ともちゃん の日常9


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1998年3月以前(ともちゃんの日常8へ)

1998年4月

8日(水)
「新学期が始まった」

16日(木)
「入院」

1998年5月

2日(土)
「再び入院」

12日(火)
「仕切り直して新学期」

23日(土)
「タンブルフォームでポケモンゲーム」

1998年6月

7日(日)
「なかよし運動会 '98」

12日(金)
「夕方のけいれん」

20日(土)
「ゴルフで交流」

25日(木)
「海遊館も平気だよ」

1998年7月

7日(火)
「夏風邪」

1998年7月21日以降(ともちゃんの日常10へ)


1998年4月8日(水)

 今日から新学期。ともちゃんは3年生です。今年度は、ともちゃんが通う養護学校の新しいスタートの年でもあり、ともちゃんにとってもお母さんにとっても不安や緊張感を抱えた去年とは違う新学期です。

 ここで少しともちゃんの養護学校について説明しましょう。ともちゃんの通う大阪府立M養護学校は、ともちゃんが入学した平成8年度に開校しました。前身はM市立養護学校で主にともちゃんのような重症心身障害児が中心の養護学校でした。府立になったとはいえ、平成8年度にできていたのは高等部棟のみで、小学部と中学部の校舎はまだ建設中でした。そのため、小中学部は市立養護と同じ規模の家族的な雰囲気の学校でした。

 昨年度末に小中学部棟が完成したので、今年度より全面開校になります。そうなると府立養護学校として新しく指定された校区割りに従って、多くの知的障害の子供たちが転入してきます。転入してくるお友達は、今まで府立N養護学校に通っていました。N養護学校は知的障害児の学校で、自分では動けないともちゃん達とは反対に多動の子供が多く、校風も教育内容もM養護学校とは大きく異なります。

 ともちゃん達には、ともちゃん達の生活のペースに従ったのんびりとした学校生活を送らせて欲しい。給食をはじめ必要不可欠な場面では1対1での介助を行って、安全には充分注意を払って欲しい。混合で行事をするときには、多動の子供に比べて自己主張することのないともちゃん達にも、主役になれる場面を意識的に作ってやって欲しい。全面開校に当たって、お母さんにはたくさんの心配事とお願いがあります。

 朝、早めにバス停に行きました。ともちゃんのバス停からは地域の養護学級から高等部に進学したお兄さんと、中学部に転入してきたお兄さんが新しく加わると聞いています。いつになく緊張して待っていると、新しく高等部に入学したお兄さんがお母さんと一緒にやってきました。ともちゃんを見るとお兄さんは車椅子のともちゃんの目の高さに身をかがめて、顔を近付けてごく自然に「おはよう」と声をかけてくれました。

 オレンジ色のバスが来ました。後ろの座席は中学部、高等部のお兄さん達ですでに満杯です。バスのお友達は全員で21人、介助の添乗員さんは2人に増えました。コースも少し遠回りになりました。スクールバスは1台増えて全部で5台になりました。学校に到着するとこの5台のバスが新しい校舎の玄関の門の中にきっちりと隙間なく並びました。昨年度、校舎の横の仮グラウンドにバスを止めて昇降していたときとは異なり、ぴりぴりした雰囲気が伝わってきます。

 ともちゃんはあすなろ組になりました。1階の2クラス(ひまわり組とあすなろ組)が主に重複障害がある子供のクラスです。ひまわり組が低学年(1年生4人、2年生1人)、あすなろ組が中、高学年(3年生2人、4年生1人、5年生2人)の構成です。2階は主に知的障害の子供達のクラスで低学年クラス、中学年クラス、高学年クラスの3クラスです。2階のクラスは人数に関係なく学年で分けているので、クラスの人数は3人から10人と幅があります。

 昨年ともちゃんの担任だった先生が、今年もクラス担任の一人として加わって下さると聞いて、ともちゃんもお母さんもまずは一安心。それでも、昨年とは校舎も教室も先生の配置も学校の雰囲気も違うし、別の学校に転校したような気持ちです。でも2年前も同じように不安な気持ちからスタートしたのですもの。今度もまたじっくりと時間をかけて、新しい先生にはともちゃんの様子を知ってもらい、ともちゃんは新しい学校に慣れて、楽しい学校生活を送って欲しいと思います。お母さんも心配事はどんどん学校に相談して、解決するようにしていきましょう。

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1998年4月16日(木)

 新しくなった学校でも、ともちゃんは頑張っていました。教室では「おーおー」と大きな声を出して存在をアピールしていました。低学年、高学年、ひまわり、あすなろの4クラス合同のざわざわ騒がしい音楽の時間でも、他の重複障害のお友達は圧倒されていたそうですが、ともちゃんは大きな口を開けて笑っていました。3日間登校して、金曜日はさすがに疲れが目立ってきました。あくびが何度も出て眠そうでした。

 土、日で疲れを回復してきますと言って下校したのですが、金曜の夕方から熱がだんだん高くなってきました。土曜日に時間外診療を受診したときは39度5分になっていました。気管支炎と診断されて点滴を1本打ってもらって帰りました。お父さんもお母さんもともちゃんが頑張って登校していたので疲れが出たのだろう、しばらく家で静養していればよくなるだろうと考えていました。

 夕食時、痰がごろごろ涌いてきてしんどそうなので、久しぶりに吸引をしようとしました。鼻腔からカテーテルを挿入しようとしましたがうまく入らず、上手に吸引することができません。そうこうしているうちに、ともちゃんの顔色が赤黒くなっているのに気が付きました。パルスオキシメータを取り付けるとともちゃんの動脈血中の酸素濃度は80%台です。あわてて酸素吸入を行うと顔色も良くなり、酸素濃度も100%になりました。ほっとして酸素吸入をやめると、酸素濃度は再び80%台に戻ってしまいます。

 何らかの呼吸困難な状況が生じたようです。原因不明のままでずっと酸素吸入を続けるわけにはいかないので、救急車を呼んで病院に行きました。救急車が来る間も酸素吸入をしていると血中酸素濃度は高いので、落ち着いて待つことができました。サイレンが近くなったのでお母さんが酸素マスクを着けたともちゃんを抱っこして、お父さんが1リットルの酸素ボンベを持ってマンションの玄関に降りました。

 病院に着きました。呼吸困難な状態が生じたこと、高熱とけいれん発作が起こっていることから入院することになりました。ともちゃんが入院するのは2年5ヶ月ぶりのことです。ともちゃんのかかりつけの病院は、今まで駐車場だった場所に新しい病棟が建設されたばかりです。小児病棟も3月にこの新館の2階に引っ越してきたところだということで、とてもきれいです。処置室で点滴などの処置をしてもらっている間に呼吸の方は落ち着いてきて、一時的に痰がつまったのでしょうということでした。

 入院した翌朝には熱も下がり、付き添いのお母さんの気持ちも随分楽になりました。後はどんどん痰が涌いてくるのをつまらせないように吸引してもらうことです。お母さんが家でしている吸引とは違って、看護婦さんの吸引はプロの技です。のどの奥までカテーテルを挿入して、喉頭蓋(気管と食道の分かれ目にある気管の蓋)を刺激することによって上手に咳をさせて、それで上がってきた痰を吸引するのです。これなら奥の方で痰がごろごろいっていても吸引することができます。

 熱が下がって、呼吸が落ち着いたともちゃんは、ともかくくたくたとよく眠りました。いつもなら抱っこしないと眠らないのに、ベッドに置かれたままで寝てしまいます。寝ころんだ姿勢で吸引されたら、そのまま疲れて眠ってしまったこともありました。それだけたくさんの疲れが溜っていたのでしょう。ゆっくり眠って回復して欲しいと思います。日に日に吸引する回数も少なくなって、抱っこしないと眠らなくなってきて、順調に回復しました。6日間の入院で今日退院することができました。

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1998年5月2日(土)

 退院してちょうど1週間後、ともちゃんは再び入院しました。気管支炎は治ったのに、また別の風邪に感染してしまい、高熱が続いたのです。気管支炎は順調に快方に向かい、「そろそろ登校したいけれども、いきなり明日の親子遠足で登校するのはしんどいかなあ。」と両親で話をしていた矢先でした。午後からの微熱がどんどん高くなり、夜には39度になりました。翌日はもちろん遠足どころではなくて、通院になってしまいました。

 診察では「喉が赤くなってきているので風邪でしょう。この喉の様子ではこれからまだ熱が続きますよ。」と言われて、点滴をして帰ってきました。前回の入院では熱は早く下がったので、お父さんもお母さんも熱に関しては楽観していて、痰をつめないように注意していればいいと考えていました。ともちゃんの呼吸音に注意して、パルスオキシメータも付けていました。幸い、ともちゃんの呼吸はずっと良い状態を保っていました。

 高熱が4日続き、もうそろそろ熱が下がるかと期待していたのに、熱は全く下がらずともちゃんはどんどん衰弱してきました。食事も全然とれません。鼻詰まりもあります。喉の様子では今日、明日くらいが山だろうということでした。しかし、炎症反応は高いし、熱が下がるころには痰もたくさん涌いてくると思われるので、体力のないともちゃんは入院も考えた方がいいかもしれないとのことでした。入院せずに済むのならそれに越したことはありません。それで今夜熱が下がらなければ、明日は入院しましょうということになって、点滴を2本して帰りました。

 しかし、帰宅してからも熱の下がる気配はなく、下痢まで始まったので、お母さんは心配で家で看ていられなくなりなりました。ともちゃんはいつも便秘気味で、下痢をするなんて何年もなかったことです。再び入院することになりました。これで何かあってもすぐに処置をしてもらえるので安心です。それに、入院するとずっと点滴をしているので、しんどくて食事ができなくても脱水になる心配をしなくても済みます。体力のないともちゃんは食事の心配をすることなくゆっくりと体を休めることに専念できます。

 下痢は風邪のせいだということで薬を出してもらいました。ずっと夜中も、ともちゃんの寝ている横に噴霧口を固定して生理食塩水の吸入をし続けてもらったおかげで、鼻詰まりも楽になってきました。熱の方は翌日から少しずつ解熱の座薬が効くようになってきました。それまでは座薬を入れても1度くらい熱が下がる程度でしたから、少し光が見えてきたという感じがしました。しかし、薬の効果が切れるとまた40度まで上がってしまいます。だんだん痰が涌いてきて、吸引も頻繁に行ってもらいました。

 吸入や吸引で呼吸が楽にできるようになるなど、入院して色々な処置をしてもらったお陰で、ともちゃんは体力を消耗しきってしまうということはありませんでした。下痢も止まりました。入院して3日目、解熱剤を使わなくても熱が下がり出しました。ようやく安心です。吸入、吸引をこのまま続けながら回復を待って、炎症反応がマイナスになれば点滴がとれて退院が見えてきます。入院の後半はゴールデンウィークに入り、お父さんの会社はずっと休みになったので、ともちゃんは昼間はお父さんと病院で過ごしました。ともちゃんの食欲も少しずつもどってきました。

 昨日、ようやく炎症反応がマイナスになり、点滴をはずしてもらいました。そして3連休を前に今日退院することができました。今回は10日間の入院でした。久しぶりの我が家の良さをともちゃんもお母さんも噛みしめています。添い寝が必要なともちゃんなので、病院では子供用のベッドにお母さんも一緒に寝ていました。点滴やモニターが付いていると一段と狭いので、寝返りをさせるのは難しく、ともちゃんが手足をにゅーと延ばしたときはお母さんはベッドの柵に張り付かなくてはなりませんでした。家では布団なので、そういう苦労はしなくてもゆったりと眠ることができます。

 退院許可が出たとき、先生から「3連休は絶対どこにも外出せずに家で静養するように。」と言われました。3連休は騒がしいお姉ちゃんの気配もいっぱい感じながら、家族が揃っている雰囲気を満喫しながらすごそうと思っています。

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1998年5月12日(火)

 長い間学校を休んでいたともちゃんですが、ようやく今日登校することができました。入院中にお見舞いに来ていただいた先生から「Kちゃんの声、Sちゃんの気配、Yくんの『おーい』(呼び声)、Tちゃんの笑顔、みんな待っているから早く元気になって学校に出てきてね。」と声をかけてもらいました。そのとき、ともちゃんは本当にタイミング良くニコーっと笑顔を返していました。学校の様子を思い出していたのかもしれません。

 退院してからも主治医の先生の指示でしばらく自宅で静養していたのですが、ともちゃんの起床時間は日に日に早くなって「今日こそはりきって学校に行くよ。」という意気込みが感じられていました。今日は4時に目を覚ましました。7時半には余裕で朝の用意を済ませて、スクールバスで登校です。

 あまり朝早くから頑張ったものですから、バスに乗る頃には少し疲れた様子です。それで、シーティングに座らずにお母さんの抱っこでバスに乗りました。しばらくはボーっとしていました。でも、それで疲れがとれたのか、ボーっとしている場合ではないと思ったのか、途中から元気いっぱい。隣の席の1年生が最初はバスでよく泣いていたという話を聞いて、ニターっと1年生に笑いかけたり、賑やかなお兄さん達の声を聞いて「おーおー」と自分も声を出したりしていました。

 心配性のお母さんは給食の前から学校にやってきて、給食時間は付き添わせてもらいました。久しぶりの登校なので興奮して昼寝はできないかもしれないというお母さんの予想に反して、ともちゃんは先生に抱っこされて昼寝をしました。にっこりと目覚めた後、給食もしっかりと口を開けて積極的に食べていました。お母さんはほっとしました。午後からの授業はマーブリング(水の中に絵の具を落として、それで和紙を染めるというもの)です。これも先生と楽しくやって、出来上がりには満足そうな顔をしていたそうです。

 帰りのバスはまた一段と賑やかです。お兄さん達が「桃太郎さん」の歌を大合唱しています。疲れていたともちゃんはそんな中でもお母さんの抱っこでぐっすりと18分寝ました。ともちゃんのバス停に着いた頃にはさわやかに目覚めていました。帰ってからも笑顔がたくさん出ていて、お父さんにも「学校に行けて、楽しかったよ。」と満足な気持ちを伝えているようでした。これからも無理せずに、たくさん学校に行けるようにしていきましょう。

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1998年5月23日(土)

ともちゃんが入院している間に、食事用の椅子にしようと装具屋さんに発注していたタンブルフォームが学校に届いていました。色の指定はできないと聞いていたのに、赤色でともちゃんにはぴったりです。車椅子同様、これにもキティちゃんのステンドグラスシールを貼りました。またまた、ともちゃんのタンブルフォーム・キティ号の完成です。

 食事の練習は、お母さん、お父さん、ともちゃんの気持ちに余裕があり、時間的にもゆとりがある時に少しずつ行っています。介助する人がともちゃんの首から肩に腕を回して、ともちゃんの首を支持して食べさせるのです。でも、お尻がいつもと違う感触なのが気になるのか、ともちゃんは首をぐーんと後ろに反らすので首が安定しにくく、食事はスムーズには進みません。ゆっくり時間をかけて徐々にお尻の感触にも慣れて欲しいものです。

 ともちゃんのタンブルフォームには、食事の他にも重要な用途があるのです。これに座ってボードゲームをするのです。3連休の前日に退院したともちゃんですが、しばらく外出しないようにと主治医の先生から厳しく言われていました。もちろん、しばらくは家で静養するつもりでしたが、久しぶりの自宅なので、家族みんなで楽しく過ごしたいと思いました。ともちゃんも家族の中に入っている雰囲気や、「次はともちゃんの番やで。」と言ってみんなに注目される感じを味合わせてあげたいと思いました。

 そこで、お母さんがポケットモンスターのボードゲームを買ってきました。サイコロを振ってコマを進め、コマの止まる位置によってポケモンを捕まえたり、イベントカード(バトルなど色々な指示が書いてある)を引いたりしながら、最終目的地を目指すものです。最終目的地にはライバルが待っていて、ポケモンの得点とサイコロの目の数の合計を競うのです。連休中ともちゃんは、「ともちゃんとお母さん連合」対「特大キティちゃん人形(黒子はお父さん)」対「お姉ちゃん」でゲームを楽しみました。

 学校に登校できるようになったともちゃんですが、休日にもお出かけするほどの元気はありません。それで休日は今も家族でゲームをしています。連休中はお母さんの抱っこで参加していたともちゃんですが、今はタンブルフォームに座ってします。お父さんと組んで、サイコロを手に握らせてもらった後に指をほどいてもらって、サイコロを下にポトッと落とします。「ともちゃん、サイコロふるで。」「ともちゃん、すごーい。」と声をかけられると、うれしくてニコニコしています。他の家族の声を聞いてニヤッとすることもあります。前回はともちゃんの優勝でした。

 食事をするときは緊張が強いのですが、ゲームのときはそれほどでもないように感じます。食事をする(食べ物を舌で喉に送り込む)という行為はともちゃんにとっては難しいので、お尻の感触の違いを気にしながら食べるのはよけい難しいのかもしれません。また、ゲームのときは、ともちゃんが首をそらしても誤嚥することはないので、お父さんもお母さんもゆったりと姿勢を直すことができます。また首をしっかりと固定する必要もありません。そういうまわりの雰囲気も影響して、ゲームのときはタンブルフォームにゆったりと座っていられるのでしょう。

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1998年6月7日(日)

今日はなかよし運動会です。M市の小・中学校の養護学級とともちゃんの通うM養護学校の合同の運動会です。今年度から府立になったM養護学校にはM市だけではなく隣のK市からも子供達が通学しています。もちろんこの子供達も一緒で、M養護学校は小学部総勢30名での参加です。

 会場の市民体育館はともちゃんの自宅と養護学校のちょうど中間の位置にあります。ともちゃんのオレンジ色のスクールバスは、いつもともちゃん達を乗せてこの横を通ります。今回の運動会では直接会場に行っても、一度スクールバスで登校してからみんなで会場に行っても、どちらでもよいということでした。このところ登校時のバスの中での昼寝が不可欠なともちゃんなので、今日は家で眠ってから、お父さんの運転する車で会場に行きました。

 ともちゃんが体育館に到着してお父さんが車椅子を組み立てているとき、オレンジ色のバスが体育館の裏口の方へ曲がって行くのが見えました。ともちゃんが車椅子に乗ると、お母さんは車椅子を押して裏口の方へ向かいました。すぐに元気なお友達が先生と一緒にぞろぞろとやってきました。階段を上って2階の入り口から入るためです。「(重複の)子供達はみんな、今あっちでバスから降りているところです。」と先生に教えてもらって、車椅子のお友達と合流しました。

 車椅子に乗ったまま準備体操で腕を伸ばして、みんなが歌う「森の熊さん」を聞いて運動会が始まりました。今のともちゃんにはこの雰囲気はちょっと刺激が強いようで、圧倒されています。お母さんが耳元で歌っても表情にはまだ硬さが残っています。ゆっくり休む間もなく最初の競技、個人走になりました。車椅子の子供達は先に(押してもらって)走ります。ともちゃんはお姉ちゃんに車椅子を押してもらって出場しました。ともちゃんの車椅子を押し終えたお姉ちゃんは、自分も個人で走りたいので順番を待つ列の後ろに並びに行きました。

 なかよし運動会では障害児の兄弟姉妹も競技に出場できます。個人走の出場者はたくさんいるので、この間にともちゃんは車椅子を降りてお母さんに抱っこしてもらって休憩です。最近疲れやすい上に緊張していたので、ちょっとしんどそうな様子のともちゃん。「次は親子競技の大玉ころがしなんだけど、ともちゃんはしんどいかなあ。」と先生が心配そうにのぞき込んでくれました。せっかくだから、大玉ころがしに出場してから、しっかりと昼寝をしようということになりました。

 ともちゃんはお父さんと出場です。出番を待っている間はきょろきょろと辺りを見回していました。ともちゃんは車椅子の足置き台の上に足を固定するためのベルトを外してもらい、足をピンとのばせるようにしてもらいました。お父さんはともちゃんの車椅子を押しながら、ともちゃんの足置き台で大玉を押していきました。ともちゃんが足を動かすと上手に大玉を蹴る(大玉に触れる)ことができます。上手に大玉をころがした後、ともちゃんはお父さんの抱っこで眠りました。

 中学生の出場種目が終わったら、全員で名刺交換のゲームをします。ともちゃんの名刺も、学校の生活の時間に先生と作ってあります。でも、このままともちゃんが寝ているのなら、このゲームには参加しませんとお母さんは先生に話していました。ところが中学生の種目が終わる直前にともちゃんが目覚めました。「次のゲーム出るか。」というお母さんの問いかけにしっかりと目を開けてよい表情を見せてくれました。

 ともちゃんはその次の玉入れにも出場しました。ともちゃんは紅組で他の車椅子のお友達も大勢一緒です。はじまる前に玉をたくさん集めて膝の上に積んでおいて、始まると車椅子用に用意された低い篭の正面まで行ってぽとんと篭の中に(介助してもらって)落とすのです。ともちゃんの持っている玉が無くなって後ろへ下がろうとしたとき、本当の高い篭に入れ損ねた玉が飛んできて、ともちゃんの足に当たってしまいました。ともちゃんは顔をしかめて嫌そうな顔をしていました。

 パン取り競争にも先生の抱っこで参加しました。ともちゃんは(アレルギーがあるので)パンは食べられませんが、袋の上から先生と一緒にパンをさわりました。ダンスにも出場して、ともちゃんは今年は小学生の参加種目には全て参加できました。閉会式の間は今度はお母さんに抱っこされて昼寝をしました。今度も10分足らずで目を覚ましましたが、すっきりした表情です。お弁当は先生や他の友達も一緒に、ともちゃんが交流しているお姉ちゃんの小学校の養護学級のみんなと食べました。しっかり寝たので食欲も旺盛です。

 食事をしながらともちゃんは体育館の天井や照明が気になっているようです。「あれ、あれ、そうか。運動会で体育館に来ていたんや。」と思っていたのでしょうか、しっかりした顔つきで興味深そうにきょろきょろ眺めていました。今年は早いペースのプログラム進行にもなんとかついていったともちゃんでしたが、やっとゆっくりとともちゃんのペースで周りを観察する余裕ができたようでした。

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1998年6月12日(金)

 退院して登校できるようになってから、ようやく1ヶ月が過ぎました。リハビリや予約外来の通院日以外はほとんど休むことなく登校できていました。でも、ともちゃんは疲れやすいのか、何度も昼寝をします。それも今までとは違って抱っこで寝る体制に入ると、すぐにぐったりと脱力してウトウトしはじめます。とうとう、寝かせるタイミングを逸したために、夕方に今までなかったけいれんが起こるようになりました。

 一昨日、ともちゃんは給食前の昼寝ではウトウトするのにぐっすりとは眠りませんでした。午後からの昼寝の時間も遅くなってしまいました。10分程眠って、一度目を開けたときに教室から下校のバスの中に移動しました。それでその後は、神経がぴりぴりして眠いのに寝られないという状態に陥ってしまいました。目つきが変で黒目がチラチラと動くタイプのけいれんが出ていたので、バスを降りてから自宅までの道を急ぎました。けれども途中で15秒位の硬直のけいれんが出ました。

 家に帰ってからも黒目がチラチラとしたり、黒目が(右側とか左側とか)片方に寄ってしまって首もぴっぴっとそちらに引きつられるような動きをしています。目つきがうつろで変です。「ともちゃん、ともちゃん。」と強く呼びかけると、それに応じて一時的には正常な目つきに戻るのですが、またすぐに変な目つきになります。こういう状態はバスに乗る頃からですから1時間以上続いています。これでは薬も食事も夕方の予定がこなせません。

 けいれん止めのダイアップ座薬4mgを入れて、けいれんが落ち着いて薬が飲めるようになったときに薬だけは飲ませ、その後食事にして薬の影響で眠くなってきたところで食事を止めて寝かせるという作戦に出ました。作戦は成功。座薬を入れて1時間近くすると、表情も良くなり、目つきも落ち着いてきました。この間にまずは薬を注意深く飲ませました。その後30分ぐらいの間にゆっくり慎重に食事を与えて、口の動きが止まってきたので止めにしました。

 実はこのタイプの夕方のけいれんは、この日が始めてではありません。1週間前にもよく似た状況でこのけいれんが起こり、同様の処置で治ったのです。午前中の眠りが少なく、午後から寝かしたときにはもう神経が疲れすぎていて寝付けなかったときです。こんな時のともちゃんの目つきを見ていると、お母さんは病院で見せてもらったぐちゃぐちゃに乱れた脳波が今ともちゃんの頭の中で起こっているのだなあという気がします。

 昨日はともちゃんはしんどそうで、午前中ウトウトと長く昼寝をして朝の用意が進まず、学校を休みました。今日も学校は休んで午後からの神経外来に行ってきました。主治医の先生には「夕方のけいれん」の話もしました。こういう場合はぐっすり寝かせた方がいいので、座薬を入れて寝かせる今までの方法でよいとのことでした。

 ところが、午後からの外来に出かけたものですから(午前中はしっかり昼寝をしたのですが)、午後からの昼寝の時間をしっかりと確保することができませんでした。家に帰って、寝かせても眠いのに寝られません。布団の上にごろんと寝かせると首も黒目も右側にぴっぴっと引きつれた動きをしています。結局、今回も座薬を入れて寝かせました。

 夕方のけいれんが起こったときには、座薬をいれて対症的には逃れることができます。でも、このごろの昼寝の仕方から見ても、ともちゃんは疲れやすいようです。なぜ疲れやすくなったのか、ごく一時的なものなのか、病み上がりから続いているのか、環境(学校)の変化のせいなのか、成長の過程で(思春期ではないけれど)そういう時期なのか、気候のせいなのか、は分りません。何れにしても今のともちゃんの体調にあった生活のリズムを模索して、けいれんが少しでも起こらないように、ともちゃんが快適に生活できる環境を整えたいと思っています。

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1998年6月20日(土)

 今年度に入ってからはともちゃんの入院があったので、地域の小学校との交流はしばらく中断していました。なかよし運動会のときに地域の小学校の養護学級の先生から「今度、縦割り班のお楽しみ会があるので交流に来ませんか。」とお誘いがありました。願ってもないお話です。ともちゃんが元気ならぜひ参加させて下さいとお母さんは答えました。

 ともちゃんのお姉ちゃんの小学校(つまり地域の小学校)には縦割り班があります。これは1年生から6年生まで各学年1人ずつで構成された班で、6年生が班長です。理想的には各班6人ずつなのですが、実際には学年によって子供の数が異なるので(6年生が一番多くて、3年生などはクラスの数も少ない)、1班5人から4人の構成です。以前、班長をしているお姉ちゃんが各班のメンバーの一覧表をもらってきたときに「ピカチュウの6班」の中にともちゃんの名前を見つけてうれしく思っていたのです。

 土曜日の2時間目、ともちゃんにとっては朝の昼寝も済ませて、最も体調の安定する時間帯です。小学校の門をくぐり、養護学級に向かう途中で3年生のAくんに出会い「久しぶりやなあ。」と声をかけてもらいました。ともちゃんはAくんの甲高い声が大好きです。養護学級の教室で待っていると班長さんが迎えに来てくれました。このお楽しみ会は数班が一緒になって6年生が企画や準備をし、班の下級生と遊びます。「ピカチュウ」の班は体育館でゴルフをするそうです。

 ともちゃんは車椅子ごと男の先生2人にかかえてもらって階段を上り、2階の体育館にやってきました。「ゴルフ」の会場の向かいにはお姉ちゃんの「ミニリュウ」班の「ボーリング」場がありました。運動場で遊んでいる班もあります。ゴルフは体育マットの上で小さいボールをプラスチックのおもちゃのバットで打ってころがして、マットの端っこに置かれている空き缶に入れるというものです。

 ともちゃんは時々表情がゆるむこともありますが、全般に体育館のざわめきに圧倒されているようです。緊張した表情で、全身でここはどこなのかを探っているようです。1回目は車椅子に乗ったままで、6年生がバットを持たせてくれて、打たせてもらいました。小学校の先生はそおっとていねいにともちゃんの指を開いて、バットを握らせてあげるように6年生を指導して下さっています。「えいっ」と打ちましたが残念ながらはずれ。

 2回目は小学校の先生に抱っこしてもらって打つことになりました。ともちゃんは知らない先生に抱っこされたので最初は緊張していましたが、すぐに落ち着いてきました。6年生のお友達が入れ替わり手を添えてボールを打たせてくれます。何度も何度も打たせてもらって、とうとう空き缶にボールが入りました。歓声をきいてともちゃんは緊張していましたが、しっかりと賞状と景品(折り紙で折った箱)をもらいました。

 帰りも先生に抱えてもらって空中を飛んで階段を下りました。1階に着地したとたん、ぱっとともちゃんの顔に笑顔が広がりました。ともちゃんにはだんだんとここがお姉ちゃんの学校であることが分かってきたのかもしれません。そのあと養護学級に立ち寄った時も終始表情はゆるんでいて、笑顔もたくさん出ました。「なあんだ、知ってるところや。緊張しなくてもよかったんや。」と感じたのでしょうか。じわじわっと楽しさが伝わってきたようです。

 帰ってからはまた昼寝もして、最近の体力のないともちゃんにとっても無理にない楽しい交流でした。

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1998年6月25日(木)

 春の遠足は海遊館です。最近の体力のないともちゃんが遠足に行けるかどうかお母さんは随分迷いました。全面開校して初めての親の付き添いなしの遠足です。元気なお友達のペースで団体行動されると、ともちゃんは全くついていくことができません。それでなくても海遊館は2年前にけいれんを起こした因縁の場所ですし、最近は以前にも増して無理のできないともちゃんです。

 お父さんも無理して参加することはないと言っています。お母さんも1週間前までは休んでもいいかなと思っていました。けれども、土曜日に交流に行ってから短時間なら今のともちゃんも色々な行事が楽しめるという自信がつきました。当日ともちゃんが体調を崩していないのなら、休憩場所や休憩時間を確保した上で(見学時間が)短時間でも参加させたいと思うようになりました。

 今日は朝から慎重にともちゃんの様子を観察して、少し遅れて登校しました。ともちゃんは学校からスクールバスで海遊館に出発です。お母さんはいつものように地下鉄で先回りをしました。お母さんが障害者用の受付の付近でうろうろとしていると元気な子供達が先生と一緒にやってきました。元気な子供達は通常の入り口から、車椅子の子供達はエレベータでと2グループに別れて入館しました。

 館内では携帯電話が使えないことと、最近ともちゃんの体力が低下していることを理由にしてお母さんも一緒に付き添わせてもらいました。エレベータに乗り込むとともちゃんはうれしそうに笑っています。海遊館はまず一番上の階まで上って、スロープを下りながら水槽を見学する構造になっています。上階ではラッコやペンギンなど水面を泳ぐ生き物が見られ、階下に行くにつれて海底の生き物がいる水槽が見学できます。また巨大な水槽はスロープを下りながら様々な深さから見ることができます。

 階上の展示室はまだ明るくて、ともちゃんもゆったりした表情です。「ともちゃん見てみ。Sちゃんの友達の亀がおるわ(Sちゃんは亀の甲羅のような遊具に入ってクルクル回してもらうのが大好き)。」とお母さんや先生の大きな声を聞きながら、友達と一緒にゆっくりと見学しました。水槽の中の魚をさわろうとして、水槽に顔も手もべったり押しつけているお友達もいます。

 カマイルカの水槽にやってきました。先に来ていた元気なお友達に譲ってもらってとてもよく見える場所に陣取りました。目の前を白と黒とグレーの三色の大きなイルカがシュルシュルと泳いできては水面からジャンプしています。今までの水槽にはなかった動きです。いままで雰囲気を楽しんでいた弱視のともちゃんもここではしっかりとイルカを「見ている」ようです。顔にはうれしそうな笑顔が浮かんできました。何か動いていることがわかったのでしょうか。

 以前海遊館に来たときも、やはりこの水槽を見ているときはニコニコの笑顔が出ていました。ともちゃんはカマイルカが大好きなようです。だんだんと水槽も海中の様相を呈してきました。熱帯魚も瀬戸内海の鯛も巨大水槽のジンベエ鮫も見ましたが、時計を見るとそろそろともちゃんの昼寝の時間です。担任の先生とお母さんとともちゃんは一足先に館外に出ますと告げて先を急ぎました。

 先を急ぎながらも覗いた水槽では運良くゆったり泳ぐマンボウもエイのかわいい顔も見ることができました。ともちゃんはもうボーッとして魚を見ている元気はなかったかもしれません。ともちゃんの嫌いな深海底のタカアシガニは大急ぎで通り過ぎて、新しくできた水槽のトンネルも立ち寄らずに館外に出ました。

 売店の前のベンチで先生に抱っこされたともちゃんは、しばらくウトウトしてから昼寝をしました。みんなはもうお弁当を広げて食べています。ともちゃんも合流しておかゆペースト弁当を食べました。お弁当を食べているときに鳩がたくさんよってきたのには困りましたが、魚も見て海の匂いも嗅いでみんなと楽しい時間を過ごせました。もう海遊館の雰囲気も平気です。

 遠足は無事に過ごせました。今までともちゃんが苦手だと思っていた暗くて水中の雰囲気のする海遊館もまた家族で行ってみようという自信もつきました。でも、夜になってもともちゃんは興奮して眠れず、目玉が下に下がってしまうけいれんが起きてしまい、座薬を入れて眠りました。

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1998年7月7日(火)

 今年の夏は夏風邪が流行っているということですが、ともちゃんも夏風邪にかかってしまいました。7月2日の夕方の体温が少し高めでした。両親は暑いからかなあと気にしながらも、そのままともちゃんを寝かせました。

 翌朝、起きてすぐの体温測定で予測式の電子体温計では37.8度です。予測式の場合は、脇の下でのはさみ具合によっては測定誤差が大きくなります。今回のように発熱かどうか怪しい温度、つまり37度後半の体温での誤差が一番問題になります。長年の経験から「怪しい時」は水銀の体温計で時間をかけてもう一度計ることにしています。水銀で37.6度。これは要注意です。

 3時間後、朝の予定がすべておわってから再び体温を測りました。水銀で37.9度(予測式で38.0度)。いよいよ本格的に熱が出てきたようです。今日は午後から予約制の小児科の神経外来を受診するつもりで、学校は休んでいました。でも、熱が高くなるのなら、午後とはいわず、午前中の通常の診察に早く連れて行きたいと思います。

 結局10時過ぎに38.1度になったので病院に行きました。喉が赤く、扁桃腺のまわりにポツポツと発疹ができていて、夏風邪でしょうと言われました。今はまだ水分は何とか取れてはいますが、もう少し熱が高くなるとともちゃんは飲食できなくなります。そうなるとよけいぐったりとしてしまいます。早めの処置として点滴をしてもらい、薬ももらって帰りました。 

 帰ってから熱はどんどん上がって、寝る前には39.3度になりました。食事も取りにくくなってきました。解熱剤の座薬とけいれん止めの座薬を入れて寝かせましたが、なかなか深い眠りにつけず、ウトウトしてはにゅーと足を突っ張って目を開けていました。ともちゃんがぐっすりと眠ったのは11時でした。

 翌朝、ともちゃんはいつもより少し遅く、6時に目覚めました。ともちゃんの体はそれほど熱く感じられません。水銀の体温計で測定すると37.3度です。熱は下がっています。夜になると再び熱が高くなるのかもしれませんが、それでも朝だけでも下がってきたというのは回復に向かっている証拠です。この日は一日中しょっちゅう昼寝をして過ごしました。幸い熱も再び上がることはありませんでした。

 そのままともちゃんはどんどん回復して日曜日に休養した後、月曜日一日学校を休んで、今日から登校しています。早めの点滴がよかったのか、ひどくならずに治まって、お父さんもお母さんもとてもうれしく思っています。今日は七夕です。お母さんが少し学校を覗きに行ったときは、ともちゃんもみんなと一緒に新しい体育館で大きな笹飾りを前にして七夕の日の行事に参加していました。ともちゃんの短冊は、ともちゃんが休んでいる間に先生が考えて書いて下さっていました。

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