ゆっくりと転がるボウルには勢いがありません。1ゲーム目は71点でした。さあ、2ゲーム目です。こんどこそハイスコアを出したいと、もっと重いボールにしてみようとか、わざと溝を狙って跳ね返ることを利用しようとか、先生もいろいろ作戦を立ててくれました。でも、思うようにはいかずに73点で終わってしまいました。

 ゲームが終ってともちゃん達がレーンから引き上げて来たとき、お母さんが先生と少ししゃべりました。その声を聞いてともちゃんは「あれあれ」と言う顔でお母さんの声に気付いたようです。ともちゃんは順番を待っているときは緊張が強かったのですが、自分の番が来て、先生に「手をゆるゆるするよ。」と声をかけてもらうと、表情も手も緊張がゆるんだそうです。ちゃんと左右3本づつ6本の指をボウルに触れてゲームをしていたそうです。結果はともちゃんは8人中8位、S君は7位で、団体戦も4チーム中4位の成績でした。

 ともちゃんは個人8位と団体4位の賞状をもらって帰ってきました。お姉ちゃんは「8位っていうけど最下位やろう。」と言っていましたが、お父さんは「8位やったら入賞や。」と言ってくれました。去年初めて家族でボーリングをしたとき、ともちゃんのスコアは13でした。2回目で70台になるとはすごい進歩です。いや、これはともちゃんの両親と先生の技術の差かな。

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1998年2月23日(月)

 一昨日の土曜日、養護学校の中学部、高等部の人たちは地域の障害者の音楽会に参加したために夕方に下校しました。その振替えで今日は土曜日下校です。午後から学校に残っているのは小学部だけです。この機会を利用して、給食は止めにして、親も参加の調理実習がありました。

 メニューはお好み焼きです。中に入れる具を全てみじん切りにすれば、ともちゃん以外のお友達はみんな食べることができるからです。ともちゃんは当然お弁当にするのだと思っていたのですが、先生がともちゃんにも食べられる(アレルゲンの入っていない)お好み焼きを考えてくれました。

 子供達が買い物に行っている間、お母さん達は学部懇談会をして、11時から調理がスタートしました。お友達の中には、お母さん達の調理を見に来たり、先生に手を添えてもらってお手伝いをしている人もいます。でも、小麦粉にアレルギー反応を示すともちゃんは、小麦粉を吸い込むといけないので、出来上がるまで教室に避難していました。

 ともちゃん用のお好み焼きは、じゃがいもをすり下ろして、そこにみじん切りのキャベツやネギに豚肉を加えて混ぜて焼きます。他のお友達の材料でもあるキャベツ、ネギ、豚肉はともちゃんのアレルゲンのイカや玉子の汁が付かないように、最初に取り分けてもらいました。ともちゃん用のは、ともちゃんのお母さんがみんなと離れた場所で専用の包丁、まな板、ホットプレートを確保して作りました。

 みんなのものより一足早く良い匂いがして焼き上がりました。うまく裏返えすためと中までしっかりと火を通すためにごく薄く、小さく作りました。ともちゃんはウスターソースは食べても大丈夫なのですが、今回買ってきたお好み焼きソースにはオイスターソースが入っていると書かれています。それで、出来上がりにはトマトケチャップを少しかけました。少し試食したお母さんはフライドポテトの中に具が入っているような味だと思いました。おいしい味です。何人もの先生にも試食をしてもらいましたが、好評です。

 みんなの分も出来上がって、いよいよみんなで昼食です。みんなと一緒にともちゃんも先生に抱っこされてテーブルに着きました。ともちゃんは出来上がったともちゃん用のお好み焼きをさらにミキサーにかけてペースト状にして食べます。他のお友達はぱくぱく、むしゃむしゃとどんどん食べるのですが、ともちゃんはまず食前の薬を飲んでからゆっくりとスタートです。

 一匙目を口に入れると、嫌な顔をして少しコンコンとせき込みました。どうやらペーストの粘度が高くて、口の中でうまく処理できない様子です。お湯をくわえて緩いペーストにすると、こんどは上手に食べています。味も満足なようです。お腹も空いていたようで、どんどん口を開けて積極的に食べていました。お好み焼きペーストがほとんどなくなった頃、午前中昼寝をしなかったともちゃんは眠くなってきました。みんなはとうに食べ終わっています。いつもの半分くらいの量ですが、一応持参したお弁当はほとんど食べずにおしまいにしました。

 午後からは昼寝もして、終わりの会になりました。みんながお好み焼きの話をすると、司会役のともちゃんは口をむにゃむにゃと動かしていたそうです。きっともっとお好み焼きペーストを食べたかったのでしょうね。ともちゃんのメニューが一つ増えました。また家でも作ろうね。

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1998年3月4日(水)

 今年度もともちゃんはお母さんと一緒にオレンジ色のスクールバスで登校しました。最初は12名だったバスのお友達も今では8名になりました。高等部の元気なお姉さんやお兄さんは、その子の状態を見ながら徐々に自主通学に切り替えて行くからです。

 しっかりもののお姉さんと、お相撲が大好きで大相撲の開催期間中はいつも後ろで相撲の実況中継を再現してくれていたお兄さんは、早くから自主通学になりました。昨年末には、大きくなったらオレンジ色のバスの運転手になりたいと言っていたお兄さんと、一番賑やかなお兄さんが自主通学になって、少し寂しくなりました。でも、今までおとなしかったお兄さんがバスの中でたくさんお話をしてくれようになったので、ともちゃんもスクールバスに乗っているんだという楽しい気分で登校できます。

 自主通学の子供達の多くは、ともちゃんのお友達のY君のマンションの前のバス停から路線バスに乗ります。車椅子のY君はともちゃんと同じスクールバスを利用しています。お兄さん達が路線バスを待っているところへ、Y君の降車のためにオレンジバスが止まると大歓迎してくれます。バスに近寄ると危険なので、バスの先生から叱られたり、バスに触れないようにY君のお母さんや先生に捕まえられていたりもします。でも、スロープが上がり、ドアが閉まって、バスが発車するのを手を振りながら見送ってくれるときの顔は、どこか自主通学の誇りに溢れています。

 さて、ともちゃんです。2学期末の個人懇談で、先生から「バスの乗務体制もお願いしていきますし、緊急時の対応のマニュアル化も考えていきたいと思います。それとは別に、ともちゃん自身もお母さんと離れてバスに乗る練習を始めてはどうでしょうか。ともちゃんのバスでの様子も知りたいので、3学期になってともちゃんの体調も良く、先生も都合の良いときに先生が付き添って帰ってみてはどうでしょうか。」と言われました。先生が横について下さるなら、お母さんも大いに安心です。

 3学期になって、ともちゃんはもう3回、先生と帰りました。お母さんはバスの出発する直前にタクシーに乗って、ともちゃんの降りるバス停に先回りです。友達を降ろしながら、大きな車体で狭い道を回ってくるスクールバスに比べて、タクシーはずっと早く着きます。いつもバスに同乗しているお母さんには、お迎えのバスを待つ間がこんなに落ち着かないものとは分かりませんでした。随分待って、道の遠くにオレンジ色の影が見えたときはホッとしました。

 ともちゃんはバスの中では、「ふーっ」と声を出して(おしめに)おしっこをしたり、短い硬直のけいれん発作を起こしたり、ともちゃんが降りるバス停近くなる頃に眠くなってきたりといつもの様子を先生に見せていたそうです。ともちゃんもほんの少しお姉さんです。落ち着いている現状を維持していく方が、お母さんの心配は増えません。でも、危険は回避しながら、出来ることは少しずつ前に進めてみて様子を見るという姿勢も必要だとお母さんは自分に言い聞かせています。具合が悪そうならいつでも戻せばいいし、前に進めることによってともちゃんの新しい経験やそれによる良い結果が生じるかもしれません。

 様々な条件を整えた上で、ともちゃんも一人でバスに乗って、元気で楽しく登校できる日が来ればいいと思っています。けれども、予期せぬ緊急事態が生じたときには、いつでもすぐに対応できるように、お母さんは救急用品一式と携帯電話を持って自家用車で伴走しようと考えています。ともちゃんが先生とバスに乗るようになって、運転が下手なお母さんは両手でハンドルを握ったままで携帯電話で通話できるアンプとスピーカーのセットを日本橋で買ってきました。

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1998年3月6日(金)

 ともちゃんの1年生の時からの長期目標の一つに、「椅子に座って食事を食べさせてもらう」ということがあります。今はまだ抱っこして食べさせることができるけれど、体が大きくなってくると抱っこではともちゃん自身が窮屈になってきます。そうなったときに、急に椅子に座って食べるのではなくて、余裕のある今のうちにゆっくりと慣れていきたいと思っているのです。

 養護学校に入学してから通い始めたリハビリの病院で、昨年の夏休みからST(口腔内の訓練)を受け始めました。それまでは、ともちゃんはSTを受けたことがありませんでした。新生児で保育器に入っている間も幸いにも哺乳ビンを吸うことができたし、赤ちゃんの時に肺炎にかかって哺乳ビンが吸えなくなってからも、スポイドでミルクをぽとぽと口の中に落としてもらって時間をかけて飲むことができていたからです。

 1歳を過ぎてから普通に重湯から離乳食を始めました。家でも保育所でも、慎重に徐々に普通食に近付けたいと思っていました。けれども、この頃から喘息の発作が始まり、呼吸がしにくいのでともちゃんはよくむせました。粒があるとむせやすいともちゃんに無理のない食事をさせるために、保育所の先生が小型のフードミキサーを勧めてくれました。もう何台も使いつぶして、今でもともちゃんが愛用しているものです。

 ペースト状にすると食べやすく、体調の良いときはほとんどむせることもなくなりました。抱っこしてもらって、ペースト状の食事を食べさせてもらうというのが長年定着したともちゃんの食事スタイルです。それでも摂食の下手なともちゃんは、ちょっとしたことが誤嚥の原因になります。ともちゃんが養護学校に入学して、気分に少し余裕のできたお母さんは、他のお友達の食べる様子を観察したり、摂食指導の本を見たりして、ともちゃんにきちんと摂食指導を受けさせたいと考えていました。

 STの先生によると、口の中に流し込むような状態の時は上体を少し寝かせて顎をひいた姿勢が安全で、誤嚥しないのだそうです。ともちゃんの体調の良いときは、口の中のものを上手に食道に運べているので、それよりも上体を起こした状態(椅子に座った姿勢)で食べる方がより良いとのことでした。そして椅子で食べる練習も始めました。椅子に座ってといっても、ともちゃんの場合は首を固定しなければならないので、お尻だけ椅子に座って首は介助者に支えてもらって食べるのです。

 椅子で食べさせるに当たって、お母さんには心配事がありました。ともちゃんが急にむせたり、けいれん発作が起こったりしたときにすぐに対応できるかということです。抱っこで食べさせているときは、ともちゃんの状態に応じて、即座に顔を横向けることも、背中をトントンたたくことも可能です。座位の取れないともちゃんを椅子に座らせるためには深く腰を入れて、たくさんのベルトで固定しなくてはなりません。はたして、それをさっと外して、ともちゃんを椅子からおろせるのでしょうか。

 ともちゃんは今まで抱っこしてもらっているという安心感の中で、落ち着いて食べることができていました。椅子に座ることで環境が変わり、よけいに誤嚥しやすくなるのではないかということも心配です。お母さんは、こういった心配をSTの先生に相談しました。その結果、ベルトを全て取り外したタンブルフォームという「いす」に座って食べる練習を始めることになりました。この「いす」では、浅いJ字型の溝にともちゃんがお尻を置き、おかあさんはともちゃんの肩に腕を回して首をコントロールしながらともちゃんを支えています。これなら即座にともちゃんを「いす」から降ろすことができます。ともちゃん自身はこの「いす」に座って、人の膝以外のものに座っても落ちついて緊張することなく食べる練習をしています。

 STを見に来て下さった先生から、学校の学習用の椅子でも一度食べてみませんかという提案がありました。学習用の椅子はともちゃんの座った形を型取って作ったので、ともちゃんがきっちり固定されているという印象がお母さんにはありました。でも先生が「そんなにきっちり収まっているわけではなく、ベルトをせずに座れば、すぐにともちゃんを降ろすことができますよ。おかあさんも実際に見てみませんか。」と言って下さるので、見せてもらうことにしました。

 今日ともちゃんは初めて学校で椅子に座って、少し食事をしてみました。お母さんが学校に行ったとき、ともちゃんは学習用の椅子に座って、先生に顎をコントロールしてもらいながら上手に食べていたのでびっくりしました。学習用の椅子は思っていたほどきっちりでもありませんでした。でもそれよりなにより、ともちゃんがもっと緊張するかと思っていたのに、意外に落ち着いていたのでうれしく思いました。その日の連絡帳には「ともちゃんはいろんな姿勢に対応できています。」と書いてありました。これから家でもタンブルフォームを購入する予定です。学校でも家でも無理せず、ぼちぼちと椅子での食事に慣れていきたいと思っています。

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1998年3月17日(火)

 先々週の土曜日、学校で先生から「ともちゃんの体温が少し高いので、今日の散歩は参加せずに教室で過ごしました。昼寝をさせようとしても寝ないし、元気にしているのですが・・・。インフルエンザが治って登校するようになってからも、全般に体温が高めの日が多く、それでも元気にしているので体質の変化でしょうかねえ。」というお話がありました。

 ともちゃんの体温は元々高めで、37.2度とか37.3度は絶好調、37.5度を越えると微熱かなという状態です。学校で37.5度を越えることが何回かあって、しばらくすると平熱(37度前半)に戻っているのだそうです。ともちゃんは体温調節が下手なので、夏には体温が高くなります。また、厚着をしてずっと抱っこをしていても、熱がこもって高くなることがあります。けれども、土曜日は寒の戻りで久しぶりに寒い日で、ともちゃんの手足は冷たかったということでした。

 土曜日の夜は少し寝苦しそうな声を出していました。日曜日の朝、少しともちゃんの体が熱いような気がして体温を測ると、38度。前日の学校での会話を聞いていて、微熱じゃないよと言わんばかりに熱が出てきました。食事も普通に摂れるし、熱もずっと38度辺りで高くなることもないので、月曜日の通常の診察を待って受診しました。のどが赤いということでした。熱は37度後半から38度になることもありましたが、食事が摂れなくなることはありませんでした。その後、のどに膿が付いており、採血の検査結果も悪いということが分かったので、しっかり抗生剤を飲んでいました。

 昨日の受診でのどもきれいになって、血液の炎症反応も白血球の数も正常に戻っていることが分かりました。これでやっと学校に行くことができます。3月の登校日も残り少なくなって、2年生の授業も残り僅かになってしまいました。ともちゃんの養護学校は来年度から全面開校になり、それに伴い府立養護学校の校区が変更されて新しくたくさんのお友達が転入してきます。きっと学校の雰囲気も変わることでしょう。大好きな今のクラスの雰囲気をできるだけたくさん味合わせてあげたいと思います。

 ところが、今朝は大きなけいれん発作が起きてしまいました。その後くたーっと30分程眠ったので、遅刻してでも登校できればいいと思ってお母さんはともちゃんの体調を観察しました。よく寝たのに、食事が摂れません。けいれんのダメージが強くて、まだしんどいようです。仕方ありません、無理は禁物。今日も欠席して家でゆっくり過ごしましょう。


1998年3月24日(火)

 残り少ない登校日を1日1日大切に登校した2年生も、とうとう終業式を迎えました。ともちゃんの学校での成長の様子がびっしりと書かれた通知票ももらいました。まずは気になる出席の記録から。今年度は140勝(出席)72敗(欠席)で楽々勝ち越しです。朝の体調が悪いとタクシーで遅刻登校するともちゃんにとって、総合所見欄に「昨年に比べてスクールバスで登校できる日が増えました。」と書いてもらえたこともうれしいことです。

 1学期は順調に出席できましたが、2学期と3学期は1度体調を崩すとなかなか登校できませんでした。まとめて2週間やそれ以上休むことが何回かあったのですが、それでも今年度も入院することなく過ごすことができました。重症心身障害児でも小学生の間は最も体調が安定するということを聞いたことがありますが、ともちゃんもその時期に入ったのかもしれません。この間に、来たるべき思春期の体調の不安定な時期を乗り越えるだけの体力を蓄えていきたいものです。

 インフルエンザの時は自宅で大活躍した吸引器ですが、今年度は学校では使わずに済みました。確かに自宅での使用頻度もぐんと減ってきて、以前は通院の度に病院で購入していた吸引用のカテーテルも、この頃は1度購入すると随分長い間購入することはありません。喘息もそろそろ治まってきたと書きたかったのですが、9月に起きた気道が狭くなる喘息のような症状に続いて、今春もこの数日間朝晩だけ喘息の発作が出ています。今のところ長時間続くことはありませんが、それでも油断は禁物です。

 学校行事では昨年参加できずに残念な思いをしていた校外学習のボーリングに参加できてよかったです。校外学習のボーリングの成績は8人中8位でしたが、3学期の間学校のクラブの時間に行っていたボーリングの総合成績はなんと1位でした。欠席や昼寝の時間でクラブに参加できる時間は少なかったのですが、参加したときは好成績だったためです。また、ともちゃんは後期のひまわり組の学級委員だったので、朝の会や終わりの会の司会を先生と一緒にいきいきした顔つきでやりました。

 3学期になってからは積極的に新しいことにチャレンジしました。1つ目は先生とバスで帰ったこと、2つ目は椅子に座って給食を食べさせてもらったことです。いずれも小学部の間の目標としていることですが、それに向かって1歩踏み出したという感じです。どちらも3年生になったからといって急激に進めることなく(特にバスに一人で乗ることについてはバスの方の条件も整ってから)、ゆっくりと時間をかけて、気が付いたら体調の良いときには一人でバスに乗ることができ、椅子に座って食事をすることができるようになればいいなと思います。

 今度登校するときは小学部は30人になり、新しいクラスになります。知的障害児が増えるので、学校の雰囲気もバスの中の様子も随分と賑やかになることでしょう。そんな中でも、ともちゃんは今までのようにのんびりと学校生活を楽しませてあげたいと思っています。「一人一人の障害の状態に合わせた教育をすることが養護学校の基本」とおっしゃっていた先生の言葉を胸に、期待と不安の入り交じった春休みを迎えます。

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1998年3月29日(日)

このところ、三角縁神獣鏡がたくさん発掘されたとか、キトラ古墳に天体図が描かれていたとか、考古学のニュースが相次いでありました。それでともちゃんも考古学に親しもうと、春休みのお出かけは「近つ飛鳥博物館」に出かけました。

 近つ飛鳥博物館は、ともちゃんが石川河川公園や錦織公園に出かけたときに通った国道170号線沿いにいくつも案内標識が出ていたので、一度行ってみたいと思っていました。博物館の周りは風土記の丘といって、100以上の古墳がある丘陵の散歩コースになっているのもともちゃんにはうれしいのです。

 標識の誘導に従って車椅子用の駐車場に車を止めると、1つの段差もなく博物館に入ることができました。身障者手帳を見せると、ともちゃんだけでなく付き添いのお父さんまで無料になりました。竣工が94年という新しい博物館は、館内もエレベータやスロープで構成されていて、車椅子でも全く不便を感じません。館内は広いのに見学者は少なくすいすい移動できます。

 ともちゃんの目の高さにある明るく大きな展示物の前では、「この(家型の石棺の)中にともちゃん、すっぽり入れそうやなあ。でも入ったら恐いなあ。」とか「こんな変な形の人(埴輪)がいるよ。」とか「こんな鏡にお顔が映るやろうか。」などと話しながら見学しました。ともちゃんは緊張した顔つきで見ていました。

 さて次は風土記の丘の散歩です。のどかな田舎の丘なのですが、遊歩道は舗装されて快適でした。5月の連休の頃のような日差しがぽかぽか、桜並木は満開、うぐいすをはじめ野鳥の声も聞こえます。なのにともちゃんは顔をしかめて、ときどきにゅーにゅーと伸び上がるように全身を突っ張っています。

 どうも暑いようです。ともちゃんの頭は熱くなっています。車椅子の日除けは細長く前に傾斜しているので、着けると景色が見えません。防寒カバーは着けたままですが、前を開けています。「車椅子は、シーティングをバギーにセットしたものに比べて通気性が悪く、夏は背中が熱くなりますよ。」と装具屋さんが言っていた言葉を思い出しました。日陰に入ってやっとともちゃんに笑顔が見られてほっとしましたが、夏が思いやられます。

 熱くてのどが渇いたかと思い、帰り道コンビニでヨーグルトを買ってともちゃんに食べさせようとしました。でも、ほとんど口を開けてくれません。それで、食べるのはやめにして、いつもの昼寝をするときの姿勢に抱き直しました。すると、ともちゃんはとてもうれしそう。疲れたときはこの姿勢が一番落ち着いてくつろげるのですね。ぐっすり眠ることはありませんでしたが、お母さんに体を預けて休んでいました。お母さんが顔をのぞき込むとにっこり笑顔が返ってきました。

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